2月26日(月)
帰り道、曲がり角で如月と鉢合わせた。
「あれ、詩じゃん。今帰り?」
「うん」
まさか帰り道で会ってしまうとは思っていなかった。少し体がこわばってしまっている。
「どっか寄り道してたの?」
「うん。おばあちゃん家に、ちょっと」
「そうだ、鍵。返しに行ってくれたんだよね。ありがとう」
そう、如月が昨日勝手に持ってきてしまった去年までおばあちゃんが住んでいた家の鍵を、さりげなく返しに行ったのだ。
おばあちゃんが後ろを向いたタイミングで、バレないように、そーっと。おばあちゃんには、たぶんバレなかった。
「うまく返せた?」
「うん」
ならよかった、と如月は笑う。
そんな他人事みたいな。如月が勝手に持ってきちゃったのが悪いんじゃん。
「なんか今日の詩、固くない? 何かあったの?」
「えっ、な、何もないけど?」
如月はじとーっと私を見てくる。これは、疑われているなぁ。私、嘘下手だし、誤魔化すのは無理そうだ。
私は諦めてため息をつく。そうして一旦落ち着いてから、口を開く。
「おばあちゃんから聞いたの。その……文子さんのこと」
「文子さん? なんで?」
「だって……」
昨日の如月があまりにも弱々しくて、いつもの如月じゃないみたいで、心配だったんだもん。
そう本人に言うのは少し恥ずかしくて、咳払いで誤魔化した。
「結論から言うと、全部如月の考えすぎだったよ」
「どういうこと?」
「文子さんは、如月のことを嫌いになったわけじゃなかったみたい」
如月は目をぱちくりさせて困惑している。
説明が下手くそで申し訳ないけど、下手くそなりに頑張って説明するつもりだ。
「歩きながらじゃあれだし、とりあえず家入ろう」
「ああ、うん。そうだね」
如月は家の前に着いていたことすら気づいていなかったらしい。
家に入る時も、如月はソワソワしたままだった。帰ってから落ち着いたときに言うべきだったかな、と反省した。
二階にある自分の部屋に着いてから、カバンを置き、如月と向き合って座った。
「それで、文子さんがオレのことを嫌ってはいなかったっていうのは?」
「今日、おばあちゃんに聞きに行ったんだけど……」
何から説明しよう。とりあえず、文子さんが如月を嫌ってはいなかったとわかる理由から。
「文子さん、私のおばあちゃんに如月のことたくさん話してたみたいだよ」
「こず枝さんに? え……内容、聞いた?」
恐る恐るといった感じで、如月は私に尋ねた。そんなに身構えなくても大丈夫だ。如月を傷つけるようなことだったなら、私は本人には伝えない。
「二月の妖精さんは、おしゃべりで寂しがり屋で、だけど優しくて良い人だって」
如月は目を見開いた。ふう、と息を吐き出して、体の力を一気に抜く。
「なんだ、嫌われてなかったんだ」
へにゃりと笑った顔がちょっとおかしくて、思わず笑ってしまいそうになった。
「あれ? じゃあネックレスをこず枝さんにあげちゃったのは、なんで?」
私は、過去に如月が文子さんにプレゼントしたというネックレスを取り出し、如月の前に置いた。
「今日初めて知ったんだけど、このネックレス、如月が迷わずここに来るための目印なんでしょ?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「うん。聞いてない」
別に雑に扱ってたわけじゃないけど、そんな大事なものならもっと早く伝えてほしかった。
「如月が迷ってしまわないように、寂しくならないようにって、文子さんはネックレスを代々受け継いでいくことにしたんだって」
「じゃあ、ネックレスをこず枝さんにあげたのは、さっさと手放したかったわけじゃなくて……」
「うん。如月のためだったんだよ」
おばあちゃんってば、そういう大事なことを伝え忘れちゃうんだから。ネックレスをもらったときには、そんなこと一言も言っていなかった。
「それなら、文子さんがオレに答えてくれなくなったのは、何だったの?」
「それは……」
一瞬、事実を伝えることをためらった。それを伝えたら、如月が悲しむかもしれなかったから。
「文子さん、大人になってから、如月のことが見えなくなっちゃったんだって」
「え」
如月の口元が歪む。それがどういう感情によるものだったのか、私にはわからなかった。
「見えなくなった……って、どういうこと?」
「文子さんは幽霊とかが見える体質だったんだよね? でも大人になってからは、そういうの一切見えなくなったって」
おばあちゃんには、そう言っていたらしい。
当たり前にあったものがなくなるって、文子さんもつらかったんじゃないかと思う。それが幽霊とか良くないものだったとしても、その中には文子さんと仲の良かったモノもいただろう。如月みたいに。
「そうだったんだ……気づかなかった」
俯いていた如月は、ふと顔を上げた。
「でも、たしかに。言われてみれば、そうだったのかも」
もう一つ、如月に伝えなきゃいけないことがある。私は口を開いた。
「文子さん、如月のことずっと気にしてたみたい。独りぼっちにさせてごめんなさいって」
如月は顔を上げた。左手の指輪に触れて、目を閉じる。
「そっか」
そう言った如月は、肩の荷が降りたように、柔らかい笑みを浮かべていた。
「オレの方こそ、気づかなくてごめんね」
アメジストのネックレスを胸に当てて、如月はそっと呟いた。文子さんに届くように。
如月の心がちょっと軽くなったならよかった。文子さんについて教えてくれたおばあちゃんにもお礼をしないと。そうだ、クッキーとか作って持っていこうかな。きっと喜んでくれるはず……。
「詩? さっきからずっと何か思い詰めた顔してるけど、どうしたの?」
「え?」
顔には出さないようにしていたのに。やっぱり如月には見抜かれてしまった。今日は誤魔化せると思ったんだけど。
「ちょっと相談してもいい?」
「もちろん。どんと来い」
頼りになるなぁ。自信満々に胸を張る如月に、思わず笑ってしまった。だけど、すぐに気持ちは沈んでしまう。
「文子さんは大人になってから如月のこと見えなくなっちゃったでしょ? だから……」
続きを口に出したら泣いてしまいそうだったから、一旦、深呼吸して気持ちを落ち着けた。でもやっぱり目頭は熱いままで、拳を握って涙を抑える。
「いつか私も……如月のことが、見えなくなっちゃうんじゃないかって、思っ……」
視界が歪んできて、慌てて袖で目を押さえた。学校の制服に涙は全然染み込まなくて、結局は頬を伝っていってしまった。
「そうだよね。そりゃあ、不安になるよ」
如月はいつの間にか私の隣に移動して、背中を優しくさすってくれていた。
「でも大丈夫だよ。百年前と違って、誰にでも見える状態になれるようにいっぱい練習したんだから。三時間ぐらいなら余裕だよ」
そっか、そうじゃん。
私にはずっと見えているからあまり気にしたことがなかったけど、如月は頑張れば誰にでも見えるようになる。飲食店のアルバイトもできちゃうぐらいだ、その状態の如月は、人間と大差ないだろう。
「なんだ、よくよく考えれば、全然心配することじゃないじゃん。よかった……」
「そうだよ、もう。詩ってば可愛いなぁ」
唐突な如月からの「可愛い」に、心臓から血液が広がるのを感じた。
「それ心臓に悪いからやめてよ。というか、そんな雰囲気じゃなかったじゃん」
「可愛いから可愛いって言っただけだよ?」
あー、もうこれは何も言わないほうがいいやつだ。「可愛い」の過剰攻撃でやられてしまう。
「ねえ、詩」
顔を覆っていた手を少し動かし、目だけを出す。まだ顔が真っ赤だから、できれば如月には見せたくない。
「オレ、詩のことが好きだよ」
「……へぁっ!?」
今まで出したことないような声が出た。
今、好きって言った? それは、家族や友達に向けるみたいな? それとも……恋愛的な意味で?
「最初は、詩を文子さんと重ねちゃってるだけだと思ってた。でも今は、そうじゃないってはっきり言える」
如月は真剣な表情で私を見つめていた。顔を隠したままでは失礼になるような気がして、そっと手を顔からどける。何が何だかよくわからないままで、如月の方を見つめていることしかできなかった。
「オレは詩のことが好き。大好きだよ」




