2月22日
学校からの帰り道。疲れたから早く家に帰ってお風呂に入りたいなー、なんてことを考えていた。
「あ、前田」
「うわ。二階堂」
「うわって何だよ、失礼だな」
どうして帰り道でもコイツと会わなきゃいけないんだ。さっき教室で別れたばかりじゃないか。
「なんでいるの」
「なんでも何も、前田の家と僕の家、めちゃくちゃ近いからね」
お隣さんとかお向かいさんってわけじゃないけど、たしかに近い。残念なことに、郵便番号が同じぐらいに近い。
家が近いっていうのはもうわかっていることだ。私が聞きたいのはそういうことじゃない。
「二階堂、部活は?」
「部員の半数以上がインフルエンザで倒れちゃったから、休みになった」
「わぁ大変」
今年度は一年中インフルエンザが流行していたような気がする。私のクラスは、二回ぐらい学級閉鎖になったっけ。学年閉鎖もあった気がする。
普通だったらこの時期こそマスクしろって言われるけど、もう半分以上の人はマスクなんてしていない。インフルエンザが夏に流行ったこととかもあって、みんな感覚がおかしくなっているんだろう。
「話変わるけど、この前の日曜日さ、如月さんと動物園行った?」
「え、なんで知ってるの」
友達には動物園に行くなんて一言も伝えていないし、当然、二階堂にも言っていない。
「部活の先輩が前田のこと見たんだって」
「先輩? 誰?」
私は部活には入っていないから、他学年に知り合いなんていないはずだ。
「前田のお兄さん……律先輩だっけ。の、友達」
「あー」
なるほど、そういう繋がりなら納得だ。お兄ちゃんは家に友達を連れてくることもあるから、きっとその時に私と会ったことがある人だ。
「でも他にも前田のこと見たって人いたみたいで、結構うわさになってるよ?」
「うわさ?」
「真面目ちゃんの前田が、実はチャラい男の人と付き合ってるって」
「はぁ?」
なんで男性と二人で動物園に行っただけで、そんな風に思われるんだ……いやそうなるか。二人で動物園なんて、どこからどう見てもデートじゃん。
そう思ったら、急に恥ずかしくなった。
じゃあ、ショッピングモールに一緒に行った時も、稲荷神社にお参りに行こうとした時も、傍から見たらデートしている男女に見えていたってことじゃん。何それ、恥ずかしいにも程がある。
「前田、顔真っ赤だけど……え? まさか、前田と如月さんってそういう関係――」
「違うから!」
別に知らない人だったら、勝手に想像してくれて構わないけど、二階堂とか身近な人に誤解されて、からかわれるのだけは嫌だった。
「違うのか。よかった」
あれ。二階堂なら何かからかってきそうだなと思ったのに、何も言ってこない。なんか、安心したような顔をしているけど、どういう意味だろう。
「そうだよね、前田があんな人を選ぶわけないわ」
「あんな人って。如月は見た目はあれだけどいい人だよ?」
「本当にそうかな」
二階堂が意味深長にそう言うから、思わず足を止めてしまった。
振り返る。二階堂の表情は真剣で、私をからかっているとか、ふざけているとかじゃなさそうだった。
「何?」
尋ねると、二階堂は真っ直ぐ私を見つめた。
「如月さん、駅前で人を突き飛ばしたんだって」
「……え?」
思いもよらないことを言われて、一瞬、理解が追いつかなかった。冗談だと思った。でも二階堂はいたって真剣だった。
「何それ。本当に如月の話? 人違いじゃなくて?」
「僕が見たわけじゃなくて、うわさになってるだけだから……本当のことかどうかは、ちょっとわからない」
なんでそんなことが、学校でうわさになっているんだ。如月のことなんて、学校のみんなには関係ないじゃん。
「如月はそんなことしないよ」
私が熱を出した時に、看病してくれた人。怖い番組を見てしまったせいで眠れなかった夜に、そばにいてくれた人。そんな優しい如月が、人を突き飛ばすなんてこと、するわけがなかった。
「そうかな。僕は、如月さんならやってもおかしくないって思った」
二階堂は、はっきり言い切った。
「如月さんのことをよく知らない僕が口を出すのはどうかと思ったけど、やっぱり言わせてもらうね」
彼は前置きしてから、息を吸った。
「前田。如月さんは信用しない方がいいよ」
二階堂にそう言われたところで、説得力のかけらもない。二階堂なんかよりも、私の方が、如月のことをよく知っている。
だって二階堂は、如月が人間じゃなくて精霊だってことも知らない。如月の好きな食べ物も、好きな色も、好きな動物も……あれ。私も、知らない。
二月の精霊って何? アメジストのネックレスと如月には、どういう関係があるの? 如月がアルバイトを始めた理由は? 私だって、如月のこと、なんにも知らないじゃないか。
「前田、ごめん。困らせるつもりじゃなかったんだ」
もとはといえば、たしかに二階堂のせいだけど、そうじゃない。二階堂はきっと、私を心配して言ってくれただけなんだ。二階堂はそういうやつだ。ちょっとウザいけど、いいやつなんだ。
「話変えよう。そうだ、今日、猫の日なんだよ」
「猫の日?」
「2月22日。2、2、2の日」
そういえば、そうだ。私は猫を飼っているわけじゃないし、めちゃくちゃ猫が好きってわけでもないから、あんまり意識したことはなかった。
でも、二年前か。2022年2月22日は、スーパー猫の日だって騒がれていたのを覚えている。2222年の2月22日は、いったいどれだけ騒がれるんだろう。私は生きていないけれど。
「ほら、あそこ。猫……え」
二階堂は何かに驚いた様子で目を見開いた。
「猫? どこに……」
二階堂が指を差した方向を見た。
「あれ。如月?」
紫色の髪が目立つから、すぐにわかった。如月は、なぜか歩道に座り込んでいた。
「どうしたんだろう」
「ねえ、前田。あれ見て」
「あれって?」
「如月さんの足元」
じっと目を凝らして見てみる。如月の足元にあるのは、茶色くてふわふわしている何か。
「猫だよね」
「あー、あれ猫か」
言われてみれば猫だ。耳があって、尻尾もある。お昼寝をしているのか、動いていない。こんなに寒い中、外で寝るなんて、あの猫の気持ちはがよくわからない。
如月はそんな猫の前にしゃがんで、じっと見つめていた。如月のことだから、寒いところで寝ている猫を心配しているんだろうと思った。
「やばくない?」
「え、何が?」
二階堂は心配そうに如月の方を見ている。私にはその意味がわからなくて、二階堂はそんな私に困惑していた。
「いや、やばいでしょ」
「だから何が」
ちゃんと説明してほしい。わからないものはわからない。
「だって、猫……いじめてるよね、あれ」
「は、誰が?」
「如月さんだよ」
もう一度、如月を見た。私の視点では、そうには見えない。
「いやいや、如月がそんなことするわけないじゃん」
「でも、猫、動いてないよ?」
たしかに動いていないけど、それは寝ているからだと思う。
二階堂ってば、如月の変な噂を聞いたからって、心配しすぎだ。如月がそんな心無いことをするわけがないのに。本当、できるわけがない。
「温かい場所が好きな猫が、コンクリートの道路で寝るわけないじゃん」
「それは……」
二階堂の言う通りだ。それは、私も不自然だと思っていた。
「ほら、泥だらけだし」
そう言われても、もともとの体毛が茶色だからわからない。
「よく見てみなよ、猫、たぶん汚される前は白だったよ」
「え、うそ」
目を凝らしてみて見ると、白だったようにも見えなくもない。模様にしてはおかしいところもあった。
如月は汚れた猫をツンツンと突いた。猫の体が動いてしまうぐらいの強さだ。
「如月さんのこと、止めた方がいいよね?」
「え、でも、勘違いなんじゃ……」
「とにかく、横断歩道渡ろう」
「ちょっと二階堂。待ってよ」
絶対に、勘違いだ。如月が猫をいじめるとか、絶対ない。道路に倒れていた猫を心配しているだけとか、そんなんだ。
でも、じゃあ、なんであんな風にずっと見つめているんだろう。動物病院はすぐそこにあるんだし、さっさと連れて行けばいいのに。
信号が変わるのを待っている間、如月は猫を持ち上げた……片手で。生き物を持つにしては、あまりに優しくない手つきだった。
「あーもう、早く信号変われよ」
焦っている二階堂を見て、なんだか不安になる。
如月は猫を抱えて、曲がり角に消えた。
私たちが横断歩道を渡って如月を追いかけたときには、もう如月の姿はどこにもなかった。
「くそっ、逃げられた」
如月って、あんな人だったっけ。最後に如月を見たとき、彼の猫を見る目が、怖いと感じてしまった。




