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<21・Laboratory>

「ドナが魔法学に興味持ってくれるなんて、本当に思ってもみなかったよ!」


 セシルは嬉しそうに資料を手渡してきながら言った。渡された書籍はまるで辞書のように分厚い。これを全部覚えろ、なんて彼は言わないだろうが――きっと本人やヒグチ教授はまるまる頭に入れているのだろう。古代人が残したという、魔術に関する重要書籍をまとめて翻訳したもの。これでも一部でしかないというのだから驚きだとドナは思う。

 ラクマ大に入って早々、セシルと同じヒグチ教授のラボを訪れたドナを、二人は快く歓迎してくれた。最初は自分のような勉強嫌いに務まるものかと思ったが(再度、難関大学への大学受験をするだけでもへとへとであったからである)、実際魔法学について齧ってみると存外に面白く、ドナは自分で思っていた以上にのめりこんでいたのである。これなら、一緒に研究を続けても苦になることはないだろうと思えるほどに。


――まあそれも、“設定”通りなのかもしれないけれど。


 光のエデン、通りであるというのであれば。

 あのゲームは、キャラクターごとに好感度が設定されており、一定のポイントでその好感度が一番高いキャラのルートへ分岐するようになっていたはずである。ヒグチ教授ルートは文字通り、セシルへのヒグチ教授の好感度が一番高い状況でなければ分岐しない上、もっと言うとドナから教授への好感度も高くなくては入っていかない仕組みになっていたはずである。主人公ではなく、ヒロインから別のキャラへの好感度をも操作しなければならないという点で、このルートに入るのはなかなか難しいものとされている。

 が、幸いにしてそのヒロインはドナ本人だ。ドナ自身の好感度・行動選択は自分自身で行うことができる。ドナの好感度がトリガーになることが多いのは、自分にとっては唯一の幸いと言うべきなのかもしれなかった。それにより、ある程度こちらでルートの誘導が可能であるからである。

 あとは、自分がセシルへの好感度を上げすぎないこと。二人で、教授を支えていくという考え方にセシルを持っていくことに気を付ければどうにかなるはずである。


――ゲーム本編ではなかなか入るのが難しいルートだけれど……私が言動にさえ気を付けていれば、なんとかなりそうだ。


 実は、ドナルートは一番王道のハッピーエンドにして、一番到達しやすいエンディングでもあるのだ。何故ならゲームが始まった時点で、ドナのセシルへの好感度は相当高い状態から始まるのだから。セシルがよほど選択を失敗しない限り、ドナの好感度が極端に下がることはないし、セシルらしい言動さえしていけば自然と上昇していくので、ドナの分岐に入るのがとても簡単であるからである。

 それは、セシルにとってもドナにとってもお互いが一番大切な存在であるからに他ならない。

 本来なら幸せなことであるはずなのだが――今は、それを少しばかり抑え込まなければならなかった。自分はセシルのことが好きだ。大好きだからこそ救いたい。でもドナルートに入るのを防ぐためには――これからは、セシルと同じだけヒグチ教授のことを尊敬できる自分にならなくては。


「とても分厚いんですね。全部覚えるのは、なかなか骨が折れそうです」

「優先項目から少しずつ覚えていけばいいよ!翻訳してあるといっても、ちょっと言い回しが難解で覚えにくいところもあるしね」

「そうですね。優先項目といえば……」

「属性と、それに対応する魔方陣の種類がいいんじゃないかな」


 二人が研究室で話しているのを見て、奥から出てきたのはそのヒグチ教授その人だった。彼はその手に、文庫本サイズの一冊を持っている。青い表紙に、金色の文字で“属性と魔方陣”と書かれていた。


「これは、僕が書いた本なんだけどね。自分で言うのもなんだが、かなりわかりやすくまとめてあるつもりなんだ。ドナちゃんに一冊あげるよ」

「い、いいんですか教授?」

「いいよいいよ。この研究に興味を持ってくれた時点で、君は僕の友達のようなものだからね!」


 髭を震わせて笑うヒグチ教授。自分達よりずっと年上だというのに、ドナやセシルを見下すことなく、どこまでもフレンドリーに接してくれる。これで怒ると怖いんだよ、とはセシルの言だが――人格者と評されるのも頷ける人物であることに違いはなかった。

 何より難しいことを簡単に説明できるスキルは貴重である。パラパラと貰った小さな本を捲ってみたところ、先ほどの辞書サイズの論文と比べてはるかに読みやすいものであるのはすぐにわかった。


「魔法は、基本的には光・闇・火・水・氷・雷・土・風の八属性のいずれかで対応し、稀に無属性魔法というものが存在するとされている。光属性は、聖属性と呼ぶ人もいるね。本の小口を見てくれたまえ。ページごとに色分けされているだろう?」

「ええ」

「光属性ならば黄色、闇属性ならば黒の印が入ったところを見ればいい。現状の段階で判明している魔法が、難易度が低い順に記されている。内容は、魔方陣の書き方とその材料、それからスペルに集約しているから……起源とかを別に調べたいならそっちの分厚い本が別に必要になるけどね。まずはその手帳の内容を覚えるところから始めると、分厚い論文の内容も頭に入ってきやすいよ」

「なるほど、ありがとうございます!」


 言われるがまま、適当に火属性の魔法のページを開いてみる。基本的に魔法は、下位魔法ほどスペルも短く、魔方陣の内容も簡易的なことが多いようだ。最初はそのつど魔方陣を書いて魔法を発動させなければいけないが、熟練した魔術師は“魔方陣を描いたアイテム”を持ち歩くだけで魔法の発動が可能になったり、あるいはそもそも魔方陣そのものを省略できるようになったりもするらしい。

 それこそ最下級炎属性魔法“Fire”。ファイア、と唱えるだけで良く、魔方陣も〇と△を組み合わせたシンプルなものとなっている。魔方陣を書くのも、普通のチョークだけで問題ないらしい。


――小さな火の玉くらいの魔法でも、本当に使えるようになったらかっこいいだろうなあ……!


 この研究が、この後に出現する神の巨人を平和的に止める足掛かりとなるのである。ドナは笑顔で、顔を上げた。


「わたくし、セシルと一緒に……ここでヒグチ教授のお手伝いがしたいです!精一杯学ばせて頂きますので、何卒よろしくお願いいたします!」




 ***




 かつて、どこかのゲームのヒロインがこんな台詞を言っていたのを覚えている。テレビゲームだったから、あれは前世の記憶だろう。

 彼女の愛した主人公は平和と引き換えに、ゲームの最後で闇に飲み込まれて死んでしまう運命にあった。それを知った彼女はたまらなくなって叫ぶのである。


『世界が救われても、愛した人が戻ってこないなんて……そんな結末、耐えられないわ!私にとっては、何一つハッピーエンドなんかじゃない……!』


 今。

 ドナは彼女の気持ちが、痛いほどよくわかる。


――私は、間違ってないはずだった。


 自分達が共に成人し、予定調和として出現した“神の巨人”。その頃にはセシルほどではなくとも研究の手伝いができるようになっていたドナのサポートもあり、結婚式のその日が来るよりも早く“神の巨人を穏便に消滅させられる魔法”の確立に成功していた。自分達の研究成果は政府に表彰され、巨人は大量破壊兵器を用いることもなく消滅し、エディス王国はチーア共和国との戦争を回避した――そう。

 その結果。セシルが殺される理由はなくなり、自分達は今度こそハッピーエンドを迎えられるはずだったのに。


「なんで……っ」


 どうして。

 ドナは両手をさまよわせて立ち尽くしているのだろう。


「何故ですか……?」


 どうして。

 セシルは、自分の手を振り払って行ってしまったのだろう。


「わたくし達は平和を……世界を守ったのではなかったのですか……!?」


 どうして。

 ドナの目の前で、ラクマ大学のヒグチ教授の研究室が燃えているのだろう。


「世界が平和になっても……大切な人がいない世界なら……何の意味もないのにっ……」


 ああ、どうして。

 自分はあのゲームのヒロインと、同じ台詞を呟いているのか。

 何者かによって放火された研究室。その中に取り残されたヒグチ教授を救う為、火の中へと飛び込んでしまったセシル。ゲーム通りに、自分達は魔法を完成させ巨人を滅した。でもまさかその先に、このような悲劇的な結末が待っていたなんて一体誰が予想しただろう。

 何故、全てが解決したはずなのに今、研究室が燃やされなければいけないのか。

 ヒグチ教授と一緒にまたしてもセシルが殺される。繰り返し爆発音を響かせ、ごうごうと燃え盛る大学の建物。あそこに飛び込んでしまった彼が無事であると思うほど、ドナは楽観的にはなれなかった。もう彼を殺す理由は何もないはずだったのに、一体誰が何のためにこんなことを?王室に、政府に認められたヒグチやセシルへの嫉妬で誰かが暴走したとでも?あるいは、そんな理由さえもこの物語の中では“設定”されていないのだろうか。


――このルートも、駄目だというのか……っ!


 これでもはや、疑いようもなくはっきりした。

 誰かが、セシルを殺そうとしている。

 絶対の意思をもって、確実に。

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