第88話 定着する渾名(上)
更新が遅れて申し訳ありません。
九月は予定が重なりまして、不定期更新になります。
時刻は既に午後四時を回っている。
下校のピークが過ぎた昇降口では、これから帰ろうという生徒と部活の途中の生徒がちらほらと散見できるくらいに閑散としていた。
そのため、外から聞こえる喧騒は良く響いた。
(今の声はどこかで聞いたような……)
外から聞こえる声の中に、一人だけ聞き覚えがあった。
誰の声なのか。名前が喉元まで出ているのだが、出てこないもどかしさがあった。とはいえ、無理に答えを出す必要はない。
彩香と穂香に目配せをする。
二人も、美琴と同様に面倒ごとに巻き込まれたくはないのだろう。嫌そうな表情をしており、コクリと頷いた。
「面倒だけど、迂回した方が良さそうね……校舎の中を回って研究棟に行かない?」
研究棟や部活棟は、校舎続きになっている。
研究棟は、本校舎から出て左手にあるため、一度校舎から出た方が近道だ。校舎内を回るとなると、一般教室を抜けて特別教室を通ってからと大きく迂回することになり、かなりの遠回りとなってしまう。
「こっそり通り抜けるというのは?」
「美琴は目立つから無理」
美琴の提案は、穂香によってばっさりと却下された。
「潔く諦めて、校舎の中を回ろうか。ほら、急がば回れって言うじゃない」
渋々ながらも、彩香の後ろについて校舎内を歩き始める。
下校のピークが過ぎていることもあって、廊下にはほとんど人がいない。外の喧騒もあって、余計に静かに感じた。
「今更だけど、研究室にゲートを作れば良かったんじゃない? そうすれば、わざわざ歩く必要がない」
大きく回って研究棟へ向かう途中、穂香がそんなことを言う。
彩香もまた同意見なのか、ポンと手を打った。
「それもそうよね。美琴なら、直接カーラ先生の研究室にゲートを開くこともできたでしょ」
「できるかどうかと聞かれれば、間違いなくできます。先ほども言いましたが、これだけの距離でゲートを使うのは贅沢ですよね」
「魔素が有り余ってるんだから、問題なし」
「……貴方まで、カーラみたいなことを」
穂香の言葉に、美琴は嫌そうな表情を浮かべると首を横に振った。
「絶対に開きませんからね。一回でも開いたら、今後タクシー代わりに使われそうで嫌ですから」
「ケチ」
「ケチで結構。まったく、人のことを何だと思っているのですか」
穂香からジト目を向けられ、美琴は腕を組んでそっぽを向いた。
その一連のやり取りを見ていた彩香は、唐突に笑い始めた。今のやりとりのどこに笑う要素があったのかと首を傾げる。
「ごめん、ごめん。ただ、高校になってから、こうして集まる機会も減ったからさ。なんか、中学の頃に戻ったみたいで。……ほんとに、美琴も穂香もブレないよね」
目元に薄っすらと浮かんだ涙を指で拭うと、さもおかしそうに言う。
そんな彩香の姿に、美琴も穂香も顔を見合わせて苦笑を浮かべる。
「まぁ、人はそうそう変わらないですよ」
窓から茜色に染まった空を見つめて呟いた。
トクンと心臓が高鳴り、頬が心なしか熱を帯びているように感じる。
気恥ずかしくて二人の顔を直視できなかった。
「あれ? もしかして美琴照れてる?」
「珍しい」
「そんなわけないでしょう。ほら、行きますよ」
彩香たちと顔を合わせないように、先頭を歩き始める。
まだ、心臓が高鳴っている。少し苦しくも感じるが、なぜか心地よくも感じる不思議な感覚だ。
(こういう関係も……悪くはないですね)
誠のように損得で築かれた交友関係とは違う。
今の関係は、それよりも遥かに大切で、貴重なものなのだと分かる。それから、しばらく歩いていると、ようやく三階の渡り廊下にたどり着いた。
「……遠かった」
辟易したような表情を見せる穂香。
「ここを渡ればすぐだからね。……けど、やっぱり中から回ると結構な距離だよね。無駄に遠回りをさせられたし」
表情にこそ出ていないが、彩香もまた辟易とした様子だ。
かという美琴も同様であり、手早く用事を済ませて帰宅しようと心に決める。渡り廊下の窓から校舎前の光景を眺めた。
(それにしても、まだ騒動が収まっていないのですね)
遠回りをしてきたというのに、外から聞こえる喧騒はまだ続いていた。
そろそろ騒ぎを聞きつけた教師が駆けつけているはずだ。しばらくすれば、事態も収まるだろう。
そう思っていたのだが……
「危ない!」
窓の向こうから勢いよく迫ってくる物体。
かなりの速さで、それが何かは分からない。だが、このままでは先を歩く彩香たちに直撃してしまう。
二人もまた美琴に遅れて気が付いたのだろう。
しかし、咄嗟に動くことはできず、目に見えて硬直してしまった。
「すみません」
一言謝罪を入れると二人を押し倒した美琴は、空間を歪めてしまうほど膨大な黒と銀色の魔素を小さな体から解き放つ。
バケツの水くらいであれば、これほどの濃度の魔素によって弾かれるだろう。しかし、迫りくるそれは、そんな生易しいものではなかった。
――魔素圧縮、解放
美琴の下に伏せている二人からうめき声が聞こえる。
だが、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。
――【ディメンション……
このままでは間に合わない。
迫りくる刹那の瞬間に、それを理解した……いや、してしまった。
(何か、方法は……)
走馬灯のようにゆっくりとなった時間の中で、迫りくるそれが何なのか分かった。
魔法だ。火属性の魔法……それも、中学生が使うような蝋燭の火程度の魔法ではなく、当たれば最悪死に至るかもしれない威力。
「「「きゃあああああ!!」」」
外から甲高い悲鳴が聞こえてくると同時に、窓ガラスが勢いよく割れた。
パニックになってもおかしくないような状況でありながらも、美琴の思考は冷静だった。迫りくる魔法に対して手を翳す。
「凍り付け」
ただのイメージでしかない。
だが、デバイスに組み込まれたコアが美琴の干渉によって、魔素を魔法へと昇華させる。そして、その力を増幅させるように……
――主に対して無礼ですね
威圧感を感じさせる高い声が聞こえる。
それはもはや吹雪の結界だ。自然災害の前では、人の頭くらいの大きさの火球など豆鉄砲にも劣る。
間近に迫っていた魔法は、突如現れた猛吹雪によってかき消され、何事もなかったかのように消え去った。
「二人とも無事ですか!?」
無事に防げたことに胸を撫でおろしたのも束の間、すぐさま二人の様子を確認する。
「「さ、寒い……」」
どうやら、無傷のようだ。
美琴たちを囲うようにして吹雪いたのだが、渡り廊下は銀世界へと変り果てた。吐く息は白く、二人は肩を抱いて小刻みに震えている。
「二人ともけがはありませんね」
見たところは怪我はなさそうだ。
良かったと言うと、二人から白い目で見られる。
「寒いし、体中が痛いんだけど」
「押しつぶされるかと思った」
「……」
そっと視線を背ける美琴。
咄嗟の行動だったため、二人には少し後ろめたさがあった。とはいえ、二人も本心で責めているわけではない。
「美琴、ありがとうね」
「助かった」
苦笑を浮かべて座り込む。
何はともあれ、二人が無事でよかった。
「それにしても、授業以外で攻撃魔法を使うなんて、何を考えているのよ!」
「美琴に助けられなければ危なかった」
二人が怒りを顕わにするのも無理はない。
月宮学園では、魔法の使用は自由だ。しかし、規制レベルがⅡ……つまり、人体に直接害がある魔法の使用は授業の一環として免許を持った教員の前以外の使用は禁止されている。
人を狙って使ったのであれば、明らかに校則違反……いや、警察に突き出されてもおかしくない暴力事件である。
尤も、美琴の使った魔法の方が圧倒的に危険であるが。
「こうなったら、文句の一つでも言ってやらなきゃ気が済まないわよ」
「賛成! 倍返しにしてやる!」
と言って、二人が立ち上がった。
二人ともデバイスを持っていないため、そのまま素手で殴り掛かりそうな勢いだ。美琴は憤る二人の肩にポンと手を乗せるとにっこりとほほ笑んだ。
「二人は先に研究室に行っていてください」
喧嘩に魔法を使うような野蛮人だ。
デバイスも持っていない二人が行くのは危険だった。とはいえ、このまま泣き寝入りするつもりは毛頭なく……。
「えっと。……美琴さんは何をするのでしょうか?」
かしこまった態度で彩香が尋ねてくる。
当然、決まっている。
「少し彼らとお話をしてこようかと」
遠目に見える特徴的な赤い髪形。
その周りには、複数の人影があった。どちらが悪いのかは分からないが、美琴にはどちらでも良かった。
「殺さない?」
「そんなことをしませんよ。ただのお話ですから。では、二人は先に行っていてくださいね。すぐに戻りますから」
そう言って美琴は目を細めると、黒色の魔素が体からあふれ出す。
――【ディメンションゲート】、起動
響くのは悪霊の声色。
やはり、スピリットの影響で特定の魔法に関しては効率化されているように感じる。だが、問題があるとすれば、悪霊の趣味なのかゲートにおどろおどろしい装飾がされていることだ。
まるで先日のゲームに出てきたボス部屋の前の扉のよう。
それを見た彩香たちが引きつった表情を浮かべていた。
「「ご、ごゆっくり……」」
そんな言葉を最後に、美琴はゲートの向こうへと消えていくのであった。




