第5話 美琴の株式講座
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弘人がFXにより、少なくない損失を出していたことを知った美琴は、すぐさま米ドルを円に換金するように言った。
「本当に、減っているんだね……」
少なくなった金額を前に、弘人の表情が僅かに青い。
米ドルで持っていたため、ドル円為替を普段見ていない弘人には損失が理解できていなかったのだろう。
よくそんな状態でFXに手を出したものだと、感心してしまう。
「それにしても、困った」
「何をしでかしたんですか?」
どこか嫌な予感を覚えた美琴は、抑揚のない声で尋ねる。
娘の機嫌が悪いことを察してか、弘人は視線を泳がせながら頬を掻く。
「その……儲かると思っていたから、買っちゃたんだよね」
弘人が見せて来たのは、旧型の魔道具製造機。
もともと魔道具には興味があったようだ。部屋の本棚にも、魔道具に関する本が大量にあったことから分かる。
土地の売買代金の残額で購入を考えていたのだろう。
全額残っていれば、確かに買うことができる。だが、損失分を差し引くと足りないのだ。
「……」
美琴は言葉も出なかった。
捕らぬ狸の皮算用という言葉が頭の中をよぎる。暗い現実に絶句している美琴に、弘人は笑みを浮かべて大丈夫だと胸を張る。
「けど、安心して! 相手側に頼んで分割にしてもらうように頼むから大丈夫だよ」
あまりにも楽観視する父の姿に、美琴はひざを折る。
――人生、詰みました
頭の中で、弘人の年収を計算する。
どれだけ高く見積もっても、親子二人暮らして行くのもやっとだ。分割払いだとしても、その利息を考えると頭が痛かった。
最悪の場合、美琴がアルバイトを始めたとして、その給料は利息の返済だけでなくなってしまう可能性があるのだ。
親子二人で路頭を迷う光景が脳裏に浮かんだ。
「いいえ、まだ諦めるのは早いです」
美琴は立ち上がる。
考えると、これは誠にとって償いのチャンスでもあるのだ。弘人が誠を恨んでくれないのであれば、せめて弘人と『田辺美琴』が幸せに暮らせる環境を整えることが償いになる。
今後、『田辺美琴』に体を明け渡す際、せめて良い環境に整えてあげたいと心から思ったのだ。
そして、可能であれば目の前の弘人を少しでもまともにしておこうと、美琴は密かに決意する。
「お父さん、お願いがあります」
「突然どうしたんだい?」
「そのお金を私に運用させてください」
「え?」
弘人が戸惑うのは、無理もないだろう。
ローン返済や入院費など様々な支出を差し引かれた後だとしても、土地の売買代金だ。子供が使うには大金である。
誠の意思を持ち記憶と経験がある今の美琴には、上手く運用できる自信があった。
だが、問題は弘人をどう説得するかだ。
「無理を言っているのは分かっています。ですが、私ならそのお金を上手く運用できる自信があります」
必死に頭を下げる。
分かりきった解答だと思うが、しばらく悩んだ後弘人は口を開いた。
「なら、美琴に任せるよ」
「……え?」
一瞬聞き間違いかと思った。
顔を上げて、弘人を見ると笑みを浮かべてもう一度言った。
「このお金を美琴に任せる。好きに使ってくれていいよ」
迷いのない一言に、美琴の方が戸惑う。
「で、ですが、大金ですよ……」
誠の金銭感覚からすれば、それほど大金ではない。
だが、到底子供に預けられるような金額ではないのだ。自分から申し出ていながら、父親の正気を疑う。
「分かっているよ。けど、何か今の美琴を見ていると、金田君のことを思い出しちゃってね」
弘人の言葉に、ドキリと胸が高鳴る。
誠が美琴に混ざりあったことに気づいているのではないかと思ってしまったのだ。しかし、そんな美琴の懸念を余所に弘人は可笑しそうに昔の話を語る。
「愛想の欠片もない表情で「資産運用を任せて下さい」って言って来たんだよ。よく分からなかったんだけど、結果は他の役員が驚くくらいの成果をあげていたことがあったんだ」
「あぁ……」
弘人の言葉に、そんなことがあったなと思い出す。
最低限の支出で仕入れ先の企業の株の五割を買い集め、子会社にすることで仕入れ額を下げた記憶がある。
尤も、それなりの成果は出したものの、結局は焼け石に水だったが。
「美琴と金田君は違うはずなのに、どこか似たような雰囲気があるんだよね。だから、任せてみようかなって思ったんだ」
嬉しいはずだが、素直に喜べない。
一方的に切り捨てた人物が、それほど信頼していたとは知らなかった。その事実に、美琴は心がえぐられるような感覚を覚える。
しかし、トップに立つ片鱗を見せた弘人を心の底から支えたいと思ってしまう。
「えっと、それでこのお金をどうするんだい?」
「あっ、はい。お父さんは、証券会社に口座を持っていませんでしたよね。株の運用をするつもりなので、口座を開設して欲しいんです」
「ああ、株か。けど、株は難しいと聞くけど……」
「そんなことはありませんよ、所詮マネーゲームですから。確かにFXの方が単純ですが、あちらは常に相場をチェックしていないといけませんからね」
FXは株よりも変動が激しい。
そのため、常日頃からパソコンをチェックしている必要があるのだ。そのため、素人がやるには時間的に難しい。
「ただ、円に戻したのは時期尚早でしたね。もうしばらくすれば、円安方向に動くはずでしたから」
「そうなのかい?」
断定的に言った美琴に、弘人は驚く。
「はい。アメリカの長期金利が上がっていますので、金利差拡大でドル買いの需要が高まりますから」
美琴の話に、弘人は感心したような声を上げる。
だが、何か不思議なことがあったのだろう。首を傾げて、美琴に尋ねて来た。
「それにしても、美琴。さっきの証券会社に口座を開くことと言い、FXや株について詳しいね」
「……」
美琴は、しまったと内心ぎくりとする。
普通の中学生が、これほど投資に詳しければ不思議で仕方がないだろう。どう答えたものかと、冷たい汗を流していると弘人は笑みを浮かべて言った。
「最近の中学は株についても教えているんだね。僕も習っておきたかったよ」
「ソウデスネ」
貯蓄のない中学生に投資を教えてどうするんだと、美琴は言いたかった。だが、それで納得しているのだから、わざわざ自分で墓穴を掘る必要はないだろう。
適当に相槌を打つ。
「それで、美琴先生。株も運要素が強いと思うけど、本当に大丈夫なの?」
先ほどの失言もあって、返答には慎重になるべきかと考える。
だが、弘人が今さら気にするのかと考えると、首を横に振るしかない。今さらだと腹を括ると、説明を始めた。
「不測の事態が起これば、確かに損になります。ですが、それは災害に警戒するのと同じようなものです。株取引は、先ほど言いましたがマネーゲームです。ただの情報心理戦です」
「情報心理戦?」
「株の仕組みについてはご存知ですよね?」
弘人は、一応経営者だった。
株式会社の社長であったのだから、その辺りは理解しているのだろうと思っての発言だ。しかし、弘人の顔色は冴えない。
その表情を見た美琴はため息を吐くと、説明する。
「株の発行による資産はバランスシートの純資産に分類されます。その理由は、発券した後にその元金を返す必要がないからです。つまり、株主には利息を払うだけです」
「えっ? じゃあ、皆どうして買おうとするの? お金が戻って来ないんでしょう?」
「それでも利回りが良ければ、元金分は回収できますから。ただ、マネーゲームというのはこの発券後の流通市場で行われる取引のことです。日々、株式の価格が変動するのはどうしてだと思います?」
「それは……会社が価格を変えているから?」
「違います、発行主体は基本的に関与していません。価格を決めているのは流通市場で取引をする人々が決めています。例えば、その発行主体の経営が良くなれば、株主に入る利息も多くなります」
「ああ、なるほど。つまり、高い金額で買うと言うことか」
「そうなります。逆に経営が悪くなれば、安く売られるので価格が下がると言う訳です」
弘人が納得したように頷いているので、美琴は説明をまとめる。
「つまり、株は購入者の心理によって価格が決められているのです。多くの人が注目している株は、自然と価格が上がります」
「なるほど」
「ただ、ここで必要なのが情報です。基本的には……」
美琴は、弘人のパソコンを借りてインターネットを開く。
『田辺製作所』のホームページを開くと、公表されている四半期報告書をダウンロードする。
「これは、財務諸表ですね。前年度や中間報告書と比べれば、業績が伸びているのか停滞しているのか、それとも逆に低迷しているのか企業の状態が分かります……見て分かるように、毎年右肩上がりで業績が伸びていますね」
つい先日まで経営者をしていたのだ。
内容は見なくても分かる。だが、弘人は財務諸表の見方も知らないようで、首を傾げて「何が書かれているのか、よく分からない」と言った。
美琴は、その言葉に頭を抱える。
「簿記かビジネス会計について教えた方が良さそうですね。ともかく、これが投資活動において一番の指針となるものです。ただ、最近は粉飾決済が問題になっていますので、警戒が必要です。それ以外には……」
と、再び美琴はパソコンを操作する。
目的のサイトを見つけると、弘人の前に置いた。
「え、英語?」
「それはそうですよ、FRBのホームページですから」
「それって、あのドラマに出て来るやつ?」
「それはFBIです。こっちは、アメリカの中央銀行の略称です。日本名だと確か……連邦準備制度理事会でしたか」
美琴の説明に全くついていけていないのか、呆然とする弘人。
もともと理解するとは思っていないので、パソコンを操作して日本銀行のホームページを開いた。
「先にアメリカのものを出したのは、日本はアメリカの影響を強く受けるからです。他国であるにもかかわらず、アメリカ以上に日本は影響を受けますから。まぁ、日本の中央銀行だけでもしっかりとチェックした方が良いですよ」
納得はできるが、おかしな話だと苦笑する。
未だ呆然とする弘人に、コホンと可愛らしく咳払いをすると、説明を続ける。
「ここでは金利が決定されます。企業は、金利が低ければお金を借りやすくなるので、活発に投資します。そこから推測して投資することも多いですね。後は、時事ニュースを見て、変動することがあるので、情報が大事になって来ます」
「は、はぁ……」
心ここにあらず。
美琴は安心させるように微笑むと、言った。
「お父さんは難しく考える必要はありません。証券会社に口座を作ってくだされば、後は私の方でしっかりと運用します」
「あ、ああ。じゃあ、任せるよ」
「はい」
こうして、美琴は満面の笑みを浮かべる。
後に、弘人は「あの時の美琴はやる気に満ち溢れていて怖かった」と語ったらしい。
こうして、天才経営者は再び株を始めるのであった。
トラ◯プ氏が当選した時は、輸出系企業の株価が暴落しました。
今思い出しても、悪夢です……