<17・Truth>
「元々世界というものは、次元の狭間に浮かぶ島国のようなものなんです」
丁寧語ながら、どこかぶっきらぼうな口調でセツナは言った。どうやら、ドナを不憫に思っているというのは本当らしく、疑問点は全て説明してくれるつもりでいるらしい。
「本来世界は、世界そのものだけで閉じています。その世界が“次元の狭間に浮かぶ島国”であることも、“異世界がある”なんて事実も……そこに生きるお前達人間は知りません。空想小説に描く人間はいるでしょうけどね」
「そうですね。……でも異世界と、ゲームの世界は本来異なるもののはずでは?」
「話は最後まで聞きなさい、ですよ。本来閉じた世界の住人が、異世界の存在を知ることはないのですが……時々、異世界の情勢が、よその世界に偶発的に影響することがあります。近い世界が滅んだ時に地震が起きるとか、ある世界の人間の強い気持ちが別の世界の人間に影響するとか。後者の場合、別の世界の出来事を、夢で見るような現象が起きたりするんです。この夢を、僕達は“鏡界夢”、あるいは“鏡面夢”なんて呼んだりしますね。世界を鏡の裏表のようなもの、と考える思想から来ているんですが」
「異世界のことを、夢に見る……」
ひょっとして、とドナはある可能性に思い至る。
「……夢で見た異世界の出来事を、ゲームや小説にしてしまう人が時々いる、ということですか?」
「正解です。夢で見たその景色を、本当に異世界の出来事だと認識できる人間は殆どいないので……たまたま夢を見たのがクリエイターだったりすると、“新しいアイデアが降りてきた!”と思って小説にしちゃったりするんですよねえ。で、実はこれが思いがけない面倒を引き起こすことがあるんです」
「というと?」
「そうやって描かれた小説・ゲーム・アニメ・マンガ……それらの媒体の世界が、元となった異世界と繋がってしまうことがあるんですよ。つまり、お前は正確にはゲームの中に入ってしまったわけではないんです。お前の世界のゲームが、お前が転生した先の世界に大きな影響を齎して狂わせてしまった、と言った方が正しいんですよ。世界のルールを揺らがす大問題なんですけど、こればっかりは誰かが意図的に世界の壁を壊したり侵略したわけでもないので……世界を渡る者達を監視する機関でも、なかなか裁定が下せなくて困ってるんですよね」
頭が痛い。それを示すように自分の頭をさすってみせるセツナだったが――頭痛を覚えているのはドナも同じだった。ゲームの世界に入ってしまった、以上にそれはとんでもない話なのではないだろうか。要するに、今ドナがいるこの世界が一種後天的にゲームと同化してしまったも同然ということなのだから。
「人は死んだら……その世界に付属する“天国”や“地獄”を経由することこそあれ、最終的には全員が新しい世界に“転生”することになります。地獄でも生ぬるいほどの大罪を犯した人間だけが魂を消滅させられて二度と転生できなくなりますけど、そこまでの大罪人っていうのは稀ですからね。基本的には魂はリサイクルされるものなんですよ。で、貴女は偶然、自分がプレイしていたキャラクター攻略ゲーム“光のエデン”の影響を強く受けた異世界に転生した、というわけです。貴女の前世の世界の人間が鏡界夢をゲームにしちゃった時点で、貴女の前世の世界とエディス王国のある世界には縁ができている。死んで、そっちに流れる人が少なからずいるのは不自然なことではないです」
なんともややこしい話だ。それで、とドナは話の続きを促す。
「貴方は、その……世界を渡る者であり、そういう者達を監視する機関とやらに所属しているということ?」
「まあそういうことになりますね。世界と世界の壁を越えて渡り歩ける存在はそう多くはないです。そういう者達を、ある者は“旅人”と呼び、ある者は“渡航者”と呼び、ある者は“魔女”ないし“魔術師”と呼びます。だから僕も“刹那の魔術師”という称号を貰ってるわけです。そういう者達は世界を渡る際、自分が元いた以外の世界に過度に干渉すると、中立機関から罰せられる仕組みで……僕自身その中立機関の人間ではあるんですが。今回あまりにも特殊な事例なので、独断でお前に干渉させてもらいました。感謝するといいですよ?」
「何でそんなにエラそうなんですかね……」
えっへん!と胸を張るセツナは年相応に幼い少年にしか見えない。その手に分厚い魔導書らしきものがなければ、そしてこんな突拍子もない話をしていなければ、ドナも普通の子供としか思わなかったのかもしれなかった。
「……はあ。とりあえず、ありがとうございます?」
まあ、お礼を言っておくべきであるのは確かだろう。彼が来てくれなければ、自分は真実を何も知らないまま路頭に迷っていたのかもしれないから。しかも世界の枠のを越えて迷子になっていたかもしれない、と思うとぞっとする話である。
とりあえず、ざっとまとめると。
自分は、元々は地球の日本というところで生きていた人間であり、恐らくは女性だった。どんな人間だったか一切不明だが、キャラクターの攻略ゲームをやるような人間であったのは確かだ。
そう、光のエデン、というゲームは。主人公の“セシル”を操作し、様々なキャラクターとの会話をし、行動を選択していくことで好感度を上げていき、エンディングに到達するというシミュレーションゲームであったのである。自分のことは全然覚えていないのに、ゲームの内容はかなりはっきりと覚えているのが不思議だ。よっぽどやりこみしたのかもしれない。ちなみに、ドナ、も登場人物の中に存在していたはずだ。多少ツンデレ要素が入ったセシルの婚約者であり、メインヒロインの一人である。まさかセシルの方が主人公のゲームだった、というのが実に驚きなのだけれども。
乙女ゲームでもなくギャルゲーでもないのは、攻略対象が男女問わず多数存在するからである。婚約者のドナ、その姉のラナ。セシルとドナの共通の友人として登場するエイベルにシンディーにローズ、さらにはセシルの恩師となるヒグチ教授。もっと言えば、あの日ドナが追っ払ったストーカー予備軍の女たち、コニーとフィオナまでもが攻略対象である。何故自分が彼女達の名前を知っていたかといえば、なんてことはない前世のゲームでプレイしたことを部分的に覚えていたからというだけのことであったのだ。
主人公の“セシル”はバイセクシャルである上、とにかくさまざまなことに興味を持つ可能性を持つ人間である。それぞれのキャラクターごとに全く違うエンディングが用意されており、それこそドナ以外と結婚する結末や、あるいはドナと結婚しても魔法研究者ではない仕事を選択する結末もある。“ドナ”を攻略してエンディングを迎えた場合は、スタンダードな結婚エンドで終わっていたはずだ。――まさかその結婚エンドの先に、主人公暗殺なんてとんでもない悲劇が待っているだなんて、プレイヤー達は誰も予想していないことだろうが。詐欺じゃないのか、とドナとしては腐りたくもなるところである。
ちなみにゲームの中の“ドナ”と、ここにいるドナの性格は大差ないものだと認識している。少々嫉妬深いところ、意固地になるところまでそっくりだ。そのためルート次第では、ドナの方からセシルを捨てるなんて未来もあったように記憶している。今のドナの気持ちからでは、到底考えられない選択だけれど――ああ、あれは確かセシルの浮気を誤解して、という理由だっただろうか。あのルートの“ドナ”はメインヒロインではなく完全に悪役令嬢にしか見えなかったな――というのはひとまず置いておくとして。
とにかく、自分はそういう世界に転生してしまった。ひとまずその事実だけは、飲み込んでおかなくてはいけないようだ。そして。
「……セツナ。貴方はさっき言いましたよね。私を逆行させた存在は、貴方ではない、と」
ここまで知った上で、もう一度セツナが言った言葉を正確に思い出して噛み砕いてみると。恐ろしい事実に気づくことになるのである。
『話さなければいけないことがたくさんありますが……まず三つ前提をお話しておきましょう。一つ目。僕は、お前を逆行させた張本人ではありません。お前を逆行させた存在は別にいます。僕は完全に部外者ですが……何も知らずに記憶だけ継承することになってしまったお前が不憫で、世界の壁を破って此処に来ました。本当は、あんまり褒められた行為じゃないんですけどね』
『はい。……二つ目。此処は、世界がリセットされるまでの空間。待機場所のようなもの。じきに、お前は再び世界を逆行することになるでしょう。それがお前を操る“上位存在”の意思である以上は。三つ目。……恐らくこのままでは、お前は何度繰り返しても、セシル・リリーの命を救うことができません』
ドナを逆行させた存在は別にいる。
ドナを操る“上位存在の意思”というものが働いている。
そして、このままでは何度繰り返しても、セシルの命を救うことが叶わない――。
「わたくしを操る上位存在というのは……いわゆる、わたくしの前世の世界における……ゲームを操作する人間。プレイヤーということ、ですか?」
「大体、その認識で間違っていません」
セツナがひらりと左手を振ると、自分達の間の暗闇にチェスボードが現れた。その上に、手を触れることもなく黒と白の駒達が並べられていく。
「世界の中には、一つの世界に付属する“上位世界”を持つ世界があります。人はそれを神様の国と呼んだり、天国や地獄と呼んだりするでしょう。このチェス盤がまさにいい例です。敵を討ちとるため本気で戦う白と黒の駒達は、自分達を操る打ち手のことなんか知りません。自分達が、自分達の意思で戦っているとばかり思っている。実際は打ち手の望むまま駒を動かされているだけであるし、打ち手が飽きれば今までの闘いも何もかも無視してボードをひっくり返されてしまうこともありうる、実に儚い存在だというのに」
「盤上の駒が下位世界……人間達の地上。打ち手のいる世界が上位世界、天国や地獄や神様の国に該当する、ということですね」
「その通り。世界によっては、上位世界と下位世界がセットで一つの世界を成り立たせているんです。本来、下位世界の人間は、上位世界の存在を認知することなんてありません。それこそ、上位世界のカミサマから干渉でもしない限りは知りようがない……むしろ知らない方が幸せなことなんですよね。……で、話は戻りますが。本来なら異世界のはずの“地球”と“エディス王国のある世界”は、あらゆる偶発的出来事が重なって強い縁で結ばれてしまっています。それが暫定的に、上位世界と下位世界の構造を作り出してしまうほどに」
「エディス王国は……地球の、“光のエデン”をプレイする人間達にとっての……下位世界ということですか」
「その通り。あとは、聡明なお前なら大体わかるでしょう?」
なんて滅茶苦茶で――理不尽なことであるのか。ドナは重たい息を吐いた。つまり、自分達はみんな自分の意思だけで動いているようでいて、ゲームをプレイする人間達にどこかしらで操られていたということになるのである。どこまでが彼らの意思で、どこまでが自分の意思であったのか。なるほど、これは“知らない方が幸せな真実”なのだろう。それは、セツナもよくわかっていたはずだ。では何故、そんな残酷すぎる真実をドナにあえて教えようと思ったのか?
簡単だ。ドナが、このままゲームがリセットされて、もう一度世界を逆行することがわかりきっていたからである。そして逆行したら、今度こそはとセシルの命を救う道を探すことがわかっていたから。――実際は、ゲームの中に規定された以外のエンディングしか存在していないことを知らないままに。
「この世界は、“光のエデン”のゲーム内容と、プレイヤーの操作に強くリンクしている……というわけですか」
確かに、ゲームの中では“ドナ攻略ルート”は結婚エンドで終わっていた。その先にセシルの暗殺があるなんて、そんな事実はプレイヤーも知らないはずである。だが、それがもし製作者が裏で設定した“見えないエンディング”“定められた裏の結末”であるとするならば。自分がどのように足掻いたところで、ドナルートを進む限りセシルの末路は変わらないということになるのではないか。
「セシルに、“わたくし”を攻略させている限り……セシルの死を回避できない可能性がある。そういうことなのですね?」
「…………」
セツナは何も言わなかった。だが、それはほとんど肯定と同じ意味の沈黙だろう。
なんて惨い真実であるのか。自分達が互いに強く想い合うことが、悲惨な結末を引き寄せることになるだなんて。
「……ゲームの記憶は戻っているはずです。僕には、ゲーム上で示されなかった“裏エンディング”がどのようなものであるのか、僕自身もまだそのすべてを知っているわけではないのです。ひょっとしたら、お前が知る以上に悲惨な結末もあるのかもしれません」
それでも、とセツナは続ける。
「それでも。……お前は挑みますか。この定められた運命に、弄ばれる物語に」
「言うまでもないことです」
本当は、挫ける寸前だった。このまま膝を折って、泣きわめいてしまえたらどれほど楽になれるだろうと思う。
それでもドナが顔を上げる理由は、ただ一つ。
「挑みます。わたくしの命がゲームとリンクしているならば、死んでも何度でも蘇ることができるはず。ならば、この魂が壊れるまで終わりではありません。……なんとしてでも、セシルが生き残れる道を探します……!」
愛しているからだ。
たった一人のあの人を――そのすべてを。




