第81話 美琴と莉子(上)
そして、迎えた日曜日。
四月の風はまだ肌寒さを感じさせるが、澄み渡った空に浮かぶ太陽がぽかぽかと体の中を優しく温めてくれる。
穏やかな気候の中、美琴は従姉妹の莉子と一緒に最寄り駅から二つ離れた街にある大型ショッピングモールへと買い物に出かけていた。
「やっぱり、こっちの色のが良かったかな? けど、こっちも捨てがたいし」
目の前で洋服を選ぶ莉子。
その手には、薄い黄色と淡い水色のワンピースがあった。どちらが良いのかと鏡で見比べている。
ああでもない、こうでもないと、一人悶々と鏡の前で格闘していた。
そんな彼女の姿をお店の外にあるベンチに腰かけて、死んだ魚のような目で眺めている。その隣には、大量の紙袋が並べられている。
(たかだが服に、どうしてそこまで真剣に悩めるんでしょうか? というよりも、その化粧だと絶対にその服は似合わないと思いますよ)
莉子は髪を金髪に染めて、メイクをしている。
目を瞠るほど美人という訳ではないが、顔立ちはそれなりに整っている。しかし、派手なメイクのせいで悪目立ちしていた。
服装も、流行なのかカジュアルな服を着ており、ジーパンにシャツ姿の美琴とは対照的である。
服選びのセンスがない美琴でも、その服だけは似合わないと思った。
そんな美琴の心の声が聞こえたわけではないだろうが、何を思ったのか鏡に集中していた莉子は振り返ると、キッと睨んできた。
「あんた、何か文句があんの?」
既視感を覚える光景に、美琴は内心ため息を吐く。
「……いささか、買いすぎではないでしょうか? 今日は必要最低限のものだけ買って、必要になったらまた買いにくればいいと思います。それに少々無駄遣いが過ぎます」
「私の勝手でしょ! なんで、あんたなんかに意見されなきゃいけないわけ!」
美琴の苦言に、莉子は声を荒げて反論する。
日曜日のお昼過ぎということもあり、ショッピングモール内の買い物客も多い。突然声を荒げたため、莉子に視線が集中してしまう。
本人もその視線に気が付いたのか、ふんっと鼻を鳴らしてそのままレジへと向かって行ってしまった。
「……はぁ。価値観の違いってことでしょうね」
美琴の小さなため息は、モール内の喧騒の中消えていくのであった。
「次に行くわよ、次」
会計を済ませた莉子は、新しい紙袋を美琴に渡すと、足早に次の店へと向かって行く。
もはや、案内に来たのではなく、荷物持ちに来たと言った方が正確だろう。渋々ながらも置いた紙袋を両手に引っ掛けると、小さくなった莉子の後姿を追いかける。
「あれぇ、莉子じゃん。なに、買い物?」
「綾が言ってた新しい友達の子? へぇ、結構かわいいじゃん」
「そうそう。この前言った、転校生……なに浮気すんの」
綾と呼ばれた少女が、軽薄な笑みを浮かべる男子を睨みつける。
「しない、しないって!」
冗談だと手を横に振っていると、今度は別の男子が勢いよく手を挙げた。
「んじゃ、俺立候補しまーす!」
「うわ、最低。彼女の前で浮気宣言とか、マジないわ~」
「あんたは御免よ。整形して出直してきなさい」
「うわっ、莉子ちゃん毒舌! 俺、めっちゃ傷ついたんだけど!」
「もっと言っちゃって!」
何が面白いのか、笑い始める四人組の男女。
どうやら莉子の友達のようだが、正直言って近寄りたくもない。通路の真ん中で話し始めていて、他の買い物客も迷惑そうな顔をしていた。
「それで、みんなはどうしてここにいるわけ?」
「当然、デートに決まってるでしょ。この後、上で映画を見に行く予定。……で、莉子は今一人なの?」
綾にそう尋ねられると、一瞬莉子は表情を歪める。
「……荷物持ちが一人いるから。あとは小物を適当に見て回って帰るよ」
「へぇ、荷物持ち。それって、男?」
もう一人の女子の目がギラリと光る。
「違う、違う。ただの従姉妹で嫌な女よ」
「なんだ、女かぁ……。てか、嫌な女とか、莉子ってばかわいそ~」
道の真ん中で大声で会話をしているのだ。
ギリギリ気付かれないくらいの位置まで近づいてきていた美琴の耳にも、彼らの会話がよく聞こえる。
本人の前でしかも顔も知らないはずなのによく言うものだと、呆れてしまう。
「で、綾たちはここで映画まで時間を潰してるわけ?」
これ以上この話を続けるつもりがないのか、殊更に話題を転換する。
「そうそう! 莉子、こっちに来て!」
「えっ、ちょっ、なによ!」
突然腕を引っ張られ、困惑の声をあげながらも人垣の中を進んでいく。
また引き離された。両手に吊り下げた大量の紙袋の重さがいい加減億劫だ。この辺りで待っていようかと思ったが、そんなことをすればまた莉子が癇癪を起すことだろう。
仕方がないとばかりに、彼らの後を追っていく。
「この年になってショッピングモールのゲーセンとか……って、なにこれ?」
「莉子も驚いた? なんでも幻影魔法を使った体験型のゲームなんだってさ……ほら、あっちにある銃を持って襲ってくるゾンビを倒すやつ。男どもにもやらせたんだけど、まじ雑魚でさ」
「雑魚言うなよ!」
「雑魚じゃねーし、普通だし!」
綾の言葉に、情けないブーイングが飛ぶ。
しかし、そんな反論に取り合うこともなく冷たい眼差しで一蹴した。
「けど、あんたら。ゾンビを見てへっぴり腰になってたじゃない」
「そのまま食われてたよね~」
「「……」」
女子二人の容赦ない言葉に、男二人は押し黙ってしまう。
「だって、しょーがないだろ。三次元のゾンビとかまじキモイし」
「制作側も本気出しすぎ。無駄にリアルに作りやがって、後ろから襲い掛かられたときは、マジ心臓止まるかと思った」
「……と、まぁ開始早々ゲームオーバーってこと。情けないでしょ」
綾は莉子に振り返った。
「莉子もやってみたら? こういうの平気でしょ?」
「まぁ、平気かどうかで言われれば平気だけど……」
ドーム型のゲーム機の外には、中の様子が見えるようにスクリーンが設置されていた。そこに映るゾンビの姿がおぞましいことこの上ない。
見ている分にはいいが、中に入りたいとは思えなかった。
「なに、断るわけ?」
「……」
断ろうと思っていた莉子に対して、綾は視線を鋭くする。その目は、「まさか断らないよね」と如実に物語っていた。
莉子はチラリと並んでおいてある拳銃型の魔道具に視線を向けた。
「まぁ……こんなんじゃ、碌な結果にはならないと思うけどね」
「おっ、やる気十分じゃん!」
一転して笑顔を浮かべる綾。
他の三人も同調して莉子を讃えるように捲し立てる。そのころ、ようやく追いついた美琴はベンチに紙袋を置くと、隣にあった販売機で飲み物を選んでいた。
「紙パックなら百円ですが……量で考えたら、ペットポトルにするべきか。くっ、さっき通りかかかったスーパーで買った方が安いのに」
悩みに悩みぬいて、百五十円を入れる。
「……下で買えば百円でおつりが出るのに」と悔しそうにボタンを押した。せめてもの抵抗にスーパーで置いていなさそうなものを選んだ。
さっそく蓋を開けて飲もうとしたところ……。
「ちょっと、あんた……って、何よそれ!」
「『クマの蜂蜜青汁入り栄養ドリンクDX+α』ですが何か?」
「あんた服のセンスどころか、飲み物を選ぶセンスもないわけ……」
「失礼な。これも意外と……けほっ」
一口飲んだが、案の定むせた。
莉子がほら見たことかとあきれた表情をしていた。
「栄養ドリンクをベースとしたさっぱりとした味に、青汁の青臭さに加え、蜂蜜の甘ったるさ。これに炭酸を配合するなんて……人間の飲み物じゃない」
製作者の狂気を感じる味に愕然とする。
一口飲んだだけで、もう二度と飲みたいとは思えない味だ。
「そんなくだらないことを言ってないで、私の代わりにやってきなさいよ」
「……何の話ですか?」
脈絡もない会話に首を傾げる。
莉子はいら立った表情をするが、親指を立ててゲームセンターを指した。そこには綾たちの姿もあり、その先には特設のゲーム機があった。
つまり、あのゲームをプレイしろということだろう。美琴は首を傾げた。
「なぜ私が?」
「魔法が得意なんでしょ。いいから来なさいよ」
腕を掴まれ、ゲームの前まで連れていかれる。
「めっちゃ美少女じゃん!」
「さっき言ってた莉子ちゃんの従姉妹!? 紹介してよ!」
と、男子二人が声をかけてくるが、それを無視する。
「この子さ、月宮に通ってて魔法が得意だから代わりに参加で良い?」
「ふ~ん、その子が莉子の従姉妹か……面白そうだから、やってみなよ!」
笑顔を浮かべているが目が笑っていない。
(はぁ、どうしてこんなことに……)
きっと、この綾と呼ばれた少女。
彼女は美琴に醜態を晒させようとしているのだろう。最初は莉子に狙いを定めていたようだが、美琴が現れた瞬間すぐに標的を変えた。
恨みがましい視線を莉子に向けるが、本人は無視をする。
そして、ゲームのスクリーンに視線を向けた。
(なんともグロテスクな絵面、女子にこれを勧めますか。……でもまぁ、ストレス発散にはちょうど良さそうですね)
ここ最近ストレスがたまり続けていた。その発散ができるチャンスだと思えば、悪くないかもしれない。
「すみません。私も参加しても大丈夫ですか?」
「十五歳以上なら大丈夫ですよ。ただ、結構刺激が強いですが大丈夫ですか?」
係員が心配そうに美琴を見る。
見た目だけなら深窓の令嬢と言われても疑う由がないのだ。美琴は、気負った様子もなく「大丈夫です」と伝える。
「なら、この中から好きな銃を選んでください」
「へぇ……」
この手のゲームは初めてだが、たいてい武器は一種類だと思っていた。
ハンドガン、アサルトライフル、スナイパーライフル、ショットガン、マシンガンなどなど。しかも、拳銃一つとってもリボルバーやガバメントなど多岐にわたる。
どこのガンマニアのコレクションと言われても納得してしまいそうになるラインナップだ。
係員は盗難防止という意味もあっているのだろうが、はたから見たら怪しい武器商人に見える。
銃の種類など分からない美琴は、適当にアサルトライフルの一つを取ろうとしたが、莉子に止められた。
「あんた、本当にセンスないわね」
莉子の言葉に、ムッとしてしまう。
しかし、そんな美琴を気にもせずに、銃を眺めてため息を吐いた。
「……なによこれ張りぼてじゃん。術式はまばらで、発砲までの時間もバラバラ。……ていうか、そもそも真っ直ぐに飛ぶわけ? 効率が悪すぎで、リロードに時間がかかるし」
「えっ……」
莉子の続く言葉に、美琴は声を漏らす。
「こっちにしなさい」
ぼんやりと銃全体を見ていた莉子は、その中から一丁の拳銃とさらに予備の拳銃を渡す。
一瞬満足そうな表情を浮かべた莉子であるが、美琴に助言した事実を思い出したのか鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「無様に逃げ回ることね。笑ってあげるから」
そう言って、美琴から離れて綾たちのもとへ戻って行くのであった。




