第75話 氷の精霊?
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返信ができず、申し訳ないです。
楽しく読ませていただきました
吹雪く、吹雪く。
白銀の雪が風で舞い散り、あたり一面を白く染め上げている。それは、まさに銀世界。逆行した時間は、春のほのかな温かささえも染め上げる。
まるで、真冬の到来のようだ。
吹雪は美琴たちの周囲を避け、銀世界にぽっかりと空いた穴。
吐く息は白く、冬の寒さを感じる。しかし、不思議なことに目の前の光景と、実際の寒さが一致していない。まるで別世界から覗いているような錯覚を覚えた。
「それで、いったいお前はどこぞの悪魔を召喚したんだ」
「人聞きの悪いことを言わないでください。まだ、悪魔が出てきたと決まったわけではありませんし、ペンギンかもしれないですよ」
「もしペンギンだったなら、その産地はきっと魔界ね」
「……」
美琴は、まるで死んだ魚のような目をして目の前の銀世界を眺める。
――どうしてこうなったのだろう。
頭の中で、延々とリピートする問答。
しかし、美琴が望む答えが出るはずもなく、ただぼんやりと目の前の光景を眺め続けた。
「それにしても、姫様のもう一体の精霊(?)は何なのかしらね? まったく姿が見えないわ」
「確かに、これは不思議ですな。すでに、顕現しているというのに、姿がどこにも見えない……こんな事今まで一度もなかったですな」
「だから、どっかに悪魔が隠れているんだろう?」
すると、何かひらめいたのか川口がポンと手を叩いた。
「もしかしたら、魔界の悪魔ならぬ、魔界のあっ熊だったりして」
「「「……」」」
「……すみません」
凍った空気に耐えかねて、川口は謝る。
ただでさえ真冬のような気温なのに、川口のせいで気温がさらに下がったような気がする。
無言の視線に耐えかねた川口はゴホンと咳ばらいをすると、話題を変えた。
「しかし、田辺さんの悪魔が何なのか気になりますね。この雪と関係しているのは確かなんだと思いますけど」
「氷の悪魔だろう? それ以外にこんな景色あり得るのか? お前、こういうの好きだろう。何か分からないのか?」
「と言われても……。一瞬思ったのは女神ヘルですね」
「ヘルって、あの北欧神話の? 確か、ロキの娘で死の女神とかじゃなかったかしら?」
「はい。ヘルは、北欧神話にある九つの世界の一つ氷の世界ニブルヘイムに投げ込まれたとされています。そのため、ニブルヘイムのことをヘルヘイムとも呼ばれたりしています。ちなみに、そこにはニーズヘッグと呼ばれる蛇とも龍とも呼ばれる生き物が棲んでいるとのことです」
「お前、こういうときだけは口がよく回るな」
まったくもって、カーラの言う通りだ。
普段はおどおどと話す川口であるが、先ほどと同様に随分と饒舌に話す。カーラのみならず美琴もまた白けた視線を向けると、川口は頬を引きつらせて顔をそむけた。
「それにしても、女神に蛇ね。姫様なら、どっちでもお似合いかしら」
「蛇とか、つまらないぞ。私は断然悪魔が出てくると思うな」
「つまらなくて結構です。これでまた、悪霊が出てきたらどうするんですか?」
と、そんなことを言ったからだろう。
「呼んだか?」
いつの間にか、美琴のすぐそばにはスーツ姿の男が立っている。
「呼んでませんし、現れなくていいです。そもそも、どうやって出てきたのですか」
凍てつく視線に、悪霊はびくりとする。
美琴がそっと手を伸ばすと、悪霊は慌てたように弁明を始めた。
「ま、まてっ! 出てきたのではない、残っていたのだ!」
「残っていた? 一度、魔法を解いたはずですが?」
「この魔法は、正式な手順で解かなければ反動を受けることになる。我で言えば、しばらくの間体の形を保てなくなるのだ。それゆえに、多少強引な手段を用いたが、辛うじて残ることができたということだ」
言われてみて気が付く。
悪霊の姿は、先ほどと比べてボロボロだった。スーツはところどころ破れ、その表情は疲労の色を浮かべていた。
それに、よく見るとまるで幽霊のように体が透けているのではないか。
「ここにいる我は、ただの搾りかすのようなものだ。すでにリンクは途絶えておる。しばらくすれば、魔素がなくなり勝手に消えるのだから、わざわざ消す必要はなかろう」
「そういうことなら、仕方がありませんね。……それと、いつまでもその姿でいないで元の姿に戻りなさい」
悪霊の姿は、未だ金田誠の面影を残す人間の姿だ。
誰が好き好んで冷徹無慈悲な血も涙もない悪魔のような……悪魔をそばに置きたいと思うのだろうか。
渋々と言った態度で元の姿に戻る悪霊。
しかし、当然ながら元の姿は地獄の大公爵マルコシアスの姿だった。
(どちらにしても、悪魔なんでしたね)
などと思いながら、美琴は深いため息を吐いた。
すると、カーラが悪霊に尋ねた。
「んで、あれはどこぞの悪魔なんだ?」
お前の知り合いなんだろうとでも言いたそうなカーラの態度。悪魔の知り合いと言えば、悪魔……そう言いたげだった。
しかし、意外にも悪霊は首を横に振った。
『あれは悪霊ではないぞ』
「「えっ」」
「本当ですかっ!」
悪霊の言葉に、殊更がっかりするカーラと勇気。
一方で、美琴は悪霊でないことに目を輝かせる。そして、悪霊に尋ねた。
「それで、私の精霊はどこにいるんですか? やはり、ペンギンですか?」
そう尋ねると、悪霊は「ペンギンはないだろう」とでも言いたそうな表情を浮かべた。いつもであれば、一言二言文句を言っていたところであるが、今の美琴は非常に機嫌がいい。悪霊の続く言葉を静かに待つ。
『どこにも、何も……』
――目の前にいるだろう
その言葉に、美琴は「は?」と間の抜けた声を上げてしまう。
目の前に広がるのは猛烈な吹雪。視界も悪く、ただ見えていないだけかもしれない。そう思った矢先だった。
――ふふふふっ
それは人間の笑い声だった。
甲高い声から、おそらく女性の声だろう。しかし、その声が聞こえた瞬間、美琴の背筋にゾクリと悪寒が走った。
そして、吹雪の合間から一人の女性の姿が一瞬だけ見えたような気がした。
「妖怪の可能性を忘れていたわ! 今のって絶対に雪女よね!」
「そう来たか」
嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる勇気。
ペガサスが若干引いている……きっと、顕現したばかりのころはこんな宿主だとは思っていなかっただろう。
「スピリットって、妖怪も出るものなんですか?」
「そんな話、聞いたことがないな……だが、悪魔がいたんだ。妖怪がいてもおかしくはないだろう」
川口の質問に、雨水は顎に手を当てて何か考えているようだ。
どうにも、美琴のケースのみ天道の研究データが当てにならない。そのことを考えているのだろう。
ふと、何か嫌な想像でもしたのか、雨水は表情をこわばらせた。
「もしかすると、つ……」
そこまで口にしたところで、はっとなる雨水。
しかし、美琴の耳は確かに雨水の続く言葉を聞き取ってしまった。「月宮では」と雨水は口にしていたのだ。
仮に月宮本家で、この『スピリット』が扱われたらとでも想像したのだろう。美琴は、一瞬だけ悪霊に視線を向けたのち、浮かんだ想像を消すように首を横に振った。
『盛り上がっているところ悪いが、あれは妖怪でもないぞ』
悪霊の言葉に、一様に首をかしげる。
あれを雪女と呼ばずして、何と呼べばいいのか。そう思っていると、悪霊が静かに種明かしを始めた。
『北欧の伝承には、雪と氷でできた妖精が登場する』
「妖精!」
禍々しいものではないと分かり、喜色の笑みを浮かべる美琴。
一方で、カーラと勇気はがっかりとした様子だ。人のことを何だと思っているのだと思った美琴であるが、それよりも悪霊の話の続きが気になった。
『いたずら好きな童のような妖精。……だが、とても恐ろしい妖精でもある。怒らせるとその相手を氷漬けにして殺してしまうこともあり、笑いながら人間を凍らせる姿は、我をして恐怖を抱かずにはいられない』
「「……」」
「……」
無言で向けられる視線。
美琴は引きつった表情で視線を逸らす。いい加減、この駄犬を黙らせようかと思っていた矢先……。
――ふふふふっ
再び聞こえてきた女性の笑い声。
まるで「私は誰でしょうか」とでも言っているようだ。そして、悪霊は締めくくるようにその妖精の名前を言った。
『ジャックフロスト……厳寒、冬の天候を擬人化した存在だ』
「ジャック、フロスト……」
美琴がうわごとのように呟くと、吹雪は一か所に集まる。
雪と氷で染め上げられたアリーナの中で、吹雪は人の姿を形作る。
これがジャックフロストなのかと思った美琴であるが、悪霊の話にはまだ続きがあった。
『そして、日本でもまた、厳しい冬の天候を擬人化した存在がいる。それを人はこう呼ぶ』
――冬将軍、と
まるで、正解だとでも言わんばかりに姿が顕わになる精霊。
顔立ちは美琴によく似ている。美琴とは対比的に白銀の髪を持ち、肌は雪のように真っ白だ。
年のころは二十歳くらい、美琴よりも身長が高く女性らしい豊満な体つき。
豪華な衣装に身を包み、嗜虐的な笑みを浮かべる姿は非常に様になっていた。色合いこそ違うが鏡写しのような姿に、美琴は思った。
(これなら、まだ普通の悪魔の方が良かった……)
悪魔よりも悪魔らしい。
悪霊が精霊に見えてしまうほどの存在が目の前に現れるのであった。




