第41話 急変
月宮学園、アリーナの練習部屋。
――【フロート】、起動
重力に逆らい、体が宙に浮く。
普段感じている重力が全く感じられず、どこまでも飛んでいけそうな感覚だ。しかし、十メートルほどの高度に留まると、更に魔法を使う。
――並列魔法……
今の魔道具では、一つの魔道具で二つの魔法を発動させることはできない。
しかし、弘人の開発した並列魔法は常識を覆す。宙に浮いた美琴の両手から黒色の魔素が花びらを象る。
――【闇桜】、起動
弘人のオリジナルの魔法だ。
彩香の【ソードナイツ】を元にして作られた魔法で、それをさらに複雑化したものである。
「ふぅ……」
美琴は一度息を吐く。
【闇桜】は美琴でも操るのが困難な魔法だ。桜のように散る闇の花びらは、美琴の両手に集まると、黒刀を象る。
そこから始まるのは、剣舞だ。
どこまでも深く集中し、頭ではなく体で動く。
踊りの才能がなかった美琴は愚直に反復練習を積み重ねたことで、人並み程度には舞うことができるようになった。
そして、自分の舞の拙さを補うように、華やかな魔法が彩る。
たったの三分。
しかし、極限まで集中しているため、その十倍以上に感じてしまう。音楽も終盤に差し掛かり、美琴は地上へと降りる。
そして、並列魔法を解除すると……
――【氷樹】、起動
もう一つの魔道具を起動させた。これもまた、弘人のオリジナルである。和名なのは、カッコいいからだそうだ。
それは、氷でできた桜の木。細部まで精巧に作られたまさに氷の彫刻だ。しかし……
――パリン!
そんな音と共に、氷で作られた桜の木に罅が入る。
そして、底を中心に罅が一面に広がり、数秒と経たずに崩壊した。
「はぁ……」
思わずため息を吐いてしまう美琴。
細かく砕かれた氷が舞う光景は、確かに美しい。だが、これは失敗であるため息を吐かずにはいられなかった。
「お疲れ様。最初に比べれば、随分と良くなって来たわよ」
そう声を掛けて来たのは、キャサリンだ。
ゴシック衣装を身に纏っているが、壮絶に似あっていない。だが、もう見慣れた光景であるため、美琴はそのことから視線を背ける。
「ありがとうございます」
「さて、それじゃあ反省から始めようかしら。踊りについては、随分と良くなったわ。時折、リズムがあってなかったけど」
「うっ……。まだですか」
キャサリンの指摘に、美琴はげんなりとしてしまう。
美琴の練習は、特に難しいことをしていない。ただ、ひたすら同じことを繰り返しただけで、踊りを体で覚えるというだけだ。
最初にこの話を聞いた時、「どこのスポ根だ」と思ったのも懐かしい。
疲労で立ち上がれなくなってから、ここからが本番だと言う熱血キャサリンは鬼か悪魔のように見えてしまった。
とは言え、その甲斐あって短期間で、人並み程度に踊れるようになったのだが。
「こっちは、練習を続けるしかないわ。それで、魔法についてだけど、私に言えることは何一つないわ」
「そうですか?」
「はっきり言って、あなた異常よ。いくら並列魔法で脳への負担が軽減されているとは言え、普通【フロート】の片手間に【闇桜】だったけ……あんな馬鹿げた魔法を使えないわよ」
心底呆れたように語るキャサリン。
シリアスな雰囲気を出しているのだが、服装や言動で台無しになっている。とは言え、美琴も【闇桜】に関しては同感だった。
「この魔法、形を自由に変えられるのは利点なのですが、剣の形で維持し続けるのが大変なんですよね」
そう言って、美琴は【闇桜】を起動させる。
美琴の手のひらに集まった闇の花びらは、丸くなったり、四角くなったりと様々な形へと変化する。
それを見た、キャサリンは一際大きなため息を吐く。
「それを平然と扱えるお前の方が可笑しいぞ」
呆れ過ぎて、美智乃雄真が出て来た様子。
すぐにはっとなって首を振ると、キャサリンに戻った。
「ゴホン、それはともかく……そうねぇ。あの最後の魔法についてだけど」
「あれですか。父の趣味で作った魔法ですが、作りだすのが億劫でして……」
失敗する理由は、魔素の収束が甘いからだ。
ほとんど力技で起動させているのだが、そんな簡単に起動できるほど単純な魔法式ではない。
「正直、あれを起動できることの方が不思議だわ……。けど、アドバイスするならもう少し式を単純化して、崩壊するところまで組み込んだほうが良いわ」
「壊すのですか?」
「ええ、その方が余韻があって良いわ」
「分かりました、考えておきます」
「そう。じゃあ、休憩しましょうかしら」
キャサリンの提案に頷くと、練習部屋の隅に置かれる長椅子に腰かけた。
三人は座れそうな椅子だが、キャサリンの体格から二人で座ってちょうど良いくらいだ。
「そう言えば、美琴ちゃん。貴方は学校はどうしたのかしら?」
「通院です。もう放課後が近いので、そのまま休みました」
「病院に行くと、時間が掛かるものね……。待ち時間が長いのよ」
「ええ、まったくです」
病院ほど面倒な所はないだろう。
診察室に呼ばれるまでの間。検査までの待ち時間。そして、再び診察室。その後は会計もあって、処方箋の受け取りもある。本当に待ち時間が長い。
「それはそうと、オータムと田辺製作所に動きがあったそうですね」
「あらん、耳が早いわね。琴恵さんから聞いた話だと、庇護下から外れたそうよ」
「馬鹿なことを……」
秋宮は、本当に周りが見えていない。
ここ最近、美琴の耳に入ってくるオータムの評判はすこぶる悪いのだ。その状況で月宮から離反など正気を疑うほかない。
「まったくその通りね。聞いた話だと、縁故採用の技師が色々と不祥事を起こしているらしいし」
「おそらく、突然技師をやれとでも言われたのでしょう。縁故採用者は資格を持っていても技術がありませんので。叩けばいくらでも埃が出そうですね」
美琴がそう言ってため息を吐くと、隣でキャサリンが奇妙なものを見るような目を向けて来る。
「今さらだけど、美琴ちゃん本当に中学生? 鯖読んでない?」
「読んでません」
一瞬言葉に詰まりそうになるが、平然とした表情で言い返す。
「そうよねぇ~。けど、美琴ちゃんって中学生っぽくないのよね。まぁ、あの人の孫だからと言われれば納得だけど」
「私まで妖怪扱いはやめて下さい」
妖怪の孫は妖怪。
そう言われたような気がして、嫌そうな表情を浮かべる美琴。この話題を続けられるのを嫌って、話題を変えた。
「それより、その二つがどちらへ行ったか知りませんか? 独立したとは考えにくいので」
「天道には相手にされなかったみたいだから、土御門と諸星のどちらかだと思うわ。私としては、諸星が怪しいわね」
「諸星ですか。あわよくば月宮の技術をと思っている可能性がありますが……」
「月宮を目の敵にしているからね、あそこは」
「ええ。……もしかすると、そうなるように仕向けたのかもしれませんね。お婆様の性格からして。それであれば、諸星もお気の毒としかいいようがありません」
「本当ね。カーラちゃんが抜けた田辺製作所に、技師の大半を失ったオータム。どちらも大量生産に力をいれるらしいわ」
「そのようですね」
キャサリンの話に、思わずため息を吐きそうになる美琴。
すでに田辺製作所は、誠の書いたシナリオから外れている。今は業績が伸びているが、大量生産のノウハウが乏しい田辺製作所ではすぐに業績が落ちるだろう。
(まぁ、どうなろうが知ったことではないですけどね……)
美琴は、すでに田辺製作所に見切りをつけている。
やり残したことと言えば、落選の通知を突きつけることだろう。ビリビリに破いて捨てたが、あの後ごみ箱から回収してテープで補修し、記念に残してある。
厚顔無恥に泣きついて来ようものなら、突きつけてやるつもりだ。
「それで、秋月についてですが。そちらはどうですか?」
「そっちは、順調みたいね。ただ、もともとオータムの影に隠れている企業だったから、注目が浴びにくいのよ。けど、月宮の後ろ盾があるから、秋宮の離反で注目が集まり始めたわ」
改めて思うと、月宮の力は絶大だ。
世間一般では、秋宮に月宮が見限られたと映るだろう。だが、実際は違う。月宮の力を知っている者たちは、自然と月宮が後援を始めた【ムーンクラフト】に注目し始めた。
「そう言えば、確か二人のお披露目は来週でしたよね。上位入賞できれば、注目がさらに集まりそうですね」
「ええ。大分多重展開魔法が扱えるようになったから、きっと優勝と準優勝は間違いなしね」
「それは頼もしい限りです」
カーラが一から作りだした魔道具だ。
市販の物と比べれば、まさに世代が違う。地方大会ということで有名選手の出場があるわけでもないため、上位入賞は確実だ。
きっと、大会後は注文が殺到することになるだろう。
「因みに、美琴ちゃんは来月よ。この調子なら、本番は問題なさそうね」
「本当に今さらですが、私が出る必要あるのでしょうか? カーラからの報告で、秋月から下請けをもらってもいいと思うのですが」
「すでに手が回っているに決まっているじゃない。美琴ちゃんにできることは、死に物狂いで練習して、本番で踊ることだけよ」
「ですよね……はぁ」
踊る以外に道はない。
その事実に深くため息を吐く美琴。すると……
「そんなことよりも、衣装よ!」
「……」
キャサリンの言葉に、表情を引きつらせる美琴。
きっと、心底嫌そうな表情をしていたことだろう。一番触れられたくない話題なのだから仕方がないだろう。
「毎回思うのだけど、美琴ちゃんは服のセンスもないわね。シャツにジーンズって、しかも彩香ちゃんから聞いた話だと、それ以外ほとんどないって言ってたわ!」
キャサリンは、美琴の服装を見て憤りを見せる。
動きやすいのだから仕方がないだろう。そう反論するべきかと思ったが、火に油を注ぐ結果にしかならないのは目に見えている。
「しかたがないわねぇ。ここは、美の探究者たるこの私が、美琴ちゃんにファッションの何たるかを教えてあげるわ。ついでにカーラちゃんもね」
この場にいないカーラを思って、燃え上がるキャサリン。
ただ、美琴はキャサリンに対して「ファッション云々を言われたくない」と反射的に思ってしまった。
こっそりこの場を立ち去ろうとした美琴であるが……
「あらん。どこに行くのかしら?」
まさか逃げるんじゃないのか。そう聞かれたような気がして、冷や汗を流す美琴。そんな美琴に対してキャサリンは……
「この後、カーラちゃんも連れて服屋に行きましょう? きっと楽しいわよ」
楽しそうな光景が思い浮かばない。
というより、キャサリンが近くにいる時点で、買い物になど行きたくはない。
「すみません、服を買うお金が……」
「大丈夫よん、私が出してあげるわ」
つべこべ言わずについて来い。
言外にそう言われたような錯覚を覚える美琴だが、キャサリンから感じる威圧感に尻込みしつつも答える。
「そ、それだと申し訳がないので……」
「気にしなくて良いわ……と言いたいところだけど、前々から弘人くんに美琴ちゃんの服のことを頼まれてたのよ。代金は後で支払うから、見繕って欲しいと言ってね」
「お父さん!!?」
思わず声を上げてしまう美琴。
何故彩香ではなく、よりにもよってキャサリンなのだ。色々と拙い気がして仕方がないのだが、既に決定事項のようだ。
と、その時だった。美琴の携帯電話が震えたのは。画面を見ると、彩香からだ。助かったと思いつつ、電話に出る。
「もしもし、美琴です。彩香さん……」
要件を尋ねようとしたが……
『美琴、急いで来て! 明美ちゃんが……』
聞こえて来る彩香の声色は真剣なもので、喫緊の状況だとすぐに理解できた。




