第八話 一日目の終わり
彼が「手袋」と呼んだものを手に被せてから、私の作業は少しだけ捗った。それは私の手の大きさや指の長短には合わない形だったが、装着すると不思議なことに私の手先に沿うように形を変えた。まるで、その袋が元から皮膚であったかのように、触れるモノの感覚を直に感じられる。
砂粒を分別していくうちに、同じように見えるそれらひとつひとつにも個性があることがわかってきた。
粒と言うからにはどれも小さい。しかし、小さいものの群れの中にも比較的大きいものはある。逆に、あまりにも小さいがために私は持つことができず当分は取り掛からまいと諦めた粒もあった。
あるいは、岩肌のようなゴツゴツした見た目でありながら触れてみると簡単に変形させることができてしまい著しく恐怖したりもした。
声にならない悲鳴をあげてしまい、私の後ろで作業をしていたはずの彼が私の両肩を持って落ち着かせてくれたーー少し恥ずかしかった。彼曰く、天使の砂粒はそれ自体が最小単位であるから、失われない限りその性質は失われない、とのことだった。
大丈夫だと背中を叩かれて、私は泣きそうになりながら作業を続けた。
彼には遠く及ばないが、私なりに上達してきたのではないだろうか。現に、分類記号が書かれた袋のうち三つほどが少しだけ膨らみつつある。
「ーーん?」
とある一粒を指先で持ったとき、なんとも言えない胸のざわつきがあった。それは砂粒の分別の手順を何一つ踏んでいないにもかかわらず、廃油だまりのような黒光りをしはじめたのだ。
天使の砂粒は、翳した先にあるものによって光ったり光らなかったりする。もしある対象物に向けて翳して光ったならば、砂粒はその対象物の性質を持つと考えられる。それが作業の原則であって、方法であった。
ならば、考えられるのは、私が目を落としている「床」に、砂粒の分別の対象物があったという可能性。
「見落としていたか……? 床にあるもので砂粒が光ったことはないはずだが」
私が慌てているのに、彼は静かである。問題が起こっても自分で対応しろという無言の意思なのだろうか。振り返って彼に確認してもよかったが、なぜかそれは憚られた。ドス黒いその光から、目が離せないのだ。目を逸らすことが罪であるかのような、耐えがたい恐怖感が私をがんじがらめにした。
「いや……ない、はずだが…………床に落ちているも……の…………で、すなつ、ぶは、ひ、から、な……い」
その砂粒から視線を外そうとすると、腹部から胸にかけて甘ったるくドロドロとして気味の悪いモノがうごめく。黒光りの粒に焦点を合わせると、その気分の悪さが幾ばくか晴れる気がした。
(おかしい……砂粒をまさぐるのには音がする。私と背中合わせにして作業していたはずの彼が、静かなはずがない。サッ、サッと手際の良いあの音がなぜ聞こえない)
舌がもつれ思考がまとまらない。砂粒を抱え込むようにして前方に倒れていく私を、なぜか私は上空に浮遊しながら見つめていた。
何かよからぬものに憑かれてしまったーーそう気づいたときには、遅かった。下方に見える自分の体が醜く歪んでは黒い砂粒に飲み込まれていき、残った砂粒はその大きさのままに黒光りの暗さを増したように感じられた。
奇妙なことに、その砂粒には意思があり、視線があった。天使の体の砕け散った破片でしかないにもかかわらず、それはそれだけで完成されているように見受けられた。
黒く光るそれは、こちらの存在に気づいた。獲物を狩る目が、今まさに、こちらを向こうとしている。
「出て行けェッ! 俺の弟子に手を出すなァッ!」
彼は部屋の外から何かを手に持ってこちらに戻ってきた。私の惨状を見るや、その持っていたものを手から取りこぼし、今までに見たことのないほどの怒りを顔に、手に、足に、声に溢れさせて、握り拳をブンブンと部屋の中で回し、虫を払うように部屋の中を歩き続けた。
私はーー臓腑から何か生温かいモノがズルズルと生き物のように這い上がってくるのを感じていた。私の腕は、手は、その何かを掴もうとしてあらぬところを弄り、あらぬ方向に関節を曲げ……やがて、自分の胸の辺りを痛いほど引っ掻いていることに気づく。
何かが口から出てしまう。咄嗟に、私は砂粒の山から顔を逸らした。それを出してはいけないと思ったからだ。
彼はそんな私の背をずっとさすってくれていた。そのことに気づいたのは、引っ掻いた胸から腹、足に続いて、気の遠くなるほどの長い時間をかけて背中の皮膚の感覚を取り戻してからのことだった。
日はとうに沈み、作業ができるような時間帯ではなかった。私は訳もわからず、ひたすら胸を掻きむしって泣いていた。