第73話 美琴の精霊?
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(これほどとは……)
目の前の光景に、雨水は内心で冷や汗をかく。
田辺美琴、彼女の小さな体から放たれる魔素の量は、龍哉の魔素保有量を軽く凌駕し、下手をすればクラス全員の魔素を合計しても、なお上回るかもしれない。
それほど膨大な魔素を発しているにもかかわらず、当の本人はわずかに疲労した様子が見える程度……これで全力でないのだから、雨水からしたら悪夢のようだった。
雨水は、ふと先ほどの幽玄の話を思い出した。
『雨水、今ここに面白い者が来ておるぞ』
『幽玄様が興味を惹かれるような者がおられるのですかな? 四家の者でしょうか?』
『あぁ。しかも龍哉と同い年だ』
『なんとっ! 正直に申し上げて、あの世代に幽玄様の興味を惹くような人物がいるとは思っておりませんでした。……して、それは諸星でしょうか、土御門でしょうか』
『いいや……』
――月宮じゃよ
脳裏に浮かぶ、幽玄の笑み。
最初に言われたとき、雨水は言葉の意味が分からなかった。最もありえない苗字が挙げられたからだ。
そして、半信半疑のまま美琴と出会い、驚愕したものだ。あまりにも、その姿が若かりし頃の琴恵に似ていたからだ。
(田辺美琴……初めて聞く名前だ。分家の人間かと思ったが、隠し子の方が可能性が高そうだな)
空間さえも歪めてしまうほどの膨大な魔素量。
空間魔法に長けた月宮であっても、これは異常なことだ。おそらく、彼女の魔素保有量は現時点で月宮の当主である琴恵と同等か、それ以上かもしれない。
――彼女の精霊はいったい……。
そう思った矢先だった。
いつの間にか、美琴から発せられていた恐ろしいまでの漆黒の魔素が霧散していた。雨水はこの現象をよく知っている。
(失敗したの、か……)
闇属性の精霊は、データが極端に少ない。
闇属性の適性を持つ者がそもそも少ないということもあるが、天道の本家に闇属性の適性を持つ者はおらず分家に数人いる程度だ。
学園に在籍している生徒の中には、十人ほど闇属性の適性を持つ者がいる。しかし、精霊として具現化できたのは、そのうちたったの三件だけだ。しかも、召喚された精霊は非常に小粒だった。
だからこそ、彼女には期待していた。
(やはり、闇属性は具現化魔法と相性が悪いのか?)
そんな考えが脳裏に浮かぶ。
あれほどの魔素が込められたというのに、具現化されなかった。術者が問題ではなく、術式に問題があると考え始めたときだった……。
「「悪魔とかじゃないか(かしら)」」
「ちょっと、変なことを言わないでください! これで、変なのかが出てきた、ら……」
美琴の声が不自然に途切れると同時だった。
目の前の空間に、突如現れた漆黒の歪。その闇の向こうには何があるのか、雨水は興味本位で覗いてしまったことを後悔した。
「っ!?」
暗闇の向こうに見えた、怪しく灯る四つの光
背筋に冷たいものが走る。自然と呼吸も荒くなり、体の自由が利かなくなる。まるで、この場が水で満たされたような気分だ。
そして、それはついに歪の向こうから姿を現した。
歪の向こうから最初に顕わになったのは、鋭利な爪。
漆黒の毛皮に覆われていることから、獣であることがわかる。徐々に姿が顕わになっていくと、美琴がほっと胸をなでおろすのが分かった。
一方で、カーラはどこかつまらなそうだった。
「見てみなさい。登場の仕方こそ異常だったかもしれませんが、ただのワンちゃんではないですか」
「ちっ、悪魔じゃないのか。犬なんて、つまらないぞ」
「いやいや! 二人とも、あれはどう見ても狼ですって! 滅茶苦茶凶暴そうなんですけど!」
「確かに狼ね……。はぁ、姫様なら悪魔が出てくると思ったんだけど、残念だわ」
歪から現れたのが狼だと知ると、不満が飛び交う。
しかし、雨水はあれがただの狼だとは思えなかった。サイズが大きすぎたのだ。カーラの子猫や勇気のペガサス、龍哉の翠玉も最初は幼体だった。
しかし、空間の歪から出てきた狼は、どう見ても普通の狼の成体よりも大きかった。それになによりも……
(先ほど見えたあれは、確かに眼だった)
「まったく、一瞬本当に悪魔が出てくるかと……」
美琴の声が不自然に途切れる。
先ほどまで不満を言っていたカーラたちも口を閉じてしまった。黒狼の背に、生えた巨大な翼……それは、決して狼に生えていないはずのものだった。
しかし、それだけでは終わらなかった。
「……」
美琴に視線を向けてみると、盛大に口元を引きつらせていた。
それは、川口も同様だ。しかし、一方でカーラと勇気は喜色の笑みを浮かべている。そして、ついにその黒狼の全貌が明らかになった。
「翼を持つ狼の姿で、尻尾が蛇……確か、マルコシアスとかっていうんじゃなかったか?」
「マルコシ、アス……?」
「ゲームとかで出てくるモンスターよね! 確か、悪魔がモチーフだったはずよ!」
「本当か!」
「モンスター? あ、悪魔……?」
嬉しそうにするカーラと勇気とは対照的に、美琴の瞳から見る見るうちに光が消えていく。ホラーだった。端正な顔立ちが、より一層恐ろしかった。
もうこれ以上言ってあげるな。
そう思った雨水だったが、もう遅かった。
「ええ、蛇の尾に翼の生えた狼、間違いなくマルコシアスですね。正真正銘、悪魔で間違いありませんよ。しかも、マルコシアスはただの悪魔じゃありません! ゴエティアに記載されている地獄の侯爵ですね!」
「「地獄の侯爵!」」
「……」
川口の説明に目を輝かせる二人とは対照的に、美琴の目は完全に死んでいた。
そんな美琴に追い打ちをかける存在がいた……。
『いかにも。我が名はマルコシアス、貴様が我の宿主だな』
「「「「……っ」」」」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
精霊とは、意思や感情をもたない魔素の塊……感情があるように見えるのは術者の感情を反映させているだけと考えられてきた。
それゆえに、高度な思考能力は持たず、ましてや人の言葉を話すなんてありえない。そう、ありえないはずだった。
『どうした、驚きのあまり言葉もないか。さもありなん。我ら悪霊を前に畏怖するのは当然のこと。恥じることで、は……』
「口を閉じなさい」
余裕のある態度から一転して、体をこわばらせる悪魔……いいや、悪霊。
美琴から向けられる極寒を彷彿とさせる冷たいまなざしを前に、直接向けられていないはずの雨水でさえも背筋がゾクリとした。
他の者たちも同様だろう。
しかし、当の本人は悪霊を前に顎に手を当てて、何やら考え始めた。
「口さえ開かなければ、ただの狼に見えなくもないですね。一つ聞きますが、その翼と尻尾は消すことはできますか?」
『わ、我に尻尾と翼を消せと言うのか? そんなことっ』
「できるのですか、それともできないのですか?」
『ひっ! ……で、できません』
最初の威圧感はどこに行ったのか。
美琴が一瞥しただけで、小動物のようにガタガタしているではないか。美琴は、そんな悪霊を見て一言……。
「毟りますか」
『ひっ、ひぃぃ……』
その一言に、悪霊は器用にも背中の翼と尻尾の蛇を隠す。
蛇に関しては『私、毟られちゃうの!』とでも言いたそうに、目を潤ませていた。もはや、哀れだった。
「姫様の前だと、地獄の悪魔が形無しね」
「どっちが悪魔か分かったもんじゃないな。あいつの出身が、地獄だと言われても私は疑わないぞ」
「確かに……」
「う、うるさいですね! だいたい、貴方たちが変なことを言うから、変なのが出てきてしまったんですよ! どうしてくれるんですか!」
「責任転嫁はよくないぞ。それがお前の精霊……じゃなかった、悪魔なんだろう」
腰に手を当てて怒りをあらわにする美琴。
一方で、カーラはやれやれと言った様子で肩を竦めた。小さくなっている悪霊さんは『変なのって』とかなりショックを受けているようだ。
古今東西、悪魔召喚を行ったもので美琴のような態度を取った者はいなかったことだろう。
「それにしても、これどうしましょう? 取り替えることはできないのですか? もしくは、返品でも構いません」
美琴が、悪霊を指差しながら雨水に尋ねてきた。
あまりにも、扱いが雑な悪霊が可哀そうだ。
「……できませんな。そもそも、悪魔を呼び出したケースが初めてでして」
「闇属性の精霊はすべて悪霊なのではないのですか」
「成功例は三件ほどで、カラスとか黒い生き物だけでした。悪魔……ゴホン、悪霊が呼び出されたケースは初めてです」
そもそも、悪魔が混じっていると分かっていれば『スピリット』と名付けることはなかっただろう。そんな風に考えていると、美琴の前で小さくなっていた悪魔が面白くなさそうに鼻を鳴らした。
『我ら悪霊がそんなお手頃に呼び出されるわけがなかろう。呼び出すには相応の対価が必要なのは当然のこと』
「それはつまり呼び出すための魔素が足りなかったということですかな?」
『その通りだ。だからこそ、かつての人間は生贄を用いることで悪霊を呼び出していた』
「なるほど。一つ聞きたいのですが、その知識はいったいどこから?」
『愚問だな……我を何だと思っている』
言われてはっとなる。
確かに、古代より悪魔たちは人間に知識を授けると言い伝えられているのだ。人間が知らない知識を持っていたところで何ら不思議はない。
「悪霊を自称するのなら、自分の姿くらい変えられないのですか? 私のイメージ的に、チワワとかそういった動物とかに」
『いや、まったく合わないんだが』
「なにか?」
『ひっ、できません!』
「そうですか……」
悪霊の言葉に、美琴はがっかりとする。
ただ、雨水はその光景を見て思った。
(どう見ても、お似合いのように見えるのは私の気のせいか?)
逆に、美琴の足元に普通のチワワがいた光景を想像してみる。
……そちらの方が不自然だった。やはり、彼女には悪魔の方がよく似合うと失礼ながら考えていると、悪霊は信じられないことを言い放った。
『犬にはなれぬが、人間になら化けられるぞ』
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