第56話 新たな日常
お待たせいたしました。
高校生編、スタートです!
季節は移ろい、迎えた春。
「ふぁあ……」
まだ冬の寒さの余韻が残るものの、窓から差し込む仄かな温もりを感じる朝日に、美琴は思わず欠伸をかいてしまった。
「ムーンクラフトへの納品はこれでお終い、あとは……そういえば、また原料が高騰したのでしたか。予算の見直しが必要、と。在庫も少なくなってきましたし、あわせて発注をかけるとして……」
やらなければならないことは山積みだ。
炬燵で暖まりながら、パソコンのディスプレイと睨めっこする美琴。たまらず、「はぁ」とため息を吐いた。
「今月も、また赤字ですか」
苦々しい表情を浮かべる美琴。
パソコンで作成している帳簿に記されるのは赤色の文字。『ムーンクラフト』から下請けをもらえるようになってからというもの、黒字に転じた試しがない。
ムーンクラフトの求めるデバイスの水準には、技術力はともかく設備が足りなかった。そこで、分割払いで設備投資をしたのだ。その返済や、設備の定期検診や修繕費などなど、工房の収入の大半がそちらに割かれている。
「設備に関しては仕方がないと割り切るしかありませんね。……求められる基準がいささか高すぎると思いますが、零細企業の悲しい性というべきでしょうか」
深くため息を吐く美琴。
美琴が月宮家の直系であることは、ムーンクラフトの経営者である秋月家当主しか知らないことだろう。
それゆえに、田辺工房はムーンクラフトからすれば、単なる零細企業の一つという認識だ。特別扱いされることもなく、ムーンクラフトの厳しい要求に諾々と従うしかない。
仮に、美琴が月宮家の直系だと知っていれば話は変わってくるだろう。ムーンクラフトは、しょせん月宮家の分家の一つが経営している企業でしかないのだから。だが、美琴にそのつもりはない。その話が広まりでもすれば、琴恵や葵がほくそ笑むだけだからだ。
「設備が足りない、お金が足りない、人が足りない……考えると、足りないものばかりですね。逆に何があるのやら。はぁ」
今日何度目のため息だろうか。ため息を吐かずにはいられない状況だ。
せめてもの救いは、田辺工房の技術を高く評価していることだろう。
製造数を増やすように催促されるが、それだけ弘人のことを認めているということだ。美琴にとっては、非常にうれしいことである。
「さて、発注を済ませ……」
「美琴!」
美琴が次の作業に手をかけようとした瞬間だった。
部屋の扉がノックもなしに、勢いよく開かれる。現れたのは、新しい制服を身にまとった少女だった。
色素の薄いハーフアップの茶髪は背中まで伸び、女性にしては高身長でモデルのような体系だ。顔立ちは、少し幼さが残るものの、ファッション雑誌の表紙になってもおかしくないほど整っている。
彼女の名前は、三沢彩香。美琴の手術の執刀医を担当した三沢千幸の娘で、美琴の同級生である。
「なんですか、朝から騒々しい」
「なんですかじゃないよ! 美琴、今日は何の日か分かってるの!?」
「今日? 何かありましたか?」
美琴は、徹夜明けの頭でぼんやりと考える。
やらなければいけないことは、次から次へと思い浮かぶ。しかし、今日の予定はと聞かれると、何も思い浮かばなかった。
何かあったかと小首を傾げていると、彩香は「信じられない……」と愕然とした表情を浮かべた。
「入・学・式! まさか、本当に忘れてたの!?」
「あっ」
美琴は思わず声を漏らした。
言われてみて、そういえばそんなのがあったな程度に思い出す美琴。時計を見ると、午前七時を少し回った時刻。
急いで着替えなければ、間に合わないだろう。
美琴は、表情を変えずに棒読みで……
「体調が悪いので、お休みします」
「どの顔でそれを言うかっ!?」
お腹を押さえるしぐさをすると、彩香が突っ込みを入れる。
体調不良と言えば体調不良なのだ。徹夜明けの睡眠不足が原因であるが。口元を隠して小さく欠伸をかくと、再びパソコンに向かい合う。
「って、本気で休もうとしないでよ!」
「離してください、私にはやらなければいけないことがあるんです!」
「美琴が今やらないといけないのは、入学式に参加すること! 主席が欠席とか、冗談にしては質が悪いから」
両脇を抱えられ炬燵から引きはがされた美琴。
恨めしそうにパソコンを眺めるが、力は彩香の方が上で抵抗する力もほとんど残っていない。
「あぁ……」
仕事が終わらないと、悲壮感漂う声を漏らす。
「さっさと、着替える……って、その恰好」
てきぱきとした動きで、美琴の制服を取り出す彩香。
美琴の姿を見て、まるで苦虫をかみつぶした表情をする。
「どうかしましたか?」
「どうかしましたかって、自分のその姿を見て何とも思わないわけ?」
美琴は疑問を抱きつつ、鏡を見る。
そこには、つやのある濡れ羽色の髪がお尻のあたりまで伸び、青みのある銀色の瞳が特徴の少女が映っている。
端正な顔立ちは、まるで人形のよう。
ナルシストのつもりはないが、客観的に判断しても美少女と呼ばれてもおかしくはないと思う。
ジャージの上から、機能性を重視した袢纏を身にまとっている。何しろ、田辺家は隙間風への耐性がゼロどころかマイナスだ。これくらい厚着をしなければ、冬の寒さに凍死してしまう。
「何かおかしな点がありましたか?」
特に変な点はないはずだ。
美琴が首を傾げると、「美琴に言っても無駄か……」と疲れたように大きなため息を吐く彩香。
「本当に行かないとだめですか。ほら、ぶっちゃけて言うと面倒じゃないですか」
「ぶっちゃけ過ぎでしょ! というか、美琴がいないと本当に大変なことになるからね! 新入生総代とか」
厄介なことに、美琴は主席入学で新入生総代だ。
試験内容は、筆記と実技。魔法教育に力を入れている月宮学園では、魔法の実技もまた採点対象となる。
筆記は普通にやった。
手ごたえとしては、確実に八割は取れていたはずだ。新入生の中でも、間違いなく上位に食い込んでいるだろう。しかし、実技……琴恵から聞いた話だが、美琴は二位以降に大差をつけて一位だったという。魔素圧縮の開放さえしていないというのにだ。
実技の結果に重きを置いているため、大変遺憾ながらも美琴が主席となってしまった。
「それに、弘人さんなんかもう出発する気満々だよ。あれでもない、これでもないって今日着ていく服を探していたし」
「……」
思わず遠い目をしてしまう美琴。
技術者としては一流、プロ意識も高く職場は整理されている。だが、どれだけ素晴らしい人物にも欠点は存在する。
美琴の脳裏には、散らかった弘人の部屋が思い浮かぶ。いったい誰が掃除するのだろうか、考えただけでも億劫だ。
「弘人さん、美琴の入学式すごく楽しみにしていたよ」
「……」
意地の悪い笑みを浮かべた彩香の言葉に美琴は言葉を失う。
先ほどの話が真実ならば……いや、間違いなく真実なのだろう。気分よく、今日着ていくスーツを選んでいるはずだ。
「体調不良で欠席したら、ものすごく残念がると思うんだけど?」
その言葉が止めとなった。
「……ちゃんと出席します」
本人よりも楽しみにしている父の姿を思い出す。
仮に休んだ場合どうなるか、火を見るよりも明らかである。不承不承とばかりに、彩香から制服を受け取り、着替えを始めた。
「……制服というのはなぜこんなにも面倒なのですか」
未来への不安を抱きながら、現状の不満を吐露する。
私立の学校は、公立高校とは違っておしゃれな制服が多い。月宮学園も同様だが、私立の中でも一風変わった制服のデザインをしている。
なんでも、魔法学校をイメージしたデザインのようだ。学年によって色分けをされているようで、美琴たち一年生のリボンは青である。
「まぁ、おしゃれを追求した結果でしょ。女子の間でも、すごい人気だったよ。中には制服のために勉強を頑張った子もいるくらいなんだから」
「そこまで頑張りますか……」
彩香の話に、思わずあきれた声を出してしまう。
確かに、美琴からしても月宮学園の制服は可愛いと思う。だが、着替えるのが面倒というのは大きな減点である。
「こんな感じですか?」
着替えを終えた美琴は鏡の前で、くるりと回る。
スカートがヒラリと舞い、ニーソックスとの間から太ももが見える。以前の制服に比べて丈が短く感じる。
この制服を着るのは、採寸のときを除けば初めてだ。
(やはり、彩香の方が似合いますね)
鏡を見て、そんなことを思う美琴。
彩香は、美琴よりも身長が高く女性らしい体つきをしている。肉付きの薄いスレンダーな美琴よりも、制服がよく似合っていた。
制服姿に違和感を覚えながらも、彩香にふり返る。
「……」
まるで呼吸を忘れたかのようにピクリとも動かなくなった彩香。
「どうかしましたか?」
呆然と立ち尽くす彩香を見て、心配そうに声をかける。
しかし返事はない。まるで心ここにあらずと言った態度で、美琴はより一層困惑をする。どこか居心地の悪さを覚えていると……。
――トントントン!
扉が三度ノックされた。
「美琴、入っても大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です」
弘人だ。
美琴は入室許可を出すと、スーツを着た弘人が部屋に入ってきた。入室した弘人は、真っ先に美琴の姿を確認すると目を大きく開く。
そして満面の笑みを浮かべて言い放った。
「すごく似合っているじゃないか! 新入生の中で、間違いなく一番目立つと思うよ!」
「大袈裟ですよ。私よりも目立つ人は多くいると思いますよ」
弘人の大袈裟なリアクションに、美琴は思わず苦笑してしまう。
親の身内贔屓なのは、分かっている。とはいえ、敬愛する弘人に褒められるのは素直にうれしかった。
「それはないと思うよ」
美琴の言葉に苦笑する弘人。
親バカだと思うが、それをあえて口にすることはない。
「そんなことよりも。お父さんも似合っていますよ。貫禄があります」
素直に称賛の声を上げる。
質の良い使い古したスーツはくたびれた印象を受けるが、それが逆に弘人の貫禄を醸し出す。
周囲に溶け込みそうな見た目ではあるものの、そのうちには隠し切れない存在感があった。
(さすがはお父さんですね。見事な着こなしぶりです)
内心、称賛の声を上げる。
これほどまでにくたびれたスーツが似合う人物は珍しい。存在感が分かりにくくなっているため、有象無象には理解できないだろう。
しかし、分かる人には分かる。
内に秘められた弘人のカリスマ性が……。実の娘である美琴に見抜けないはずもない。
「貫禄って。きっと美琴の隣に立ったら、誰も気が付いてくれないと思うよ。絶対に……」
「またまた。私よりもお父さんの方に視線が集中するに決まってますよ」
分かっていますと微笑む美琴。
そんな美琴を見て、弘人は美琴から正直な尊敬の念に表情を引きつらせるのであった。
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次話は、明日更新いたします。
 




