第45話 田辺美琴の真実
タイトル名、変更いたしました!
少し長めです。
意気消沈した麗子たちが退室したことで、校長室内は静寂に包まれた。
生徒二人、教師二人で向かい合うようにソファに腰かけている。美琴は、葵が淹れた緑茶を啜りながらちらりと信哉へ視線を向けた。
(……き、気まずい)
傍から見れば優雅にお茶を啜っている美琴だが、信哉に対する後ろめたさで居心地が悪かった。
普通の公立中学において、麗子たちは大物である。
とは言え、麗子たちの名字には四家の持つ月、天、星、土の文字が入っていない。ヒエラルキーで言えば、上の下というところである。
しかし、それでもなお西川中学では絶大な発言力を持っていた。それだけ、四家に連なる者たちは、魔法大国となりつつある日本において力を持っている。
(今まで普通の生徒として接していた生徒が、四家の……分家ではなく本家の出身となれば、仕方のないことですよね)
信哉は平静を装っているようだが、美琴の目には緊張しているようにしか見えない。
それも仕方のないことだとは思うものの、やはり以前と同じように接してほしいと思うのだ。
内心小さくため息を吐くと……
「えっと、その……田辺、で良いのか?」
突然、信哉に名前を呼ばれる。
内心驚きつつも、美琴は返事をした。
「それで構いません。そもそも、私は祖母が月宮家の当主というだけでただの一般人ですから」
「いや、それは無理があるだろう」
「無理でも何でも、そちらの名で呼ばないで下さいよ。……切実に」
美琴が普段通りに事実を伝えると、苦笑を浮かべる信哉。
普段通りの生徒の姿に、安堵を覚えた様子だ。そして、彩香に視線を向けた。
「三沢は、その……田辺の実家について知っていたのか?」
美琴の出自を知って、彩香は驚いていなかったことを思い出したのだろう。
尋ねられた彩香は、当時の事を振り返って……
「私の場合、美琴に「お婆様に会って欲しい」と騙されて、車で拉致されましたから。車のなかで暴露されて、そのまま月宮家に連行されました」
と、どこか遠い目をして語る。
「なにか悪意を感じる回想ですね。敢えて言わなかっただけで、騙していませんよ。それに、拉致とは人聞きが悪い」
遺憾だと主張するが、彩香の話に信哉だけでなく校長も彩香に同情の視線を向ける。
「三沢、大変だったな……」
「この茶菓子美味しいぞ」
「ありがとうございます」
二人に気を遣われて、お茶菓子を食べる彩香。
その光景に釈然としない気持ちが込み上げて来るが、彩香にならって美琴もまた水羊羹を口にした。
「んっ……」
小さく切り分けた羊羹を口に含むと、溶けるような滑らかな舌触り。
小豆の風味が優しく口の中に広がり、そのみずみずしさに何とも言えない幸福を覚える。
「何これ、すっごく美味しい」
彩香もまた同じことを思ったのだろう。
あっと言う間に、平らげてしまった。
「ふふふ、どうやらお気に召していただけたようですね」
突然、背後から声が掛かる。
美琴はまさかと思い、ギギギと後ろを振り返った。
「もしかして、葵さんが用意したのですか?」
「はい。その水羊羹はご当主様のお気に入りのお店で購入したものです。お茶との相性が非常に良い茶菓子ですよ」
言われたことで、美琴は先ほど啜っていたお茶が美味しかったことに気づく。
猫舌である美琴が普通に飲めるということは、おそらく五十度ほど。香りが高いということは……
「玉露、しかも高級なものですね」
美琴がそう言うと、葵はにっこりと笑う。
彩香は何のことか分かっていない様子だが、大人二人は戦々恐々とした様子でお茶を飲んでいた。
だが、美琴はふと疑問に思う。
「葵さん、確かこの場に来た時は何も持っていませんでしたよね? いったいどこから持って来たのですか?」
美琴たちが持つ湯呑、そして急須。
何かは分からないが、見るからに高級そうだ。そして、葵の手元にある急須もまた同様である。
だが、不思議なことに葵は手荷物を何一つ持っていない。
恐る恐る尋ねてみると……
「ふふふ。私は従者ですから」
葵は、満面の笑みで言い放つ。
「え?」
何を言われたのか理解できず、美琴を筆頭に彩香たちも呆然とした声を上げる。
「従者の嗜みですよ。いついかなる時も、ご用意しております」
彩香の空になったお皿が消え、新たな羊羹が彩香の前に置かれた。
『……』
彩香の前に置かれた茶菓子と葵を何度も見直す。
やはり、おかしい。ふと、誰かが「忍者……」などと呟いたような気がした。きっと気のせいだろう……。
誰もが空気を読み、何も指摘せず羊羹を口に運ぶ。
その甘さに、現実逃避していると……
「それはそうと、美琴様。美琴様と私の関係ですので、さんは必要ありませんよ」
突然、葵がそんなことを言って来た。
感情的になって、呼び捨てにしていたことを思い出した美琴は、今さらながら後悔をする。
「ですから、さりげなく身内発言するのをやめて下さい!」
「ふふふ……」
向けられる彩香たち三人の懐疑的な視線に、美琴は否定の声を上げる。
だが、葵を含めて大人三人の「ええ、分かっていますとも」という優しい視線に、胃がしくしくと痛む。
何を言っても無駄だと悟った、美琴は大きく息を吐いて話題を変える。
「それで、彼女たちの正式な処罰についてです」
「処罰、ですか?」
美琴の突然の話題転換に、校長は緊張した面持ちだ。
「はい。被害者が警察に訴え出るにしても、そうでないにしても学校側のスタンスは考えておいた方が良いと思います」
「そう、ですよね……」
美琴に指摘されて、校長は小さな声で頷く。
信哉もまた、彼女たちのしたことは許されることではないと分かっているが、相手が中学生であるため顔色が暗い。
すると、唐突に校長の携帯の電話が鳴る。美琴たちに一礼をすると立ち上がって、電話に出た。
「本当か!?」
一瞬表情を驚愕に染めると、すぐに校長は携帯から耳を離すと美琴たちに振り返った。
「水野さんが、一度目を覚ましたようです!」
「本当ですか!?」
校長の言葉に、彩香が一転して笑みを浮かべる。
命に別状はないとのことで安堵して、力なくソファにもたれかかった。美琴も表情にこそ出さないが、内心安堵の息を吐いた。
「分かった、ご両親には包み隠さず説明して差し上げろ! ……なに、私が偽物じゃないかだと? 私に決まっているだろう!」
「「「「……」」」」
先ほどのほっとした空気はどこへやら。
校長の続く言葉に、思わずジト目になってしまう。きっと、美琴がいなければ問題にさえしなかったのだろう。それが分かったからこそ……
(この狸にも、罰が必要ですね……)
美琴は、そう心に決めるのであった。
それから今後の事を話し終えると、葵に先導されて車へと向かう。その途中、キャサリンと遭遇した。
「やっぱり若い子は良いわねん」と言って、数刻前よりも肌がツヤツヤになっていた。
いったい何があったのか。
そう尋ねたいところだが、その近くに転がる大量のキスマークがついたやつれた少年と恐怖のあまり抱き合う少女二人が視界に入り、おそらくそういうことだろうと尋ねるのをやめた。
何も見なかったことにした美琴は、カーラにキャサリンを無理やり預けるとそのまま西川中学を後にするのであった。
◇
場所は変わり、月宮家の邸宅。
既に陽が落ちて、三日月が中天に浮かんでいる時刻。葵の先導によって、人気のない通路を進むこと数分。
以前、弘人と訪れた部屋へとたどり着く。
「失礼いたします」
緊張した面持ちで入室すると、そこには綺麗な姿勢で座る琴恵の姿があった。
魔素を発しているわけでもなく、ただそこに座しているだけ。だが、それだけでも凛とした空気が、その場を支配している。
以前は弘人が同伴したため、感じている余裕はなかった。
しかし、改めて対面すると、四家の当主という存在が化け物と呼ばれる理由が痛いほど分かる。
「そこへ座りなさい」
琴恵に勧められて対面に座る美琴。
お茶を出してくれた葵が退室するのを見送ってから、美琴は徐に口を開いた。
「お久しぶりです先生……いえ、お婆様と呼んだ方がよろしいでしょうか?」
「どちらでも構わないわよ。その様子だと、どうやら自分について理解したようね」
「はい。ただ、いくつか腑に落ちない点があります」
美琴がそう言うと、琴恵は柔和な笑みを浮かべる。
質問に答えてくれるという意味だろう。美琴は一度深く呼吸をすると、琴恵に尋ねた。
「では、最初に。田辺美琴という少女の異能は何ですか?」
琴恵が持つ、人の心を読む魔眼。
それと同じように、美琴には月宮家の異能を授かって生まれて来た。ただ、その能力がどのようなものか、明確に把握できていない。
そして、この異能こそが、今の美琴を作り上げた原因である。美琴が琴恵からの返答を待っていると、「詳細については私にも分からないわ」と前置いて琴恵が語る。
「貴方の異能の根幹は、【干渉】よ」
「そうですか……」
美琴は、自身の異能が何なのか改めて考える。
「すでに、貴方は異能を使っている。そのデバイスがいくら優れていようとも、普通は発動後の魔法に干渉することはできないの」
「っ……。知らない内に、使っていたと言うことですか」
琴恵の言葉に、小さな驚愕を顕わにする。
だが、それも一瞬の事。すぐに納得の表情を浮かべると……
「なるほど。だからこそ、知らない内に混じっていたのですか」
そう小さく呟いた。
美琴は、琴恵に視線を向ける。思考が読める琴恵のことだ。美琴がどのような結論を得ているのか理解しているのだろう。
敢えて黙っているのは、美琴の口から答えが聞きたいという意思表示だと美琴は判断する。
「私は、私……確かにその通りですね。半年前に、金田誠が田辺美琴に混じったというわけではなく、それこそ私が物心つくよりも前に田辺美琴が金田誠に混じっていた……ということなのですね」
少女ではなく男性としての……金田誠としての自覚が強いのは、そのためだ。
田辺美琴の中核となる意思は、幼子の時に金田誠に混じっていた。金田誠という存在が、誠と美琴の意思が作り上げた存在なのだと。
「ですが、いったいいつ混じったのですか?」
それが分からないのだ。
ただ、美琴は意識せず異能を使用していた。幼い頃に、異能を使って他者に干渉したということになる。
美琴が尋ねると、琴恵は静かに口を開く。
「おそらくは、貴方が生まれてすぐの頃よ」
「そんな昔ですか……。ですが、何故そう思うのですか?」
「貴方の力は確かに素晴らしいものよ。でも、他人に干渉できても奪えるほど強力なものではない」
そう言って、琴恵は息を吐く。
「十四年前、金田誠は事故に遭ったの。意識不明の重体で、いつ目が覚めるか分からないと診断されたわ」
「っ……!?」
琴恵の言葉に、概ねの事情を理解した美琴。
自身の体に集中すると、以前とは比べ物にならないほどの魔素。手術後に増えたと思った魔素の量が、さらに跳ね上がったのだ。
「そう、貴方は生まれながら強魔素持ちよ。貴方が入院している間、誠は同じ病院に搬送された。どこかで貴方の魔素に当てられ暴走状態だった【干渉】を受けたのでしょうね」
「そこで混じった……と言う訳ですか」
本来ならば体を奪えるほど強力な力ではない。
だが、相手が意識不明の重体なら……。確率としてはかなり低いが、現状を鑑みると成功してしまったのだろう。
「ええ。そして、貴方の魔素だけど母親である琴音の異能【封印】を受けて、今まで押さえつけられていたのよ。ただ、本来の貴方の覚醒と激しい感情によって封印が解けたようだけどね」
「もしかして母は知っていたのですか?」
「おそらく気づいていなかったと思うわね。なにせ、膨大な魔素の影響で身体への負担が大きく、貴方はひと月も生きられないと言われていたのだから。魔素を無理やり封印した影響で、意思が薄かったと思っていたと思うわ」
琴恵の言葉に、美琴は納得する。
そして、そんな美琴を見て……
「貴方の父もそれを知っていたのでしょうね。だから、貴方の変化を気にもしなかった」
弘人のことを話す。
確かにこれまでも何度か疑問に思ったことがある。以前の美琴と今の美琴は、似ている点が多いが同一人物ととらえるのは無理がある。
琴音の話を聞き、魔素が増えた……戻ったことで納得していたのだろう。いや、それよりも……
「まぁ、お父さんは大物ですから。本質そのものを見抜き、そのような些事を気にしていなかったのかもしれませんね」
「……」
美琴の結論に、何故か呆れた表情をする琴恵。
「さすおと」と父を称えていると、ある事実に気づいてしまった。はっとなった美琴は、緊張した面持ちはどこへやら。必死な形相で琴恵に尋ねる。
「待って下さい! ということは、父を蹴落としたのは私の意思と言うことになりませんか!?」
今までは、冷徹非道な人の皮を被った冷血漢の仕業と考えていた。
しかし、琴恵の話では当時の金田誠はすでに美琴の意思が混じった存在だったということになる。
「いえ、おそらく金田誠という男がそのような性格だったのですね」
そう結論付けようとしたが……
「私の知る限り、以前の誠は人情にあふれた人物だったわよ。カーラには劣るものの、天才と言っても良かったわ。他のゼミ生たちは、退院後の彼の変化に戸惑っていたものよ。それに、経営関係の成績は目も当てられなかったわ」
琴恵が口を挟む。
嫌な予感を覚えた美琴は話題を逸らそうとするが、そうは問屋が卸さない。琴恵が意地の悪い笑みを浮かべると……
「安心しなさい。貴方の考えている冷徹非道な人の皮を被った冷血漢は、まぎれもなく貴方の本質よ」
「……」
最も聞きたくない事実を聞かされた美琴は、足元が崩れるような錯覚に襲われる。
「さて、貴方の聞きたいことは以上かしら」
「ハイ、ソウデスネ」
もうこれ以上何かを聞く気力もない。
美琴の心は痛みを通り越して、疲れ果てていた。好奇心は猫を殺す。世の中には気になっても、知らない方が良い事実があるということだ。
「それはそうと、秋宮についてだけど」
美琴は何も答えない。
本来、学校側では不可能な秋宮への処罰。それを頼みに来たと言うのに、どうでも良くなってしまった。
呆然とした様子の美琴に、琴恵は小さくため息を吐く。
「秋宮家の方は。当然だけど評判は地に落ちた。秋宮が心を入れ替えれば、倒産はギリギリ免れるでしょうね……無理だとは思うけれど。設備は充実しているから、ある程度弱らせたところで吸収するつもりよ」
ビジネスの話だ。
心が痛もうが、それを押し殺して美琴はすぐに反応を示す。
「確かに、その方が良さそうですね。そのまま秋月を下に付けるつもりですか?」
「ええ、その予定よ。秋月はデバイスの生産を主流にしているから。月宮では、大型魔道具として【ディメンションゲート】の製造を始める予定よ」
空間魔法を一企業に託すのは、かなり無理がある。
四家である月宮家だからこそ可能な一大プロジェクトになるだろう。個人用は、カーラをして一人の例外を除いて不可能と言わしめるほど。
ただ、美琴の協力でかなりのデータが集まったこともあり、すでに大型魔道具は試験段階にあるそうだ。
「これからも、美琴には協力を頼むわね」
「はい……」
随分と高い利子である。
いや、金銭のみならず今回の件の後始末などを色々と月宮家に便宜を図ってもらっている。
断ることは不可能だった。
「それで、娘の方だけど……警察に訴えたところで無罪かせいぜい保護観察処分よ。以前のような横暴は許されないけれど、学校に残っては被害者にとって毒でしかないわ」
「島流しでお願いします」
「全寮制で校則が厳しい女学院に転校させるように誘導しておくわね」
その辺りが妥当だと、美琴は納得を示す。
「それと、私との関係については口止めは必要かしら? 私としては、そのままでいいと思うのだけれども」
といじわるそうに微笑む琴恵。
その笑みを見て、美琴は……
「……よろしくお願いします」
感情に身をゆだねて、勢いで動いたことを後悔するのであった。
そして思う。祖母に似てしまったのだと……。
誤字報告、ありがとうございます!
五十話で調整しているため、今後の更新はバラバラになると思います。
なるべく二日に一話の更新を心がけますが、一日二日ずれることがあるかもしれません。
拙作ですが、今後もよろしくお願いします!




