第82話 美琴と莉子(中)
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雷坂莉子は、凡人だ。
ただ、普通の人とは違って魔素の流れや魔法式を目で見ることができた。尤も、それができたとして何だという話ではあるが。
先日まで母である雷坂恵美子と二人の母子家庭だった。
最低最悪の屑である父親が蒸発して、もう十年以上が経つ。父親のことはあまり覚えていないが、母親が言うには頭のいい人だったそうだ。
莉子が魔素を目で見えるようになったころ、魔道具技師として零細企業で働いていた父が「俺は、こんなところで終わるような男じゃない!」と言って出て行ったそうだ。
どこに行ったかは分からないが、きっとしぶとく今も生きていることだろう。
女手一つで育ててくれた母が亡くなったのは、まだ半月も経っていない。
死因は交通事故だ。亡くなった後に分かったのだが、母は高校卒業後に大学に通わせようとしていたらしい。
仕事ばかりで、口を開けば小言ばかり。そんな母親に反抗して、髪を染めて夜遊びをするようになった。母は本当にバカだと思う。
だが、自分はそれ以上にバカだった。母が亡くなったと知ったとき、苦しくて胸が張り裂けそうになった。
それからのことはあまり覚えていない。
ただ、ぼんやりと両親の親族たちが自分のことをどうするかで言い争いをしている光景を見ていたような気がする。
「莉子ちゃんだったよね。僕は田辺弘人って言って、君のお父さんの弟……つまり君の叔父さんになるかな。今日から、よろしくね」
そう言って手を差し出してきたのは、見るからに平凡そうな男だった。
屑親父の弟というわりには、気弱で頼りがいがない印象だ。ただ、田辺弘人という名前は前々から知っていた。
時折、お酒に酔った母が悔いるようにその名前を出していたからだ。
まだ弘人と付き合っていたころ、つい魔がさして兄である屑と肉体関係を持ってしまったのだと。
妊娠が発覚し、弘人と顔を合わせるのが怖くなって、何も言わずに別れたという。それ以降は一切連絡を取っていないそうだ。
その話を聞いたとき、莉子はどう反応すればいいか分からなかった。屑のおかげで生まれることができた。けど、屑がいなければ母はここまで苦しまずに済んだだろう。
莉子の前では何も言わなかったが、母はそのことを後悔していたはずだ。
(まぁ、悪い人ではなさそう……)
弘人という人間は知らないが、屑の弟とは思えないほど善良そうだ。
ただ、その生活が豊かでないことは一目瞭然だった。走行中に空中分解するのではないかと不安になる軽トラに乗って連れてこられたのは、工房と住居を兼任しているあばら家だった。
仮に、この人の子供として生まれてきていたら……。そんな仮説が頭の中をよぎったのだが、こっちはこっちで苦労しそうだ。ただ、こちらなら母が過労死せず、親子三人で今も幸せに食卓を囲うことができたのではないかと思ってしまう。
なんでも、弘人には一つ年下の娘がいるそうだ。
貧乏だとしてもちゃんと両親から愛されて育ったその子に嫉妬してしまう。
そして、その日の夜弘人の娘である田辺美琴に出会った。
「今日から美琴の姉になる雷坂莉子ちゃんだ。こっちは、娘の美琴。莉子ちゃんの一つ下だね。これから一緒に住むことになるから、二人とも仲良くしてね」
今日一日で何度も思ったが、この父親は馬鹿なんじゃないだろうか。
もう少しましな説明がなかったのかと思わずにはいられない。一瞬だけ、美琴に視線を向ける。
同じ血が流れているとは思えないほど端正な顔立ちだ。まさに絶世の美少女と呼んでも過言ではないだろう。だが、その美貌に見惚れるよりも先に。
「っ」
莉子の目は魔素の流れを見る。
目の前にいる少女は本当に人間なのかと疑ってしまう。その化け物は、莉子が見てきた誰よりも膨大な魔素を秘めていた。漆黒と白銀の二種類の魔素の流れは流麗であると同時に、恐ろしい力強さを見せ、まるで悪魔が心臓を握ったような錯覚を抱かせる。
(何なの、この化け物は……)
それが、美琴に対する第一印象だった。
◇
ゲーム機の中へ入っていく美琴の後姿を見送る。
何の気負いもなく、まるで散歩でもしてくるような雰囲気だ。
「……なぁ、次の子滅茶苦茶かわいくない?」
「アイドルでも、あんなかわいい子いなかったよね?」
「女王様……」
「すっげぇ美人! 芸能人かな! どっかでカメラ回ってるとか」
美人は本当に得だと思う。
ただでさえ新作のゲームということで人が集まっているのに、美琴がプレイするとなると一気に人が集まってきた。
弱冠一名変なのがいた気がするが、誰も彼もが美琴の美貌に見惚れていた。
(ほんとに嫌な女……)
未だに、人間とは思えないほどの魔素を有する美琴に恐怖心はある。
だがそれよりも怒りの感情の方が強い。少しの間でも一緒に生活をしていたから分かるが、美琴は女を捨てている。
おしゃれよりも機能性を重視した服装。
メイクどころかスキンケアも一切していない。昨夜は、髪をドライヤーで乾かさず自然乾燥させていたくらいだ。夜更かしどころか徹夜は珍しくもなく、栄養は炭水化物に偏りがち……なのに誰もが見とれる美貌を維持している。あまりにも理不尽だ。
だが、そんなことよりも莉子がいら立つのは、小言を言う美琴の姿が母恵美子の姿に重なるからだ。
「それにしても、莉子ったら良い性格してるねぇ」
肩を叩かれて振り返ると、綾がニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた。
人身御供として、美琴をゲームに参加させたことを言っているのだろう。むしろ、あんたの方が良い性格をしていると言い返したいところだ。
しかし、彼女の機嫌を損ねれば学校での立ち位置も危うくなる。
せっかくご機嫌な様子の彼女をわざわざ刺激する必要もなく、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「私、あの女が大嫌いだから」
そう短く伝えると、綾はクスクスと笑う。もう一人の女子もまた「おもしろ~い!」と言ってゲラゲラと笑っている。
「女子コワッ!」
「あの子が泣いて出てきたら、俺らで慰めてやろうぜ!」
「あっ、それいいな!」
一方で、男子二人は下卑た笑みを浮かべていた。
(まったく、これだから男ってやつは……。ていうか、こいつらよくカップル成立したよね)
それが不思議で仕方がなかった。
生まれてから一度も異性と付き合った経験がないため、世間一般のカップルとはこんなものなのかと納得するほかない。
「けどまぁ、少しだけ楽しみね」
あの化け物が、泣きべそでもかけばまだ可愛げがあるというものだ。
莉子の小さな呟きは誰に聞かれることもなく、観衆たちの喧騒の中に消えていった。
◇
歯がカチカチとなって煩い。
落ち着こうにも、スクリーンに広がる光景を前に震えが止まらなかった。
「「「「……」」」」
誰もがスクリーンに映る光景を前に言葉を失っていた。
これまでの参加者は、そろって開始早々にゾンビに噛まれてヒットポイントをゼロにしていた。
中には、多少奮闘する者もいたが、結果は五十歩百歩といったところだ。
「何よ、これは……」
綾がポツリと呟いた。自分たちの彼氏が情けなくも散っていった光景を知っているからこそ、余計に信じられないのだろう。
美琴の前の参加者は多少奮闘していたものの、背後から近づいていたゾンビに不意を突かれあっけなく敗退した。
だが、今スクリーンに映っている光景はなんだ?
――蹂躙
その二文字が、観衆たちの脳裏をよぎる。
多少は粘ると予想していた莉子ではあるが、この光景は予想をはるかに凌駕する。
『まったく。数ばかり多くて、台所に出るあれみたいですね……まぁ、あれの方がしぶとくて厄介ですけど』
まるで作業と言わんばかりの淡々とした声色で、右手に持った銃で目の前に密集するゾンビを打ち抜く。
たった一発で何ができるというのか。
そんな疑問が途中から観戦したものは思うことだろう。だが、過剰に込められた魔素によって、仮想の弾丸はまるで大砲の玉のように巨大な弾丸となって、ボーリングのピンのようにゾンビたちを粉々に粉砕した。
「「「へっ?」」」
困惑した声が上がる。
莉子のすぐ近くに立っている男たちもまた、呆けた表情をしていた。
「強すぎっしょ……」
「いや、強いとかどうとかじゃなくて……あり得ねぇー」
開幕直後にゲームオーバーになった彼らには、悪夢のような光景だろう。
「俺ら、マジ雑魚じゃん」と言っているが、この二人を慰める気が一切ない莉子でも比較対象がおかしいからと慰めの言葉をかけそうになる。あれは、異常だ。
それもそのはず……。
「あっ、後ろ!」
誰かが叫んだ。
美琴の背後から、路地に潜んでいたゾンビが勢いよく飛び出してきたのだ。だが、その手は美琴に触れることはない。
死角から現れたはずのゾンビに気付いていたのか、美琴はそちらに見向きもせずトントンとつま先で床を叩く。
「「「「えっ……?」」」」
下から舞い散る漆黒の花びら。
勢いよく現れたゾンビは、その花びらに包まれて切り刻まれていく。魔法で作られた幻影だからこそ、魔素の花びらが鋭利な刃物に変わっているのだろう。
演出の赤いエフェクトが美琴を赤く彩る。
『こういったゲームは初めてですが、思いのほか楽しいですね!』
ゾンビによって荒廃した都市。
炎が燃え盛り、至る所で死体が転がっているなか、スッキリした笑顔を浮かべる少女の姿はかなりシュールだった。
「いやっ、あのっ……そういうゲームじゃないんですけど。いや、そういうゲームでもあるんですけど。……けど、なんか違う!」
係員のか弱い声が響き渡る。
そもそもあの花びら自体が、ゲーム用デバイスにはない魔法のはずだ。自前のデバイスを持っていたとしても、ゲーム内では使えない。
だが、スクリーンに映るあの花びらは確かにゾンビを蹂躙している。だからこそ、より一層係員は困惑しているのだ。
莉子の目には、どうしてあり得ない現象が起きているのか見抜いていた。
(な、なんなのよ、この化け物! もう一丁の小銃の魔法式を上書きとか。なんで、刻印用の設備なしでできるのよ)
常識が一切通用しない。
触媒こそ必要としているが、美琴は魔法式を自力で構成している。小銃で打ち込んだ場所にトラップとして魔法を仕組む。先ほどのつま先で叩く動作は、あらかじめ構成した魔法の罠を作動させるスイッチのようなものだ。
モニターの映像は動いているが、美琴自身はその狭い空間で一歩も動いていない。まるで蜘蛛の巣のように狡猾な罠が張り巡らされていた。
これでは、美琴に噛みつくどころか近づくことさえ困難だ。だが、近づかなければ、バカげた魔素が込められた砲弾で一掃されてしまう。
『さぁ、どうしました? そんな及び腰では、私に触れることさえできませんよ』
ゾンビたちには災難なことに、美琴はノリノリであった。思った以上に楽しんでいるようだ。
パチンッと指を鳴らす。
すると、美琴の頭上に設置された無属性の光剣が現れ、ゾンビたちを串刺しにしていくではないか。
まさに、死屍累々と言うにふさわしい光景だ。
「「「うわぁ……」」」
観衆の声がそろった瞬間だった。
先ほどまで参加者に同情的だったが、今この瞬間だけはゾンビたちに同情してしまう。
進むにつれて次々と現れるゾンビたち。
だが、それよりも美琴の殲滅する速度の方が上だ。ただの幻影であるゾンビたち……正確には行動を制御するAIはようやく気付いたのだろう。
――狩る立場ではなく、狩られる立場なのだと
そうこうしている間に、美琴は前人未到のボス部屋へとたどり着いていた。
その部屋を守るように配置された夥しい数のゾンビたち……攻略させるつもりは毛頭ないなとしか言いようがない。
……が、今回ばかりは相手が悪かった。
『その程度の数で、私を止められるとでも?』
いや、普通は止められるでしょ。
ふふふっとこの場に似合わない艶然とした笑みを浮かべる。
そして、ここに来て初めて一歩踏み出した。そんなことをすれば襲い掛かってくるはずなのだが……。
『『『……』』』
踏み出された一歩に合わせるように、一歩後ずさる。ゾンビたちのグロテスクな顔が、恐怖に染まっているように見えるのは、気のせいなのだろうか。
……これでは、どちらが敵役でどちらが味方なのか分かったものではない。
そんな中、美琴が片方の銃をそっと地面に置く。小銃を持ったまま、空いた片方の手を高く掲げた。
(また魔法式が変わってく……)
小銃の術式がもはや完全に別物だ。
ゲーム内容を完全に無視しているが、今更だろう。先ほどまで断片的だった魔法式が、完璧なものへと変質する。
『闇桜』
舞い散る漆黒の花びら。
もともとは魔法演舞用の演出魔法だというのに、美琴が使えば凶悪な魔法に変わってしまう。美琴を中心に渦巻く漆黒の花びらによって、見るも無残にゾンビたちが一掃されてしまった。
聞こえてくるはずのない阿鼻叫喚が聞こえてくるようだ。
まさに地獄図……そんな光景に悠々と歩みを進める彼女はいったい。
「悪魔……」
誰かがポツリと呟いた。なんて、しっくりくる響きだろうか。
開かれるボス部屋の扉……その中心にいる凶悪なゾンビよりも、美琴の方がこの部屋の主にふさわしいと思ってしまったのは莉子だけではないだろう。
『意外と楽しかったですね。そういえば、魔法式は元に戻しておかないと』
最後にして最大の難関を前にして、なんという余裕。
ボスの存在を無視して小銃の術式を最初のものへと直していく。そんな絶好の隙を見逃すはずもなく、素早い動きで接近したのだが……。
「「「ああ、やっぱり……」」」
ここまでくれば、どうなるのかは想像できる。
観衆の想像通り、無数に仕掛けられた罠が作動し、体を剣で貫かれ拘束される。
身動きが一切取れなくなったゾンビの額に、美琴は無表情に小銃の銃口を向けた。
『では、さようなら』
――パンッ!
乾いた音が響き渡る。
「容赦ねぇ」
「血も涙もないのか……」
「無慈悲だ」
「さっきやられたばっかりなのに、最後の方ゾンビに同情しちまった」
「普通なら歓声が響くはずなのに、まさかのドン引きだよ」
「美少女なのに、まさに悪魔……」
「女王様、違う。マオウサマ……」
「小悪魔じゃなくて、ガチな悪魔だったな」
「悪魔だ……」
クリアのファンファーレが響くなか、スクリーンの前で「悪魔……」という単語がエコーするのであった。
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少々やりすぎたかもしれません。
前半がメインでしたが、
後半は思いのほか作者の筆が進みまして……。




