第61話 引きこもり教師
二日連続の投稿です!
――キーンコーンカーンコーン!
学校のチャイムでお馴染みのウェストミンスターの鐘の音が、ここ一年Sクラスに響き渡る。
その音を耳にした美琴は、手に持った資料から視線を上げると周囲を見渡した。本来であれば教師合わせて十人いるクラス。
しかし、どう見ても人が少ない。
具体的には、クラスの半分しかいなかった。
「まぁ、予想通りと言えば予想通りですね」
そう言って、美琴は内心ため息をつく。
「こんなことなら、私も来なければよかった」という言葉が喉元まで出てくるが、隣に座る彩香の瞳孔の開いた目を見て、反射的に飲み込んでしまう。
「生徒はともかく、先生までいないって……ふふっ、ふふふふ」
「「「「……」」」」
壊れたように笑う彩香。
不気味を通り越して、恐怖さえ感じるのは美琴だけではないだろう。一郎は、気まずげに視線を窓の外に向け、先ほどまで眠っていたはずの太郎はビクンと体が跳ね上がる。
彩香の後ろに座る少女の表情は見えないが、気弱そうな雰囲気からして顔面蒼白になっていることだろう。
「美琴?」
「はい、何でしょうか?」
まるで地獄の底から響き渡るかのような低い声色に、美琴は努めて冷静に返事をする。
「カーラさん、連れてきて。私は職員室に行ってくるから」
彩香は、すっと立ち上がると美琴に視線を向けて指示を出す。
「分かりました」
「きっと、カーラさんのことだから研究室にいるわ。ふふっ、教師なのに職員室にいないのよ、絶対……」
そう言い残して、教室を後にする彩香。
誰一人声を上げることなく、その後ろを無言で見送る。そして、彩香の姿が見えなくなったところで、一郎が美琴に尋ねた。
「……三沢はいったい何を怒ってるんだ?」
「楽しみにしていた高校生活が、この状況ですよ? 怒るのも当然ではないのですか? まぁ、私としては学校が面倒なので、ないに越したことはないのですが」
「学校が面倒って、前から思っていたが見かけだけ優等生だな……。まぁ、俺も同感だが」
「……すぴー」
一郎の言葉に同感だと寝息を立てる太郎。
美琴達三人もまた、彩香の怒りが理解できない様子だ。それを聞いていた、白髪の少女がポツリと呟いた。
「きっと、三沢さんが一番まともなんだと思う……」
◇
カーラの研究室の前。
その扉には、非常に読みにくい文字で……
――『ただいまがいしゅつちゅう
ようがあってもかえれ』
せめて漢字を使おうなどとは言わない。
相手はカーラだ。
そして、どこから持ってきたのかわからないが、『keep out』と書かれた黄色いテープが貼られている。
この光景を見て中に人がいないと思うだろうか、いや思わないだろう。
「はぁ……」
美琴は殊更に大きなため息をつく。
このままUターンして帰りたい気分だ。しかし、怒り狂う彩香が脳裏に浮かび、美琴はカーラの貼り紙をビリビリと剥がし、クシャクシャに丸める。
「カーラ、いるのは分かっています。おとなしく出てきなさい」
美琴は扉をノックして、カーラが出てくるように促す。第三者から見ると、立てこもり犯への警告のように聞こえるかもしれない。
尤も、この場合立てこもり犯というよりも、むしろ引きこもり犯の方が正しいだろう。すると、中から返事があった。
「マコト妹、お前は字が読めないのか? 貼り紙に外出中だと書いてあったはずだ。かわいそうな奴だな」
「……ではなぜ、あなたが部屋の中にいるのでしょうね?」
返事をした時点で、居留守にさえなっていない。
いや、本人としては貼り紙一枚で帰れば手間が省けると思ったのだろう。居留守が見抜かれた時点で隠す気などさらさらない。
セキュリティに絶対的な自信を持っているため、居留守がばれても出ていく必要はないと思っているのだろう。
「カーラ、ご存じですか? 学校にはマスターキーがあるんですよ。彩香がすでに職員室へ向かっています。自分から出てきた方が、罪は軽いと思いませんか?」
美琴が説得を開始した。
しかし、返ってきたのは鼻で笑ったような音。気のせいかと思ったが、続くカーラの言葉には明らかな嘲笑が感じられた。
「私が何の対策もしていないと思ったか? 鍵を見てみろ」
「指紋ドアロック!?」
「指紋、パスワード、鍵の三つがなければ開けることはできないぞ」
「こんなもの、いったいいつの間に……。少なくとも、先週まではなかったはずですが」
「昨日のうちに付けておいたに決まってるだろう。案の定、今朝から教頭がうるさくてな」
「こんなときだけ、用意周到な……」
褒めるべきなのか、それとも呆れるべきなのか美琴には判断がつかない。
立ち入り禁止の扉の向こうからは、どこか勝ち誇るような声色。さすがの美琴も、これにはむっとなるが、生憎ピッキングの技術は持ち合わせていない。仮に持ち合わせていたとしても、この鍵を開けるのは困難だろう。
美琴はどうやってカーラを部屋から出したものかと考えていると、不意にカーラから声を掛けられる。
「マコト妹、このまま帰るのなら良い物をやろう」
「何ですか?」
「ちょうど、ここにそれと同じ鍵がもう一つある。お前がおとなしく帰るのなら、これをくれてやる」
「それはっ……!?」
美琴は息をのむ。
これはまさに最強の引きこもり道具である。これさえあれば、彩香に無理やり学校に連行されることなくずる休みができるのだ。
なんという悪魔の取引……。
カーラの悪辣な一手に、美琴はたじろぐ。
「ほら、どうした? 今日中に郵送してやるから、明日には取り付けられるぞ。さぁ、どうする?」
「くっ」
カーラに翻弄される。
その事実に歯噛みしたい気分だが、視線を鍵に向ける。いったいいくら掛かったのか分からない。しかし、実際に買うとなると高価であることは間違いない。
美琴はわずかに逡巡し、そして決めた。
「分かりまし……「こらっ、美琴!」」
美琴が悪魔の取引を受け入れようとした瞬間だった。
悪魔でさえも恐怖で逃げてしまいそうな怖い表情を浮かべた天使が現れ、美琴に囁いていた悪魔がしっぽを巻いて逃げてしまう。
「ねぇ、美琴。ミイラ取りがミイラになるって言葉、知ってる? 引きこもりを連れ出そうとして、何自分が引きこもりになろうとしているのかな?」
「いえ、別にそんなつもりはありませんでしたよ。せっかく貰えるんですから、いただいておこうかと思っただけです」
内心冷や汗をかきつつ、美琴は冷静を装って嘯く。
惜しい気もしたが、彩香が現れた以上交渉は決裂だ。扉の向こうから、「ちっ」という舌打ちが聞こえたような気がする。
「しかし、彩香。流石にカーラを連れ出すのは不可能なのでは? この鍵は開けられませんよ」
「……随分と厳重な鍵ね。けど、美琴ならやろうと思えば壊せるでしょ?」
「「……」」
一瞬聞き間違えかと思った。
しかし、彩香の眼は本気だった。その据わった眼を見た瞬間に、やらなければやられる。そう直観した美琴は、学校用に改造したデバイスを取り出す。
月宮学園は、魔法を専門とする学校であり、魔法の規制レベルは低い。
学園内は、耐魔素材で覆われているものの、カーラが用意したドアロックは普通の素材でできている。そのため、壊そうと思えば、簡単に壊せるのだ。
「ま、まて、マコト妹。お前の良心はどこへ行った!?」
扉の向こうから焦ったような声が聞こえてくる。
いくら美琴でも直接的な手に出てくるとは思ってもいなかったのだろう。実際、美琴自身良心の呵責は確かにある。
しかし、隣に笑顔で佇む彩香のプレッシャーを前に、そんな些細な事吹き飛んでしまった。
「美琴様、お待ちください」
すると、突然声を掛けられる。
聞き覚えのある声だ。振り返ると、そこには案の定よく見知った顔があった。
「葵? おば……当主様の側仕えであるあなたがどうしてここに?」
「ちょっとした所要です。それよりも、お困りのようですね」
「はい。うちの担任教師が……この通り、引きこもっておりまして」
字面にしてみると、なかなかにひどい状況だ。
「それはそれは……。この鍵を開ければいいのですね?」
「普通に開けるのは厳しいので、美琴に開けてもらおうかと」
「開けてもらうというか、壊せと言われたような……」
美琴の呟きは、彩香に軽くスルーされてしまう。
そんな二人のやり取りを面白く思ったのか、葵はクスクスと笑う。そして言った。
「この程度のカギ、壊すまでもありませんよ。失礼いたします」
葵はそう言うと、二人の前にたつ。
そして、迷いなくパスワードを打ち込み、どこからともなく一本の鍵を取り出す。
指紋認証? そんなもの関係ない。
僅か数秒の時間で、解錠は困難だと思ったドアロックが解錠される。
「「……」」
これには、彩香だけでなく、美琴も唖然とする。
そんな二人の表情に、葵はクスリと笑うと……。
「従者のたしなみです」
と言うのであった。
開け放たれた扉の向こうで、カーラもまた呆然としていたのは語るまでもない。
そして、二人の視線が美琴に尋ねて来る。
ーー葵って、何者!?
そんなこと、美琴も知るはずもなく……
(私の方が知りたいですよ……)
月宮学園も大概だが、月宮自体がまた未知の巣窟だと改めて思う美琴たちであった。
ブックマーク・ポイント評価を頂けると助かります。
宜しくお願いいたします。




