第91話 悪魔の家系?
感想ありがとうございます!
(訂正)マルコシアス 大公爵→侯爵
調べ直したところ、侯爵の方が正しかったです。
格落ちしても恐ろしい(?)悪魔です
高等部の本棟一階にある応接室。
これから下校をしようとしていた美琴と篤志の二人だけこの場に呼び出されていた。
「それで、弁明を聞きましょうか?」
凍てつくような冷たい声色。
その声を聴いただけで、背筋が寒くなり、呼吸が乱れそうになる。応接室の狭い密室を覆う濃密な魔素……まるで光さえも届かない深海にいるような錯覚に襲われる。
月宮家現当主、月宮琴恵。
全盛期はとっくに過ぎて、枯れ木のように老いた。
だが、その老体からは信じられないほどの得体のしれない力が放たれていた。
(化け物……まったく、本当に先生という人は、そうとしか表現のしようがない)
魔素の保有量で言えば、おそらく美琴よりも少ない。
しかし、経験が……踏んできた場数が比べ物にならない。空間を覆いつくす魔素には、そんな凄みのようなものがあった。
(彩香たちは連れてこなくて正解でしたね。この空間は、あまりにも酷です)
隣に座る篤志は、月宮家当主から放たれるプレッシャーを前に、真っ青な顔で俯いて呼吸は浅く肺は必死に酸素を求めている。
おそらく篤志の体は嫌でも理解したのだろう。ここは、魔境……ただの人間が入って正気でいられるような場所ではない。しかし、哀れな少年をかばう余裕さえも、今の美琴にはなかった。
「弁明と言いますと? 申し訳ありませんが、そんなものを求められる行いをした覚えはございませんが」
怖気づく必要はない。
そう自分を鼓舞して、薄い笑みを持って返答する。すると、表情に反して全く笑っていない瞳と視線が合う。
「覚えていないとは、政治家のような言い方ね。時間がないから、回りくどい話はよしましょう。先ほどの生徒同士による暴力事件の話よ」
その言葉に、篤志がピクリと反応する。
「暴力事件とは大げさな」
「大げさ、ね。報告によると、人体に直接的な害がある魔法が使われたそうよ」
「それは誤解です。彼のデバイスは自身で調整した物で、どうやら誤作動を起こしたというのが私とカーラの見解です。事実、彼のデバイスに刻印された魔法は、とてもではありませんが人に危害を加えられるほどではないですから」
相手の心を読める妖怪を前に、なんて無駄なあがきだろうか。
いくら嘘を重ねたところで意味はない。だが、意外にも琴恵はその嘘を指摘してこなかった。
「あなたとカーラの見解であるのなら、それは正しいのでしょう。無駄だと思うけど、こちらの方でもそのデバイスを調べさせてもらうわ」
「ご自由に」
涼しい表情を浮かべつつも、内心では混乱を露にする。
「無駄だと思うけど」その言葉には、すでに美琴とカーラが篤志のデバイスから証拠を隠滅したという確信が滲んでいた。
心を読んでなお、こちらに話を合わせている。
(いったい、何が目的なのですか?)
わずかに浮かべた動揺に気付いたのか、一瞬だが琴恵は口元を緩める。
「けれど、そうだとしたら納得がいかないわね。ここに来る前に渡り廊下を確認したのだけれど、その程度の魔法とは思えないわ」
なんなんだ、この三文芝居は。
まるで、この場にいる別の観客に見せているようではないか。部屋の中に視線をさまよわせる。
だが、この部屋には琴恵のほかには篤志と背後に控える葵以外の誰もいない。
「どうしたのかしら?」
美琴が僅かに視線をさまよわせていると、咎めるような鋭い視線が刺さる。
(気付かないふりをして、演技を続けろということですか)
琴恵はこの場にいる誰かを警戒している。
だが、この演技からして、琴恵はこの件についてことを荒立てるつもりはないのだろう。僅かに安堵を浮かべると、すぐに演技をつづけた。
「……あの惨状を見るとそう思われるのも無理はありません。ですが、あれは不幸な偶然が重なった結果なのです」
「不幸な偶然ね。その偶然というのは……?」
「当然、彼のデバイスの誤作動が発端なのは事実です。しかし、かの生徒が使った反射の魔法によって、さらに威力が増大しました。そして、偶然にも射線上にいた私が強引にかき消したことによって、あれだけの被害となりました」
美琴が説明を終えると、琴恵はしばらく考えるようなそぶりを見せる。
「要するに。あなたは、あの事件は不幸な事故だったと、そう言いたいのかしら?」
「おかしなことを。あれは事故以外のなにものでもありませんよ」
当たり前のことだとばかりに、余裕の表情で緑茶を啜る。
葵が淹れただけあって、非常に香りが高く温度も適切だ。そんな美琴の態度に、琴恵は一度ため息を吐く。
そして、使われていない窓側の席に視線を向けた。
「だ、そうよ。これで満足かしら?」
一瞬空間が歪んだような気がした。
いや、事実空間が歪んだのだ。この場にいながらも、別空間に身を隠していた。よほど闇属性魔法に長けた人物でなければ、こんな神業をできはしない。
「ははっ、満足だなんて滅相もない。彼女の結論であれば、私から異論があるはずありませんしね」
美琴と同じ黒の髪。
まるで夜闇を体現したような漆黒。男性にしては長髪で、恐ろしいほどの端正な顔立ちだ。二十代前半と非常に若く見えるが、実際の年齢は誠と同じで三十半ばだ。
美琴は、この人物を知っていた。
「華月夜。……どうして、貴方がここにいるのですか」
美琴が驚愕を露にすると、夜はにっこりと笑った。
「どうしても何も。私はここの教頭を務めていますから」
「っ」
美琴が鋭く息をのむと、面白そうに表情を緩める。
女性のように美しい顔立ちで微笑まれると、耐性を持っている美琴でさえも思わず見とれそうになる。
だが、この男は危険だと脳が警鐘を鳴らす。
月宮で警戒する相手の中で間違いなく三本の指に入る要注意人物であり、その黒髪以上にお腹は真っ黒だ。
続く言葉に警戒をしていると、夜は感慨深そうにつぶやいた。
「それにしても、大きくなられましたね、お嬢様」
突然何を言っているのだろう。
一瞬、頭の中が真っ白になる。この男に、美琴……正確には誠が何度煮え湯を飲まされたと思っている。
苦い記憶しかない相手が、目元にうっすら涙を浮かべている光景には、悪夢を見せられている気分になる。
「……貴方と接点はなかったと思いますが?」
「それはそうでしょう。あなたの前に姿を現すのはこれが初めてですから。むしろ、私の名前を知っていることが驚きです」
この男は、自分がどれほど有名なのか気付いていないのだろうか。
誠のように煮え湯を飲まされた相手は数知れず。その容姿と華月家という地位もあれば、されに人目を引くのは無理もないというのに。
そんな困惑をしていると、夜は恭しく一礼をした。
「では、改めて自己紹介させていただきましょうか。華月家、現当主華月夜と申します。あなたの母君であらせられる琴音様の護衛を務めておりましたので、以後お見知りおきを」
「顔合わせはもういいかしら? なら、暇を持て余していないで仕事をしてきなさい」
「感動の再会に水を差さないでいただきたいですね。事後処理は校長に命じてありますが……まぁ、大事に至っては何ですか」
校長に命令する教頭、これいかに。
尤も、この男に命令できそうな人物は、おそらく琴恵くらいだろう。しかし、その態度からして従順とは程遠い。
(この男が、おとなしく命令に従う光景は想像できませんね。従いつつも、特大の爆弾を仕掛けそうですし)
そんなことを思っていると、思考を読んだのか琴恵もまた頷く。
そんな二人の心情を知らない夜は、恭しく一礼をすると、篤志を連れて応接室を後にした。
「「はぁ……」」
応接室には、祖母と孫のため息が響くのであった。
◇
「まったく、貴方はやりすぎなのよ。かき氷メーカーではなくて、トラウマメーカーの間違いよ」
夜がこの場から立ち去ったことで、琴恵が纏っていた雰囲気が軟化する。
おそらく、あの威圧は美琴や篤志に向けたものではなく、夜への警告のつもりだったのだろう。
「反省しています」
恭しい態度をとるものの、心の中では「後悔はしていません」と続ける。
琴恵にギロリとにらまれたが、素知らぬ顔で茶菓子に手を伸ばした。
「幸いにも、救助された彼らに身体的な怪我はなかったわ」
「まぁ、ただのかき氷ですからね。しもやけにさえならないように調整はしてあります」
「なんでも、救助に向かった美……学部の生徒たちが手厚く介抱してくれたようね」
「それは良かったです」
「余計に精神的なダメージを受けたそうだけど、それについては?」
まるで責めるような視線を向けてくるが、自分には関係ないことだと素知らぬ顔で答える。
「自業自得です……まぁ、心頭滅却すれば火もまた涼しということわざもありますし、きっと彼らは立ち直れると思いますよ」
「……あなたたちは、私の学園で何を量産するつもりよ」
酷い風評被害だ。
まるで、キャサリンの同類を積極的に増やしているように聞こえるではないか。美琴なりに、更生をする機会を与えたに過ぎないというのに。
尤も、その結果がどうなるかは本人の努力次第だろう。美琴が我関せずという態度を貫いたため、琴恵は口元をわずかに引きつらせる。
「それはそうと、貴方も随分と有名になったものね。生徒たちからなんて呼ばれているか知っているかしら?」
突然、薄い笑みを浮かべて尋ねてくる琴恵。
何の話かは分からないが、うすら寒いものを感じさせた。
「知りませんし、興味もありませんが?」
そう答えて、話題を転換させようと試みるが……。
「なんでも悪魔って呼ばれているそうよ。あとは、魔王かしら」
「ぶっ!」
思わずお茶を吹き出してしまった。
琴恵が目を細めて「下品よ」というが、それどころではない。
「だ、誰ですか! そんなバカなことを言っている人たちは!」
見つけ出して、訂正させる。
そんな意気込みを見せるが、琴恵は何も答えずにクスクスと笑っていた。よく見ると、背後に立つ葵も肩を小刻みに震わせているではないか。
「案外似合っていると思うわよ。ねぇ、葵」
「的確な渾名かと思います。美琴様の無慈悲な瞳には、不覚にもときめいてしまいました」
葵の意見は全力で聞かなかったことにする。
月宮の良心的な存在が、そんな特殊な性癖を持っているなど信じたくもない。
「あら、良かったわね。これで潔く私の跡を継いでくれれば助かるのだけれど」
「良くありませんし、跡継ぎは御免ですから」
すかさず勧誘をされるが、美琴の答えは変わらない。
「それにしては、私との血縁はまったく隠そうともしていないわよね」
「知られたくない相手にまったく隠せてないのですから、意味はないでしょう。」
幽玄や夜のように、知られたくもない人物にばかり琴恵との関係が知られている。
大変遺憾だが、どうやら琴恵の若いころにそっくりなようだ。顔を見合わせただけで見抜かれるのなら、隠すこと自体が無駄な努力だろうと割り切っていた。
「ただ、そちらの愚物には伝えないでくださいね。同じ学校のようですから、面倒ですし」
「……ええ、そうするわ」
美琴の言葉に苦い表情を浮かべる琴恵。
美琴の従兄妹である大和のことは問題だと思っているだろう。問題だと思っても、手を出せない……月宮もまた一枚岩ではないのだ。
すると、琴恵は話題を変えるように鞄から箱を取り出した。
「それはそうと、あなた宛てに天道から面白いものが届いたわよ」
「天道……スピリットですか。随分と早いですね」
箱の中には、美琴専用に調整された腕輪型のデバイス【スピリット】があった。
……しかし、なぜだろうか。デザインに悪意を感じさせる。黒と金のカラーリングは精霊召喚というよりも、悪魔召喚を彷彿させる。
せっかくの好意でいただいたのだ。
美琴はデザインについては目をつむり、静かにデバイスを腕にはめた。
「明日公式発表があるみたいで、私たち宛にも届いたわ。……魔素の本質は精霊であり、それを召喚する魔法とは恐れ入るわ。流石としか言いようがないわね」
「本当に、そうですね……」
今回ばかりは、完敗だ。
琴恵は当然として、美琴もまた苦々しい表情で腕輪を眺める。すると、デバイスを眺めていた琴恵が不意に声をかけてきた。
「それはそうと。天道から聞いたのだけど、貴方は精霊ではなく悪魔を呼んだのだったわね。少し見せてもらってもいいかしら」
「悪魔ではなく悪霊です」
百聞は一見に如かずと、デバイスに魔素を通す。
『我、こんな時にばかり呼ばれているような気がするんだが……』
なぜか疲れを滲ませる悪霊。
悪霊なのに疲れを感じるものなのか、はなはだ疑問だが。魔素を絞ったおかげか、大きさは大型犬よりもわずかに小さいくらいだ。
「マルコシアスね」
琴恵の言葉に、「正解です」と返す。
どうやら、マルコシアスとは有名な悪魔だったらしい。
(そういえば、名前を付けていませんでしたね。いつまでも悪霊と呼ぶのも、あれですし。名前はどうしましょうか……?)
そんなことを考えていると、先ほど興味深い話をしていたことを思い出す。
「それで、お婆様はどうなのですか? 送られてきたということは、もう試されたのでしょう。間違いなく、悪霊を呼び出したんじゃないですか?」
美琴が呼び出したが悪霊なのだから、当然琴恵もまた悪霊だろう。
それも地獄の魔王に相応しい……そんな悪霊だと決まりをつける。すると、琴恵が呆れたような目でこちらを見てきた。
「ふふっ、どうかしらね」
「えっ……。では、妖怪とか?」
「違うわ。まぁ、隠しているわけじゃないから、見せてあげるわよ」
そう言うと、琴恵から再び膨大な魔素があふれ出す。
琴恵も美琴と同じく闇属性だ。漆黒の魔素が空間を覆うと、その姿が顕わになる。
「は……?」
パサリと白い翼が視界をよぎる。
黒とは対極の純白の翼。どこぞの悪魔が霞んでしまいそうなほどの威圧感を伴って、それは現れた。
「嘘でしょう……」
信じられない。いや、信じたくもなかった。
あの祖母が呼び出したのが、悪霊でも妖怪でもなくて……。
「妖怪でも悪霊でもなく、天使を召喚なんて」
現れたのは純白の翼を持った金髪の女性。
まるで物語に登場するような天使の降臨に、美琴はしばし呆然としていた。そんなときに、マルコシアスの声が響く。
『主よ騙されるな。あれは、我と同じ悪霊……序列で言えば我よりも上の地獄の公爵。名をアスタロトという』
「駄犬、少しお口を閉じていなさい」
『うぐっ!』
そう言った瞬間、天使の翼が漆黒に染まる。
その背後には、一瞬だが龍のような姿を幻視した。それを見た美琴は、驚くのでも、恐怖するのでもなく、ただ安堵した。
「……良かった」
それは小さな呟きだった。
しかし、その小さな呟きを聞いた琴恵の言葉に、美琴は聞かなければよかったと後悔した。
「葵や華月にも試させたのだけど、どういう訳か悪霊しか出ないのよ。他の当主たちにも渡したのだけど、そろって悪魔を召喚しちゃうのだから困ったものよね」
その言葉を聞いた美琴は思った。
――月宮家にはもう立ち寄らないようにしよう
月宮家がこの世の地獄と呼ばれる日が近いような気がした美琴であった。




