表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/27

<11・Magic>

 今でこそ、魔法学という学問はある程度認められてきたところがあるが。それでも、ヒグチ教授が研究を始めた頃は、あっちからもこっちからも物笑いの種にされたのだ、とセシルは語った。


「魔法というものが大昔にあったらしいことは知っていても、心から信じていた人はあまりにも少なかったってことだね。例えば、今だったら作物が実るのもテレビがつくのも太陽が昇るのもみんな理屈がわかっていて……かつ当たり前のことなんだけど。科学的な知識がない人には、全部魔法とか、あるいは神の御業のように見えるっていうのも珍しくないことだろう?」

「そうですね。勉強して知識を身に着けたからこそ、それらが自然現象や、あるいは科学の産物としてなんらおかしなことではないというのを知っているだけで」

「そうそう。それで、戦前には知識を悪用して悪いことをするなんて人もいたわけだ。アンザレア教団事件って覚えてる?教科書に載ってたとは思うんだけど」

「え?えっと……」


 ドナは慌てて記憶の糸を辿りにかかる。歴史の勉強はあまり得意ではないが、それでもエディス王国の歴史に関しては多少マシである自覚があった。まだ、他の国の歴史と違って偉人の名前が覚えやすかったりするし、何より時間軸と場所のヨコとタテとでごっちゃになりにくいからである。

 教団事件、なんてつくような大きな事件は、一つしかなかったはずだ。戦前ということは、百年以上昔のことのはずで――。


「……思い出しました。確か、教祖がドラッグを使って、信者を増やしてたっていうあれ、でしたよね?」

「正解」


 セシルの家よりは、ドナの家の方がまだ大学に近い場所にある。それでも、普段ならこの距離を馬車ではなく徒歩で向かうということはしない。明らかに高い身分とわかる男女が連れ添って歩いているのは珍しいのだろう、時々通りすがりの人々が不思議そうにこちらを振り向くのがわかった。自分で言うのもなんだが、セシルもドナもそれなりに容姿レベルは高いという自負があるし、そういう意味でも眼を奪っているのならちょっとだけ誇らしい気持ちになる。

 セシルの人生の足を引っ張りたくない、少しでもセシルの横に立つに相応しい女性でいたい。自分なりに、見た目にも気を使ってきたつもりだ。彼と並んで遜色ないように自分が見えているとしたら、それは十分喜ばしい事実である。


「アンザレア教団は、信者達を集めて全員に香を嗅がせて酩酊状態にし、その上で都合の良い事実を吹き込むことで洗脳していた。まあ、この香というのがまずドラッグだったわけだね。それに加えて、さらに別の薬を与えて幻覚を見せることにより、ありもしない奇跡を演出させたり信じ込ませたりしていたわけだ。薬だなんてからくりを知らない人々には、まさに教祖が神の御業で奇跡を起こしているようにしか見えなかったんだろう。……まあ、それも内部告発によって崩壊したわけだけれど」


 人が無知である、というのは恐ろしいことなんだよ。セシルはそう言って苦い顔をする。


「支配する者にだけ知識があると、民はあっさりと騙される。……だからかつてこの国は、意図的に庶民への教育を制限したんだ。庶民の知の水準を低く保つことによって、一種かりそめの奇跡を見せ、何も知らない人々を都合よく動かそうとしていたわけだね。例えば、最低賃金が一時間八百ギルだなんて知らない人だったら……自分が一時間五百ギルしか貰えていなくても、不満を抱かなかったりするだろう?」

「悪質ですね。……そういう体制も、現国王に代わると同時に改善されていってはいるようですが」

「そうだね。……話は逸れたけど。そういう経緯があるからこそ、貴族ほど“魔法の存在”を信じたがらなかったわけだよ。知らない知識で騙されていた人達、勘違いしていた人たちの妄想の産物じゃないのか?ってね」


 皮肉な話である。実際に、自分達が庶民より高い知識を持つがゆえ、庶民をどこかしらで騙していた自覚があった貴族達ほど疑心暗鬼になったというわけなのだから。

 確かに、古代の資料だけでは“魔法だったのか”“それとも魔法だと思い込んだ手品だったのか”を証明することは難しかったことだろう。


「よく、そういうものを調べようという気になりましたね、ヒグチ教授は」


 魔法が実在したら恐ろしい、という人々の感情もあったに違いない。そんな人たちから白い目を向けられてなお、研究しようという考えに至ったのはどういう経緯だったのだろうか。純粋な疑問をドナが口にすると。


「そうだね。……実は僕がヒグチ教授に共感したのはそこなんだ。魔法に最初から興味があったわけではないんだよ」


 セシルも頷く。丁度信号が赤になったので、交差点で止まることになった。あの、赤と青に点灯する信号も、できた当初は人々を驚かせたことだろうなと思う。今はまだ高価なことと騒音の問題から自動車を使っている人は少ないが、自動車が本格的に流通するようになったらより有用とされるに違いない。

 と、そこまで考えてドナは“まただ”と眉をひそめた。


――信号の色は、どう見ても赤と“緑”のはずなのに。……なんで私は、あの緑色の信号を見て、“青”だと思ったんだろう。


 何か、自分が知らない自分が己の中にいるようで、気味悪く感じてしまう。知らないはずのことを知っていたり、覚えていたり、違和感のある認識を持っていたり。こんなこと、前の世界ではほぼ経験しなかったことのはずだというのに――逆行してきてから何かがおかしい。

 まるで、大事な何かを忘れてでもいるような。


「どちらかというと、誰もが疑うような未踏の領域を……人々にどれほど反対されても石を投げられても突き止めようとしたその勇敢さに魅かれたというか。そこまでして教授が知りたいと思っていることってなんだろう、と思ったというか……。僕は、自分が持っていないものを持っている人や、できないことを頑張っている人ってすごく魅かれるタイプだからさ。君もそういうところあるだろう?」

「え?……ええ、そうですね、共感します」

「教授はただ古代の歴史書を読み解くだけじゃない、古代の歴史書でどのように魔法が使われていたのかを調べて、それを現代にあるもので再現しようとしている。それが実用化されたら、科学と同じくらい人々の生活を助けると信じてやまないからね。例えば、火事が起きた時、近くにあるはずの消火栓が壊れていたら?それでも魔法で水を出せる人が傍にいたら、中に取り残された住民を助けることができるかもしれないだろう?……簡単に言えば、そういうことを考えるんだよね、僕は」

「貴方らしいですね。……本当に人助けがお好きなんですから」


 違和感を振り払って、ドナは彼に笑みを向けた。

 昔からそうだ。ドナにとってセシルの第一印象が最悪であったように、セシルにとってもドナの印象は最悪であったはずなのである。なんせ堂々と“嫌い”と言ってきたほどなのだから。そのあと仲直りしたと言っても、すぐにぎくしゃくした関係がどうにかなったわけでもない。――最初に一歩踏み出してきたのは、明らかにセシルの方だった。道で転んだドナを助けて、ハンカチで手当てをしてくれたのが始まりの始まり、であった気がするのである。

 思うところがある相手でも、彼は関係なく手を差し伸べてくれたわけだ。――それをすることによって、何かセシルに得があったとも思えないのに。確かに、婚約者という立場上仲良くしておいた方がいいにしても、あまりにも双方の相性が悪ければ解消するケースもないわけではない。必ずしも、お互いの婚約者はお互いでなければいけないなんてことはなかったはずだというのに。


「自分が人助けを好ましく思うから……だから、同じように新しい分野で人を助けようとしたヒグチ教授に魅力を感じた、というのもあるのですか?」


 それは、研究の件とはまったく別に、ずっと尋ねておきたいと思っていたことだった。

 自分は、セシルのようにはなれない。彼ほど善人に、お人よしに、誰かを当然のように助けることなどできないと知っているから尚更である。


「間違ってはいないけど……んー」


 セシルは少しだけ、困ったように首を傾げた。


「そもそも、君は誤解している気がするな。……僕が人助けをしたいと思うのは、誰かのためじゃない。僕自身がそれで幸せな気持ちになれるからっていう、完全な自己満足だ。偽善と言ってもいい。ヒグチ教授ほど、崇高な目的や綺麗な心ってわけでもないよ」

「善行は、巡り巡って自分に返ってくると信じている、ということですか?」

「それもあるけど、反対かな。悪行が、巡り巡って自分に返ってくるのが恐ろしい。僕にとっては、自分ができる善を行使しなかったことも悪なんだ。……あ、これは僕自身限定のことで、他の人に対してじゃないからね?他の人には他の人なりの事情があるだろうし、それは僕には推し量れないことだ。でも僕は違う。気まぐれで助けなかったことも、忙しいってだけで見捨てたって事実も、僕だけは知ってしまっている。その“程度”の事情で善行をしないで逃げる自分は恐ろしいし、それが巡り巡って自分に罰を当てた時、後悔する羽目になるのがとても恐ろしいんだ」


 できる善を、行使しないのが悪。それは、ドナにはない考え方だった。


「……疲れませんか、そこまで気を張るのって」


 思わずストレートに感想を伝えると、そんなことないよ!と彼はからからと笑う。


「全力投球したいだけさ、いつだって。……それで全力で自分にやれることを頑張って、その果てに不幸が訪れても……全力でやったって自負があれば諦めもつくんだ。日頃の行いが悪かったからバチが当たったんじゃなくて、たまたま運が悪かっただけなんだって。その方がずっといい。自分の行いのせいだったなんて後悔したくないよ。……とまあ、結局自分の事しか考えていないわけ、僕は。君が思うほど善人じゃない。だからこそ、本当の善人である教授に魅かれるんだよ」

「そういうものを全てひっくるめて、教授の研究を手伝いたいと?」

「そうそう!」


 夕焼けに、彼の黒髪がきらきらと輝いている。花が咲いたような笑顔が眩しくて、ドナは言うべきだったはずの言葉を飲み込むことになったのだ。


「魔法を研究して、再現して、それで国や世界や困っている人を助けるんだ!これほど凄い善行はないし、それを本気で成し遂げようとする教授を僕は心から尊敬してる。絶対成果を残してみせるから、ドナも期待していてくれよ!」


 こんな風に笑う彼に、どうして言うことができるだろう――ラクマ大に行かないで、ヒグチ教授の研究室に入るのはやめて――なんて。

 例えそれが、彼の命を救うためであったとしても。


――言えるわけがない。


 ああ、自分は上手に笑えているだろうか。


――言いたくない。……でも、セシルが研究に携わるのを止められないなら……一体どこで、どうやってこの人の命を救えばいいの……?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ