<24・Darkness>
「どうしてっ!」
がんっ!と強く拳を地面に叩きつけた。真っ黒な闇の中、拳に伝わるのはゴムを殴るような鈍い感触ばかりである。どんなに殴っても、さほど痛みを感じない。されど強い手ごたえがあるわけでもない。ドナが苛立ちをぶつけるにはあまりにも不十分すぎた――否、この環境でどんな慰めがあろうと、この苦しみを解消する手立てになろうはずもなかったけれど。
「何が、何が何が何が何がいけない!?何が足らない!?どうして、どうしてあの人は死ぬのっ……どうして!!」
ラナのルートではゲームの規定通り、遺跡への観光中にドナが足を滑らせて穴に落ち、それを知恵を絞ってラナとセシルが助けるというイベントが発生した。その後紆余曲折を経てラナに“妹を任せるに足る立派な青年”と認められたセシルは、ドナと結婚式を挙げ、ラナが祝福のスピーチをしてエンディングへと向かう――ここまではドナも知っていた通りの流れである。
やはり、問題はその先だったのだ。
何故、神の巨人の出現も、彼の研究も関係なくセシルは死ぬのだろう。
彼は研究発表会の帰り、暴走した車に撥ねられて死ぬことになった。原因は、自動車の整備不良。車に乗っていたのがまさかの公爵であったせいで事故の真相はもみ消され、自分達は泥沼の裁判に挑む羽目になったのである。否、裁判がどうというのはもう関係がない。セシルを救えなかった時点で、その世界にもう価値はなくなったも同然なのだから。
その後もドナは、いくつものルートを試した。
エイベルに結婚を祝福されるルート。
コニーが更生するのを、ドナとセシルの二人で協力するルート。
フィオナがコニーと大喧嘩したのを、ひょんな理由からドナが仲裁することになるルートなど。
他にも、攻略対象となるキャラクターたちは存在したので、ドナはひたすら彼等のルートを攻略していったのである。どんなゲームでも、必ずハッピーエンドは用意されているはず。誰かしらのルートに必ず希望が残されているはずだと、そう信じて。
しかしその結果は、あまりにも無惨なものだった。
神の巨人や彼の研究とも関係なく、セシルは必ずエンディングの先の未来で惨たらしく死んでいくことになるのである。ある時は奴隷商人に誘拐されて売り飛ばされて廃人になり、ある時は降ってきた瓦礫に押し潰されて死に、ある時は人身売買の業者に生きたままバラバラにされ、またある時は暴動に巻き込まれて蜂の巣にされた。ドナも一緒に死ぬ時もあったし、そうではない時もある。いずれにせよセシルが死んだ時点で、次第にドナは自ら命を絶ってリセットを図るようになっていたのだった。いくら繰り返しても終わらない、絶望的な物語に心をすり減らしながら。
「教えてください、セツナ……!どうして、どうして必ずセシルは殺されるんですか!?貴方は何か知ってるんでしょう!?」
ドナの問いに。目の前で悲しげにドナを見下ろしていた金髪の少年は、ため息交じりに答えたのだった。
「……言いましたよね。お前の世界は、お前の前世の世界でゲーム化されたことにより……そのゲーム化されたシステムと大きく繋がってしまった、と。だからゲームの仕組みと同じやり方で、お前の世界の結末が変わっていくのだと」
「ええ、ですがっ……」
「お前がどれくらいゲームというものに詳しいのかわからないんですけどね。ゲームって、結構没データっていうのが残っていたりするものなんです。実際のゲームでは登場しなかったマップとか、使われなかった敵キャラクターのデータとか、最終的には使用されなかった没シナリオ、とか。“光のエデン”は特にそういう“隠しデータ”が多いゲームらしいですよ。だからゲームの知識がある人が見ると、実際に使われなかったマップやルートを掘り起こすこともできたりするんだとか」
「……!」
まさか、とドナは眼を見開く。
「わたくしが体験してきた残酷な結末は……その没シナリオが元になっている、ということですか……!?」
「そうです」
頷くセツナ。
「お前も気づいていたとは思いますけどね。このゲーム、“本来のエンディングまで”だけ見た場合……殆どがわかりやすいハッピーエンドで構成されていると思いませんか?結婚エンドとか、和解エンドとか、応援エンドみたいな。……最終的にはコンセプトや需要を鑑みて、そういうエンディングばかりが残ったそうなのですが。本来は、バッドエンドやトゥルーエンドも数多く含まれる予定だったみたいなんですよね。例えば、お前が何度も試行錯誤したように……神の巨人のフラグを折らなければセシルが暗殺される、といったような」
「その没データが、ゲームに実装されたハッピーエンドと繋がってしまった……ということですか?」
「そう。恐らく、没データを掘り起こそうとした人たちの弊害なんでしょうね。……お前の世界にはそれが、歪んだ形で伝播してしまった。だから、本来のエンディングのあとにバッドエンドが来るという捻じれた形になってしまったんです。神の巨人のフラグを折ることができなければセシルが殺害される没バッドエンドに繋がり、折っていれば別のバッドエンドに繋がることになる。……すみません、このあたりはお前の巡ってきた世界を見た上で、もう一度本来のゲームのデータを照らし合わせてついさっき確定した事実です。先に言っていなくて、すみません」
この口ぶりから察するに、バッドエンドが発生する原因にセツナも心当たりがあったということだろう。ただ、確信していなかったからドナに言わずにいたということらしい。
黙っていた彼を、恨む気にはなれなかった。確信していなかったのであれば余計な不安を持たせたくないのは当然であるし、そもそも彼にその可能性が高いと言われていたとしても自分はきっと同じことを試したに違いないのだから。
そう、僅かでもいい。ハピーエンドの先までちゃんとハッピーエンドで終わることを信じて――世界を繰り返したに違いないのである。
だが、ここまで聴いてもまだ疑問はある。それは。
「……バッドエンドが多発する理由はわかりました……納得はしたくないですが。ただ、どうしても引っかかることがあります。そのバッドエンドの、内容です」
背中にのしかかるような、重たい絶望の気配。ドナは座り込んだまま、どうにか頭を回そうと足掻いていた。
「何故、バッドエンドの方向性が全部同じなのです?セシルが死ぬエンドばかり、というのは偶然とは思えないのですが」
「偶然じゃないでしょうね。……このバッドエンド系のエンディング、作ったのは全部同じシナリオライターで……このゲームのシナリオ全般を指揮した人物でもあったようです。その人物が、一番愛したキャラクターが婚約者でありメインヒロインのドナ、お前でした」
「わたくし?それがなにか……」
「愛と言っても人それぞれということです。時には、愛したキャラクターに苦境や悲劇の要素を盛り込むことを愛と考える創作者もいる」
「……!」
すっ、と背筋が冷たくなるような感覚を覚えた。それは、つまり。
「……セシルを殺したいのではなく。わたくしを、不幸にしたかったということ?」
セシルが死んで、悲しむドナが見たかった。
あるいは愛する人を理不尽に奪われる悲劇のヒロインに萌えた。
だから、その手段としてセシルが死ぬと、そういうことだというのか?
「その通り」
無情にも、セツナは肯定した。
「お前を、“悲劇のヒロイン”にすることに拘った人間がバッドエンドを担当した。だから、お前が辿ったルートではみんな“セシルが殺される”ことでしかバッドエンドを回収できなかったんです。愛する人を殺すくらいしなければ、お前を傷つけられないほど……お前が幸せだったから」
眩暈がしそうだった。自分にも前世の記憶はある程度残っているし(自分自身に関すること以外ならそれなり程度に覚えているのだ)、好きな子ほど苛めたくなる系列のオタクがいるということも認識している。確かに、推しキャラクターを魅力的に演出する方法の一つとして、悲劇を背負わせるというのは有効なのかもしれなかった。
その悲劇の方法として最も安直なものが、死。
本人を不治の病にする、あるいは事故などで殺害するという方法が取れないのであれば、愛する人間を殺して未亡人にしてまうというのはとても簡単な方法であるのかもしれなかった。わからないわけではない、でも。
「そんな、理由で……?」
怒りよりも先に、唖然としてしまった。
「セシルの死というものを……わたくしという悲劇のヒロインを飾りたてるアクセサリーにするために……そのためだけにセシルを殺してきたということ?あんな、何度も何度も何度も……繰り返す世界で、無限に……?」
世界を壊したい、支配したい、何もかもを滅茶苦茶にしたい。悪が犯罪を企てる動機が、必ずしも壮大なものとは限らないと語っていたのは誰だっただろう。前世の書籍か、現世の偉人か。確かにその通りだった、なんて笑えもしない。シナリオライターにはきっと、悪意などなかったのだろう。ただドナのアクセサリーとして悲劇を演出するためだけに、大して好いてもいない主人公を惨殺するのを躊躇わなかったというだけのこと。
「そんな理由、ですよ。そんなものなんです。……そしてそれは、あの世界では犯罪でさえない。何故ならお前達にとって世界を決定づけた神でさえある彼等は……彼等にとっては、お前達は生きた人間でさえないから。物語の、ゲームの、架空の存在にすぎないのだから。しかも、それらのシナリオは全部没になって、ゲームの中に隠されたままになった。罪として明るみになることもなく、裁かれるにも値しないのです」
「……は、ははっ……それ、なんて笑い話……!わたくし達には、この世界こそが現実なのに……っ!」
「そう。それこそが、物語を形作る神の視点。お前の愛する人は、悪意に殺されたのでさえないんです。ただ、その方が都合が良かったから。それだけ」
滅茶苦茶だ。本当に、これではいったい誰を、何を恨めばいいのかもわからないではないか。シナリオライターはただ、バッドエンドへ向かうシナリオにちょっと自分の歪んだ愛を込めただけ。しかもそれらは全部没になっている。歪んだ世界が、歪んだやり方でそれを掘り起こしただけに過ぎない。それは、罪を問える行為でさえないのだ。
何故ならドナだって、同じことをやるかもしれないからだ。小説の中の登場人物を殺すのに、一体何の躊躇いがあるだろう?それが主人公の敵ならば、あるいは主人公を成長させる試練となるならば容赦なく殺すはずだ。それは悪でもなんでもない。創作者の、神にとっては必然的な行為の一つに過ぎない。
「……そのバッドエンドに、繋がらない未来は」
気づいてしまった、一つの答え。ドナはふらふらと立ち上がる。
「わたくしが、別の方法で……悲劇を背負うこと。そうすれば、セシルを死なせずに済む……そういうことですか?」
もし、そのシナリオライターが本当に、ドナを“悲劇のヒロインにすること”が最大の目的ならば。ドナが別の悲劇のヒロインになれば、セシルの死はかの存在が望む物語に必要がないということになる。
問題は、セシルの死以外の悲劇を、ドナがどのように背負うのかということ。
「……このゲームを作るにあたり、運営会社からシナリオライターにつけられた注文があります。それは、主要キャラクターを国外に出すことなく物語を完結させよ、ということ。国外に出すのを許されるのは、物語が終わった後に限ります。裏を返せば、キャラクターが“国外に旅立った”で終わっているエンディングより先は……そのキャラクターの未来に、シナリオライターは一切タッチすることができないのです」
「つまり、セシルが旅立った未来では、セシルが死ぬバッドエンドはまず起こらないということですね……」
「はい。同時に、お前がセシルの死以外で悲劇を背負えば……シナリオライターの、セシルを死なせたいという意思も働かなくなるでしょう。……その両方の条件を満たすルートはただ一つ。その一つはまだ、お前が試していないもののはず。否……意図的に避けていた、と言うべきかもしれませんが」
いくつもいくつも選択を試した。
それでもまだドナは、どうしても試すことができずにいたのだ――セシルが、ドナ以外に恋人を作って幸せになるルートを。ドナが、セシルに婚約破棄を突き付けるルートを。
それは他でもなく、セシルと幸せになりたかったからに他ならない。
そう、本当はずっと、セシルに生き残って貰うのみならず――彼と幸せな未来を共に生きる未来を、何よりも望んでいたのである。その両立ができる道が必ずあるはずだと信じていた。信じてやまなかった。
でももし。その両立が、絶対に叶わないというのなら。
セシルと結婚して幸せな未来を築けば、セシルが死ぬ以外に悲劇はなくなり、セシルは必ず惨たらしく死ぬことになるなら。自分達の結婚が幸せであればあるほどその未来が決定的なものになるとしたなら、自分は。
「この場所で僕にできることは、お前とのお喋りと……ただ一度、力を行使することだけです。つまり、お前の望む世界を、ループの“最後”に決めることだけ」
選んでください、と。
セツナは、苦悩を噛み殺した顔で告げたのだ。
「ドナ・アンカーソン。お前にとって、一番大切なものは……何ですか?」




