4話
あの黄金像の少女と話して二日と半日。
アポロのこの日の夕食は、住居地区にある居酒屋で摂る事にした。
居酒屋とはいっても、酒以外の食べ物も豊富にある。子連れの客も多い店だった。
既に時刻は夜の近い。
夕食というには少し遅く、日付が変わるまで、本格的に飲み始めようとするには少し早い。
そんな時間という事もあり、少し客席には空きがある。
「いらっしゃい、ってアポロじゃないか。一人か?」
声をかけたのは、この店の店主だ。
「ええ、いつものスープとパンを」
いつものスープというのは、この店特有のメニュー。
常連客の好みに合わせた肉や野菜といった具材のみを使った、特殊なスープだった。
それぞれの客好みの味に合わせてあり、美味というには微妙ではあるが、評判は良かった。
「すぐに帰りたいんで早めに頼みますよ、先輩」
「あいよ」
その言葉に店主は応じる。
先輩――といったように、この店主は元冒険者だった。冒険者としてのランクも最高でD。
新人時代はそれなりに面倒を見て貰っていたが、わずか数年で2ランクも上になった。
それでも面倒見の良いこの人物に好感を抱いており、ランクが上になってからも付き合いは続いた。
5年ほど前に冒険者を引退した事に驚きはしなかった。
彼には既に妻がおり、子も二人いた。冒険者は稼ぎが良いが、危険も多い。家族三人を支えるのであれば、命の危険のない仕事の方が良い。
Dというランクで続けるのでは、リスクの高さばかりが気になってしまうのだ。
冒険者時代の蓄えで居酒屋を始めたと聞いてから、常連となった。決して味は良いとはいえないが、店の雰囲気は悪くなく、それぞれの客に合わせた味付けが気にいっていた。
決して繁盛しているとは言い難いが、固定客は多かった。
話したことはないが、何度か見た顔がこの店には毎回いる。
「女か?」
「は?」
不意にそんな事を言われる。
続いて、肉や野菜の入ったスープの器とパンののった皿が前に置かれる。
「食事なんてとっとと済ませたいって顔してるぜ」
「そう見えますか?」
「ああ、見える。珍しいな、お前さんがそんな顔するなんて」
「……そんなに女と縁がなさそうに見えますか」
「ああ、そういう意味じゃねえよ」
店主が首を左右に振る。
「久々に目がキラキラしてやがる。まるで、何年も前のお前さんを見てる
みてえだ」
「キラキラ、ですか?」
「ああ、少年の目の輝きって奴さ」
店主の言葉にアポロは苦笑する。
「少年っていわれるような歳は、っとっくに過ぎてますって」
「身体の年齢なんて関係ねえよ。心の話さ。いっつもわくわくして、毎日を全力で楽しんでいるような心を持ってりゃいいのさ」
「そんな目を今してましたか?」
店主の言葉に応えながら、パンをちぎる。
「ここ数年じゃあ、すっかりご無沙汰だった目さ。Bランクに昇進してから2、3年経ったくらいからすっかり見る事ができなくなってたな」
「……そうですか」
何となく、店主の言う事も分かる。
国の危機を救うようなAランク――そんなところには自分は辿り着けないのではないか。
今の地位が限界。そう思えて来た時期だ。
「でも今は違ってみえますか」
「そうだ。女か、あるいは良い冒険話にでも見つけたのか知らねえがな。すっげえ明日を楽しみにベッドに入ったガキみてえな、童心ったぷりの目だ」
「……」
すぐに言葉を返さず、ちぎったパンを口に運ぶ。
楽しみにしてる、か。
確かに久々に自分はワクワクしているのかもしれない。
自分は歴史に名を遺すような存在ではない。
薄々とそれを理解して数年。
そんな中で、魔王セレニア。
そんな歴史に名を――悪名であっても――残した本人だと自称する相手とあえたのだ。
既に埋没しつつあった、純粋な気持ちが少しは戻って来ているのかもしれない。
「……」
無言のまま、スープを飲む。
そんなアポロを見て、店主は会話を打ち切りたがっていると思ったのかゆっくりと立ち上がった。
「ま、いいさ。お前さんは好きにやればいい。後悔しねえように、好き勝手にな。俺と違って、まだ冒険者なんだからよ」
――俺と違って。
その部分は、単に冒険者を引退した事ではなく、家庭を持っているか否かの違いも指しているのかもしれない。
唯一、仲が良かったといっていい父が亡くなり、不仲な腹違いの兄がいるのみの自分と、愛する家族のいるこの男は違う。
家族を持つこの店主は、好き勝手に生きる事はもう許されないのだ。
(あの魔王様――いや、女神様)
あの少女の黄金像が脳裏に蘇る。
自分は、これから何がしたいのか。
再び彼女と話せるようになって、何を話したいのか。
彼女は話したい事があるといっていた。
もし、厄介事に関わりたくないのであれば、放置するのが最善。
ようやく話す事ができる程度に回復できた――ということは、逆にいえばそれが現状では限界。
誰もいない、誰も来ないところにあの黄金像を置いておけば、面倒ごとに巻き込まれる事もない。
店主のように、平穏な生活を望むのであれば、それが良いのだろう。
だが。
(俺は、話してみたいのか)
あの女神を自称する少女に。
このときめきは、恋などといったものとは違うだろう。
何か、大きな冒険がはじまる――そんな、冒険者をはじめたばかりの少年時代に感じていたような胸の高鳴りなのだ。
(まだ、俺にそんな気持ちが残っていたとはな)
自分はここが限界だ。
金も名声もここらで十分だろう――そんな風に自分を無理矢理、満足させていたような日々。
このままいけば、それが終わる。
平坦で退屈ではあっても、安定した人並以上の生活を送れる日々。
だが、自分の気持ちはどうやら、そちらには足を背けたようだ。
「……よし」
アポロは椅子から立ち上がる。
すると、店主が声をかけた。
「今日は酒はやらずに、すぐ帰るんだろ」
「相変わらず察しが良いですね、先輩」
財布から金を取り出し、机に置く。
「おう。お前さんとも付き合いは長いからな。何をしてえのか知らねえが、後悔のねえようにな」
「分かってますよ」
そう答えると、店を出た。
入った時よりは暗くなってはいるが、まだ完全に夜にはなっていない。
もうすぐ、あの黄金像の少女と話してから三日が経つ。
再び話せるようになるのだ。
あの時、頼みたい事があるといっていた。
もし彼女が本当に女神であれ、魔王であれ、面倒ごとの可能性が高い。
だが、間違いなく今のこの平坦になった日常に変化が起きる。
そう思うと――店主の言葉を借りれば――少年の心ともいうべきものか、興奮をおさめる事ができなかった。