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第九話 二日目 夜半

 黒い砂粒に飲み込まれそうになって、夜が更けていくことも感知できないまま、気の遠くなるほどの時間が過ぎた。ポリ、ポリ、と細い木の枝を踏むような音がした。その音と、脚にできた傷をえぐるように引っ掻き続ける動作との関連を見出すのに大層時間がかかってしまった。


 自分の体が、自分ではない存在の支配下にあった。彼がそれを追い払ってくれてから、私は自分の肉体の支配権を取り戻したと思っていたが、まだ完全ではないらしかった。


 彼はーー私の様子を伺いつつ、疲れて眠りについてしまったらしい。寝床にもたれかかるようにして、寝床の天板の上に腕を組んだ中に頭を伏して、浅く短い呼吸音を繰り返している。


「無駄にしてしまったーー貴重な一日を」


 呼吸音が止まった。起こしてしまっただろうか?


 深く長く息を吐く音がする。夢の中で息を呑んだだけだったのかもしれない。起こしてしまったわけではないのだと安心したところに、彼は怒気を孕んだ声をくぐもらせた。


「まったく! 世話の焼ける奴!」


「……え?」


「世話の焼ける奴と言ったんだ。俺が何度も何度も言ってるのになんで分からないかなぁ? お前が少しでも作業を進めてくれたなら、それがどんなに苛つくほど遅々とした歩みだろうと、俺一人よりは助かっているんだ。わかるか? お前は戦力なんだよ、天使の墓標作りの」


 腕の中でモゴモゴとくぐもった声が突然直に向けられ、しかも捲し立てられてしまい、頬を殴られたような衝撃で言葉を失う。熱心に皮膚を掻いていた指は力が抜けて天井を向き、瞬きは目が乾き痛くなるまで忘れてしまった。


「あ……う」


 言葉が咄嗟に出なくなって、頭の中をぐるぐると掻き乱されて、こちらも何が何だかわからず腹が立ち、首が千切れるほどに頭を振り回した。そうしたら、不思議なことに視界も思考もくっきりと晴れた。昼間にあった事件からずっと私を悩ませた体と意思の食い違いも、絡まった糸がピンと伸びるようにあるべき場所へと戻り、清々しい。


 その晴れた思考で、殴られるほどの衝撃を感じた彼の強い言葉を反芻する。


 苛つく、遅々とした、彼は確かにそう言った……記憶違いでなければ。


「やっぱり、遅かったんですね」


「あー……、しっかり聴いてんのかよ。心ここに在らずと思ったのに」


「私が聞いていないと思えばこそ、本音を言えたんですね」


 彼は私から目を逸らし、腕を体に沿うように組み直し、また長い長いため息をついた。


「あぁもう。わかったよ……悪かったなぁ、情報を小出しにして」


「なぜ謝るのです? 私ではなくて、あなたが」


「俺の見込み違いだったってことだよーーいけすかねぇ態度で俺たち人間を見下し世界を統治()()()()()()天使サマともあろうものが、こんなにお人好しで、こんなにメソメソして、こんなに馬鹿面だとは思わなかったからな」


「ただの悪口なのでは……!?」


 褒めているのか貶しているのか測りかねる言葉をひとしきり吐き捨てた後、彼は今までで一番長い、臓の中の空気を全部絞り尽くす勢いのため息を吐いて、その過程で極限まで丸められた背をブン、と戻し、はっきりとこう言い捨てた。


「俺はお前のことを信用していなかった」


「えっ……」


 私は動揺する。彼は続ける。


「いや、俺の仕事を手伝う意思は十二分に受け取ったさ。でも、天使のことだ。どこか『手伝ってやる』って言うの? 上から目線というか、下界の者を憐れむというか。そんな動機なんじゃねぇかと勘繰ってた」


「そんなわけない!」


「ああそうだろうとも。そのことに、今気づいた。だから、俺はお前のことを今度こそ仲間と思ってやる。弟子であり、仲間だ。二人しかいねぇがそれでもこの作業場を組織とするならば、師匠と弟子は肩書きに過ぎない。でも、俺は今からお前を仲間だと考えてやる。だから、お前もそうしろ」


 早口で、ところどころどもりつつ、照れくさそうに垂れ流したその言葉ひとつひとつに、私は胸を打たれ、声を詰まらせた。彼に言わなくてはならない言葉があるのに、喉に引っかかって出てきてくれない。その代わりにしゃっくりのような音がして、そのまま泣き出してしまいそうになる。


「わかったのかわからねぇのか言え、言えねぇなら首を縦か横に振れ、それならできるだろう」


 私は何度も首を縦に振った。一度でいいと呆れる彼を無視して何度でも頷いた。それが「ありがとう」のかわりになればいいと願いながら。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 心が温まる素敵な物語ですね。 ありがとうございます。
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