<10・Trouble>
ラクマ大学まで到着したドナは、思わず小さく“げっ!”と呟くことになったのだった。恐らく、中で研究室の人たちと話してまさに出てきたところだったのだろう。正門の前に、セシルがいる。そのセシルに詰め寄るようにしている女性が二人――。金髪の女性と茶髪の女性。名前は確か、金髪が“コニー”で、茶髪が“フィオナ”であったはずだ。どちらも自分達より年上の大学生である。コニーがしなを作るように、馴れ馴れしくセシルの腕に絡みついているのが忌々しい。
「あなた、まだ十七歳なんでしょう?いきなりヒグチ教授のラボに呼ばれるなんてすごいわ。ひょっとしたら飛び級合格が決まってるとか?きっと素晴らしい才能の持ち主なんでしょうね~感激しちゃう!貴方の作品とか、見せてくださらない?」
「僕は、そんなのじゃないので。作品とか今は何も持っていないし……離してくれませんか?」
「ええっ?どうしてそんなに冷たいの?年上の女は好みじゃない?」
「そうですよお。コニー先輩みたいな綺麗な女性にこんなにくっついて貰えるなんて、役得だと思いませんかあ?」
「勘弁してください。俺は婚約者がいるんです!」
ここで、婚約者がいる、と言ってきちんと断れるセシルは立派だと思う。だが、だからといって振り払えるかどうかは完全に別問題だとドナは知っていた。なんといっても、未だにこの国は完全な男女同権ではない。それは、時に行き過ぎたフェミニズムに繋がることも知っている。胸を押し付けるなんて行為、恋人でもなければ完全にセクハラなのだが――ここでセシルが強引にコニーを振り払ったら、悪いのはセシルの方ということになってしまうのが面倒なのだ。
ヘタに、彼女が大袈裟に倒れたり泣いたりしたら、明らかにセシルの体面が悪くなってしまう。それがわかっていて、わざと女性の武器を使ってセシルを陥落させにかかっているのが実に悪辣だろう。まだ十七歳の子供を相手に大人がすることか――ドナは苛立ち紛れに、つかつかとそちらを歩み寄った。
「失礼」
「!?」
ここは、自分が悪人になってもいい。このままではあまりにセシルが可哀相だし、自分も気分が悪い。ドナは力いっぱいコニーの腕を掴むと、そのままぽいっと投げ捨てた。彼女は不意を打たれたようで、バランスを崩しそのまま尻もちをつくことになってしまう。
「ちょっと!何すんのよアンタ!」
さっきまでのしなを作った声はどこに行ったのやら、このセクハラ女め――そこまで思って、ドナは心の中で疑問符を浮かべた。セクハラ、なんて言葉、この世界にあっただろうか?意味はわかる。簡単に言えば、性的な嫌がらせ全般だ。が、この国で聞いたことがあるような言葉ではない。どこかのテレビでやっていたのだろうか、記憶が定かではないのだが。
まあ、今はそんなことよりも。
「わたくしの婚約者に、汚い手で触らないでいただけますか?」
きっと今の自分を評するならそう――氷のように冷たい眼差し、といったところだろう。
「高校生の子供に、年上がそのような真似をしてはしたないと思わないのですか?それも、初対面ですよ。どのような身分の片かは存じ上げませんが、服装からして貴女も貴族でしょう?ご自分の家に泥を塗るような真似をされるのはいかがかと思いますが?」
「な、何ですって!?私のパパは子爵よ、それもこの国の伝統的な家柄なのよ!」
「あら、じゃあわたくしとセシルの家の方が階級上は上でございますね」
「うっ」
こんな形でマウントなど取りたくないのだが、そうでもしないと追っ払えないのなら仕方ない。ここはガツンと言って追い返すしかないだろう――と空いたセシルの左脇にぴったりとくっつきながら、ドナは告げた。
「コニーさんにフィオナさんと言いましたっけね。……ご自分達がヒグチ教授の研究室から追い出されたからといって、その研究室に呼ばれた学生を利用しようとするのはいかがなものでしょう?元はといえば、追い出されたのはゼミでの態度が悪かったからでは?ろくな勉強もせずに遊び歩いてばかりだったせいで追放されたのを、見返すためといって研究内容に興味もないくせに無理やり戻ろうとするのは感心しかねますね」
彼女らが何故セシルに近づいたかは分かっている。元々、このコニーとフィオナの二人は、高貴な家柄の娘でありながら素行が悪いことで有名だったのだ。勉強もろくにせず、バーやクラブで遊び歩いたり、未成年の頃から酒も煙草もやり放題であったり。
大学ではゼミに入るのが必須なので、適当にヒグチ教授のゼミに入って研究の手伝いを始めたものの、結局いつも通り遊び歩く癖が抜けなかった上、ゼミの男子と揉めたことで教授の怒りを買って追放されたという流れである。だが、卒業するためにはゼミで単位を貰わなければいけない。追放されたままでは家の面目も立たない(そもそも、身分の高い子息が集まるようなラクマ大学で、素行不良を理由に単位を落としたりゼミから追い出される生徒なんて前代未聞のレベルだろう)し、ならば強引にでもツテを作ってゼミに戻らなければと考えている、といったところか。
「セシルのことを褒めているようでいて、セシルのことやセシルのレポートになんてまったく興味などないのでしょう?認められたいのは自分だけ。自分は褒められてちやほやされたいだけ。承認と賞賛以外は何一つ欲しくない、典型的な自己愛と承認欲求の塊……わたくしの一番嫌いなタイプです。今日のことは、ヒグチ教授にもしっかりとお伝えしておきましょうか。貴女がたを何がなんでもゼミに戻すことのないように、とね」
「な、何よ!」
どんな罵倒が飛び出すのか。何を言われても反論してやるつもり満々だったドナは、次の瞬間コニーに言われた言葉に眼を見開くことになるのである。
「ふざけんじゃないわよ、なんであんた、私のことそんなに知ってるのよ、逢ったこともないくせに!」
「!」
まったく、その通りだった。しばらく、ドナは完全に固まることになるのである。
――確かに、そうだ。……私、この二人とは今初めて会ったはずなのに……。
目の前の女性二人の名前を、自分はどうして知っていたのだろう。そして、彼女達が何故セシルに言い寄るのか、その事情まで理解していたのは何故なのだろう。
何かが、おかしい。
小さな違和感が、徐々に大きくなりつつあった。
***
「助けてくれて、ありがとう」
ラクマ教授のところに一度戻って、今のことを伝えてきたあとで。セシルは苦笑しながら、ドナに言ったのだった。
「みっともないところ見せてしまってごめん。振りほどけなかったんだ。その……」
「わかっています。……女性を強引に振りほどいて怪我でもさせたら、男性が悪いことにされてしまう世の中ですものね。残念ながら、あまり周囲に人通りもなくて、目撃者も期待できそうにありませんでしたし」
「……よくわかってる。さすが」
「わたくしが男性でも、あの時は本気で困ると思いまして。……貴方は何も悪くないです、あまり気に病まないでください」
「それは無理だな」
コニーに捕まれた腕をさすりながら、セシルは言った。
「婚約者の……好きな女の子の前で、他の女性に絡まれてるところなんか普通見せたくないよ。誤解されてしまったらどうしようって、それが一番怖かったんだから」
全く、どうしてこんな可愛いことを素直に言えてしまうのか。ドナは頬が熱くなるのを感じ、思わず視線を背けていた。婚約者、というだけではなく。わざわざ好きな女の子、なんて言い換えてくれるあたり女心を理解しすぎている。どこまでも紳士で優しく、人に寄り添うことをけして忘れない人。こんな人だから自分は好きになったんだ、と何度も何度も再確認させられる。
そして確認するたび、思い出すのは未来で起こるであろう惨劇だ。ヒグチ教授とは自分も未来で何度か顔を合わせることになるが(今の時点では認識がない)本人は人格者であるし、セシルを任せるにたる熱意をもった研究者であるとも思っている。ただ、その研究に携わることが最終的にセシルの命を奪うというのなら、自分としては今の現状をそのままほっておくことはできないのである。
できることなら、別のラボに入って欲しい。
あるいは、ラクマ大学以外の大学に入って欲しい。
ただ、それを言えるほどの上手い理由が、今のドナには見つからない。逢える時間が減るから、なんて可愛い理由で彼は踏みとどまってくれないだろう。そもそもセシルは、本格的に研究を手伝うようになってからもドナとの時間を可能な限り確保しようと努力してくれていた。ドナが寂しがれば、ますますそれを頑張るだけのこと。研究を捨てようとは思わないだろう。
――どうしよう。言いたいことがいろいろあったはずなのに。言葉が全然出てこない。
さっきの女性二人は、“前の世界”でもちらっと見かけていたものの、精々どこかで見かけたことのあるうざい女たち、という認識しかなかったはず。何故名前を知っていたのか。
この国では聞きなれないはずの単語を、何故自分は当たり前のように思い浮かべることができたのか。
そもそも自分は、どうして十七歳まで時を逆行できてしまったのか。
分からないことが、多すぎる。
その混乱もあって、ちっとも頭が回ってくれない。今ここで彼を思いとどまらせることができたら、悲劇を回避することができるかもしれないというのに。
「その……セシルは、どうしてヒグチ教授のラボに興味を持ったのです?」
結局、出てきたのはそんな遠回しに遠回しを重ねた疑問だけだった。聴きたい?と微笑むセシル。
「いいよ。今日はゆっくり散歩して帰るつもりだったし……ちょっと一緒に歩こうか」




