第90話 定着する渾名(下)
誤字報告、ありがとうございます!
(まったく、殺さないだなんて。二人は、私のことを何だと思っているのですか)
遺憾だった。
彩香たちに危害が加わりそうになったことについては、腹が立っている。だからと言って短慮な行動を執るつもりはない。
それこそ、そんなことをしたら金田誠を私怨で殺害した男と同類になってしまう。
そもそも、お話をしにいくだけだと言ったのに。
相手を怖がらせてはお話どころではないだろう。相手にとって親しみやすい雰囲気を作る、コミュニケーションの基本である。
薄く微笑みを浮かべて、ゲートを潜り抜けた。
『お話に行くというよりも、戦いに……さえならぬな。蹂躙しに行く雰囲気なのは我の気のせいだろうか』
失礼な。やはり、知恵があってもしょせんは悪霊なのだろう。
社会人には必須のコミュニケーションスキルを理解できないとは、なんと嘆かわしいことだろう。世の中、ラブ&ピースで暴力反対だ。
『黙りなさい、駄犬。平和的なお話というのは、相手のマウントを取るのが基本です。そんなことも理解できないなんて、悪魔失格ですね』
『すみません……』
……それも、なんか違う。
と思いつつも、「そうですよね」と自信満々に胸を張る姿が脳裏に浮かぶため、否定しようにも否定しにくい。
どうやら、普段圧縮している魔素を開放した影響で、精霊たちの自我が出てきているのだろう。
頭の中に複数の声が入り混じって、ずいぶんと賑やかだ。
深々とため息を吐くと、薄く笑みを浮かべた。
「私が、貴方たちに平和的なお話のお手本を見せてあげましょう」
視点が切り替わる。春の涼しさに、確かな熱を持ったオレンジ色の光が差し込む。
「田辺、美琴」
ポツリと誰かが呟いた。
新入生総代を務めただけあって、そこそこ顔は知られているのだろう。野次馬からも、戸惑いの声が漏れる。
「お取込み中失礼します」
周囲の反応を無視して、当事者であろう特徴的な髪型をした赤毛の少年と、向かい合うように立つ金髪の少年に視線を向ける。
彼らを囲うように野次馬たちが円陣を組んでおり、驚くことに教師の姿もあるではないか。
(教師が居合わせてこの体たらく……まさか、どちらかに肩入れしているのではないですよね)
呆気にとられた様子の教師に対して、すっと目を細める。
すると、何かを感じたのかぶるりと体を震わせると、顔色を青くしてその場に立ち尽くす。これで、余計な邪魔にはならないだろう。
改めて、当事者であろう二人に視線を向けた。
「少々お話がありますが、よろしいですよね?」
尋ねると、なぜか顔色を悪くする二人。
おかしい……。父親譲りの穏やかな笑みを浮かべているのに、なぜか緊張が深まるばかり。これでは碌に会話もできないではないか。
ふと、背後に違和感を覚える。
ゲートを開いた魔素の残滓かと思ったが、どうやら違うらしい。二人から一度視線を外すと、背後に視線を向けた。
「……あなたのせいですか」
背後に朧げな姿で現れる悪霊の姿。
しかも、以前見た時よりもはるかに大きくなっている。『スピリット』で具現化されていなくても、これでは緊張してしまうのも無理はない。
空気を読まない悪霊に対して、そっと手を翳す。
(ま、待て! 話せばわかる! まずは話を……)
「消えなさい」
美琴に慈悲はなかった。
具現化していないということは、ただの魔素と変わらない。悪霊の姿がまるで渦のようになって美琴の翳した手の中に吸い込まれる。
さて、これでようやく邪魔者はいなくなった。
そう思って再び視線を元に戻した。
「「……」」
なぜか、二人の顔色は青を通り越して土色だ。
そして周囲を見渡す。
『……』
不思議だ。
悪霊が消えたというのに、より一層緊張が増しているようではないか。まるで、一歩でも動いたら殺されるとでも言わんばかりに立ち尽くしている。
(おかしいですね。穂香のゲームでは悪魔が倒されれば、歓声が沸くというもの。……なぜ、沈黙が包み込むのでしょうか)
不思議だと首を傾げる。
(それはそうであろうよ。どう見ても、我よりも主の方がやばいやつだからな)
(なるほど。話し合いは、まず空間を支配することが大事なのですね。……それによって、上下関係をはっきりさせるだけでなく、話の主導権を奪うことができます)
ドン引きの悪霊と納得する精霊。
居心地が悪くなったため、「コホン!」と咳払いをして話を切り出した。
「単刀直入に聞きます。先ほど魔法が飛んできたのですが、誰の仕業でしょうか?」
思い返すだけでもはらわたが煮えくり返る思いだ。
二人に万が一のことがあったらどう責任を取るつもりだろうか。美琴の怒りを感じたのか、反射的に金髪の男が赤毛の男を指差した。
「こ、こいつだ! こいつが魔法を使ったんだ!」
「あなたが……?」
「……あぁ」
視線を向けると、緋威は小さく頷いた。
「俺がやった」
その表情に浮かぶのは、己のうかつさを呪うような諦観。
先ほどの魔法の威力からして、魔法の適性が高い人物の可能性が高い。見たところ、年上の金髪男性は魔法の適性がさほどないように感じる。
そのため、魔法を使ったのは緋威に違いない。
「それにしては……」
緋威が持つデバイスを見る。
間違いなくハンドメイドで作られたものだ。カーラの話からして、おそらく自作のデバイスなのだろう。
そんな技術を持つ人物が明後日の方に魔法を暴発させるだろうか。
そんなことを考えていると、金髪の男が声をかけてきた。
「と、ところで! 田辺君と言ったか。君の噂は聞いているよ。なんでも素晴らしい才能の持ち主だとか。それに、容姿も素晴らしい」
「はぁ、それはどうも……」
「ああ、僕の名前は森崎順平って言うんだ。分かっちゃうと思うけど、森崎グループの社長の息子なんだ。まぁ、そんなこと気にせず気軽にジュンと呼んでくれてもいいよ」
先ほどまで無様な姿を晒していたというのに、それをまるでなかったかのように片手で髪をかき上げ、白い歯を輝かせる。
「そこでだ! どうだね、僕の彼女にならないか? 聞くところによると、君の家もデバイス開発に携わっているそうだね。僕からパパに言えば、仕事を回してくれることだろうよ」
その笑顔に、久しく感じたことのない感情が沸き起こる。
思わず両腕を摩ってしまう。きっと、服の下では鳥肌が立っていることだろう。それは、周囲の野次馬もまた同様のようだ。
「「「「……」」」」
まるで宇宙人を見るような眼差し。
理解できない存在、はたまた犯罪者を見るような目で森崎に視線を向けていた。美琴は、深呼吸をするとはっきりと言う。
「お断りします」
すると、男は笑顔のまま硬直した。
頬を引きつらせながら、口を開く。
「……もう一度言ってくれないか」
「だから、お断りしますと言ったんです」
何度も言わせないで欲しい。
どうして、こういうのにばかり絡まれるのだろうか。近くにキャサリンがいれば、近寄って来ないというのに。
(人身御供にすれば……勇気のようにましになるのでしょうか。いや、あれはあれで困りますけど)
などと、恐ろしいことを考える美琴。
「うわっ、ダサくない?」
「ていうか、親の力で無理やり彼女にしようってことだよね。サイテー」
「師匠に求婚するなど百年早い。まずは我々五天王を倒して……」
「てか、釣り合わないとか思わないのかね」
「あっさり断られて、マジで笑えるんだけど」
一名ほど、変なのが混じっていたような……。
周囲の野次馬も、森崎の言葉に侮蔑の声が上がる。
「ふ、ふふ、ふざけるなっ!」
さらし者になった森崎は、怒りのあまり顔を赤くしてプルプルと震えている。先ほどまでの気持ち悪い芝居をやめると、傲慢な態度で言った。
「こっちが下手に出てやったからつけあがりやがって! 俺は、森崎家の御曹司なんだぞ! 三流の腕しか持たない屑な親の工房一つくらい、簡単につぶすことができるんだぞ!」
「三流、潰す……?」
――ピクリ。
美琴の眉が僅かに動く。
それと同時に、誰かが息をのんだ気がした。先ほどまで、「ダサい」や「かっこ悪い」などなど侮蔑の声を上げていた野次馬も一斉に静かになる。
しかし、当の本人は全く気付いた様子もなく、さらに言葉をつづけようとした。
「そうだ! 分かったのなら……」
聞くに堪えない戯言。
美琴は満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「面白いことを言うのですね」
「っ」
森崎が息をのむ。
ようやく、己の過ちに気が付いたようだ。先ほどまで真っ赤になっていた顔が、一転して蒼く染まる。
(主よ、コミュニケーションではなかったのか。暴力反対、ラブ&ピース)
悪霊が何を言っている。
そんなもの虚栄に決まってるだろうに。右の頬を叩かれたら、右ストレートで返す……これこそが常識だ。
左頬を差し出すのは、昔の聖人だけで良いだろう。
「あなたごときにできるはずがないでしょう」
――身の程を知らしめて差し上げましょう
美琴の荒ぶる感情に応えるように銀色の魔素が冷気となってあふれ出す。それを魔法だと感じたのか、森崎もまたデバイスを取り出した。
「パパが自衛のために作った魔法だ。俺に魔法は効かないぞ!」
薄く張られた結界。
確か、月宮系列の中に魔素だけを反射する魔法の開発に成功した子会社があった。おそらく、森崎グループはその子会社のことだったのだろう。
「へぇ、反射の魔法ですか。……なるほど」
「そ、そうだ! お前がいくら魔法に長けていようと、この魔法は絶対だ! それに、危険な魔法を使えばそいつと同じだ!」
「ふふっ」
思わず笑い声が漏れ出てしまった。
「な、なにがおかしい!」
「田辺?」
森崎とは対照的に、緋威もまたこちらを見る。
ようやく謎が解けたのだ。緋威の魔法が明後日の方向に飛んできた理由。それはこの魔法が原因なのだろう。
要するに、森崎もまた緋威と同罪である。
「穂香が言っていることもあながち間違っていないのかもしれません。絶対というのは、必ず破られるものだと相場が決まっているのだと」
まったく、どうしてこうも穂香の言う通りになるのだろうか。
まるで台本を読み上げているような感覚に、思わず笑いがこみ上げてしまう。
「それはそうと、少し前の話なのですが。マジックかき氷なるものが発売されていたのは知っていますか?」
「それが、なんだよ……」
「仕組みは簡単なんです。空気中の水分をろ過して凍らせて削るだけ……ただ、そのコスパが悪くて一台五万円はするという、なんともおかしな話なんですよね」
「だから何の話をしているんだよ」
察しが悪いこと、この上ない。
美琴は【LUNA】を取り出すと、異能によって瞬く間に魔法式が構成される。
「要するに、あの魔法は規制レベルが一なんですよね」
――【かき氷メイカー】、起動
響き渡るのは冷たい鋭さを持った女性の声色。
その声色には、確かに喜悦の感情が混じっていた。美琴が、デバイスを持つ手とは反対の手を空にかざす。
「「「「……」」」」
森崎だけでなく、野次馬たちも空を見上げる。
夕日によってオレンジに染まった空が、銀色に染まり上がっていた。そして、ポツリポツリと森崎めがけてかき氷が降り注ぐ。
「私、これでも相当頭に来ているんですよ」
「な、なんだよ、これ……」
美琴の言葉も、森崎には届かない。
いや、きっとこの場にいる全員に届いてはいない。誰もが、空から降り注ぐかき氷を前に呆然としていた。
「な、なんだよこの魔法……いくら何でも、こんなバカな話が」
空から降り注ぐ雪を反射の魔法が拒む。
だが、量が違う。まるで雪のように降り注ぐ魔法を前に、反射の魔法などほとんど意味をなしていなかった。
「森崎さん!」
上空に浮かぶ巨大な魔法陣。
それは確かにかき氷メイカーの魔法式だ。しかし、冬将軍が使う魔法がそれほど甘いはずがない。
――ふふふふ……
「わ、笑い声……」
「なんだよ、頭に響いて」
「あ、足が凍って」
取り巻き立ちの困惑が聞こえる。
だが、美琴もまた困惑していた。
そんな声にふと悪霊の言葉を思い出した。
『いたずら好きな童のような妖精。……だが、とても恐ろしい妖精でもある。怒らせるとその相手を氷漬けにして殺してしまうこともあり、笑いながら人間を凍らせる姿は、我をして恐怖を抱かずにはいられない』
――【いたずら好きな氷の霊】
悪霊さえも恐れさせる妖精。
それこそが、冬将軍なのだ。どうやら、美琴の怒りに反応して、大層ご立腹だったということだろう。
「お前ら、体を張って俺を守れ! それくらいしか脳がねぇんだから!」
その声に、ついに取り巻きたちが切れた。
「ふざけんな! お前が勝手に怒らせたんだろ!」
「俺らを巻き込むんじゃねぇよ!」
「なんだと、この俺に喧嘩を売って、あとで後悔するぞ!」
「知らねぇよ! お前よりも、あいつの方が百万倍怖いわ!」
突然の仲たがい。
森崎を狙っているのが分かっているからか、四つん這いになりながらも無様に効果範囲から逃れようとする。
だが、そうは問屋が卸さない。
「ふふっ、喧嘩するほど仲が良いと言いますね。大丈夫ですよ、誰一人逃しませんから」
黒色の魔素が彼らを覆う。重圧さえも感じる膨大な魔素に、指一本体を動かすことができない。
「あ、悪魔……」
誰かがポツリと呟いた。
「心外ですね。大丈夫です、大げさな演出をしていますが、しょせんは危険のないかき氷メイカーの魔法ですよ」
(((((どこがっ!?)))))
それはこの場にいる全員の心の声だった。
猛吹雪の中で泣き叫ぶ森崎の声、そして怒声を響かせる取り巻きたち。妖精が加減を間違えるはずもなく、肉体的にはしもやけにさえならないだろう。
(尤も、精神面や人間関係については知りませんけどね)
「まぁ、ほどほどに思い知らせたらキャサリン先生にでも保護させますよ。きっと、美学部で一皮むけることでしょうしね」
「……無慈悲な」
誰かが言ったような気がするが、きっと気のせいだろう。それよりも……。
「それから、先生?」
「ひっ!」
声をかけただけなのに、悲鳴を上げる教師。
「少々彼をお預かりしてもよろしいでしょうか? 双方から事情聴取を受ける必要があるのは分かりますが、片方があれでは事情聴取もままなりません。後日、正式にどちらに非があったのかをはっきりさせるべきかと」
「は、はい!」
にっこりと笑うと、頼もしい返事が返ってくる。
「それから。当然ですけど、教師らしく公平な処罰を期待していますよ」
「はい!」
なんて素晴らしいコミュニケーションスキルなのだろうか。
教師がまるで打てば響くように返事がある。
満足そうに笑みを浮かべていると……。
(これ絶対にコミュニケーション、違う)
悪霊の声が響き渡るのであった。




