<22・Cindy>
ヒグチ教授のルートがダメだというのならば、別のルートを責めてみるしかない。
同一人物のルートであっても、結末が複数あったり、あるいはルートへの入り方が一変通りでないケースも存在する。例えばそう――今、ドナの目の前にいる少女、シンディーのルートだ。
「これは、噂で聞いたのだけど」
このルートも、ドナの好感度が多少下がっていないと発生しない。何故ならドナからセシルへの好感度が一定以上であると、この会話をドナからシンディーに持ちかけることそのものがまずあり得ないからだ。
「シンディーの初恋の人が、実はセシルだったって聞いたんだけれど……それって、本当?」
今回は、わざとドナから話を振ってルートを誘発することになる。自分の婚約者が絡む初恋話をするのは心苦しいが、今から導こうとしているルートはまだマシな方だ。シンディールートのうち、最終的にドナとセシルが別れて、セシルとシンディーで恋仲になるルートも存在していると知っている。さすがにそれは承伏できないし、よほどドナの好感度が下がっていなければ発生しようもないから、今は一端忘れていいだろう。
もう一つ、シンディーの夢をドナとセシルの二人で応援するルートがある。こちらならドナはセシルと婚約解消せずにすむ。今回狙うのはこっちだった。
「え、え!?何言い出すのドナ!?」
十八歳、受験生の夏。ドナと一緒に図書室で勉強していたシンディーは、案の定目を白黒させて言った。この少女が引っ込み思案で、それでいて心優しい性格であることをドナは知っている。ドナという婚約者がいるのに、セシルのことを好きだなんて図々しく語るはずもなく、同時に想いが残っていたところでそれ以上好きにならないようにと考えてしまうのが彼女だ。先述の“セシルとシンディーが恋仲になるルート”は、あくまでドナが婚約解消するからこそ初めて生まれる可能性なのである。まだドナとセシルがくっついているこの状況で、彼女がこんな話題を振られて動揺するのは当然だった。
「気にしなくていいんですよ、シンディー。最近、セシルも研究室に呼ばれることが多くてちょっと拗ねてるだけですし。別に、あの人の初恋が誰であっても今更気にしたりしないですから」
「ち、違うわドナ!セシルは関係ないの、あくまで私が一方的に好きだった時があるってだけで……!」
「なるほど、初恋っていうのは本当だ、と」
「あ」
見事に誘導尋問に引っかかったシンディーは、いじわるしないでよ、と頬を染めて俯く。
「あくまで、過去形よ?過去形だからね?……その高校に入った頃に……ちょっと町で面倒な人たちに絡まれたことがあって。私も歩き読書なんかしちゃいけないってわかってたんだけど、ついつい読みふけっちゃって、道間違えてちょっとガラの悪い路地に入っちゃってね……」
ああ、シンディーならありそう、とドナは苦笑した。彼女がとにかく本の虫であるのは有名な話だ。本、と名のつくものならわりとなんでも読むタイプだったはずである。官能小説まで“文学的にみると意外と奥が深いのよ”と堂々と語ってきた時はさすがにひっくりかえりそうになったものだが。
そのくせ、自分の恋愛話になると真っ赤になったりするから面白い少女である。文学として見るエロと、自分が実際に体験する淡い恋ならば、彼女にとって遥かに後者の方が恥ずかしいものであるという認識らしい。
「ガラの悪い路地って、大丈夫だったんです?……この近隣でそういう場所って言ったら、六番街よりあっちくらいしか思いつかないんだけど……そのへんまで行ってしまったんですか?」
「五番街の古本屋に行ったの。あそこ、ちょっと俗っぽい本も多くて楽しいから」
「もう……」
自分達の高校、およびラクマ大学はどちらもエディス王国首都・エディス王都の中に存在している。エディス王都は王都ということもあって名のある貴族・王族が数多く住んではいるが、広いだけあって低所得者層も数多く存在するのは確かなことなのだ。
特に、基本的な街の大部分は一番街から作られて二番街、三番街と増築されていく傾向にある。一番街ほど貴族達が住む高級街であり、数字が増えていくほどランクダウンする傾向にあるのだ。王都でいうのならば、貴族が出歩くのはどんなに広くても五番街までだろうと言われている。六番街以降は所得の低い労働者階級が増え、さらに二桁にもなれば下層階級の孤児たちがうろつくスラム街と呼ばれる場所になる。シンディーのような名家の娘が足を踏み入れていい場所ではないのは確かだった。確かに、路地一本の差でうっかり踏み込んでしまう可能性があるのも事実ではあるのだが。
「気をつけなくてはダメですよ。シンディー、可愛いから悪い人に引っかかっては面倒なことになります。わたくしみたいに格闘技を習ってるわけではないんですからね?」
「もう、ドナだって習い始めたばっかりじゃない」
おっとそうだった、とドナは思わず失言に気づく。今までの世界で立て続けに“護身術を習った自分”を作り上げたせいで、今の自分がまだ習い始めの素人であるということを忘れそうになるのである。前の世界の記憶や知識をついつい持ち込んでしまいそうになる、のが記憶継承のやっかいなところだ。
「……それでね。その男の人たちはものすごい酔っぱらってたらしくて……おしりとか触られて、凄く嫌だったの。すれ違った時点で、やたらと胸を見て来るから十分不快だったんだけど」
うわ最悪。ドナは思わず本音を漏らした。
「女を胸と顔でしか見ない男なんか死ねばいいと思いません?お尻触るなんてのは論外、万死に値します」
「さ、さすがはドナ。過激だね……」
いや本当に、うんざりすること間違いなしなのだ。男女同権になったはずの世の中でさえ、未だに女性を男より格下だと判断して見下す人間は少なからず存在する。そうではなくても、女性の胸をじろじろ見るのがセクハラだという認識が一切ない連中が多くて本当に嫌になるのだ(この世界にセクハラという言葉がないのは重々承知しているが)。
基本的に、どんな女性も容姿と同じかそれ以上に人格を評価してもらいたいもののはずである。女性の耳に聞こえる場所で“あの女は胸が豊かでいい”だの“胸がでかい女にしか興味はない”などと平気でのたまうような恥知らずな男を、一体どんな女性が好きになるというのだろう。胸を見るなと言っているのではなく、胸ばかりを見ている己をもっと恥じて隠すべしという認識を持てと言いたいのだ。時にはその考え方だけで、女性を傷つける結果になるのだから。
「と、とにかく。そんな場面で助けてくれたのが、セシルだったのよ。セシル、全然背も大きくないし力も強くないのに……相手に蹴りを一発入れて、私の手を引いて一緒に逃げてくれて。その時は初対面だったのに、そこまでやってくれた彼が本当に恰好良くてね。それでつい……そういう気持ちになっちゃった、というか」
「……セシルらしいですね」
彼なら当然やるだろうなあ、とドナは笑うしかない。目の前で困っている人がいて、自分にできることがある。そうなった時、見なかったことにして逃げるということが一切できないようなお人よしである。そのせいで過去にはチンピラに絡まれたこともあるし、誘拐されかけたこともあるのに本当に学習しないといったらない。この時だって、一歩間違えればタコ殴りにされて大怪我をしていたかもしれないし、もっと酷いことになった可能性だってあるというのに。
――まあ、そんな彼だから……私は好きになったのだけど。
きっと、シンディーの時もそうだったのだろう。
彼は絡まれているのが婚約者のドナであっても、見知らぬ女子学生であっても関係なかったのだ。助けないで逃げる自分が、何よりも許せないと考えるがゆえに。
「その後彼と話す機会は何度かあったけど……でも、すぐに私なんかよりずっと身分の高い人なのもわかったし、婚約者がいるのもわかったから。最初にちょっとかっこいいなって思っただけで、それ以上のことは何もないの。信じてくれない、かな?」
「信じます。シンディーがそういう嘘をつけない性格なのは知ってますしね」
「良かった。……でも私が諦めたの、ドナのせいでもあるんだけどね?婚約者ってだけじゃなくて」
ふふっ、とシンディーはちょっとだけ頬を染めて笑った。
「婚約者がものすごーく嫌な女だったら、奪ってやろうって気持ちにもなったかもしれないけど。話してみたら礼儀正しくて親切なお嬢様なんだもの。そりゃ諦めも作ってものじゃない?」
「お世辞言っても何も出ないですよー?」
「ふふ」
少しだけ、思ったことがある。もし、シンディーの夢を応援するルートがダメだった場合。彼女に、セシルを託すルートも試してみる価値があるかもしれない、と。
自分は彼を愛している。彼のことが嫌いになったわけでもなんでもないのに婚約解消なんて、本来ならば絶対にしたくはないと思う。でも、もしそれ以外に彼の未来を守る方法が見つからなかったら、その時自分はこの心優しい友人に愛する人を託す選択ができるだろうか、と。
シンディーのような女性ならば、いいかもしれない、なんて。
ほんの少し――ほんの少しだけ、そう思ったのだ。
「それなら、今は他に好きな人がいるということですかね?」
まあ、それを考えるのは、このルートがうまくいかなかった時でいいはずだ。
ドナはきっかけとなる話題へと切り替えた。このルートはまず、シンディーの“現在好きな人”との話を聴くところからスタートするのだから。
***
シンディーが好きな人というのは、彼女が通っているサロンの同級生だった。彼は高校卒業と同時に大学に入らず、軍に入ることを決めているのだという。彼とお近づきになるにはどうしたらいいか?そんな相談をドナが受け、さらにセシルにもその相談内容を明かすことから彼女のルートへ分岐するのだ。
ちなみにセシルとシンディーがくっつくルートへ入るには、この話をするよりも前にもっとドナの好感度が下がっている必要がある。今回は、そちらに入る要素はない。というか、そもそもドナが婚約解消を決断しなければ入りようもないので今は考えなくて問題はないだろう。
――きっと、私は前世でこのゲーム、死ぬほどプレイしたんだろうな。こんなに詳しいルート分岐まで覚えているんだから。
その時の自分は何を思っていたのだろう、とドナは思う。プレイしていたゲームの内容は覚えているのに、自分が何を思っていたのか、というような自分に関することがさっぱり思い出せない。
ただきっと。自分の指先一つでキャラクターたちの心理を操れることに、罪悪感を抱くようなことはなかったはずである。プレイヤーにとって、この世界の住人達はあくまでゲームの中のキャラクターであり、心あるイキモノとは到底考えていなかっただろうから。
――シンディーを通じてシンディーの想い人、ひいてはこの国の軍ともコネクションを持つようになるセシル……そしてヒグチラボ。魔法関係の研究成果をそのまま軍に持ち込む方向に話が動くことになる。
結果。神の巨人が出現するも、ヒグチラボに“神の巨人への対抗策”を考えて欲しいという依頼がそのまま政府から持ち込まれることもなくなるのである。魔法に関する技術は既に軍が保有しているので、軍がそのまま自分達の手で巨人をどうにかしようと動くからだ。
シンディーは軍人になった想い人と報われ、自分とセシルで彼女の結婚式を祝福して迎える――それが、この世界のエンディングだった。神の巨人が出現してもセシルが狙われる心配はなく、このルートであるならば彼が殺される結果にもならないはずだとドナは思っていた。
そう、そのはず、だったというのに。
――誰、なのですか。
土砂降りの雨。真っ黒な衣装に身を包んだ人々の群れの中。ドナは傘を差し、同じように黒いドレスを着て、運ばれていく白い棺を見守っている。
セシルは死んだ。
死ぬはずがない未来で、死んだ。
一体何がどうなっているのかさっぱりわからない。彼はドナの目の前で、突然暴漢に刺されて殺されたのだ。殺した男は薬物の中毒者で、意味不明な神様の名前をしきりに口にしていた。恐らくはほぼ完全に、政府ともモロスト皇国とも関係ないただの浮浪者である。
――誰なのですか。セシルを殺そうとするのは。一体誰の意思が、そうさせるというのですか……!?
ヒグチ教授のルートでもそうだった。もしや本当に、彼は神の巨人とも政府の意思とも関係なく、ハッピーエンドの後に殺される運命が待っているとでもいうのか。一体何故。どうして彼ばかりがこのような眼に遭わなければいけないというのだろう。
――認めない……っ!
ぎり、と唇を噛み締める。
――そんな運命、認めてたまるものか……!例え、敵が神や悪魔であろうとも、私は……っ!
まだ、折れてはいない。否、自分は折れるわけにはいかないのだ。
それはすなわち、世界そのものを諦めることに他ならないのだから。




