幕間:双従者の邂逅・戦端
その視線に気が付いたのは、ある意味当然と言えた。お嬢様に向けられた敵意。そこまで濃くは無く、香らせる程度。子供はまず気付かないそれに、私は敏感に反応できた。
お嬢様に目線を向ける。フレンチトーストの三枚目に、手を伸ばされていた。
「……申し訳ありません、少し、失礼いたします……あそこか」
周辺を見回し、見つけたのは食堂の外。窓の縁から見えた、黒い影。というより、黒一色の姿。ここまで黒いと、逆に見つけやすい程。しかし、その姿は、私が視線を向けたその直後、陰に消えた。
「っ、逃がすものか……!」
出来るだけ音を立てず、食堂を抜け、入り口へ。この場所の構造は把握しきれていないが、食堂から外へ離脱する最短の道だけなら、最低限確認している。
「入り口から……右へ……こっちは」
見えてきた廊下、いや、通路。外との仕切りが無い屋根だけの通路。両脇の庭を眺める為だろうそれが、今はありがたい。
「確かこっちに……っ!」
見つけた。黒い男。上から下まで、衣服は全て黒い。そして、朱い色の目。アレがお嬢様を睨みつけていた。間違いない、さっきの不審者だ。
「貴様。先ほどお嬢様に向けていた視線、なんのつもりだ。答えろ」
「……勘が良いな、犬」
声は、酷く凪いでいる。こちらにまるで興味が無いようだ。その不遜な態度が、酷く癇に障った。我が主人に敵意を向けておいて、まるで罪悪感というものが無い。
「質問に答えろ貴様。それとも、答えるつもりはないと取っていいのか? ならば、最早聞く事なしと切り捨てられても構わない、という事か?」
腰の剣に手を掛けた。この学び舎において、普通は帯剣は許されていないが、私は旦那様の手回しで許されている。それは、こういう時の為にこそ、だ。
「私は、学園に入り込んだ不審者に応戦する権利が与えられている」
「不審者、か。狭い目線だな」
事ここに至って尚、男は平坦そのものだった。不気味。しかしそれだけではない。男はただ立っているだけだが、それでも踏み込んで斬り倒せるイメージが見えない事に、今気が付いた。
「……何者だ。唯の不審者とは思えん」
「ふん、目線は狭いが、勘だけは中々だ。力の差を理解しているようだな」
……そして、コレだ。先ほどから、此方と会話している、という印象を受けない。まるで一人きりで、想像上の誰かと話しているかのようで。
いや、もう考えるな。今は、この男を排除するのに、全霊を注げ。
「……いいか貴様。もう一度言う、目的を言え。この勧告を無視したなら」
「――剣は抜くな、お前の為にはならん」
「俺の為になるかなど知るか。万が一、億が一、お嬢様に害が及ぶ可能性があるのであれば、剣を抜くのに躊躇いなどない」
どうやら俺の言葉を聞くつもりはないらしい。ならば、躊躇うな。万が一勝ち目が無くてもいい。別に勝つ必要はない、俺が暴れれば、この寮の警備兵も駆けつけるだろう。その増援と力を合わせて抑えつければいい。
「……ここまで覚悟が決まっていると、いっそ面倒だな……分かった」
「なんだと?」
「目的を話していいと言っている。だから、いったん剣を収めろ」
……視線が、改めて此方に来た。今、初めてこの男は、俺に対して目線を向けた気がした。話すつもりになった、というのは、嘘ではないらしい。
「……いいだろう」
柄から手を、ゆっくり、しかしいつでも手を掛けられる位置に動かす。話を聞くにしても、警戒を完全に解くのは悪手だ。それに気が付いているのか、男は薄笑いすら浮かべている。
「ふ、全く余裕のない……まあいい、俺の目的、だったな」
「あぁ、そうだ」
「とあるお方の命令でな、あの、大公家の恥の様な、品の無いろくでなしの小娘から、お前を引き離すように言われているんだ」
――っ! しまった!
「まぁ、こうしてお前と話している時点で、注意を向けさせることには成功しているという事だ。な、話しても大して意味は無かったろう?」
「くそっ」
そうだとしたら、こんな事している暇は無い。急げ、戻れ!
「――安心しろ、俺の主人は、貴様の主人を傷つけるつもりはない」
「……何?」
意外な言葉に、思わず、振り返ってしまった。
「本当か」
「本当さ。俺の主人は、あの小娘との因縁に、自分の手で決着を付けたいだけらしいからな。全く、付き合わされる俺の身にもなってほしいものだ」
……その特徴で、雇い主が誰かは、なんとなく分かった。恐らくは、昨日お嬢様に宣戦布告した、あの少女ではないのだろうか。
「ふふ、だから今は落ち着け。それに、あんな女をそこまでして守らなくても」
「……先ほどから、好き勝手言ってくれるな」
とはいえ、こうやって止まれたのは良かった。感謝してもいい。大切な事を言い忘れてしまっていたのだから。この、無礼者に。
「お嬢様は悪辣でも、下品でもない。その辺りは訂正して貰おうか」
「……事実じゃないか?」
「いいや。お嬢様は、アメリアお嬢様やアレウス様も良く慕う、大公家の星。大公家の恥だなどと、誰も考えていない。オレも含めて、な」
「なんだと?」
挑発のつもりだったんだろうが、それは悪手だった。
「貴様は俺の逆鱗に触れた。いつかその言葉を吐いたこと、後悔させてやろう」
言うだけ言った。急いでお嬢様の元へ戻らねば……彼奴の事は……伏せていよう。別にお嬢様の機嫌を損ねるような事を、態々いう必要もあるまい。
「メタリアがアメリアに慕われてる……アレウスにも……? おかしいだろ、そんな訳がないだろう、だって、あのメタリアなんだぞ……」
学園編もう一つの激突、スタート。