第85話 学校生活(下)
とある数学教師視点です。
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三島博は一年Aクラスの担任だ。
一年ではS、A、Bの三クラスの数学を担当しており、彼の担当した生徒たちは大学入試でも好成績を残している。(自称)次期学部主任と目されている人物だ。
博は、自分のクラスでホームルームを行っていた。
「来週には実力診断テストがあります。中間や期末と違い直接通知表に響くわけではありませんが、自分の成績を知る良い機会となるでしょう。分からないことがあれば、遠慮せずに質問に来てください」
「「「「はい!」」」」
とてもいい返事だ。
どこかのクラスと違って、今年のAクラスは素直な子が多く見ていて微笑ましくなる。
「以上でホームルームを終わります。一限は移動教室なので、遅れることがないように」
締めくくると、各々が授業の支度を始める。
すると、一人の生徒が声をかけてきた。
「そういえば、先生」
「はい、何でしょうか? 何か分からないことでもありましたか?」
「一限はSクラスなんですよね」
その言葉に、心地よい朝日が一転して曇り空に変わってしまったような錯覚がした。
「……ええ」
「入学式以来、まったく接点がないのですがどんなクラスなんですか?」
目をキラキラと輝かせて尋ねてくる生徒。
興味があるのか、授業の支度をしつつもこちらに耳を傾けている生徒がちらほら見える。これはいけない傾向だ。
純粋無垢な生徒たちが、堕落してしまう。
「よく言えば、個性豊かというのでしょう。……ただ、一教師として言えば、彼らの行動は目に余ります。高校時代規則を守ることは、良識のある大人になるため必要なことなのです。だというのに、彼らときたら一日で半数が不登校……しかも、担任はそれを防ごうともせず、むしろ率先して引きこもっているという体たらく。いくら適任者がいなかったからとはいえ、あの頭のねじが吹っ飛んだ女に任せるなど……」
生徒の前で同僚の愚痴など教師にあるまじき行為だ。
失言に気が付くと、何事もなかったかのようにゴホンと咳払いをする。
「Sクラスについての話はよしましょう。どのみち、あのクラスとは学年行事以外では接点がありませんから」
生徒も薄々は気が付いているだろうが、Sクラスの立ち位置は特別だ。
一部成績優秀で選ばれた者もいる。だが、基本的には月宮にとって特別な意味を持つ生徒が集められている。
それこそ、水無月や星野といった者たちだ。
教室も離れているが、選択授業も被ることはない。その話をすると、生徒たちは残念そうに肩を落とした。
(大方、あの主席殿と一緒に授業を受けたいとか、そんな理由だろうな)
思春期の男子らしい。
だが、そんな色恋にうつつを抜かしては、学業に支障をきたす。それで良かったと思いつつ肩を竦めた。
「時間も押しています。そろそろ移動を始めないと間に合わなくなりますよ」
そう言って、博は教室を後にする。
「……さて、私も授業に行きますか。まぁ、どうせ誰もいないでしょうけどね」
その呟きは誰に聞かれるでもなく騒がしい廊下に消えていくのであった。
◇
夢でも見ているのだろうか。
チャイムが鳴る三分前、Sクラスの教室に到着した博は目を疑った。理由があって休学している一名を除いて、八名全員がそろっているのだ。
これを驚かずに、何に驚けばいいのだろうか。
そんな驚愕をよそに、チャイムが鳴るとクラス委員に任命された三沢彩香が「起立」と号令をかけた。
「よろしくお願いします!」
「「「「よろしくお願いします」」」」
若干名声がなかったが、彩香がギロリと睨みつけると渋々「……お願いします」と声が聞こえた。それに満足したのか、「着席」といって席に着いた。
(このクラスにはもったいない素晴らしい生徒だな)
素直にAクラスに欲しいと思った。
これほど真面目な生徒がなぜSクラスに在籍していると思うと、不憫で仕方がない。真っ直ぐ育ってほしいものだ。
(そして、この子が田辺美琴か……)
真ん中の席に座る少女に視線を向ける。
まさしく絶世の美貌と評価しても良いだろう。ただ、その場にいるだけで、自然と視線を奪われてしまう。
彩香が正道のリーダーシップとするなら、美琴は邪道のカリスマと評するべきか。気に入らない生徒ではあるが、天稟に恵まれている……いや、怪物と呼べる存在だろう。
だが、不真面目な生徒という評価は間違っていないようだ。
先ほどからこちらに視線を向けず、内容は分からないが手元の資料を睨みつけている。
「初めての授業ということになりますので、自己紹介から始めますね。私は、三島博と言います。数学Ⅰと数学Aを担当します」
達筆な字で黒板に名前を書く。
我ながら、均整の取れた惚れ惚れする文字だ。ただ、残念かな。振り返ってみるが、この素晴らしい文字を理解できる生徒は誰一人いない。
しかも、半数以上の生徒が黒板の方を見ていないではないか。
(このぉ、クソガキどもが……)
内心では盛大に顔を歪めているが、外面は笑顔を取り繕っている。
素直に授業を受けているのは、廊下側の席に座る三沢彩香と雪城一葉の二人だけ。目の前に座る太郎は、教卓の前であるというのに鼻提灯を浮かべているではないか。
「早速ですが授業を始めようと思います。……とはいえ、このクラスは他のクラスに比べて授業が遅れています。来週には実力診断テストがありますので、今日はまず模擬テストをやってもらうところから始めましょう。テスト範囲を網羅した内容となりますので、後半は間違った問題を解説して理解を深めていただくつもりです」
テスト問題を配布しながら、博は内心ほくそ笑む。
彼らに配ったテストは二年のものだ。そのため、来週のテストどころか、出題範囲は一年の範囲すべてだ。
最初の数問だけなら、彼らでも解けるだろう。
マークシート形式だが、勘ではそうそう当たるようなことはないはずだ。
(ふふっ。こちらの不手際を装って、彼らの危機感を煽る。見るも悲惨な点数を取った彼らの表情が楽しみだ。まさに一石二鳥……我ながら、冴えた方法だ)
未だ鼻提灯を浮かべている太郎、すました表情で資料を眺めている美琴。
水無月も星野もどちらも興味がなさそうで、緋威に関しては机に足を乗せている。
「では、始めてください」
彼らの悲惨な点数を取った表情が楽しみだ。
内心では腹を抱えて笑ってやろうと心に決めて、彼らの解答を待つのであった。
◇
「なっ、なっ、なっ……!」
あり得ない、あってはならないことだ。
この模擬テストは高校二年のもの……それも、受験を考えた本格的な内容になっている。だというのに……。
(何なんだ、この結果はっ!?)
彩香や一葉それから一郎の三人は、まだ常識的な点数だ。
一割と考えていたが、二割前後の点数は取れている。想定以上に優秀な結果であるが、真実を告げていないため頭を抱えていた。
「いくら何でも難しすぎるだろう」
「うそっ、他のクラスともうこれだけの差があるなんて……」
「これって、一年の範囲じゃないような」
右上に書かれた悲惨な数字に、絶望的な表情を浮かべる三人。
我ながら酷なことをしたと思うが、普通であればこのテストが異常なのだと気づくだろう。だが、それを本人たちに悟らせない理由があった。
「ふんっ、この程度のテスト何の意味もない」
「余裕」
「なかなか難しかったんじゃないですか?」
「すぴ~」
「はっ、こんなもん楽勝だろう」
問題児五人。
彼らの答案用紙の右上には「100」の数字が書かれている。
(半数以上が満点だと……あり得ないだろっ!)
あまりの衝撃によって、頭の中が真っ白になる。
きっと、不正を働いたにちがいない。理性では、それはあり得ないのだと分かっている。だが、そう思わずにはいられなかった。
「はははっ。ど、どうやら、少々易しかったのかもしれませんね」
引きつりそうになる表情をグッとこらえて、言葉を絞り出す。
動揺しているのが悟られないか不安に思うが「易しい」という言葉に、ショックを受ける彩香たち。
一方で、問題児五人は当然と言わんばかりの態度だ。こいつらの頭は本当に何でできているのかと問い詰めたくなる。
「なら、ちょっとしたレクリエーションです。これからいくつか問題を出しますので、解いてみてください」
当然出題する問題の難易度は高い。
それこそ、国立大学の入試問題レベルだ。現時点で、高一に解けるはずがない問題……だが、なぜだろうか。黒板に問題を書きながら、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
そして、それは案の定当たってしまう。
「ぜ、全員正解です……」
最後に太郎が回答を終えると、博はどうにか言葉を絞り出す。
完璧な回答だ。しかも、解答までに悩んだ様子もなく、最短距離で答えを導いていた。一方で常識人である彩香たちは、解答を理解できず呆然としている。
当然だ。
出題した問題は数Ⅱと数B……つまり、一年では絶対に習うはずがない問題だからだ。それを淀みなく解ける彼らが異常だった。
(何なんだ、こいつらはっ……!)
Sクラスは博の想像をはるかに上回る問題児の集団だった。
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