第46話 明美の退院
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秋宮事件から数日が経つ。
授業を終え、迎えた放課後。美琴は帰り支度をしていると、不意に声を掛けられる。彩香だ。
「美琴、この後病院に行こう」
スピードブレイクを間近に控えた彩香。
先日の一件もあって、俄然意欲的になったが、今日だけはどうしても病院へ行きたい様子だ。
「そう言えば、今日が退院日でしたか……」
一時は、意識不明の重体に陥った明美。
魔素治療の甲斐あって、頭部の傷は完治した。検査のために入院を続けていたが、今日が退院日である。
そんなことを思い出しつつも、美琴の表情は晴れない。
「まだ気にしているの?」
「ええ、まぁ……」
「別に美琴が悪いってわけじゃないんだから。それに、明美ちゃんも気にしていないと思うよ」
彩香はそう言ってくるが、美琴としては釈然としない。
確かに、悪いのは麗子やその取り巻き達。だが、その原因を作ったのは、他でもない自分だという意識が強い。
合わせる顔がなく、一度もお見舞いに行けていない状況だ。
「もう、うじうじしていないで行くよ! ほら、穂香も」
「私も!?」
一人、そそくさと帰ろうとしていた穂香が彩香の言葉にぎょっとする。
まさか、自分までと思っていなかった様子だ。
「どうせ暇なんだから、良いでしょ!」
「きっと親もいる……そこは遠慮しておいた方が」
穂香がお見舞いに行きたくない理由は、親の存在だろう。
親子の場は、コミュ障を抱える穂香には厳しい場所である。だが、彩香は取りつく島もなく、無理やり美琴と穂香を連行する。
「あの人って、三年の田辺先輩だよね。あの噂って本当かな」
不意に、廊下ですれ違った下級生の声が聞こえて来る。
「噂って?」
「実は良いところのお嬢様っていう話」
「えっ、貧乏人だって聞いたけど。酷い父親で、相当な借金を抱えているって聞いたけど」
噂に尾ひれがついたのだろう。
父親に対する根も葉もない噂に、眉を顰める美琴。しかし、美琴が何か口を挟む前に、他の生徒が否定した。
「それって、秋宮先輩が広めた嘘の噂らしいよ」
「えっ、嘘なの?」
「うん。この前の一件だけど、実際に処分されたのって秋宮先輩たちじゃん。もしかしたら、四家の分家の出身かもしれないって」
「まじで!?」
昇降口へ向かう途中、何度も似たような会話が聞こえて来た。
琴恵のおかげで、美琴が月宮の直系であることは伏せられている。しかし、麗子が処罰されたことにより、そしてその場に美琴が乱入したことが決め手となって、美琴の噂が一転した。
「美琴への態度が変わったようで、変わってないね」
下級生たちを横目に見て、そんなことを言う彩香。
確かに、以前のような侮蔑を孕んだ視線を向けられることはなくなった。今では、畏怖を孕んだ視線を向けられる方が多いくらいだ。
向けられる視線こそ変わったが、相も変わらず避けられているのは変わらない。
「まぁ、今さらなので気にしませんが」
これまでと変わらないのであれば、特に問題はない。
キャサリンのおかげで、勇気たちも静かになったようで余計なことはしてこないだろう。そんなことを思っていると、不意に勇気たちの噂が聞こえて来る。
「ねぇ、そう言えば勇気先輩だけど前まではカッコいいとか思ってたんだけど……あの光景を見ると幻滅しちゃった」
「あの光景って?」
「悲鳴を上げて女子の後ろに隠れる光景。なんか、物凄くカッコ悪かった」
「うわ、最低……」
どうやら、勇気の負った傷はかなり大きかったらしい。具体的に何があったのかは分からないが、容姿に惹かれて盲目的だった女子生徒たちも冷めている様子だ。
百年の恋も冷めるような光景だったに違いない。
(まぁ、どうでも良いことですか。今後はキャサリンさんを盾に追い払えば良さそうですし)
思わぬ幸運だと、内心喜ぶ美琴たち。
それに、今回の件で少しは女子生徒への被害が減るに違いなかった。ただ、一つ問題があるとすれば……
「問題は、私のことを変な呼び方をする人が増えたことですよね」
「魔王様とか閻魔様とか、あとは女王陛下もある。これは男子限定だけど。似合ってる」
「それは真剣にやめて欲しいのですが」
あの日以降、美琴のことを畏怖のあまり「魔王様」などと口走る生徒が続出している。
意味は、悪魔さえも従える地獄の女王という意味だそうだ。初めてクラスの男子から呼ばれたときは、思わず表情を引きつらせてしまったものだ。
何故そんな名前で呼ばれているのかは理解できない。だが、心当たりが一つあった。
「やはり、キャサリンさんを連れて来たのは失敗でしたね。まさか、キャサリンさんを悪魔と思う生徒が多いとは……」
そう言って、ため息を吐く美琴。
勇気の件は有り難いが、まさか自分が変な呼ばれ方をするとは誤算だった。
「「……」」
それを聞いた二人は、顔を見合わせた後何かを言いたそうな表情をする。
だが、二人が何かを言うことはなかった。美琴はそんな二人の態度を怪訝に思いつつも、西川中学を後にするのであった。
◇
交通機関を利用して、たどり着いたのは美琴が以前入院していた病院。
魔素治療の設備がある数少ない病院の一つである。彩香は何度かお見舞いに来ているため、迷うことなく明美の病室へと向かう。
「もしかすると、既に退院している可能性があるのではないのですか?」
「美琴、往生際が悪いわよ。それにこのまま転校されると、美琴も気が落ち着かないでしょう」
「それはそうですが……」
やはり面と向かって会うのは抵抗がある。
こういう場合は、手順を踏んでから……とは思うものの、回りくどいことをしているほど時間に余裕があるわけでもない。
流されるがままに、彩香に連れられて病室へと向かった。
「失礼します」
明美の部屋は個室だ。
中から返答があると、入室する。
「あら、彩香。それに美琴ちゃんと穂香ちゃん。お見舞いに来たの?」
開口一番に口を開いたのは、明美でもなく父親の明久でもなく、彩香の母親である千幸であった。
「お母さん、どうしてここに?」
「退院前だから、最後に確認に来ただけよ。明美ちゃんのお母さんは、退院手続きをしているところなの」
「そっか、ギリギリ間にあって良かった」
ほっと安堵の息を吐く彩香。
「それじゃあ、私もそろそろ仕事に戻るわね」
そんな娘の姿を見て、笑みをこぼす千幸。
明美に「お大事に」と言い残すと、病室を出て行った。
残った彩香は、ベッドに腰かける明美に視線を向ける。
「明美ちゃん、退院おめでとう」
「おめでとう」
「ありがとう、彩香ちゃん、穂香ちゃん」
彩香と穂香が、お祝いの言葉を掛けると明美は微笑む。
美琴も遅れて、「退院、おめでとうございます」とぎこちない笑みを浮かべて言った。
「ありがとう、田辺さん」
「っ……」
負の感情が一切宿っていない瞳に、美琴は息をのむ。
責められるとは思っていなかった。しかし、それでも大けがを負ったのだから、美琴に対して負の感情を抱いていても不思議ではない。
穏やかな微笑みを浮かべる明美を見て、震える声で尋ねてしまう。
「……私のことを恨んでいないんですか?」
「へ?」
ポツリと語られた美琴の言葉に、意味が分からない様子の明美。
美琴は更に言葉を重ねた。
「あの時、私があなたを突き放していれば、こんなことにはならなかった。私が、今回の事故の原因を作ったようなものです」
「……」
美琴が目を伏せて、そう言うと明美は口を閉ざした。
部屋の中が静寂に包まれる。だが、その静寂はそう長くは続かない。小刻みに肩を揺らしていた明美の口からこぼれたのは、笑い声だった。
「そ、そんなことを考えていたの!? ……あははは、可笑しい」
過呼吸になりながら笑う明美。
呆然とする美琴に……
「そんなことを考えたことは一度もありません。それに、田辺さんのおかげで事態は解決したと聞きました。なら、田辺さんに感謝こそしても恨むはずがありませんよ」
笑いが収まった明美は、静かな口調でそう言った。
そして、晴れやかな表情で「あの秋宮麗子に一泡吹かせることが出来たので、後悔はしていませんよ」と言い放つ。
「娘の言う通りです。仮定の話は意味がありませんし、秋宮が悪いのであって貴方に責任を求めることは道理に合いませんから」
「そう、ですか……」
水野父娘にそう言われては、美琴も納得せざるを得ない。
モヤモヤした感情が残るものの、それでもここを訪れる前よりは随分と気が楽になったのを感じる。
「それに、秋宮の処罰は概ね決まったのですよね」
突然、そんなことを尋ねる明久。
何故美琴に尋ねるのか、明久の目を見ればすぐに気が付く。間違いなく、美琴と琴恵の関係を知っているのだろう。
一転して真剣な表情を浮かべる美琴は、コクリと首を縦に振った。
「はい。秋宮麗子は全寮制の女学院に転校する予定です。他の生徒については、被害者とその家族と面談して決定するそうです。ただ、被害届についてはまだ把握しておりません」
「そうですか……」
明久としては大切な娘を傷つけられたのだ。
色々と思うところがあるのだろう。自然とベッドに腰かける娘の頭に手を置く。おそらく、水野家では今回の事件に対するスタンスは決めているのだろう。
美琴から特に踏み込むことはない。
「それはそうと、彩香ちゃんに穂香ちゃん。今週の休日、大会に出場すると聞きました」
「新型のお披露目ですね。【ムーンクラフト】で発表したものの、いまいち反応がよくありません。よろしくお願いしますね」
満面の笑みを浮かべる明久。
その視線を受けた二人はというと……
「うっ、プレッシャーが……」
「そう言われるのはちょっと……」
プレッシャーを感じ、胃を抑える仕草をする。
普段から練習を見る美琴からすれば、十分に結果を出せるような気がする。だが、他の選手を知らない二人からすると、不安で仕方がないのだろう。
そんな二人の心情を察したのか、明久は提案をする。
「もし良ければ、私も練習を見学させてくれませんか? アドバイスもできると思うので」
「私も二人が魔法を使っているところを見たいです」
「「え?」」
明久の提案に、呆然とする。
だが、悪い話ではないはずだ。
(カーラとキャサリンは優秀ですが、いささか常識に欠けますから。私以外で常識がある人に見てもらうのも良いかもしれませんね)
などと思う美琴。
きっと一番常識が欠けているのは美琴だろう。だが、本人はそれに気づいておらず、水野父娘の提案に賛成するのであった。
【お知らせ】
五十話ちょうどの完結は無理そうです。
46話は作者は初の一万字越え……47話も同等(予定)でした。
五十話ちょうどに終わること と 二日に一話を維持すること
天秤にかけた結果、後者を取らせて頂きました。
なので、46話は半分に分けました。
これでも四千五百字ほどなんですよね……。
予定では、五話ほど本編が増えるかもしれません。




