第72話 スピリット
龍哉が立ち去り、授業どころではなくなってしまったため、美琴たちの姿は隣のアリーナにあった。
「もうっ、何なのあれは! 姫様もどうしてぶっ飛ばさなかったのよ!」
腰に手を当てて怒りをあらわにする勇気。
一方で、美琴は小さく首を横に振った。
「大変失礼いたしました。先ほどの龍哉様の行動は、私から幽玄様に直接お伝えいたしますので……」
そう言って申し訳なさそうに目を伏せる。
雨水とて、龍哉の行動は想定外だったのだろう。クラスメイトたちも同様で、龍哉の変化に戸惑いを口にする者たちがいた。
龍哉と初対面の美琴には、どちらが本当なのか判断はできないが……。
(不毛の世代ですか……)
龍哉の小さなつぶやきは、美琴の耳にしっかりと届いていた。
酷な話だ。
偉大な父や母、祖父や祖母、果てには曽祖父までと比べられ、非才だと嘆かれる彼ら……。美琴……誠もまた、月宮本家で出会った従兄妹たちの姿を見て落胆したのは記憶に新しい。十分な才がある龍哉にとって、そんな彼らと同列に扱われるのは、酷く屈辱であったことだろう。
「構いませんよ。それにしても彼は天道にしては驚くべきほど真っ直ぐに育っているようですね」
「よく言われます」
美琴の言葉に、雨水は苦笑する。
そんな二人のやり取りに、勇気は心配するような視線を向けた。
「二人とも目は大丈夫かしら? どこからどう見ても、ひねくれているようにしか見えないのだけど」
「だから、天道にしてはと言ったじゃないですか? 天道は自由奔放な人が多いですから、ああいう堅物タイプは珍しいんですよ」
「幽玄様を見てると納得だけど、他もそうなの?」
昨夜見た幽玄の姿を思い出しながら、勇気は尋ねる。
「ケリーさんに似たタイプが多いですな」
「うわぁ」
雨水の返答に、勇気は心底嫌そうな表情をする。
なにせ、彼の隣には先ほどの騒動の中でも一切関与せず目を輝かせてデバイスを解体しようとするカーラと、それを制止しようとする川口の姿があった。
カーラだけが別世界にいると言われても疑わないだろう。と、その時だった……。
「うおっ、何か出たぞ!」
すると、カーラの体から金色の粒子があふれ出す。
雷属性の魔素だ。あふれ出した粒子は、カーラの手前で集まり始め、形作られていく。
『なぁ~』
現れたのは、黄色い毛並みの子猫。
あれが、カーラの精霊なのだろう。周囲の視線が集まる中、子猫は主人同様に我関せずと毛づくろいをする。
猫好きにはたまらない愛らしさがそこにはあった。
しかし、カーラは猫好きでもましてや動物好きでもなく……。
「なんだこいつは?」
子猫の首根っこを掴んで視線の高さまで持ち上げた。
猫愛好家がこの光景を見たら卒倒すること間違いないだろう。
『なぁ~』
珍妙なものを見る学者と、首根っこを掴まれたのに毛づくろいをやめない猫。
――似たもの同士
そんな言葉が脳裏によぎった。
「それが先輩の精霊ですよ」
「これがか?」
「ええ。それにしても、カーラ先輩が猫……好奇心旺盛な性格が反映されているのかもしれませんね」
そう言って、川口は苦笑する。
勇気もまた「確かに、それならお似合いね」と笑う。
「『……』」
カーラは無言で子猫を観察する。
しかし、子猫は毛づくろいをやめない。むしろ宙づりの状態を楽しんでいるようにも感じる。
それを見て、一言……。
「私はこんな図太くはないぞ」
「「「どの口が言う」」」
美琴、勇気、川口の三人が口をそろえて言う。
どう見てもそっくりだ。しかし、カーラはそれが不満なのか頬を膨らませて子猫を見る。子猫は毛づくろいが終わると、眠たそうな目でカーラを見る。
「いっ!」
バチっという音とともに、反射的にカーラは子猫を放した。
「おいっ! 今こいつバチっていったぞ!」
『なぁ~』
慌てるカーラとは対照的に、軽やかに着地した子猫はその場で小さく欠伸をして、体を丸めて眠ってしまった。どうやら、お昼寝の時間のようだ。
周囲を一切顧みず、我が道を行く姿はどこかの誰かさんとそっくりだった。安眠を妨害されないように、周囲に雷の結界を張り巡らせている。
「これは、見事ですね。精霊は私たちとは違って術式なしに魔法が使えるということですか。しかも、まるで呼吸でもするように自然と扱えるのですね。それにしても、精霊には人格のようなものがあるのですか?」
「天道でも、人格の有無について研究を進めているのですが、今のところ不明です。主人の意思や感情を反映しているというのが、今最も有力視されている説です。姿かたちは、主人の性格や魔素の性質など様々なファクターによって決定されます。一度決定すると、変更することはできません」
「それは、興味深い話ですね」
視界の端では、子猫が張った結界に阻まれるカーラの姿があった。
美琴は、その姿を興味深そうに顎に手を当てて観察する。
「あぁ。だから、カーラ先生とそっくりなのね」
「先輩が二人とか、想像しただけでぞっとします」
「お前ら、好きかって言ってないでこいつをどうにかしろ! 触ろうにもビリビリして触れないぞ!」
しびれを切らしたカーラは、勇気たちに声をかける。
しかし、誰も動こうとはせず、子猫と戯れるカーラを眺めながら話を続ける。
「それにしても、主人の性格とかでどんな精霊か決まるのね。私の場合、何になるのかしら?」
「西川君の属性は何かな?」
「私は、彩香と同じ光属性よ」
「ほぉ! 光属性か、それは珍しいな!」
思わぬ幸運に出会ったと、雨水は笑みを深める。
それだけ、光属性の使い手は少ないのだ。
「だが、想像が難しいな……光属性は空を飛ぶものが多い。妖精の例もあったから、どれになるかは全く想像できん」
「空を飛ぶ生き物か……まぁ、ものは試しよね。どんな精霊が出てくるのかしら」
「それもまたスピリットの醍醐味ですな」
そう言って、雨水は勇気にデバイスを渡す。
自分の精霊が何なのか、緊張した様子で勇気もデバイスに魔素を流し込んだ。
「これは、結構きついわね」
想像以上に、魔素を吸い取られているのだろう。
勇気の額には脂汗が滲んでいる。その光景に、雨水は目を見開いて驚愕をあらわにしていた。
美琴がその理由を尋ねるよりも先に、あふれ出た白色の魔素が形づくり始める。勇気の膝くらいの高さだ。そして、現れたのは……
『ヒッヒーンッ!』
「あら、馬だったのね! 綺麗な白馬だわ!」
現れたのは純白の仔馬。
勇気は、その場にしゃがみ込むと馬の頭をなで始める。それが気持ちよかったのか、仔馬は勇気に頭を擦り付ける。
性格は何であれ、勇気は美少年だ。
仔馬と戯れる姿は、非常に絵になっていた。すると、勇気は何かに気が付いたのか、仔馬を撫でる手をぴたりと止めた。
「あれっ、これって小さいけどもしかして……翼?」
仔馬の背のあたりにある、二つの小さな突起。
よく見ると、確かに翼のように見える。翼の生えた馬など現実にはいない。だが、龍哉の精霊を思い出すと、その精霊が何か察しがつく。
「ただの馬ではなく、ペガサスですか」
「すごいですね」
「龍哉様と同じ幻想種とは……。これは、素晴らしいことですな!」
驚愕する美琴と川口。
一方で、雨水は喜びをあらわにしていた。
「幻想種? けど、翼というほど大きくはないけど?」
「精霊は、生まれたときは必ず小さいのです。龍哉様の翠玉も、最初は西川君の精霊よりも小さかったのですよ。きっと、成長すれば大きくなりますよ」
「そうなの」
雨水の話を聞きながらも、勇気は生まれてきた精霊を撫で続ける。
カーラは子猫、勇気はペガサス、それぞれが方向性こそ違っているものの中が良さそうだった。
美琴がその光景を少しうらやましく思っていると、それを察したのか雨水が腕輪型のデバイスを差し出した。
「田辺様も是非お試しください」
「ありがとうございます」
「いえいえ、田辺様の精霊は非常に楽しみですからな。ちなみに、田辺様の属性は何でしょうか?」
「闇と氷ですね」
「ほぉ! 二属性もち、しかも希少属性ですか! 二属性もちは、込める魔素の属性によって精霊が変わってきますよ」
「えっ、それってつまり姫様は精霊が二体いるってこと?」
「そうなりますな。どんな精霊が出てくるか楽しみです」
雨水の期待のこもった視線を受けながら、美琴は腕輪を着ける。
「私の精霊ですか……」
少しだけ、胸がドキドキする。
美琴がデバイスに魔素を込め始める。
「猫も良いですが、犬とかも良いですね。妖精というのも捨てがたいですし」
そんな風に口にしていると、カーラが横から口出しした。
「現実逃避はやめろ、マコト妹。お前なら……」
そして、それに勇気も続く。
「そうよ姫様。現実を受け止めるべきよ。姫様の精霊?って言ったら、そんな可愛らしいものじゃないわよ。そうね、姫様なら……」
体内の闇属性魔素がごっそりと抜かれたような気がする。
魔素が大量に失われたことによって、酷い虚脱感が襲い掛かるが、嫌な予感がしてたまらない。
そんな美琴に追い打ちをかけるように、カーラと勇気は声を合わせて言った。
「「悪魔とかじゃないか(かしら)」」
「ちょっと、変なことを言わないでください! これで、変なのかが出てきた、ら……」
そんな言葉とともに、目の前に漆黒の粒子がまるで空間の歪のように広がる。そこから美琴の精霊が顔を出した。
その光景を見て、美琴は口元を引きつらせた。
(変なことを言うから、変なのが出てきてしまったではないですかっ!)




