第86話 予想外の人物
お待たせして申し訳ないです。
コロナではないのですが、体調を崩してしまいまして。
放課後。
今朝の話の続きを聞くため、美琴は彩香とともにカーラの研究室を訪ねていた。
「また、こんなに散らかして!」
彩香は腰に手を当ててカーラを叱りつける。
ゴミやら書類やらで、もはや足の踏み場もない。机の上は、僅かな作業スペースを残して埋め尽くされており、食べ終わったカップ麺やゼリー飲料などがそのまま放置されていた。
まさに、目を覆いたくなる惨状と言えるだろう。
「はぁ。最適に整理されているというのが分からんとは、見損なったぞ」
とは言うものの、カーラは正座をしていた。
「それは、掃除ができない人の常套句です。ほら、片付けるので、どいてください」
そう言って、駄々をこねるカーラの腕を掴むとズルズルと引きずっていく。
……もはや、どちらが年上なのか分からない光景だ。見慣れた光景と思ってしまう自分が怖くなる。
「私も手伝った方が良いですか?」
「いいわよ。美琴は、先生と話があるんでしょう……なら、部屋の隅で先生の相手をしてあげて。見張っていないとすぐに散らかすから。掃除の間くらいおとなしくしていてくださいね、カーラ先生」
「まだ何もしてないぞ!」
カーラの反論など相手にもせずテキパキと掃除を始める彩香。
初めて会ったときに比べると、随分と逞しく成長したものだと思う。もともと濃かった交友関係が、さらに濃厚になったが故だろう。
(まぁ、彩香の知り合いで常識人は私と明美くらいですからね)
常識人は本当に大変だと思う。
そんなことを考えていると、カーラがなぜかジト目で見てきた。何か言いたそうな表情だが、ため息を吐くと話題を振ってきた。
「それで、お前の方は何の用だ?」
「今朝の件の続きです。優秀な生徒がいると言っていたでしょう」
「……あぁ、その話か。一年だと、特に優秀なのはうちのクラスの……何て名前だったか?」
たった九人……美琴と彩香を除外すれば七人しかいないのに、名前を把握した様子がない。
「その人の特徴は?」
「頭に大砲が付いてるやつ」
「彼ですか。なんとも分かりやすい特徴ですね」
思い浮かべるのは、美琴の後ろの席に座るリーゼントが特徴な緋威篤志。悪印象しかないため、苦虫をかみつぶしたような表情をしてしまう。
「疑うわけではありませんが、カーラが勧めるほど優秀なのですか?」
「粗削りだが、魔道具の知識と技術は学生レベルを超えているぞ。おそらく、現場仕込みというやつだな」
「なるほど……それは、是非とも欲しいですね」
月宮学園には、知識だけなら優秀な生徒がいるだろう。
しかし、経験を積んだ生徒と言われると、ほとんど皆無だ。
(とはいえ、彼がおとなしく働いてくれるとは考えにくい)
緋威の好意的とは言い難い態度を思い出して、美琴は顎に手を当てて唸る。
「彼についてはいったん保留ということにしましょう。それで、他には?」
「次点で言うなら、あいつだな」
「あいつ?」
「お前らとよく一緒にいるぐーたら娘だ」
カーラの言葉に、美琴は彩香と顔を見合わせる。
ここ最近死んだ魚のような目をして登校している女生徒の顔が思い浮かんだからだ。だが、そんなことあり得るだろうか?
「それって、まさか穂香……なの?」
「それ以外に誰がいる?」
信じられないと言った表情をする彩香。
美琴もまた同じ気持ちだ。二人の内心を察したのか、カーラがため息を吐く。
「確かに、お前らが信じられないのも理解できる。私もテストの成績など何の役にも立たんと思っているが、あいつの成績は眩暈がするほど酷い。だが、魔法の適性とコネがあったとはいえそれだけでこの学院に入れると思うか? 当然、他の要因もあった」
「……それが、魔素工学の成績ということですか」
「無駄に器用で、柔軟な発想もできる。ひよっこではあるが、将来に期待できるぞ」
「ふむ……」
顔見知りであるとはいえ、カーラがそこまで言うのは稀だ。
穂香が魔道具に興味を持っていることは知っている。田辺家に遊びに来るのは、弘人の仕事を見るためでもあった。
自分でも作りたいと常日頃から語っていたため、誘えばすぐにでも頷いてくれることだろう。
(まぁ、教えることは多そうですが。顔見知りの方がやりやすいか)
あとで穂香に会うことに決めると、不意にカーラの手元にあるデバイスへと視線を向けた。
「先ほどから気になっていたのですが、そのデバイスは? 私のデバイスによく似ているのですが」
美琴が尋ねると、カーラは待っていましたとばかりにどや顔を浮かべる。
「あの婆から頼まれていた月宮専用のデバイスだ。お前のデータを参考にして、『ディメンションゲート』の魔法が刻印されている」
「なんとも使い手を選ぶデバイスですね。並みの人間では起動させることさえ不可能ですし。月宮家でも、魔法を起動できる人はあまり多くないのではないですか?」
「あほか。あんな魔法を個人で使える化け物がそうホイホイいてたまるか。当然、魔法式も変更してあるに決まっているだろう」
「それは興味深い」
とても興味深い話だと、美琴は目を細める。
美琴とて、この一年間暇があれば魔法式の最適化をしてきた。無駄な部分を省略し、変えられる部分は変えて、最初に比べると全くの別物となっている。
しかし、魔素の消費量に関しては、それでもなお大食らいとしか言えない。
「学院内や月宮の関連施設にディメンションゲートの大型魔道具が設置されたのは知っているな?」
「まぁ、学校のは毎日見ていますからね。そろそろ、正式に稼働するのではなかったのですか?」
「あぁ、学院のは私が調整して使用可能状態にある。初等部、中等部に一か所ずつ、高等部に二か所、大学内に三か所の計七か所だ。高等部から大学は距離があるから、今度からは移動が楽になるな」
「無駄に広いですからね、ここは。それで、その大型魔道具が関係してくると?」
「その通りだ。要は、このデバイスは入り口だけを作る魔法だ……あらかじめ出口となるゲートを設定しておくことで、そこにつながるゲートを作る。これによって、魔素消費量を三割までに抑えることができた」
「それは、素晴らしい……」
カーラの話に、思わず舌を巻く。
確かに出口が自由に作れないのはデメリットであるが、それを上回る利点があった。無意識に、デバイスを収納ケースから取り出した。
「それとデバイス名が決まったぞ、『LUNA』だ。お前のは特別製だから、シリーズゼロといったところか。今後の課題は、合わせて別の魔法も刻印できるようにといったところだな。……あとは、お前のにも学院内のゲートの登録をしておくから」
そう言って、カーラは美琴の手からデバイスを奪い取ると早速パソコンを使って作業を始めた。
「ふぅ、大分きれいになったわね」
手の甲で汗をぬぐう仕草をすると、掃除機をかけ始める彩香。
あれだけ汚かった部屋が、いつの間にか綺麗に整理されているではないか。ここ二年間で大分家事スキルが上達したと思っていた美琴であるが、彩香の家事スキルは比べるのがおこがましいほど高かった。
手伝おうとしようにも、入る隙が全く無い。
(穂香はまだ学校にいればいいのですが?)
と思いつつ、美琴は部屋を後にした。
******
――どうしてこうなった。
穂香は、過去に戻れるのであれば勉強もせずにぐーたらしている自分を殴りたいと心のそこから思っていた。
「若い男子って良いわねぇ。お肌は瑞々しくてモチモチ……うふふん、これなら化粧も必要なさそうだわ」
目の前で体をくねらせるのは、UMAだ。
筋骨隆々で格闘技のチャンピオンと言われても納得してしまいそうな体格。にもかかわらず、髪をツインテールにして化粧をしている。
まるで悪夢のような存在だ。
いや、この部屋全体が悪夢だ。
「副部長、どうかしらこの服? フリルたっぷりで可愛らしいわよね」
「ウン」
「副部長、このぬいぐるみ私の自作なのよ。ママに見せたら、すごい上手って褒めてくれたのよ」
「ウン」
「副部長、やっぱりアタシ髪を伸ばそうかしら? 三つ編みとか似合いそうだと思わない?」
「ウン」
目の前にいるのは、かつてクラスメイトだった者たち。
初めは普通だった……普通の男子高生だった。それが今はどうだ。地上波ではモザイクをかけなければ放映できないような姿になっているではないか。
とてもではないが、子供たちに見せて良い光景ではない。
――どうしてこうなった!
ここは美学部。
己の美しさを磨き上げるための部……。だが、誰がどう見てもここは地獄だ。キャサリンという首領のもと、今なお増え続けている怪物たち。
わずか一週間足らずでクラスの半分を食われたのだから、驚きよりも呆れてしまう。まだ、まともだと思えるのが、一人だけだ。
「きゃぁああああああ、部長よ!」
「今日も美しいわぁ!」
「勇気部長、あたしを抱いてぇ!」
扉から入ってきたのは、美学部部長こと西川勇気。
モザイクなしでは映せないような彼らと違って、あの男だけはファッション誌の一面を飾ってもおかしくない。
「ユーキちゃんは今日もばっちりね! いつも通り、お裁縫をするのかしら」
「もう、決まっているじゃない! 私が作った服、ネットでかなり評判になっているのよ……起業しちゃおうかしら」
「まぁ、それは良いわね! ユーキちゃんは良いセンスしているから、きっと人気が出ること間違いなしよ!」
「先生に太鼓判押されちゃったら、やる気出るわね!」
おい、それでいいのか社長令息。
お前には田辺製作所があるだろうに……。尤も、怖くて美琴には言えないが、あそこが泥船なのは間違いない。
後継者である勇気は、デバイスよりも服に興味があるようで跡継ぎになることはないだろう。
「ねぇ、副部長。こっちの服はどうかしら?」
「髪飾りを買ってみたの? 私に似合うと思わない?」
「口紅とか付けた方が良いかしら?」
などなど、聞いてくるクラスメイト達。
だが、なぜ自分に聞いてくる。無言のまま、悟りの境地に立っていると、耳を覆いたくなるような提案が首領の口から出てきた。
「なら、今日のお題は穂香のコーディネートで決まりね!」
「えっ……」
思わず声が漏れてしまった。
聞き間違いではないか。そう耳を疑いたくなるのだが……。
「それは良いわね! なら、私が穂香に似合う服を作ってあげるわ!」
「私は化粧!」
「私は髪をセットしてあげるわ!」
「あたしは……」
「わたしは……」
「あたいは……」
穂香が止める間もなく、部室全体に響いていく。
もはや手遅れだ。同じ部に所属している……させられている女子生徒たちが死んだ魚のような目でじりじりと穂香に迫ってくる。
(ああ、きっと私も同じような目をしているんだろうな)
などと思ってしまう。
しかし、Gクラスに所属してしまった以上、己の不幸を嘆くほかない。だが、だとしても叫ばずにはいられなかった。
「どうしてこうなったぁああああああ!!!!」
生まれて初めてこれほどの声を出したかもしれない。そして、目の前の女子生徒たちは、心から同意するように頷いているではないか。
と、その時だった。
――コンコンコン!
扉が三度ノックされると、中に人が入ってきた。
部員たちの中で、ノックをするような人はいない。それゆえに、自然と視線が扉に集まった。
「穂香の叫び声が聞こえたような気がするのですが……」
中に入ってきたのは、校内で知らないものはいない有名人。
同じ人間とは思えない絶世の美貌を持ち、まるで夜のような美しい濡れ羽色の髪を靡かせる。
この絶望的な状況では、本性が悪魔であろうとまるで女神のように見えた。
怜悧な銀色の双眸が部室を見渡すと、ピタリと体が止まる。
「お邪魔しました」
と言い残すと、何事もなかったように出て行った。
「待って、大親友! 私を見捨てないで!」
閉じられた扉に向かって穂香はもう一度叫ぶのであった。
******




