1
世界中を恐怖に陥れた災禍がようやく終息した。
今まで「自粛」という名目で禁止されていた様々なことが解禁となる。
多くの人が集まるライブもその一つだ。
ライブ会場を埋め尽くす大勢の人たちがライブの熱量を享受する。その熱を最も受けるのはステージの上に立つものだろう。
ステージの上では、アカペラグループ「Azumashi」が会場の熱を一身に受け、自分たちができる限り最高のパフォーマンスを披露していた。
Azumashiは5人。リードボーカルの尚文、コーラスの隼人と浩平、ベースの透、そしてビートボックスの優陽で構成されている。
ライブ開始からすでに2時間が過ぎ、最後の曲を歌終えた5人は惜しまれつつステージの上を去る。その背に向けて、渦のようなアンコールの掛け声が降り注ぐ。
「Azumashiさん、アンコールお願いします!」
再びあの熱狂の中に立つのだ。
5人は流れる汗を拭き、ペットボトルの水を飲み干す。
優陽は鼻から息を大きく吸って、肺が絞り切るまで口から吐き出した。そして仲間に声をかける。
「っしゃ、行こ」
5人は誰ともなく、手をつなぎ、それを頭上に掲げて叫ぶ。
「アンコール行きます!」
それが聞こえたかのような、歓声が、絶叫が、メンバーの名を呼ぶ声が光の中から聞こえる。
5人は足を踏み込む。光の奔流へ。
「アンコール、ありがと!!!!」
尚文の大声が森の中に響き渡る。
シーンとした、森の静けさが5人を包み込んだ。
「・・へ?」
間抜けな声は浩平のものだ。しかし、唖然とした気持ちは5人同じ。
熱の溢れるステージに出たと思ったら、静寂に満ちた森の中に出た。
繋いだ手が徐々に下がっていくが、手が外れることはない。
「え、どうゆうこと・・?」
透のつぶやきは、その他4人の心中をも的確に表したものだ。
「え、い、異世界人・・?」
背後からの声に5人が息ぴったりに振り返る。
そこには、深い緑色の髪をした男がいた。少年と青年の境目のような年齢の彼は、戸惑い気味に5人を見る。
5人と彼の間にしばしの沈黙が流れた。
「こんにちは」
声をかけたのは優陽だ。人懐っこいと評される、目尻に笑皺を湛える笑顔は人の警戒心を薄れさせる。
「あ、こんにちは」
それは彼にも有効だったようで、ぺこんとお辞儀を返された。
「あの、僕たち、気が付いたらここにいて・・ここはどこなんですか」
優陽が疑問を彼に投げかける。彼は、ああ、と笑って答えてくれた。
「ここは、渡の島国と檜の山国の国境・・檜の山国に入ったところです。あそこに国境の関所が見えますか?僕はあそこから来ました」
5人は彼の指さす方を見る。指さす先には石造りの立派な城壁が見える。
「おお・・リアルウォール・〇ーナ・・」
隼人が呑気な独り言をつぶやく。
「・・あなた方はどこから・・?」
彼の言葉に5人は顔を見合わせる。
「おれたちは日本という国にいて、今、ライブのアンコールで・・」
尚文が言い淀む。さっきまで現実だった熱狂が遠い。
「ああ、やはり異世界からみえた方々なのですね」
彼の視線が5人の繋がれた手に注がれていることに気が付いて、5人はそれぞれ気まずげに繋いでいた手を離した。
「異世界・・」
解放された手で頬を掻いて、照れ隠しのように透が呟いたのを彼が拾う。
「はい。檜の山国ではわりとまあまああることらしくて。異世界人に関してはきちんと法律が整備されていると聞いています」
「異世界・・じゃあ、おれたちもう帰れない・・?」
浩平が呆然と呟く。
「はあ?」
尚文が浩平を険しい顔で振り返る。
「帰れないってどうゆうことだよ!」
「いや、マンガだの小説では帰れないのがセオリーで、そこでたくましく生きていくっていう話が多くて」
「っざけんな!ようやくライブが解禁されて、これから全国ツアーだって予定してるんだぞ?!向こうに全部あるんだ!知名度も人脈も、家族も全部!帰れないって」
尚文が掴みかからんばかりに浩平ににじり寄る。
「ナオ!落ち着けって。浩平に言っても仕方がないだろ」
「・・えーと、多分ですけど、帰れますよ、きっと。そういう風に聞いたことがあります」
困惑した彼が両手を制止の形にして尚文に言った。
尚文だけではなく、全員が彼を見た。
「帰れる、の?」
「ええ。檜の山国では、異世界人が現れるのがわりとまあまああるらしくて。というのもこの国の聖女様が異世界の方らしいんです。ですので、ここ何人かの方が異世界から見えています。
その方々は一定期間こちらにいらっしゃいますが、そのあとは元の世界に帰られるのだそうです」
せいじょさま・・という透のつぶやきは、皆、示し合わせたようにスルーする。
「それ、ほんと?」
隼人の問いに、彼は安心させるように笑った。
「はい。たしか、聖女様のもとに行けばいいはずです」
5人は顔を見合わせて、肩を組んで青年に背を向けた。小さなささやきは彼には聞こえない。
「・・信用して、連れて行ってもらうしかないよな」
「右も左もわからんし」
「・・でも信用して大丈夫か?少し歩いて国境の兵士にお願いするとか」
「あそこまで歩くのか?結構距離あるぞ」
「・・・彼を信用してみようよ。彼が俺たちに声をかけてくれたのに何か意味があるかもしれないじゃないか」
「マンガ脳だぞ、それ・・」
短い会議はすぐに終了する。
振り返ったのは優陽だ。被っていた帽子を取り、願いを口にする。
「すみません。もしよければ僕らを聖女さま・・いや、近くの町に連れて行っていただけないでしょうか」
彼は、にっこりと笑った。
「もちろんです。最初からそのつもりでしたよ。ああ、僕はリョーク・オオオノと言います。隣国から来たのでこの国には詳しくはありません」
「僕らはAzumashiというグループでシンガーをしています。えっと・・僕は優陽と言います」
優陽に続いて透、浩平、隼人、尚文と自己紹介をしていく。リョークは少し恥ずかし気に目線を下げると、意を決したように顔を上げた。
「シンガーというと歌歌いのことでしょうか。あの、僕も吟遊詩人という歌歌いの端くれなんです。もしよければ僕に歌をきかせてはくれないでしょうか」
5人は顔を見合わせて、秒で承諾した。
浩平が基準音を歌う。それに合わせて和音を重ねていく。ぶるるる、と優陽が唇を震わせ、頬の筋肉を動かす。透が低い音を確認するように和音に重ねた。
歌うのは、アンコールで歌うつもりだった曲だ。目線で優陽が合図を送る。声だけの音楽が広がる。
彼らはアカペラグループだ。5人いれば音楽はどこでもできる。重なる和音、支える低音、リズム。彩を添えるパーカッション。多彩な色彩を口だけで奏でる。
初めはぽかんとしていたリョークだったが、だんだんと体勢が前のめりになってくる。多彩な音を発する優陽の口元をまじまじと見て、低い音を出すたびに下がる透ののどぼとけに驚愕し、尚文、浩平、隼人の三人の和音に聞きほれる。
歌が終わると、リョークは惜しみない拍手と賛辞を5人に向けた。
「素晴らしいです!音が重なるとあんなにも美しいなんて・・それを竪琴もなく声だけで・・この世界では聞いたことも見たこともない音楽でした。それに、優陽さんと透さんは口の中に楽器でも入っているのでしょうか・・?」
ぶふ、と隼人が噴き出す。
「いえ、僕のはヒューマンビートボックスって言って喉と唇と口、鼻を駆使して音を出しているんです。透のも似たようなもの、かな?」
「ヒューマン・・」
「ヒューマンビートボックス。いろんな音を出せるんですよ」
そう言って優陽はトランペットの音を出した。
「ほええ」
リョークが驚きおののく。
「リョークさんも吟遊詩人・・歌を歌う人なんでしょ?一曲きかせてください」
隼人の言葉にリョークは、ずん、という音が聞こえるように落ち込んだ。
「・・まずは街に向けて出発しましょうか。僕の歌はおいおい・・」
あまりの落ち込みように、隼人もそれ以上なにも言えなかった。
そして5人はおののく。この先への移動はすべて徒歩。そして、町までは夕方までかかるであろうということをリョークから告げられたからだ。
太陽は真上から少しずれた位置。時間にしたら大体午後1時というところだろう。ここから、夕方まで歩く・・。タクシーはないのか、と5人はどうしようもないことを考える。
しかし、リョークにとってその距離は大したことのないらしい。では、行きますか、気負いなく歩き始める。
5人は、愕然としながらもその背中を追った。
誤字報告ありがとうございます。