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<2・Affectionate>

 ドナにとって幸福だったことの一つが、真っ当な家族に恵まれたことであると思う。

 最悪の出会いをしたセシルについての愚痴を姉のラナに語ったところ、彼女はきちんとドナのことを諌めてくれたのである。人間は何をやっても許される、特に貴族は偉いはず、何故植物を殺すだの殺さないだのなんてことを考えなければいけない、おかしいのはセシルであって自分じゃない――そういう主張を繰り返して泣いたドナの背中を撫でて、姉はこう告げたのだ。


『確かに、この世界を支配しているのは人間だし、貴族は偉いってことになっているわ。でも、それは人間や貴族が凄いからというより、多くの存在が、庶民が、人間と貴族を支えてくれたからなの。私達は、偉いから何でもしていい存在じゃない。偉い地位に“押し上げて”もらったからこそ、感謝を忘れてはいけないの』

『なんで!だって人間が、貴族がいなかったら……!』

『忘れちゃいけないわ、ドナ。人間がいなくても、この世界は何も困らない。だって人間が生まれる前からずっとこの世界は動物と植物だけのものとして存在していたんだもの。そして、貴族がいなくなっても庶民は困らないことも多いけど、庶民がいなくなると貴族は確実に困ってしまうのよ。だって、税金を払って、王様を支えてくれているのも……いろいろな工場や農家で働いて生活を支えてくれているのもみんな彼らなんだもの』

『!』


 姉は、身勝手な主張をするドナを叱らなかった。そればかりかきちんと“何故ドナの考え方が間違っているか”を教えて、諭してくれたのである。妹がよその少年に泣かされたとなれば、問答無用で妹の味方をしてしまう姉は少なくないことだろう。泣いている妹を宥めることを優先して、妹の主張を全肯定してしまったり、あるいは相手のことを酷く誤解してしまうことも少なくないに違いない。

 しかし、姉はそういう人間ではなかった。彼女の声は優しく、同じだけ説得力があったのである。彼女もまだ、十六歳の少女であったにも関わらず。


『感謝し、彼らに報恩することを忘れてしまったらどうなるか?彼らに見捨てられたら、困るのは人間と貴族の方なの。だから常に、感謝の心を忘れてはいけないのよ。どんな小さなことでもそう。……彼は、あなたが花冠を創ることを否定したわけではないでしょう?ただ、花冠を“作らせてくれた”世界にきちんとお礼を言うべきだと言っただけ。貴方がそれを、“花冠を作ってくれたのに感謝もしてくれなかったし否定された”と曲解したという事実を、まず認めなければいけないわね』


 自分と違う主張をされた時。あるいは自分が思っていたのとまるで違う方向から反論された時。ただ“否定された”という事実だけが頭に残り、その反論の内容を一切受け止められない人間というものは少なくない。パニックになっていたり、幼くてまだそれだけの思考力がなかったりしたのであれば尚更である。まさに、ドナはその状態であったのだ。

 自分の意見を肯定してくれなかった姉にショックを受けつつも、少しずつ冷静さを取り戻したドナは――どうにか彼女の考えを、ひいてはセシルの考えを認めて頷くことができたのである。

 一度根付いた認識は、そう簡単に変えることはできない。どんなに話し合っても分かり合えない相手というものはどこにでもいる。それでも、お互いのことを“理解しようとする努力”をするかしないかは大きな差に違いないのだ。

 後日、両親にも同じ相談をしたところ、姉と殆ど同じことを言われたことを記載しておく。

 もうすぐ十二歳になる少年がすぐ泣いたことに関しては少々渋い気持ちにもなったようだが、彼らは同じだけ彼の独特な価値観を尊重したいと思っていたらしかった。


『勇敢な子ではないかもしれないが。……ああいった優しい子は、きっと貴重な存在だよ。ドナのことを、誰よりも大事にしてくれるはずさ』

『……そう、なのかな』


 父の言葉は、本当になった。後日もう一度面会した時、ドナはセシルに自分から謝った。セシルもパニックになったこと、嫌いと言ったことを謝罪してきて、それでひとまず仲直りとなったのである。

 セシルは本当に変わった少年だった。泣き虫で大人しい、あまり貴族の家長らしい少年ではない。それでもとても博識で、人の痛みが分かる子だった。ニュースでよその国が戦争をしてたくさんの人が死んでいるという話を見た時は、ぽろぽろと涙を流して悲しんだほどである。




『戦艦キノックは、キノック型の中でも一番大きくて強いんだ。同時に、世界で初めてクノ酸ミサイルを搭載してることでも知られてる。あれを陸地に打ち込むと、ただ爆発して重大な被害を齎すだけじゃないんだ。後々まで酷い土壌汚染を齎して、生き残った人たちを苦しめるんだ。……なんでそんな酷いことをするんだろう。戦争をするだけで恐ろしいことなのに、何で今の戦争とは無関係の未来の人たちまで苦しめようとするんだろう……』




『僕達の国は、前の王様までは酷い戦争をしてたんだ。戦争なんか絶対にダメって言うのは簡単だけど、僕はただダメって言うだけの人間にはなりたくない。戦争を“起こさないため”に、どうしたら“戦争するしかない状況”を回避できるのか。それを考え続ける人になりたいんだ』




『いっそ戦争じゃなくて、別の方法で互いの主張を認めるやり方があればいいのにね。スポーツで国の存亡を決める……とか。あはは、そんなのいくらなんでも突拍子がなさすぎるかな』




『貴族で男なのに料理なんて、って言われるかもしれないけど。僕は、家で勉強をしたり家事をする方が好きなんだ。その……ドナにも、食べてもらいたいんだけど、いいかな?お母様と一緒に、初めて作ったパイなんだけど』




『ドナ、大丈夫!すぐにお医者さんのところに連れていくからね。しっかりしなよ、ドナ!!』




 つんけんと喧嘩するところから始まった、ドナとセシル。それでも何度も会ううちに彼の独特な価値観と優しさに触れ、ドナもまた少しずつセシルのことを気に掛けるようになっていったのである。

 成長するにつれ、彼は少女のような繊細さを残しながらも、可愛らしいといよりどこまでも美しい青年へと変わっていったのだった。心優しく穏やかで博識な彼に魅かれるライバルは他にも何人かいたようだけれど、ドナには“婚約者”という絶対的なアドバンテージがある。嫉妬してついつい彼の腕を引き寄せたり、他の女の子の邪魔をしてしまったり。そんなドナを彼は時折諌め、同じだけ愛しいと言ってキスを落としてくれたのだった。

 戦争がない平和な世界を作るため、どうすればいいのかを彼は常に考え続け、その理論を披露してくれて。

 ドナが高熱を出して倒れた時は、何の感染症かもわからないというのにそのまま担いで医者まで連れていってくれた。けして体格が良く、体力がある方でもなかったというのに。

 料理を作ってくれたこと、一緒に馬術の練習をしたこと、女でありながら剣術を学びたいというドナに付き合ってくれたこと――あまり学校の成績が振るわなかったドナに、いつも丁寧に勉強を教えて付き合ってくれたこと。

 最初の出会いこそ最悪に近かったが、こうして思い返すと殆ど彼の良いところばかり思い出すものだと思う。彼は幼い頃、本人の意思とは関係なく決まったはずの婚約者に対してどこまでも誠実だった。優しく、清らかな心の彼にどれほどドナは救われ、心を洗われていったことかしれない。

 正式に籍を入れたのは、この国の法律に則って両方が二十歳になってからのこと。

 結婚式を挙げたのはその翌年、二十一歳の時のことだった。どうしても結婚式を挙げたかった教会が前年の地震で崩れてしまって使えず、完全に補修工事が終わるまで待つ必要があったからである。

 ドナとセシルの関係も、両家の関係もどこまでも良好だった。不穏だったのは、この国――エディス王国の情勢の方である。

 元々、エディス王国は世界でも有数の先進国であり大国として名を馳せた国の一つであった。ただし、百年以上昔の世界大戦後の急激な高度経済成長の結果――環境汚染を気にせず工場を立て、鉱山を掘ったことで、深刻な土壌汚染や大気汚染に悩まされるようになっていたのである。

 前のエディス王国国王は、どこまでも好戦的な人だった。

 安全に人が住める土地、作物を育てられる土地が枯渇してきたと見るやいなや、戦争でよその国から綺麗な土地を奪い取ればいいと判断するような人間であったのである。結果、大戦から高度経済成長を経た後で、この国は二度も他の国に戦争を吹っ掛けることになったのだった。まあ、平和的にもろもろ解決しようと考えられるような国王ならば、そもそも利益欲しさに世界大戦に首を突っ込むような真似をするはずもないのだけれど。

 そのエディス王国も代替わりをして穏健派の息子が王座に座り、もう二度と戦争など起きないだろうと思われていた。それが、およそ五十年前のことである。

 だが、再びこの国が、よその国と緊迫した状態になりつつあるのだ。“世界への天罰”こと、“神の巨人”と呼ばれる存在が他国領土に出現したがゆえに。


『神の巨人。一体誰が、最初にそう呼んだのだろうね。数十メートルにも及ぶ巨大な背丈、鋼のような硬さと高温の肉体……世界を蔑ろにして、戦争を繰り返したこの世界への、あるいはこの国への罰なのかもしれない』


 それがどこから現れたのか、本当に神の使者なのかは誰にも分からない。

 確かなことは、隣国の土地に現れたその巨人が、少しずつ大地を踏み鳴らしながらエディス王国に迫ってきているということだった。

 巨人はただ“歩いている”だけだ。しかし、高温の蒸気を出し、街を踏みつぶしながら歩いてくるがために、彼が一歩前進するたび確実な大惨事を招くことになるのである。町は瓦礫と化し人々は押しつぶされ、長い尾を持つがゆえそれが振り回されるたび家屋は倒壊し、それから逃れても高温の蒸気で生きたまま焼き殺されるという地獄。ゆっくりと、しかし確実に迫ってくる巨人を封じる方法は、その巨人ごと大量破壊兵器で土地を吹き飛ばす以外にないのである。自国に踏み込まれる前にそうしたい、と考えるのはエディス王国としては自然な考えに違いない。

 問題は。その巨人が現在歩いているのが、隣国の土地である、ということ。大量破壊兵器で巨人を吹き飛ばそうとすれば、それは隣国に住んでいる人々をも巻き込んで犠牲にすることに他ならないということ。隣国の政府が、そのような暴挙を許すはずもないということである。よりにもよって自国でそれを使うなんてとんでもない。彼らの主張は、至極当然のものであったことだろう。

 巨人を抱えた隣国と、迫る巨人の脅威に怯えるエディス王国。戦争寸前まで緊張が高まるのは、必然だった。元々けして仲の良い二国ではなかったのだから尚更である。


『でも、巨人を……大量破壊兵器を使う以外の方法で無効化することができれば。戦争は回避できるし、エディス王国も隣国も救うことができるかもしれない』

『できるのですか?そんなことが』

『できるさ。……そのために、僕達がいるんだから』


 成長したセシルは、王国政府直属の研究室で、巨人への対策と少しでも被害の少ない兵器の研究をしていた。彼の研究が成功すれば、きっとこの国の平和は保たれるに違いない。そしてそんな恐ろしいまでの忙しさの中、彼はドナのために、最高の結婚式をやる一日を提供してくれたのである。それが、想像以上に難儀なことであったことは、ドナにもわかっていたことだ。

 純白のドレスを着て、ドナはタキシード姿のセシルと愛を誓った。

 不穏な世界で、それでも自分達は幸せになれると信じてやまなかったあの日。鐘の音が鳴り響く中、ドナはセシルを生涯支えて、共に幸せになるのだと心に決めたのである。

 そう、自分達は何もかもが順調だった。幸せになれるはずだったのだ。


 結婚式の、翌日。

 セシルが何者かによって、射殺される時までは。

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