第六話 一日目 手ほどき
「それじゃ、道具を持ってくるからな。待っていろよ、天使サマ」
私が食べ終わったのを舐め回すように見て何やら満足したのか両手をパン、と打って彼は立ち上がった。ここに住み、使命を果たすために技術を繋いできた彼の祖先たちが長い時間をかけて改良してきた部屋だ。その風景には無駄がない。
背丈が人の膝程度しかないテーブルには、胡座をかいて向き合うのだろう。黙々と作業に勤しむ彼の背中が目に浮かぶようだ。テーブルの上には今まさに作業を進めていると思われる砂が一掴みあり、それを囲むように大小さまざまなガラス玉が並べられている。
手の届く範囲に必要なものがあるようにと、壁を掘ってできた棚があちこちにあり、繊維を撚り合わせてできた糸で編まれた手のひら大の布が飾られていたりした。
「あー、それ、興味あるか? 俺はさっぱりなんだけどよ」
彼は私の後頭部から私の視線を覗き込んでそう言った。私は彼の方に振り返って、当然のように疑問を投げかける。
「あなたが作ったものではないのですか?」
「ないない。ナイナイ。俺はそういう細けえことは苦手だよ」
天使の墓標を作るという使命ほど繊細なものはないだろうに、彼はブンブンと片手を振って謙遜する。そして私に背を向けて、ガチャガチャと音を立てた。
「あぁもう、まさか弟子ができるなんて思ってもいないからよ、道具一式置く場もねぇ」
なんとか空間に空きができたのか、彼がどっしりと腰を下ろす気配がした。私はというと、人が編んで作った布の隣にある、丸く小さくて不思議な機械に釘付けになっていた。
「しかしあれだな、先代が『研究に凡夫など不要』とか言って作業部屋を潰して物置にしたのが悪いんだよな。生き残りの人類からやたらと嫌われるようになったのもその頃からだし」
そういや、先代はこれを「研究」と呼びたがっていたっけ。そう言って、彼は私を呼んだ。
「おい、天使サマ。準備ができたぞ」
「あ……はい。その前に、その小さいものは何」
「それは時計だ。時間を刻むものだよ。それだけだ」
やや、不機嫌になったような気がした。短く、ぶつ切りの言葉がどこか刺々しい。
そういえば、飾られた布を見ていたときからヤケに彼は饒舌だった。あまり触れられたくない話題なのかもしれない。
私は彼の勧めに従って、ポンポンと彼が手で叩いた場所に座った。
「まず、天使サマにやってもらいたいのは三代前のヤツが確立した手法だ」
「ガラス玉を使うのではないのですか」
「やりたいか? あれは確かに精度もいいし慣れれば早くこなすことができる。ただ、慣れるまでに途方もない時間がかかるんだ。なので、お前にはまずこれを習得してもらう」
私は頷いた。特に異論はない。
「とは言っても、ガラス玉を使う方法と理屈は同じだ。これはひいじいちゃん……三代前のヤツが作った早見表とスケール定規だ」
彼は道具箱の中から筒のようなものと、筋が縦に多数通っている植物でできた細長い棒を取り出した。筒の中程にある紐を解き皮を床に広げると、そこには記号と絵が一対になったものが端から端までびっしりと書き込まれていた。
「この書かれている文字が砂の分類名、横にあるのが身の回りにあるモノの絵図だ。このスケール定規を顎に当てて、もう片方の先端に砂を持つ。なるべく手で触れないようにしたいが、慣れないうちは手で持ってもいい。慣れたらその箸を使え」
私は彼のすぐ横で、彼を見よう見まねで真似た。彼は横目で私を見ると、やや驚いたように目を見開き、顔を前に戻してから「そうだ。いい姿勢だ」とだけ言い、また説明を続けた。
人の顔からスケール定規の分だけ離した砂を、絵に描かれたモノに向けると、稀に砂が金色に光り輝くことがあるらしい。そうなったならば、その砂は、砂を向けた先にあるモノと何らかの関わりがあると見なされ、その絵の横に書かれている文字で分類される。
この作業を、砂一粒につき一通り行う。気の遠くなるような、地道な作業であるとより実感する。
彼が私を見て笑った。私はそこで初めて、自分が難しい顔をして考え込んでいたのだろうことに気づいた。
「まぁ、そんな難しく考えるなって。いくらお前がチンタラしていようと、俺一人よりは確実に作業は進んでいるんだ。気を長く持ちなーーって俺たちよりよっぽど長生きな天使サマに言うことじゃねぇか」
それじゃ、と彼は言って立ち上がり、道具箱の真正面の席を私に譲った。そして自らの作業場に向かう間際に私の肩をポンと叩いて行った。励ましのつもりだろうか。
私は彼が教えてくれた通りに、砂を一粒手に持って、それを壁に向けた。それは光らなかった。次にガラス玉に向けた。それは光り輝いた。
目が覚めるような、美しい光だった。