<20・Murder>
「セシル!」
撃ったのは――ドナだった。
とにかく相手を怯ませる隙ができればいい。そう思ってドナが放った銃弾は、今まさにセシルを撃たんとしていた護衛の一人の太ももを貫き血飛沫を上げさせる結果となったのである。あれなら致命傷ではないはずだ――否、セシルを守るためなら殺してしまった方が良かったのか。そんな迷いを抱きつつもドナは飛び出し、セシルとドルフの手を引っ張ったのである。
「早く、今のうちに!」
「ど、ドナ!?一体何で……っ」
「そんなことは後でいいでしょう!?今は逃げるのが先決です!!」
とにかく、今すぐにでも二人をこの場から引き離し、どこかに逃げなければいけない。
恐らく、家は囲まれている。それ以外の、出来る限り国内でも人気がない場所まで逃げてから今後のことを考えるしかない。自分は多少の金銭と水、銃を持ってきているが、他の二人はほとんどろくに装備もなくそこにいるはずである。長く逃げのびるには準備も何もかもが足らない。ただ、とにかく今は追手から逃げてから、その先のことを考えるしかなかった。
ドナが二人を引っ張って森の中へ逃げ込むと、すぐに後ろから銃弾が飛んできた。護衛一人が撃たれて一瞬動揺したものの、すぐに立て直してきたということだろう。幸い三人の誰にも当たらなかったが、距離を詰められればどうなるかわからない。
とにかく一端追手を撒いてから馬車のところまで戻り、そこから馬車に乗って逃げるのがいいだろう。そう考えていたドナだったが、さすがに甘かったようだ。次の銃声と同時に、馬のいななきが聞こえた。確認していないが、恐らくは三人が逃げるのを防ぐため、馬を先に処分したものと思われる。とっさの状況でも頭が回る連中というわけだ、厄介極まりない。
――森に、他にも刺客が隠れていないとも限らない!とにかく、早くどこかに隠れるなり逃げるなりしないと……!
だが、そもそも馬車なしで、自分達が遠く、早く逃げるのはあまりにも困難なことだった。ドナとセシルだけならばいいが、一緒にいるのが鈍足のドルフである。彼が早々に息を切らしたのを見て、ドナはやむなく近くのに一度隠れる選択を選ばざるをえなかった。ドナからすれば、セシルと彼の父では優先順位がケタ違いなのだが――あくまでドルフはセシルの命を救うために交渉しようとしていただけであるようだし、何よりセシルが父親を見捨てることを良しとするとも思えない。なんとかして、二人ともを助ける方法を考えなければいけなかった。足手まといだ、なんて一瞬でも思ってしまった自分が呪わしい。
既に、心の余裕がなくなってきているのを感じる。
このまま世界を繰り返し続けたら自分は本当に、セシル以外の人間はどうでもいいと切り捨てられる存在になってしまうのではないか。セシルが死ぬことの次に、ドナが恐れているのはそれだった。
――駄目だ、まだ諦めちゃいけない……!まだ、まだこの世界だって終わったわけじゃないんだから……!
「二人は、此処にいてください」
偶然見つけた洞窟に二人を引っ張り込み、ドナは告げた。
「追手がいないか、確認してきます。すぐに戻りますので」
「待て、ドナ!危険すぎる……!僕も一緒に……っ」
「冗談じゃない。セシル、狙われているのは貴方であるということを忘れたのですか?貴方を外に出しては本末転倒です。武器を持っているわたくしが斥候するのは当然のことでしょう」
「斥候って……」
セシルの眼が揺れる。
「刺客を見つけることができたら、どうするつもりなんだ……」
彼は気づいたのだろう。ドナが、追手を見つけたらかたっぱしから射殺するつもりでいるということに。
危機感がない、楽観的すぎる――そう思う反面、そんな彼だから自分は好きになったのだ、と改めて思うドナである。セシルが、ドナが手を汚すことを良しとするはずがない。そんなことは最初からわかっていた。ドナが殺人を犯すくらいなら自分が手を汚すか、あるいは自分が死んだ方がましだと考えるような人だ。
彼の信念における最上位はいつだって、人の命と尊厳にある。そして、そこに自分は含まれていない。もっと言えば、彼が尊厳を重んじたいと考える最上位にドナがいるであろうことは、自惚れではなくわかりきっていることだった。
「……ごめんなさい」
だが、ドナの最優先事項は、違うのだ。
「わたくしの最優先は……どんな手を使ってでも、貴方を生き残らせることだから」
「!」
ぐずぐずしている暇も、押し問答している暇もなかった。ドナは心を鬼にして、セシルのみぞおちに一発拳を埋める。タイミングを合わせなければ難しいと言われる方法だったが、どうにか成功したらしくセシルはその場に崩れ落ちた。
「御義父様。セシルをお願いします」
「ど、ドナ君……っ」
ドルフが何かを言うよりも先に、ドナは洞窟を這い出して走り出していた。すぐに射撃音が響き渡る。
――護衛達が持っていたような拳銃は、射程が長くない。相当近くに寄らなければ当たる心配はない。そして、ライフル銃の類で狙撃されたとしても……この木々の密集地帯。わたくしに直接ブチ当てるのは相当困難なはず。
もっと言えば、こうして木々の隙間を縫うように走り続けていれば、敵が攻撃を当てる確率は相当下がるはずだ。
だが、それはこちらも同じこと。このまま闇雲に走り続けていても、敵を始末していくことは難しいだろう。走る標的を撃つのも難しいが、同じだけ走りながら敵を撃つのも並大抵のことではないのだ。こういったことにも備えて射撃の訓練はしたが、腕だけで何もかもがうまくいくわけではないのである。
――先ほどの射撃の軌道。敵は木の上から撃ってきてはいない。だったら……!
ドナは適当に近くの木陰に向かって一発を撃ちこむと、そのまま腰に差していたサバイバルナイフを抜いて木の幹に打ち込み、樹上へと駆け登った。敵が馬鹿ではないのなら、さきほどの自分達の銃とは違う銃声を聴きつけてすぐこの近辺に様子を見にくるはずである。勿論、彼らがとても遠い場所にいたら話は別だが――さきほど洞窟を出てすぐドナを射撃してきた人間は、そう遠いところに行ってはいないはずだった。
――さあ、来なさい。
思った通り。公爵の護衛のうち、足を撃たれていない方の男が走ってくるのが見える。自分が木に登ったのは見えていなかったのか、辺りをきょろきょろと探しているようだった。
ドナが持っている銃は、あと五発しかない。替えのマガジンを含めてもあと七発。何より銃声が違う。だが、あの男の銃を奪えれば状況は大きく変わってくるだろう。
――ごめんなさいね。
樹上から、ドナは銃を構える。
――貴方に恨みはないけれど……私は、決めたの。あの人の未来を、絶対に諦めないと……!
引き金にかけた指に、力が籠められる。
その瞬間、ドナは人殺しになったのだ。
***
「……わたくしは、そういう人間です。愛する人を守るためなら、なんだってする」
真っ黒な闇の中、ドナは独白する。
「あの瞬間の記憶は忘れられない。射撃の的を当てるのとは大きく違う。わたくしの撃った弾で、人の頭がトマトのように弾け飛ぶんです。頭蓋が割れて、脳の欠片と血が飛び散って……人が、まるでダンスでもするかのように踊り狂って死ぬ。頭を撃たれると人はすぐに死ぬとばかり思われがちですが、場合によってはそうではないんです。その人も、暫くの間はびくびくと体を痙攣されていたようでした。ひょっとしたら息があったのかもしれません。苦痛を感じていたのかもしれません。……人を殺すということは、それをわたくし自らの手で誰かに与えるということです」
「ドナ……」
「手が震えて止まらなかった。それ、を成せた自分に何より恐怖した。それでもわたくしは、止まることはできなかったのです。他にも集まってきた護衛達を撃ち殺し、さらに森を駆け回って数名を殺しました。いくらゲームのように世界がリセットされても、わたくしは全てを覚えている。わたくしの罪が消えることは、未来永劫ないのでしょう」
彼等も彼等なりに、何かを守りたかっただけかもしれない。それでも自分は、自分の都合でその命を奪ったのだ。虫けらを踏みつぶすように、情けも容赦もなく。
自分はそれを、何がなんでも覚えていて、罪の意識を忘れないようにしなければならないと思う。その罪悪感を捨て去ってしまえばきっと、自分は人の姿のまま人間ではない何かへと変わってしまうに違いないのだから。
「そして、そこまでのことをしたのに……結局わたくしは、セシルを救うことができなかったんです」
これでもう、森に隠れている刺客は全て殺したはず。そう思って元の洞窟に戻ったドナが見たものは――頭に穴を空けて事切れている、セシルとドルフの姿であったのである。
自分が片づける前の刺客が行ったのか、それとも他にも刺客が潜んでいたのかはわからない。確かなことは、またしても自分が“失敗した”ということのみである。
「……できることは全てやった。本当に嫌になりますね。まるで、何がなんでもセシルを殺してやろうという、何者かの絶対の意思が働いているかのようです。これでもダメだったということはきっと……わたくしのルートでは、セシルの未来を変えることはできないということ。そうでしょう?」
「…………」
ドナの問いに、闇の中に佇む刹那の魔術師は何も答えなかった。ただ碧い眼に、悲し気な色を浮かべるばかりである。その沈黙はほぼ、答えにも等しいものだった。
「大丈夫です。まだ、諦めたわけではありません」
まだ、希望が潰えたわけではない。とても残念であるけれど、“予定”を変更すれば方法はきっと見つかるはずだ。
「この世界がゲーム通りなら……主人公であるセシルに、わたくし以外のルートを選択させることで未来を変えることもできるはず。そうでしょう?」
「今度は何を試すつもりですか?誰のルートを?」
「ヒグチ教授のルートを試してみるつもりです。今のところ、それが一番彼が助かる可能性が高いように思えるので」
ドナは顔を上げる。
セシルが研究に携わるのを止められないなら――逆の手を打ってみるしかない。
あの結婚式の日よりも早く、彼らの研究が完成していたら。巨人を止めることができていたら。皇国の連中が、あるいは政府の者が、セシルを殺す理由は早々になくなってしまうのではないか。
――そのためには、わたくしがセシルを誘導する。わたくしの攻略ルートではなく、教授の攻略ルートへ進むように……!




