藤吉の日常
うちは、高校一年から東京に引っ越してきた岡山の人間だ。方言は治らないし、どことなく冷たい雰囲気の人ばかりで学校へ行くのが憂鬱だった。そんなとき、ある喫茶店を見つけた。
「喫茶店あの日...?」
少し路地を奥に進んだところにある古風な建物。コンクリートで建てられた家の中に木組みの建物はどこか異質で、懐かしさを感じた。
「すいませーん...」
恐る恐る中へ入ってみると、眼鏡をした白髪のおばあちゃんが座っていた。
「あぁ、いらっしゃい。どこでも座って」
目尻の皺をくしゃっとして優しく笑ってくれた。こじんまりとした店の中にはカウンター席が5つと、テーブル席が4つある。窓際には丸いテーブルとソファで、二つある席の片方はスーツ姿のサラリーマンが座っていた。
とりあえず窓際のもう一つの席に腰掛け、おばあちゃんが渡してくれるメニューを見る。どのメニューも手書きで、値段は修正された後はないのにずっと古い紙に思えた。
ーここは値段を変えない努力をしてるんだな。
そういえば岡山にもこんなカフェがあった気がする、と懐かしさに浸りながらメニューを読む。
「あの、カフェオレとバニラアイスください」
緊張気味に言うとかしこまりました、とキッチンの中へ入っていった。
カチャカチャと準備してくれる音と店内に流れるクラシック音楽が心地良い。ソファもふわふわで、全てが包み込まれている気持ちになった。
うとうとしていると二つとも運ばれてきてあまりのいい香りに目を見開く。
「お待たせしました。カフェオレはシロップがいるかい?」
正直カフェオレを飲んだことがない。でも甘いと聞いたことがあるのでと思い、大丈夫ですと伝えた。
すぐに後悔した。
そもそも苦いのが得意ではないのに頼むべきではなかった。
ーこれ、飲めないくらい苦い!
涙目になりつつ、バニラアイスを口に入れる。甘い。苦さが和らいでようやく涙も引っ込んだ。
なんとか工夫してバニラアイスを口に入れたのちにカフェオレを含むことにする。
冷たいバニラと熱いカフェオレ、甘いアイスと苦いカフェオレ。二つが口の中でゆっくり解ける。あまりの美味しさに思わず顔が綻んだときだった。
「今時の若い子も、こんな老いぼれの喫茶店に来てくれるんやなぁ」
嬉しそうにおばあちゃんが溢す。
「いえ、すごく懐かしい雰囲気を感じたけん、思わず寄ってしもうたんですよ」
うちも温かい気持ちになりながら返す。
「えらい方言強いんやなぁ。どこ出身なん?」
向かいの席に座っているサラリーマンに問いかけられる。
「岡山で、一年ぐらい前から東京きてるんですけど、全然方言治らんくて」
少し笑いながら言うと二人とも声を出して笑う。
「俺なんかもう20年くらいになるけど、こんなんやで!俺は大阪やけど、方言くらいしかもうなんも大阪人っぽいとこないねん」
大きく口を開けて笑うサラリーマンに怯えつつ、おばあちゃんを見る。
「あたしも18そこらでここに嫁いできたけど、直る気なんかせんし直そうとも思わんわ!こんな歳にもなったら生きるだけで必死じゃけぇの」
おばあちゃんもきっと岡山だろうな、と気づくと自然とうちも笑っていた。
「嬢ちゃんかわええからすぐ馴染むで!友達おらん口やろ。入ってきた時からそんな不安そうな顔しとったら嫌でもわかるわ」
若干失礼だが、目は優しかった。その優しさに今まで我慢してきた不安が溢れ出して涙も出てきてしまう。
「大方方言気にして自分出せんかったんじゃろ。でも東京だって方言ばっかなんよ。むしろ方言混じりくらいが一番魅力的じゃけ、自信持って話しかけに行き」
おばあちゃんがうちの頭を撫でる。本当のおばあちゃんのようで、初めて東京に来て安心できた瞬間だった。
憂鬱な席替え。誰ともほとんど話したことがないのに
また落ち着いた環境が変わるなんて。
引いた席は、窓際から二列目、出席番号の時とそう変わらない場所。後ろから2番目だったのが前から3番目になっただけ。後ろの人は出席番号の時隣の席だった桃園さん。
ー自信持って話しかけに行き。
その言葉を思い出す。ごくりと唾を飲んで振り返った。
「あー、桃園さんまた席近いね」
ようやく話しかけることができた。
「うちのことゆずって呼んで。うちはももって呼ぶから」
桃園さんとは意外にもすぐに打ち解けた。うちが付けてたキーホルダーのこと、アニメ好きなこと。
東京に来て、初めての友達だった。
「あぁ、いらっしゃい。今日はお友達も一緒なのね。好きな席に座ってちょうだい」
一歩踏み出す勇気をくれた喫茶店。とても良い香りと静かなクラシックが流れる素敵な場所。
今日はサラリーマンさんはいないけど、いつかお礼を言いたいと思っている。
「すいません、私は抹茶あんみつをお願いします」
「うちは...」
苦い香りと、甘い味。うちは懲りもせずこれを注文する。
「カフェオレとバニラアイスをお願いします」