7話
魔王セレニア――否、女神セレニアの信仰力を高める。
求心力を失いつつあるとはいえ、英雄アスラへの信仰が強いこの国では難しい。
セレニアの名誉回復運動など、下手に始めようものならば神敵認定され、たちまちのうちに徹底的に叩きのめされるだろう。
肉体的にか、社会的にか、あるいはその両方かは分からないが。
国中を敵に回せば、一流半の冒険者では何もできない。
雑魚信者の数人、いや数十人ならば襲われたところで返り討ちにできるだろうが、一流の――本物の強者を送られればそれで終わり。
あるいは、数にものを言わせた圧倒的な戦力で襲われれば、それで終わり。
魔力も体力も底をつき、終わりだ。
本物の一流や超一流であれば、そこから逆転する事も可能かもしれないが、一流半冒険者にそんな事は不可能だ。
(なら、現実的な案といえば)
ふと、この国とその周辺の地図を見る。
隣国・オーディン帝国。
かつて神聖アスラ王国から離脱し、アスラ王国と抗戦を続ける国。領地こそ、神聖王国の半分以下だが、その強力な軍勢で幾度も神聖王国の討伐軍を敵対し、遂には独立を勝ち取った国だ。
その歴史背景から、反アスラ思想が強い。
(オーディン帝国で活動して、セレニアの信仰力を集める、か)
もしセレニアの信仰力を集める方法といえば、これが――この一流半冒険者の自分が――とれる手段としては最善な気がする。
だが、何といってもオーディン帝国は事実上の敵国。
アスラ王国からオーディン帝国に移住したものもいるにはいるが、やむをえない事情があって逃亡同然で出て行ったものがほとんどだ。
曲がりなりにも、安定した生活基盤のあるものがとるべき行動ではない。
(確かに、親父が亡くなって、家族はいない。恋人もいないが)
兄のドーカスとは不仲――というか、事実上の手切れ金のような形で黄金像を押し付けられた。
恋仲だった相手も過去にはいたが、今は一人だ。
当然、子供もいない。
他国に行くのに障害はない。
だが、仮にも生まれ育ち、それなりに思い入れのあるこの国を出ようとなると話は別だ。
行った事もない、外国――それも、アスラ王国の敵国ともいうべき――に行くなど。
それも、信仰力を集めるなど、どれだけ時間がかかるか分からない。
旅行感覚でなど不可能、下手をすれば年単位で時間がかかるだろう。
(――さて)
今は物言わぬ存在となった美しい少女の姿をした黄金像を見る。
自分はこの女神様の為にそこまでできるのか――少なくとも、即断はできそうになかった。
その時、鈴のような音が屋敷に響く。
玄関前にある、特殊な魔法を用いた呼び鈴だ。
これさえあれば来訪者がすぐにでも! と熱心な売り込みにより購入したものだ。
まあ、何だかんだで役に立つ事が多く、いい買い物をしたと思っている。
「誰だ?」
だが、来訪者の心当たりはない。
本来、玄関前に来訪者の姿を映し出す魔法の水晶玉のようなものあるのだが、それは呼び鈴よりもかなり高い。
一流冒険者になればいつかは――などと思っていたが、今となっては買う気になれない。
そんな事を思いながら、玄関に赴く。
「何だ、マイクか」
「何だとはご挨拶だな」
来訪者の存在を知り、アポロは疑問が氷解する。
隣人で友人のマイクであれば、特に用件がなくても時間にも関係なく来訪する事が多々あった。
「それで何の用だ?」
「いや、今日は東の山の探索に行くはずだったんだが、パーティのうち三人がキャンセルしてな。今の人数じゃあ、依頼の達成は無理そうなんで、先延ばしにして今日は休みにしたんだ」
それで、と酒の入った瓶を取り出す。
「せっかく何でお前と飲もうと思ってな」
「それは別に構わないが……」
「あ、依頼なら別に急ぎじゃないから心配するな。一日や二日伸びたところでどうって事ない」
セレニアの件にしても、すぐにどうこうという問題ではない。
だが、問題はマイクの態度にあった。
こういって、必要以上に言い訳のような言葉を並び立てる時、何かを隠している時だ。
しかし、悪意を持って何か仕出かすような男ではない。
不審に思いつつも、来客用の部屋に招いた。
「何かつまみぐらい出すぞ?」
「ああ、頼む」
肴になりそうなものをいくらか選び、来客室に運ぶ。
マイクも、この部屋のどこに何があるかは分かっている。グラスを勝手に出しており、そこに赤色の酒を注いでいた。
「いい酒が手に入ってな。年代物だ」
酒にはあまり詳しくないが、嫌いでもない。
口に含むが、確かに美味い酒だとは思うが、どれくらい貴重なのかはよく分からない。
「美味いな」
それでも、酒を持ってきた相手への礼儀として、それくらいは答える。
「そ、そうか。良かった」
自分のグラスにも注ぐ。
やはり、何やら歯切れが悪い。
何かを切り出したいが、うまくいかない。そんな様子だ。
仕方がないので助け船を出そうかと迷っていた時、
「あー、それにしても困るよな。あいつら直前になってキャンセルするとか言い出すんだから」
「お前らの冒険者仲間の事か?」
冒険者というのは、パーティにもよるが、大体が4~6人構成であり、これくらいがバランスが最も良いと言われていた。
マイクのパーティは5人。
つまり、半分以上がキャンセルした事になる。
「ああ、何でもオーディン帝国に潜入しての情報収集だってよ」
冒険者の仕事は、未知の場所、あるいは危険な場所やそこに生息するモンスターの調査。
あるいは、そういった場所にある薬品などといった貴重品の収集が主な仕事だ。
だが、国からの依頼で他国――特に不穏な関係にある――の調査などをする事も多い。
特に、抗戦中であるオーディン帝国などの依頼は今は多い。
もっとも、政治やら戦争やらに絡む事を嫌う冒険者は少なくない。
アポロもそうった者達の中に入る。
だからこそ、嫌がられたのだろう。
それに、マイクの仲間のうちの一人はオーディン帝国で揉め事を起こして亡命してきた者もいたはずだ。
「そうか、大変だな」
「まあ、最初は帝国領への潜入じゃなくて国境にある森の調査って話だったんだけど、急に帝国内への潜入に変えられてな」
「それで断ったのか」
「ああ、まあそれに何人かで組んでいるとこういう事はよくある事だ。誰だって受けたい依頼もあれば、受けたくない依頼もあるからな。互いにそういう事は強制しない事にしてるんだ」
そう言って酒を飲むマイク。
不自然に目がきょろきょろとしている。
何か話したそうだが、きっかけがない。そんな様子だ。
「ところで」
仕方がないのでこちらから切り出す事にした。
「何か俺に話があったんじゃないのか?」
「! あ、ああ」
マイクは一瞬、驚いたように目を見開くがやがて頷く。
「その、あー、アポロ。お前あの、アレな。実家から持ってきたっていうアレ」
「アレというと――アレか」
アレではわからない、と思ったが「実家から持ってきた」という部分で何の事かは分かった。
「黄金像か」
「ああ、魔王セレニアの黄金像だ」
「何か問題でもあったのか?」
マイクはあれがセレニア本人とは知らないはずだ。
魔王セレニアへの畏怖が強いこの国で、あの黄金像は悪趣味かもしれないが、法律には触れないはずだ。
「その、噂になっている」
「はあ?」
何せ数日前の出来事だ。
何故、それが既に噂になっているのだ。
「いや、あれをお前が家に運んでいるのを見たって奴がいたらしくてな。それで、その――」
「熱心な神聖教徒が神敵だとでも騒いでいるのか?」
「ま、まあ。この街にも神聖教徒は多いんだ。そういうのもいてな」
ぼそぼそと、最後の方は力が込められていない。
「その、もし良かったら何だが」
「どっかに売り払う、あるいは捨てろと?」
「――端的にいえばそうなる」
はあ、とため息交じりに言った。
「親父さん――公爵様の形見だか何だか知らないけど、処分した方が良い。あんなのを持っていたら、はっきり言って、お前さんの評判が悪くなる」
「そうか――」
マイクの話は理解した。
確かに魔王の黄金像を家に飾るだなんて悪趣味かもしれない。
国の重鎮である公爵だからこそ、許されていた事なのかもしれない。
一流半冒険者には許されない事なのかもしれにあ。
――だが。
「悪いけど、それは聞けない」
「――」
一瞬、マイクの顔が驚いたような悲しんだような複雑そうなものに変わる。
「アレは一応、親父の形見だっていうのもあるけど――それだけじゃなくて、結構気に入っているんだ」
すぐに外国に行くほどの決心がつけられるものではない。
だが、少なくとも、近所の悪評くらいで捨てられるようなものではない。
「――そうか」
ふう、とどこか諦めたようにマイクは息を吐く。
「すまないな。折角、忠告してくれたのに」
「いや、こっちも勝手な提案をしてすまなかった」
そう言って、マイクは酒を口に運ぶ。
無言で、アポロも酒を飲んだ。
結局、この日は酒を飲み交わしつつも、この話題にそれ以上、触れる事はなかった。