トム・デークス
俺と茜さんは今青森行きの新幹線の中にいる。帰省ラッシュが始まるお盆前の平日のグリーン車ということで周りに人はほとんどいない。ちなみにグリーン車乗車代金も経費に入っている。そうでなければケチな伯父がグリーン車で行くことを許すはずがない。
車内にいるのは俺たち以外に四人。その内二人はもちろん戸田さんと園山さん。戸田さんたちは一番前の座席に座っている。
俺は窓際の席でぼんやりと窓の外を見ていた。流れゆく景色。のどかな田園風景が広がっている。青々とした稲穂が揺れる様は平和そのものだ。この平和な世界で俺たち以外の誰が宇宙人の存在を信じているというのだろう。
そんなことを考えていた時だ。
「こんにちは。」
突然隣に座っている茜さんがにこやかに挨拶をした。茜さんの視線の先には・・・誰もいない。通路があるだけだ。
はぁ・・・俺は一つため息をついた。茜さんは見える人だ。茜さんと行動を共にしていると度々こんな場面に出くわす。
「いるんですか?そこに。」
俺が恐る恐る尋ねると茜さんはにっこりとほほ笑み
「えぇ、すぐ目の前に立っているわ。若い女の人よ。」
「えぇー!?」
俺はおののいた。度々こんな目に合うがいっこうに慣れない。いっそ見えた方がそういうものに慣れるのが早いのでは?と思うほどだ。茜さんは、びびっている俺を見てこれまた小さな子供を労わるような優しい目で
「怖がることはないわよ。彼女は成仏したくて私のところへ来たの。私たちに危害を加えるつもりは全然ないから安心して。」
「はぁ・・・そうですか。」
見えない以上、茜さんのいう事を信じるしかない。
茜さんは誰もいない空間に向き直り静かに話しかけた。
「それであなたは大丈夫なの?この世に未練はないの?」
もちろん誰も答えない。沈黙が漂うだけ。それなのに茜さんは一人納得したような顔で
「そう、それなら大丈夫ね。良かったわね。」
聖母のような包容力のある眼差しで言った。はたから見ればひとりごとを言っているようにしか見えない。俺は茜さんにそっと聞き返した。
「大丈夫って何がですか?」
すると茜さんは左斜め前の席を指差し
「ほら、あそこに座っている小さな女の子。あの子の母親が今、目の前にいる人なの。残してきた幼い娘さんと旦那さんのことが心配で今までなかなか成仏できずにいたのだけどようやく旦那さんが妻を亡くしたショックから立ち直りしっかりと娘さんの面倒を見ているので安心したそうよ。見届けたので天国に行きたいと言っているわ。」
俺は茜さんの指差す方を見た。小さな女の子が隣に座っている男性と楽しそうとおしゃべりをしている。ちょっとだけ見える男性の後頭部、まだ若そうだ。しかし手慣れた様子で娘をあやしている。俺はそれをみて心がほっこりした。あの男の人は妻を、女の子はお母さんを亡くしたのだろう。それはとても悲しく辛い出来事だったはず。でもこうやって悲しみを乗り越えたくましく慎ましく生きているのだ。
「天国に送ってあげる。でもここではなんだからデッキに行きましょう。」
茜さんはそう言うとすうっと立ち上がりデッキに向かった。その後を霊がついていく、多分。俺には見えないから想像だが。
茜さんがデッキに立ってから五分が過ぎた。俺はひたすら茜さんが戻ってくるのを待った。それからまた一分ぐらい経ってようやく茜さんが戻ってきた。
「お待たせ。」
「もう済んだの?」
「えぇ。この世に未練がない霊だからすんなりと天国に旅立っていったわ。もともと私が助けなくてもじきに自分で天国に行けたぐらいよ。だからあっという間。」
茜さんはほっとしたようにため息をついた。
茜さんが行っている成仏のさせ方、それはなにやら怪しい呪文を唱えながら何やら指で文字を描き、内に秘めたるもの凄い霊力を放出させるというやり方。その霊力の凄さは俺には見えないがもの凄いものだということだけは分かる、なんとなく雰囲気で。
今、あなた鼻で笑いましたね?ええそうですよ、どうせ俺には見えませんよ。凡人ですから。
茜さんの一仕事が終わりほっと一息ついた時だ。背の高い一人の男がやってきて俺たちの前の座席に座った。金髪の頭部が座席の上に頭一つ飛び出している。どうやら外国人のようだ。だが俺はそれ以上のことは気にも留めず窓の外へ視線を移した。
「いいものを見させていただきました。」
突然の男の声。前の席の外国人の声だ。しかも流ちょうな日本語。
驚いて金髪を見やった瞬間、前の座席が突然百八十度回転した。外国人と正面から向き合う。体格の良い体にこれまたグレーのスーツが決まっている。俺はあまりに突然のことに一瞬にして固まってしまった。
座を回転させる時の無駄のない洗練された動き、訓練されたかのような身のこなし、何より鋭い視線が自分は只者ではありませんと自己紹介している。目は口ほどにものをいうとはこのことだ。俺を取り囲む小さい世界が一瞬にして変わった。張り詰める空気。
「あの・・・。」
びびったダンゴ虫のように身を縮こませた俺だがなんとか声は出せた。
そのなのに茜さんときたらダンゴ虫の俺をよそに涼しげな顔で
「あら、あなた、先程おみかけしましたわね。」
ときたもんだ。
「覚えていてくださって光栄です。」
外国人はこれまた流ちょうな日本語で返してきた。
「だってたった十分ぐらい前にお会いしたばかりですもの。」
「茜さん、この人と会ったことがあるの?」
俺が不思議に思い聞くと茜さんは悠然と答えた。
「さっきデッキに出た時にこの方と目が合ったのよ。隣の車両の一番前に座っていたわ。」
俺は外国人を凝視した。わざわざ挨拶にくるということは戸田さんの知り合いだろう。それとも茜さんの成仏させ現場を偶然目撃して感激して報告しにきてくれただけか?
答えは前者だった。
いつの間にか戸田さんがやってきて目の前の外国人の隣に座った、それもごく当たり前のように。俺はちらっと園山さんを見たが園山さんは変わらずに一番前の座席で新聞を広げている。しかし俺には分かる。園山さんは新聞を読んでいない。読むふりをしてこちらの動向を窺っている。背中に目がついていると思わせる空気を存分に漂わせていた。実に恐ろしい世界だ。
それに目の前にいる外国人はおそらくNASAの人かFBIの人。隙のない身のこなしから察するとFBIか。まるで映画の世界に飛び込んだようだ。
すっかり恐縮しあたふたする俺を見て戸田さんは
「そう緊張することはないですよ。この人はトム。僕の友人です。」
「初めまして。トム・デークスです。よろしく。」
トムは和やかに自己紹介すると握手を求めてきた。俺は素直にその手を握ったがトムの握力はすごかった。別にトムは締め付けようとしてはないが握っただけで相手の力強さは分かるというものだ。トムは次に茜さんにも握手を求めた。快くそれに応じる茜さん、しかも余裕のスマイル付きで。茜さんはまるで平然としている。女は度胸というが本当そうだ。いざとなったら男よりもはるかに度胸が据わっている。
「実に早い到着ですね。いつ日本に来られたのですか?」
茜さんが物おじせずにトムに聞いた。
「私は日本に住んでいるのですぐに直哉の元に駆けつけることが出来ました。日本で地球外生物に出会う事が出来るなんて日本に住んでいて良かったです。」
ガタイに似合わない当たりの柔らかい笑顔でトムは答えた。なるほど日本に住んでいるから日本語が上手なわけね。というか日本がスパイ天国だということをいまさらながら実感しました、はい。
しかし一番初めは怖かったけどよく見たら気の良さそうな人だな。この人がFBIとは驚きだ。というか俺、さっきからトムのことをFBIと決めつけているけど実は戸田さんの英会話教室の先生とかか?NASAの人という可能性もありうるけど、いずれにせよどちら方面の方ですか?と聞いても答えてくれなさそうだからやめとこう。こういうのって国家機密とかなんだろうし。
俺が一人であぁでもないこうでもないと考えていると戸田さんが鞄の中からごぞごそと何やら取り出した。
「あなたたちに渡しておきたいものがあります。」
「なんですか、これは。」
俺は興味津々で渡されたものを見つめた。これは見覚えがあるぞ。確か・・・
「放射能測定器です。」
やっぱり。宇宙から降ってきた隕石には放射能が含まれているから素手で触るなと聞いたことがある。でもそうなるとやっぱり俺たちにこなせる仕事ではないです。
「この測定器はかなり精密なものなので粗末に扱わないでくださいね。測定器が警告音を鳴らしたらただちにその場から離れて下さい。例えもう少しで宇宙人の正体が分かるという時でも構わずに一目散にその場から逃げて下さい。」
戸田さんの言い聞かせるような低い声で俺の中に緊張が走った。というか素人をそんな危険な目に合わせるってどうよ?それこそ警察や自衛隊の出番ではないの?って警察や自衛隊に申し訳ないけど。
俺は怪訝に思い眉をしかめた。それを敏感に察知したトムが
「本当はその役目は我々が背負うのが筋だと思うのですが残念ながら我々にはそれが出来ない。」
「なぜですか?」
「我々では宇宙人に警戒されてしまうからです。」
そういうことなら戸田さんからも聞いたけどね。
「あぁ、それってエリア51の宇宙人に聞いたんですよね。」
俺は何気なく言った。だって戸田さんが暗にそう言ってたし。だが俺のこの言葉を聞いた途端トムの様子が変わった。トムの目の奥が怪しくギラリと光り、全身で俺の思考を読み取ろうとしている。殺気が俺を貫く。トムの研ぎ澄まされた鋭さを目の前にして俺は一瞬にして後悔した。言うんじゃなかった・・・。殺される。
だがそこで戸田さんが助け舟を出してくれた。
「トム、そのことを太郎君に話したのは僕だ。太郎君は何も悪くない。話のなりゆき上、話さざる得なかった。それに太郎君は未確認物体に対する偏見はないしその存在を否定もしていない。太郎君も轟さんもすべてを受け止めている。警戒するには及ばないよ、トム。」
トムは友人である戸田さんの言葉を信用したのかとたんに柔らかな表情に戻った。
「すまなかったね、太郎君。」
トムは申し訳なさそうに謝った。目の前にいるのは気のいいフレンドリーな金髪蒼目。
「いいえ。」
うん、でももう騙されない。この人はやっぱり軍人だ。さっきの殺気を見たら分かる。
余計なことを言ったら次の瞬間あの世行きだ。
「まぁでもエリアなんとかのことは都市伝説みたいに世界に広まってるから今更隠すことでもないんだけどね。」
トムはそう言って豪快に笑った。自分からその話題に触れちゃってますけどいいんですか。
「それともう一つ渡すものがあります。」
戸田さんはまた鞄の中に手をやり何やら取り出した。それをおもむろに俺たちに渡し
「無線機です。我々は自販機には近づけません。勘付かれてしまいますから。それなので遠くからあなたたちを見守りますので何かあったらその無線機で知らせて下さい。すぐに我々が駆けつけますので。」
「無線機で知らせたところで間に合いますか?相手は宇宙人ですよ。」
茜さんが俺が聞きたいことを聞いてくれた。
「出来るだけ迅速に対処しますのでご安心を。」
戸田さんは自信満々に言うがなにを根拠に安心しろというのだろう。俺は何気なく戸田さんの鞄の中を見た。鞄の口が開いていて中身がちょこっとだけ見える。
そこにあったのは双眼鏡、それも軍事用のだ。以前、ミリタリーヲタクの友人からそれによく似た双眼鏡を見せてもらったことがある。あれはバッタもんだろうけど戸田さんが持っているのは本物だ。友人が見たら喜びのあまりちびるんじゃないか?まぁそれは置いといてその双眼鏡で俺たちの動向を監視しているというわけね。
「あぁ、一つ忠告しておきますが無線機のチューニングは絶対に弄らないでください。政府専用の周波数に合わせてあるのでチューニングがずれると通信出来なくなります。」
「政府専用って・・・。」
俺はまじまじと手元の無線機を見た。政府専用の周波数ってあるのかよ。日本の平和ってこうやって守られているんだな。魑魅魍魎の恐ろしい世界だ。知らない方が幸せってもんだな。俺の気持ちを知ってか知らないでかトムはニコッと意味ありげに微笑み
「興味が出てきたらいつでもおいで。歓迎するよ。」
「いいえ、結構です。」
俺は丁重にお断りした。