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1-2 呼び出し

 美少女に変身するという珍事を経験したにも関わらず、翌日千秋は元の男子の姿で普段通りに授業を受けていた。あの後、変身は千秋の意思によって解除できるということが判明したからである。ときおりネット小説を読む千秋はこのような異性への変身を指す用語のようなものの存在を知っていた。昼休みを迎えると彼はスマホでそのジャンル名を調べた。


「TSというのか……」


 空谷千秋は男と女の体を行き来できるTS能力者いうことになるらしい。と言ってもあれ以来変身はしていない。変身には痛みがともなったし、異なる人間の姿に変身することは面白い一方でどこか恐ろしかったからだ。しかし一方で年頃の男としての心はあのかわいらしい姿をもう一度見たいという欲求を感じていた。


「2年A組、空谷千秋君。急ぎ、生徒会室にお越しくださいな」


 悶々としていた千秋は自分の名前を呼ばれて我に帰り、慌てて教室を後にした。

 生徒会室までの道を早歩きしながら、千秋は先ほどの放送について考えをめぐらせていた。あの上品さを感じさせる声は間違いなく悪名高き生徒会長、東雲麻耶(しののめまや)のそれだった。

 可憐なお嬢様であり、高校最大の権力者。理事長を父親に持ち、予算の許可権を通じて全ての部活を支配下に置いているという彼女は非常な男嫌いで有名だった。そんな東雲会長に何の取り柄もない男である自分がわざわざ呼び出されるとは、よほどのことがあるに違いなかった。千秋はカバンの底でゴミと化している赤点のテストのことを思い出した。とうとう留年か?最悪退学ということも……

 しかし、彼女の用件は千秋の想定していた最悪よりもさらに悪いものだったのである。




「もう一回言ってもらえません?」


 千秋の前で椅子に座っている東雲会長はお人形のような印象を与えるお嬢様だ。ゆるいウェーブのかかった茶髪は染めたのではないかと疑われかねないシロモノだが、イギリス人の母を持つという彼女にはとても自然にマッチしていた。そんな東雲から飛び出た想定外の発言を受け、千秋はまず己の耳を疑った。


「私の男嫌いはご存知でしょう?正直こうして話しているだけでも気分が悪くなるの。だからね、千秋さん。まずは女の子の姿に変身してくださいな」


「何のことだか——」


「無駄口は不要ですわ。わたくし、見てましたもの」


 彼女の指差す窓を覗くと、そこからは泉がよく見えた。昨日の一部始終は観察されていたらしい。言い逃れはできない。変身するしかないようだ。


「ふっ……くぅ……」


 千秋の意思をトリガーとして変身は始まった。数秒ののち、生徒会室には黒髪の美少女が出現していた。魔法少女もののアニメよろしく衣装まで変わるわけでもないので、服装は学ランのままだった。


「ご要望の通りにしましたけれど、もう帰っていいです?」


「……」


 東雲は無言で椅子から立ち上がり、千秋の方に近づいてくる。


「あの……」


 千秋はとうとう東雲の両手で頬を挟まれてしまった。顔をそらすこともできず、至近距離で明るい茶色の瞳を覗きこんだ。美少女にスキンシップを取られているのに、なぜか興奮する前にどことなく恐怖を感じた。


「……か」


 呆然とした様子の東雲はとうとう口を開いた。


「か?」


「かわいいわ……あなた、一ヶ月後の選択の時には男でなく、女を選びなさい」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。一ヶ月後?選択?話が見えてこないのですけれど……」


 東雲はキリリと表情をひきしめた。


「あら、わたくしとしたことが説明がまだでしたわね。どこから話したものでしょうか」


「そもそも、あの泉は何なんです?会長は泉の力について知っていたようですが」


「あの泉はこの学園の敷地と同様に我が家の所有物です。しかしわかっていることも限られていて、この状況について確かなことは二つだけしかありません」


 東雲の語ったことは次の二つだ。

 一つ。千秋は不安定な状態にあって危険であるから、もう一度泉の力を使って性別を固定しなければならないこと。

 二つ。次に泉を使えるのは早くとも一ヶ月後になること。


「そんなに危険ですかね、この能力は」


「肉体をつくりかえるほどの変身能力など人間に制御できるものではありませんわ。今は良くてもそのうちコントロールできなくなって日常生活の中でふとした拍子に変身しかねませんわよ」


 千秋は想像をめぐらせた。会話中に変身能力が暴発してしまったらどうなるだろうか。今まで話していた相手の肉体が突然変形して別の人のものになったら、男か女か以前に人間かどうかを疑われるに違いなかった。


「わかりました。一ヶ月の間普通に生活して、その後泉に変身能力を返せばいいのですね。アドバイスありがとうございました。では、僕はこれで」


 背を向けてその場を後にしようとする千秋の肩に東雲は後ろから手を乗せた。


「まだ話は終わっていないわ。空谷君。せっかくこんな美少女の姿に変身できるのだから少しくらい体験してみない?女の子の生活というものをねぇ……」


 東雲は話しながら肩に置いた手を動かし、千秋の体をまさぐり始めた。


「ちょ、やめっ——」


「すばらしいプロポーションだわ。この体に女の子の服を着せないなんてもったいないとは思わない?」


「そりゃそうかもしれないですけど、自分が着るのはちょっと……」


 千秋の抵抗を見るや、東雲は手を離してデスクから一枚の書類を取り出した。


「こうしましょう。ここにあなたの成績データがあるわ。このままだと間違いなく留年ね。この一ヶ月わたくしに女の子として付き合ってくれるなら何とかしてあげる」


 願ってもない提案を受け、千秋の心は揺れた。考えてみれば、提案を受けたとしてやらされることはせいぜい女物の服を着たり、メイクをしたりといった程度だろう。後で男に戻れば何も問題はないじゃないか——


「そんなことして大丈夫なんですか?」


「わたくしを誰だと思っているのかしら。生徒一人の成績データ程度、どうとでもなりますわ。あなたに迷惑のかかることなどありえません」


 一人暮らしの貧乏学生である千秋にとって留年は何としても避けるべきことだった。


「……やります」


 留年回避のためなら悪魔に魂を売り渡しても構わない。千秋の返事を聞いて東雲は初めて笑顔を見せた。


「ふふ。じゃあさっそく手ほどきしてあげましょう。いらっしゃい」


 東雲が何か操作すると書類棚がスルスルとスライドし、その後ろにある隠しドアがあらわになった。ドアを開き、隠し部屋の中から妖しく手招きをする東雲の姿はまさしく可憐な悪魔。もしかして早まったかな?千秋は軽々しく約束したことを後悔し始めていた。

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