7.後ろ姿
「期限は一週間。それは君の期限だよ」
ダイは何一つ理解できなかった。いや、理解を拒んだというのが正しい。
ただ、自身の感覚として、少年の言う事が本当であるならば辻褄が合う、それは気付いていた。
昨夜の宴では、仲間との再会を喜び合い、再び三人で村のために尽力すると硬く誓い合った。
しかし、それが夢であったかのように、残酷にも運命は歩みを進める。
時は数時間前に遡る。
彼は身体を内側から引きちぎられるような痛みによって目を覚ます。動く事もままならず、ただひたすら枕を抱きしめ痛みが引くまでじっと耐えていた。
その時、幸運にも自室のドアを叩く者がいた。
「お兄ちゃん起きてる? 朝ごはんできてるよ。あと相談したい事が……」
妹のアルマがドアを開け目にしたのは、ひどく乱されたベッドの上で声にならぬ声で唸り、もがき苦しむ兄の姿だった。
「お兄ちゃんしっかりして!!」
その姿に気が動転し、アルマは大声を上げる。
声に気付いた旅の少年は音も無く走り寄り、だらだらと脂汗を流す彼の腹部に手を当て、魔力を込める。
するとダイの苦悶の表情はすっと消え、浅い呼吸も落ち着いたのだった。
「お兄ちゃんは大丈夫なんですか!?」
「とりあえず今はこれで大丈夫」
「よかった……」
「何度も助けていただきありがとうございます」
今まであまりの痛みに言葉も出なかったダイがが、それが嘘のように今では喋れるほどに回復していた。
その姿に安心したアルマは、気が抜けたのか床にへたり込んでいる。
「お兄ちゃん、朝ごはんは持ってくるからそのまま休んでて」
「いや、もう大丈夫だ。心配かけたな」
「でも……」
心配する妹に対し、平気な様子を見せ付けるように歩きだし部屋を出る。
その後ろ姿を見つめるアルマは、嫌な予感にさいなまれていた。
「本当に……大丈夫なんでしょうか……」
「さあ? 本人がそう言ってるならそうなんじゃない? 僕は痛みを止めただけだよ」
「……」
その返答に暗い顔をする少女。しかしその時、叫び声にも似た兄の声がこだます。
また何かあったのかと急いで駆けつければ、兄は尻餅をついて黒い物体を指差していた。
「おいアルマ! どういう事だ!?」
「なっ! なんでウチの中に狼がいるんだっ!?」
「あっ、その事を相談しようと思って」
「はぁっ!? ちょっと待て、近づいたら危な……」
「大丈夫だよ。とっても大人しい子だから」
彼女はなんのためらいもなく狼に近づき、その首元を撫でる。
狼も気持ちよさそうに「グルル……」と喉を鳴らす。
「この子はシュバルツ。僕と旅をしてたんだけど、泊めてもらったお礼にアルマへプレゼントしようと思ってね」
「えっ!? なんで狼をプレゼントに!?」
「あのねお兄ちゃん。お兄ちゃんが居ない時も番犬が居れば安心だし、寂しくないよねって」
「番犬!? 犬って大きさじゃないだろ!?」
「犬も狼も大差なくない?」
少年は不思議そうに言うが、その大きさはお座りしていてもアルマの身長と大差ない。もし狼が立てるなら、ダイですら見上げるほどの大きさだろう。
それを番犬とするには、大人しいとは言え、万一の事態が頭をよぎるのだ。
「ダメ……かな……?」
「うっ……」
しかし、幾多の死線を越えた彼であっても、妹の”お願い”には敵わなかった。
「大丈夫なんですよね……?」
「主と自身に危害を加えようとしない限りはね」
「……はぁ。信じましょう。アルマ、ちゃんと世話をするんだぞ」
「はーい。それじゃ、遅くなったけど朝ごはん食べようね」
「あぁ、そうだな」
彼もアルマも、新たな家族を向かえ、日常を取り戻そうとしていた。
その姿に、少年が寂しそうな表情を浮かべている事に、彼らは気付かなかった。
「この後、時間取れるかい?」
「えぇ、いいですよ」
彼は何の気無しに答えたが、これが彼の取り戻した日常を一変させることとなる。
村を守る柵をを超えれば、そこには苗木が整然と並ぶ植林場が広がる。林業を主産業とするこの村では見慣れた光景だ。
そこで少年はしゃがみ込み、苗木のひとつに語りかけるよう、その葉を撫でている。
呼び出しておいて、置いてけぼりな彼は促すよう語りかけた。
「俺に何か用があるんじゃないんですか」
「……要点だけ伝えるね。君はあと六日しか生きられない」
突然の宣告に、何を言い出したのか理解できない。
そんな彼に、少年は無慈悲なまでに淡々と話を続ける。
「簡単に説明するね。君の身体には魔物が巣食っている。それが出てくるのが、今から六日後だ」
「いきなり何の冗談ですか!」
「昨日言ったよね、期限は一週間。それは君の期限だよ」
「ちょっと待ってください! それは村の移転期限じゃなかったんですか!?」
「ある意味ではそうだよ。それが生まれれば、村は終わる。だから村の存続期限とも言えるね」
「意味が分かりません!」
「もし村でその魔物が生まれたならば、村の人間は……いや、人間は誰一人助からないだろう。けれど、それは君次第だ」
「そんな……」
この時、彼は思い出す。少年の『自身が戦う理由に反する存在となる可能性』という言葉。
村を脅かす存在になる事を、その時示唆していたのだと。
そして少年の行動の意味も……。
「貴方は最初から……最初から知っていたんですね?」
「……」
少年は何も言わず、ただ小さく頷く。
「方法は……何か方法はないんですか?」
「少なくとも今の人間の魔術や技術では、君が助かる道は無い」
村を守る、仲間を守る。そう言って戦ってきたけれど、結局何も守れなかった。
それどころか、村の人々を脅かす存在となってしまった……。
その事実は、彼に無力感と死期を悟るよりも大きな絶望を味あわせた。
それならば、それならばいっそ、闇深い洞窟で息絶えたほうがマシだった。
「なぜ貴方は……なぜあの時貴方は私を助けたのですか! 全てを分かっていながら!! 何故私を苦しめるのですか!!」
助けられた恩は怒りへと変わり、少年の胸ぐらを掴み上げた。
何の抵抗も見せず、少年は人形のように持ち上げられる。しかし、それでも無言を貫く。
その視線は、哀れみと悲しみの色を帯びていた。
「……申し訳ありません」
それに気付いた彼は、言葉と共に少年を下ろす。
そして、少年に悟られないようにうつむき、肩を震わせた。血が滲むほどに拳を握り締めながら。
次にでた言葉は、彼の諦観と悟りが紡がせたものだった。
「助からないのなら……この場で斬捨ててください……」
「それはできないよ」
「それは……その魔物が貴方よりも強いからですか」
「そうじゃない。それは僕がここに居る理由と相反するものだから」
少年の『僕はそんな風に割り切れない』その言葉が彼の脳裏によぎる。
あの時すでに、この少年が直接手を下すという選択肢は絶たれていたのだ。
けれど、それでもなお彼は、せめて村の者達だけでも救いたかった。
「皆を助けるには……どうすればいいんですか……」
「それはまた今度にしよう。あと六日、悔いの無いようにね」
そう言い残し村へと歩みを進める少年。一人残され、頬を伝う雫を止めることも叶わぬ彼。
その姿を見ないよう、振り向く事無く歩いてゆくその後ろ姿は、少年なりの優しさなのだろうか。