2月24日(土)
「あれ、如月。今日も出かけるの?」
「わっ。びっくりした」
ここは私の家なんだから、私がいるのは当たり前だ。そんなに驚かなくてもいいのに。
「どこに行くの?」
「んー、ちょっとね」
やっぱり、行き先は教えてくれない。
如月は最近、アルバイトか何か知らないけど、家にいないことが多い。一緒にゲームだってできていない。如月と過ごせる日は残り少ないのに、休日まで出かけちゃうなんて。
二月の最初の頃は、一緒に豆まきしたり、ショッピングに行ったり、トランプをしたり。それだけで、楽しいって、嬉しいって言ってくれたのに。もう私といるのは、つまらなくなっちゃったのかな。
「じゃあ詩、行ってきます」
「ちょっと待って」
如月の腕を掴んで引き留める。
「ちょっとだけ時間ない?」
如月にはいろいろと聞きたいことがある。昨日は結局何も聞けなかった。ずっと不安なままなのは、やっぱり気持ちが悪い。
それに、あと残り五日しかない。だから、できるだけ如月と過ごしたいのだ。
「あー……電車の時間があるから……」
電車の時間? そんな遠くに行く予定なのか。でも電車の時間って、この辺りはめちゃくちゃ田舎というわけじゃないし、乗り遅れても待てば電車は来る。そんなに急ぐことではないと思うんだけど。
だけど、如月がそういうなら仕方がない。人と約束しているのかもしれない。それもそれで気になっちゃうけど、時間を気にするって、それぐらいしか考えられない。
どうしてだろう。その用事は、私との時間より大切なことなんだろうか。心の中がモヤモヤしたけど、如月は私の彼氏でも何でもないから、しつこく引き留めるのもどうかと思った。
如月の腕を離す。
「そっか。行ってらっしゃい」
「そんな顔しないでよ。用事が済んだら、すぐに帰ってくるから」
如月は私の頭をぽんぽんと撫でた。
こういうことをするってことは、少なくとも如月に嫌われているわけじゃないんだと思う。
「行ってきます」
玄関の扉がガチャリと閉まる。行っちゃった。今日もモヤモヤしながら過ごさないといけないのか。
行き先ぐらい教えてくれてもよかったのに。電車を使うって、本当どこに行くつもりなんだろう。また変な噂を作ってこなけりゃいいんだけど。
でも本当、如月は何の用事で出かけて行ったんだろう。私と過ごすのより大事な用事……気になる。アルバイト先の人と遊ぶとか? いや、でも仲良しの人ができたとか、そんな話は聞いたことがない。あとは、なんだろう……。
いいこと考えた――如月の後をつけていってみよう。私はすぐに、スマートフォンとお財布をカバンに入れた。
「お母さーん、ちょっと出かけてくるー」
返事はないけど、たぶん聞こえただろう。
家を出る。最寄り駅に行くには、バスに乗る。バス停は、私の家から歩いてすぐだ。
走ってバス停まで行くと、如月の姿を見つけた。彼には私の存在がバレないように、電柱の陰に身を隠す。よかった、まだいた。
でも、どうしよう。同じバスに乗ったら、さすがに気づかれてしまう。だからと言って違うバスに乗ったら、駅で絶対に見失う。
そうだ。帽子、カバンの中に入ってたよね……あった。これを被って、あとはマスク。完璧な変装だ。これで如月にバレる心配はない。
しばらくして、バスが来た。如月がそれに乗ったのを見て、慌てて追いかける。
スマートフォンで顔を隠しながらバスに乗る。ちら、と如月を見ると、彼はすでに座って外を眺めていた。私には気づいてなさそうだ。
すぐに如月から離れた席に座り、帽子を深く被って顔を隠す。
バスが発車した。
ふと、自分がしていることがいけないことなんじゃないかと思った。家族でもない、彼氏でもない、友達でもなさそう。ただ一緒に住んでいるだけの他人を尾行するとか、それってもう、ストーカー……いやいや、私は心配でついてきただけであって、これはストーキングなんかじゃない。
というか、私の尾行なんかより、勝手に家に居候しだしたり寝顔を覗いてきた如月の方が、プライバシーを侵害していると思う。今日のこれは、私から如月への仕返しだ。だから咎められない。
しばらくバスに揺られて、最寄り駅に着く。如月が降りたので、その少し後に私もバスを降りた。
如月の後を追う。如月は目立つ紫色の髪だから、遠くからでもわかった。
駅の中に入る。
あ、あのパン屋さん。美味しいんだよね。食べたいなぁ、メロンパンに、クロワッサン、それからクイニーアマン……。
「あれ?」
気づいた時には、如月の姿を見失っていた。しまった、美味しいパン屋さんに気を取られたせいだ。
「ねえねえ、そこの君」
「……え、私?」
男性二人組……私と同じ高校生か、もしくは大学生だろうか。話しかけられて、立ち止まる。
「今、暇? 俺たちとお茶しない?」
「いや、今急いでるので……」
如月を探す。だけど、あの派手な紫色の髪は、やっぱりどこにも見当たらなかった。
「えー。じゃあさ、ここに行きたいんだけど、場所わかる? 案内してよ」
そうして見せられたカフェは、駅からすぐそこにある、私もよく行くカフェだった。
もう一度、如月を探した。もう改札通っちゃったかな。如月の行き先はわからないし、どの切符を買えばいいのかもわからない。これ以上、後をつけるのは難しそうだった。
なら、もういいや。帰ろう……その前に、何だっけ。ああ、あそこのカフェか。案内をするだけならいいだろう。
「ここに案内するだけでいいんですね?」
「そ、案内するだけ」
「それなら、まあ、いいですよ」
「まじ? 助かるわー」
肩を組まれて、ぞわーっと鳥肌が立った。知らない男性に触られるのって、こんなに不快な気分になるんだ。
さっさと案内だけして解放してもらおう。帰ったら、ケーキでも作って如月の帰りを待とうと思う。
「詩、どこ行くの?」
はっとして振り返る……如月。どうして? 引き返してきたの?
「君たち、詩に何か用事?」
「おい、なんかやばくね?」
「お、おう。もう行くぞ」
如月の目があまりにも鋭くて、冷たくて。そんなの見たことがなかったから、私は言葉を失って、如月を見ていることしかできなかった。
「ほら、詩。行くよ」
無理やり腕を掴まれて、すごい力で引っ張られる。振り払おうとしても、私の力じゃ全く抵抗できなかった。
「如月?」
声をかけても、彼は何も言わなかった。
「どこ行くの?」
改札とは逆方向。さっき駅に入った方でもない。こっち側は、私はよく知らない。
――怖い。如月のことを怖いと感じたことは、今までに何回かあったけど、こんなに怖いのは、心の奥底から恐怖に染まるような感覚は、初めてだった。
腕が痛い。如月の歩くペースが早すぎて、ついていくのに必死だった。
「ねえ、きさらぎ……?」
自分の声が震えていた。もう泣きそうだ。こんなことなら、後をつけようなんて考えなきゃよかった。
如月は立ち止まり、私の方へ振り返る。
「ひっ」
その表情が、その視線が、突き刺すように冷たくて、思わず後退りした。でも掴まれた腕はそのままで、逃げられない。
「詩」
如月は私の名前を呼ぶ。返事をしようとしたけど、うまく声がでなかった。
その瞬間、如月の体に顔がトンとぶつかった。
「詩のばかっ!」
「え……え?」
突然のことで、理解が追いつかない。
「あんなの、ついて行ったら危ないに決まっているでしょ。危機感がなさすぎるって」
背中と頭に手を回されて、優しく包まれる。ようやく自分が抱きしめられていることに気づいて、途端に恥ずかしくなった。
「本当、幸司とそっくり。やっぱり親子なんだね」
「幸司……あ、お父さんのことか」
でも、どこを見てそう思ったんだろう。
私の顔が何か面白かったらしく、如月は笑い出した。
「幸司も小さい頃、知らない人に案内してって言われて、ほいほいついて行こうとしてたんだよ」
お父さんなら、人助けをするだろう。案内しろと頼まれたなら、きっと断ることはない。でもそれって、危ないことなんだろうか。
「その顔はわかってないね。あの人たちが悪い人で、路地裏に連れ込まれたら、詩の力じゃ抵抗できないでしょ? オレが掴んだ腕、振り払えなかったもんね」
「それは、そうだね」
そこで、ふと昨日お父さんから聞いた話を思い出した。如月に誘拐されそうになったという話だ。それはもしかすると、当時のお父さんが、さっきの私と同じ状況だったのかもしれない。
「ねぇ如月、昔、お父さんを誘拐というか、連れてこうとしたのって」
「あー、あれは逆に誘拐犯から救ったんだよ。幸司ってば、すぐ騙されてついて行こうとしちゃうんだから」
なんだ。如月はやっぱり、優しくていい人なんだ。でも、他にも聞きたいことがある。
「じゃあ、この前の猫は?」
「猫?」
「木曜日かな。猫と一緒にいたよね?」
如月はしばらく考え込んだ。思い出したのか「ああ!」と声を上げた。
「あれ、ぬいぐるみだよ」
「ぬいぐるみ?」
「うん。アルバイトしてるカフェによく来てくれる女の子の、ぬいぐるみ。偶然見つけたから、カフェで預かっておこうと思って、持っていったんだよ」
思い返してみれば、たしかに全然動いていなかったし、ぬいぐるみと言われれば納得できる。
「あ、そういうことか。その後、女の子と会ったでしょ?」
「うん。なんで知ってるの?」
「お兄ちゃんが見たんだって」
女の子と話して、何か渡していたというのは、ぬいぐるみを返していただけらしい。
「駅で人を突き飛ばしたっていうのは? 二階堂から聞いたんだけど」
「駅で? いや、それは人違いじゃないかな」
だよね。きっと、紫色の髪の人ぐらい、探せばたくさんいる。
「それか、ひったくりからバッグ取り返した時の話かも」
「ひったくり? そんなことあったの?」
「うん。あ、でもオレが突き飛ばしたわけじゃなくて、向こうが勝手に倒れただけね」
勝手に倒れるって、追いかけていたら転んだとか、そういうことだろうか。
「驚かせるために目の前で姿を現してみたら、ひったくり犯、腰抜かしちゃって」
そういうことね。如月は普通、人には見えない。それを急に見えるようにしたってことだ。
「なるほど。急に目の前に人が現れたら、そりゃびっくりするわ」
じゃあ全部勘違いだったんだ。駅で人を突き飛ばしたのも、猫をいじめているように見えたのも、お父さんを誘拐しようとしたのも。全部勘違いで、本当は善意でやったものだったんだ。
ひったくりからバッグを取り返して、猫のぬいぐるみを女の子に届けて、知らない人についていきそうだったお父さんを助けて。なんだ、如月はやっぱりいい人じゃん。
「引き返してきてよかった。詩ってば、家からずっとつけてきてたでしょ?」
「え、いつから気づいてたの?」
「最初から」
うそ、どうして気づかれたんだろう。バレないように、細心の注意を払っていたのに。
「そうだ、如月。電車の時間たぶん過ぎちゃったけど、よかったの?」
「あー……まあいいよ。今日は帰ろうかな」
誰かと約束があったんじゃないのか。私はてっきりそうだと思っていた。
「詩、明日は時間ある?」
「え、うん。あるけど……」
「じゃあ、一緒に行きたい」
「どこに?」
如月はいたずらっぽく笑う。でもどこか寂しそうにも見えた。
「オレにとって、大切な人のところ。詩が来たら、その人もきっと喜ぶと思うんだ」
彼はまた、ぎゅーっと私を抱きしめた。寂しさを誤魔化すかのように、強く、強く。そんなに強くしなくても、私は逃げないのに。
「帰る前にデートしようよ」
「じゃあ、駅の中にあるパン屋行きたい」
「あー、あそこね。いいよ、行こうか」
如月の手を握る。彼の手は温かくて、ずっと繋いでいたいと思った。




