第58話 入学式(中)
入学式が終わり、父兄の暖かい視線を受けながら体育館を後にする。
どこか畏敬の念がこもった視線を向けられているような気もするが、きっと気のせいだろう。
不意に父兄の中に父弘人の姿を見かけた美琴。
千幸の隣に座っており、二人に向かって微笑みを浮かべる。すると、なぜか弘人や千幸に視線が集中してしまった。小さくつぶやかれた「まさか」という言葉が、美琴の耳に届く。おそらく、弘人の存在感に薄々気づいていた者たちが、美琴の姿を見て親子なのだと気づいたのだろう。
気になるのは、そこは「まさか」ではなく「やはり」ではないのかということだ。とはいえ、そんなことは些事であると美琴は気にせず頭の片隅から追いやった。
(さすが、お父さんです。新入生主体の場で、これほどまで注目を集めるなんて……)
主役の座を奪って、視線を集めてしまう父。なんて罪づくりなのだろうか。
娘としてそれはどうかと思うが、弘人が視線を集めてしまうことは仕方のないこと。どうやら、父兄のみならず新入生たちも人を見る目があるようだ。
弘人の擬態は完璧だと思っていたが、流石は月宮の狭き門を潜り抜けた者とその父兄であると感心してしまう。
いや、美琴が思っている以上に弘人の存在感は隠せていないだけなのかもしれない。そう思うと、自重してほしいと思う反面、美琴は誇らしく思う。
尊敬を込めた視線を向けると、なぜか弘人は表情を引きつらせる。まるで「なんでそんな目を向けるの!?」とでも言いたそうな表情だ。
「それでは、それぞれ係りの教師の後に続いて教室へ向かってください」
父兄や教師に暖かく見送られた美琴たちは、早速教室に向かうことになった。
「私はSクラスでしたか」
朧に覚えているクラス割を思い出す。
実力主義のきらいがある月宮学園では、魔法の成績と座学でクラス分けが決定する。実力が近しい者同士で切磋琢磨しろということだろう。
Sクラスをトップとして、AクラスからIクラスの合計十クラスで構成されている。構成人数は各クラス四十人というわけではない。実力を十段階評価されているということで、クラスごとの人数はバラバラだ。つまり、十人前後のクラスもあれば、五十人を超えるクラスもある。
美琴は、係りの女性の後に続いて教室へと向かった。
「美琴、お疲れ様」
振り返ると、苦笑いを浮かべる彩香の姿があった。
「彩香ですか。お疲れ様です」
「美琴ほどではないけどね。前々から思ってたけど、あの空気で平然としていられる美琴は異常だよね」
「……笑顔で貶されているような気がするのは気のせいでしょうか」
少なくとも褒められている気がしない美琴は、ジト目で彩香を見る。
実際褒めてはいないのだろう。彩香は視線を合わせようともしない。そんな彩香の態度にはぁと重いため息を吐く。
「それはそうと、穂香は?」
彩香たちなら入学式の間は一緒にいたと思っていたのだが、ここに現れたのは彩香だけ。穂香の姿が見当たらないことに疑問を覚える。
「あれ、美琴知らなかったの? 穂香、Gクラスだよ」
「……はい?」
一瞬、美琴は耳を疑った。
穂香は、こと魔法に関しては彩香と同等の才能を持つ少女だ。魔法適正に重きを置く月宮学園では、それだけでも上のクラスが狙える。
それにもかかわらず、Gクラス。下から三番目のクラスというのは、一体どういうことなのかと、美琴は視線で彩香に尋ねる。
「美琴、よく思い出して。入学前の実力テストのとき……ううん、それよりも三か月前から穂香が勉強している姿を見た?」
「……」
美琴は記憶を思い起こす。
脳裏に浮かぶのは……。
――田辺家でゲームをする穂香の姿。
――寝転がりながら漫画を読む穂香の姿。
――授業中に気持ちよさそうに昼寝をする穂香の姿。
などなど……。
「漫画以外に文字列を追っていませんね」
「本人曰く、説明書と攻略サイトの文字列は追っているみたいだよ」
「……そうですか」
彩香の言葉に、天を仰ぐ美琴。
Gクラスということは、つまり筆記がほぼ一桁ないしゼロなのだろう。運良ければ、二けたという悲しい結果となったに違いない。
月宮学園の筆記試験は、そう甘くはないのだ。
というよりも、よく入学が取り消しにならなかったものだと感心してしまう。やはり、そこはあの妖怪婆の御威光あってのことだろう。
「それはそうと、明美ちゃんもこの学校に入学してたんだね」
「あぁ、確か推薦を送ったらしいですね。葵から報告を受けました」
「私、知らなかったんだけど」
忙しくて忘れていたなどということはない。
ジト目を向けてくる彩香の視線から逃れるように、美琴は視線を逸らす。
「……葵が週に一度報告書かってレベルで近況報告してくるんです。月宮当主の側ですから、入ってくる情報が多いんですよ。他の情報に埋もれていて、それどころではなかったと言いますか……」
珍しく言い訳を並べる美琴。
葵から送られてくる情報の中では、明美に推薦を送ったなど小さすぎる内容だ。というよりも同じ報告書に並べて良い情報ではなかった。
言い訳を並べる美琴に、彩香はあえて美琴が直視しない現実を突きつけた。
「美琴ってなんだかんだ言っても葵さんと主従しているよね」
「うぐっ」
ジト目の彩香から放たれた一言に、胸を押さえる美琴。
月宮家を継ぐつもりは毛頭ない。しかし、琴恵と葵の中では決定事項のように語られている。
それゆえに、本来秘密にしなければならない情報も葵から美琴に流れてくるのだ。
無視すればいいのかもしれない。しかし、元経営者としては喉から手が出るほど欲しい情報の宝箱を前に無視することができるだろうか、いやできるはずもない。
そんな美琴の内心を見破ったのか、彩香はあきれた表情で言い放つ。
「気が付いたら、美琴が(月宮を)継いでいそうだね」
「……」
美琴は無言で散っていく桜を眺める。
非常にきれいだ。自分の持つ偽物の闇桜と違って本物はなお美しい。願わくば、まがい物ではなく本物から次代が生まれることを。
そんな思いで、散っていく桜を見る美琴だった。
◇
一年Sクラス。
基本的に、クラス分けで教室の設備に差が出ることはない。だが、あえて差があるとすればクラスの広さだろうか。
Sクラスは広い部屋に席が九席しかない。
普通であれば四十五人入るクラスだと考えれば、一人当たりのスペースがおよそ五倍。一方で、クラス人数が多いと四十人の部屋に五十人入る必要がある。途中ロッカーが教室の外に出ているクラスがあったので、おそらくそういうことなのだろう。
狭い教室よりも広い教室のほうが良い。美琴は素直にうれしく思う。自分の席に着くと、その隣が彩香の席だった。
「そういえば、Sクラスの特権で私物を持ってきて良いんだっけか」
ある一方向を向いて、彩香がそんなことを言う。
唐突になぜそんなことを聞く……とは思わない。明らかに一つだけ浮いているのだ。シンプルなデザインだが質の良さがわかる机に、座り心地の良さそうな椅子。
机の下には冷蔵庫までつけられており、パソコンまでつけられている。学校の備品のはずがない。明らかに私物である。というより、どういう神経をしたらこんな豪華な机を用意できるというのか疑問だ。
「田辺さん、お久しぶりです」
異質な机に視線を集中させていると、教室の扉から一人の少年が現れた。
美少年、というわけでもない。むしろ、容姿は平凡と言ったところだ。身長は百六十半ばで、美琴と視線の高さはほとんど変わらない。あえて、特徴的だとするのであれば、中性的な顔立ちということくらいだろうか。
一瞬誰なのか分からなかったが、すぐにその少年の名前を思い出す。
「鈴木太郎さん?」
「はいっ! お……じゃなかった、自分の名前を憶えてくださったのですね! 光栄です!」
「え、ええ……」
美琴が名前を呼んだ瞬間の喜びようといったら、今にも讃美歌を歌いそうなほどだ。
その仰々しい姿に、美琴は表情を引きつらせて、思わず後ずさってしまう。
(なぜ彼がここにいるのですか?)
美琴は鈴木太郎という人物を知っている。
中学三年の時クラスメイトだったということもある。だが、太郎はそれ以上に強烈な印象を美琴に与えていたからだ。
俗称『おバカV』。魔法の実技で、真っ先に魔素欠乏症で脱落する五人の一人だ。
「おい、馬鹿。田辺が引いているぞ」
美琴が太郎の存在に困惑していると、背後から長身の少年が現れる。
彼もまた、クラスメイトだった人物で、名前を佐藤一郎という。太郎と違って男らしい顔立ちで、野性味のあるイケメンだ。
……因みに、女子の間では太郎とよく行動していることから、色々と邪推されている。
「田辺、それに三沢も、久しぶりだな。その様子を見ると、こいつがここにいることが不思議か」
「どういう意味だよ!?」
「お前が馬鹿に見える……いや、馬鹿は言いすぎたな。変態に見えるってことだよ」
「言い直した後の方が悪いってどういうことだよ! というか、俺は変態じゃない!」
本当に仲が良い二人だ。
女子たちが邪推するのも、嫌だが分かってしまう。言い合いをしているように見えるが、じゃれ合っているようにしか見えない。唖然としている美琴と彩香は、しばらくの間二人のやり取りを眺めている。
「コホン! お二人が仲が良いのは分かりました「「よくない!」」……そうですか」
二人の反論に、美琴は目を細める。
正直、二人ができていようが、できていまいがどうだって良い。個人の趣味趣向に口を出す気は毛頭ない。
しかし、これでは一向に話が進まないのだ。
美琴から得体のしれないプレッシャーを感じたのか、二人は言い争いをやめる。一郎はわずかに冷や汗をかき、太郎は……どういうわけか、恍惚とした表情を浮かべていた。
美琴は引きつりそうになる表情を抑えると、極力太郎の方に視線を向けず一郎に話しかけた。
「まずは入学おめでとうございます。これから三年間よろしくお願いいたします」
「よろしくね」
「ああ、こっちこそよろしく頼む」
「ふ、不束者ですが、よろしく、お、お願いいたし、ます!」
若干一名おかしなことを言っているが、美琴たちは気にしない。
一人を置いて話を進める。
「お二人はここにいるということはSクラスなんですか?」
「ああ。こう見えても勉強はそれなりにできるからな」
「ああ、確かに。一郎って頭いいもんね。けど、目つきが悪いから昔はインテリヤクザって呼ばれてたよね」
「誰がヤクザだ。まあ、それはどうでも良い。というよりも、俺よりもこいつがここにいることの方が不思議だろ?」
その目は、今でも「なんでこいつがここにいるんだ?」と思っている様子だ。
恍惚とした表情で、幸せオーラを溢れさせている太郎。美琴は精神衛生上悪いと思って、極力視界に入れないようにする。
「実はこいつ…………………馬鹿なんだよ」
「「知ってます(る)」」
「はうっ」
「っと、間違えた。こいつはこう見えて馬鹿なんだよ。田辺、座学のトップって誰か知っているか?」
「いえ、知りません」
そもそも、今日入学式があること自体忘れていたのだ。
筆記試験の主席など知っているはずもない。だが、この話からすると……。
「こいつが、座学のトップなんだよ」
「……」
美琴は自分の耳を疑う。
今、一郎は何と言った? 座学のトップが、いやこの恍惚とした表情を浮かべる少年が、美琴よりもテストの点が良いと。
しかも、魔法の実技では決まって自滅して追試を受けているというのに……。隣では、彩香が「うわぁ」と声を漏らしている。
「因みにだが、この学校にはおバカⅤが勢ぞろいしているぞ。田辺のことを師匠って慕ってる氷室もAクラスだ」
「馬鹿なのに、馬鹿じゃないんだ……」
「彩香、馬鹿と天才は紙一重なんですよ。……そうですか、彼もこの学校に」
嫌な話を聞いたと、苦虫をかみつぶした表情をする美琴。
氷室とは、火属性特化でありながらも氷魔法に憧れる少年だ。美琴の氷魔法に対抗心を抱いていたが、いつの間にか美琴を師匠と呼ぶようになった。
おそらく、氷魔法ではなく火魔法で試験を受けたのだろう。特化ということもあって、美琴が目を見張るほどの才能を持っていた。Aクラスというのも頷ける。
「となると、同じ中学の人が多いみたいですね」
「えっ、今更なの!? クラスで誰がどこに受かったとかあれだけ話していたのに!?」
信じられないという表情を浮かべる彩香。
一郎も太郎も同様で、美琴の発言に驚いている。居心地の悪さを感じた美琴は、視線を泳がせて言った。
「当時は、その……父の受注ミスでそれどころじゃなかったと言いますか、なんて言いますか……」
かつて天才経営者と呼ばれた誠としての経験と知識がある。
しかし、伝手もなければ財もない。株で無から有を作り出すことができないように、今の美琴では対処できない問題も多い。それと時折発生するトラブルもあって、かなり手いっぱいの状況だ。クラスの話などほとんど記憶にない。
「えっと、他にもここへ入学した人がいるのですか?」
「おバカVは全員」
「バカとはいったい……」
「一周回ってバカなんだよ、こいつらは」
「えへへへ……って、貶されてるよな!」
「あとは、そうだな……西川勇気もこの学校だぞ」
「……」
美琴はその一言に、表情を引きつらせる。
あの勇気が同じ学校。その事実に眩暈さえ覚えてしまった。
(以前のように絡まれなくなったのは良いのですが、今は別の意味で……)
かつては、女性関係に問題があった勇気。
しかし、今は違う。あのキャサリンによって生き方を見直すことになり、今となっては別の意味で近づきたくないのだ。
前の方が良かったと思えるのは、きっと美琴だけではないだろう。
彩香もまた勇気のクラスには近づかないと決意した表情をしている。
それからしばらくの間、他の生徒と担任教師が来るまでの間、四人で会話をつづけるのであった。




