第37話 秋宮父娘
オータム本社。
社長である秋宮秀人は、苛立っていた。その原因はというと……
「本日付で、辞職させていただきます」
提出されたのは、辞表の文字が書かれた封筒。
本来であれば、名も知らぬ一般社員が辞めたところで秀人は気にもしないだろう。また別の人材を雇えばいいだけの話だからだ。
しかし、ここ半月ほど辞表を出す社員が続出している。
もともと、辞職率の高い職場だ。しかし、技師の半分近くがこの半月で退社したとなれば、話は別である。
きっかけはというと……
『社長、本日付で辞めさせていただきます』
水野明久。
魔法演武で一躍有名になった水野美保の夫で、秀人が名前を覚えるほど優秀な技術者である。
『なんだと? 貴様本気で言っているのか?』
『ええ、もちろんです。流石に、ここでの働き方は、体に毒ですから。いつかはやめようと思っていたところです』
その言葉に、秀人は思わず舌打ちしたくなった。
しかし、それをこらえて机に肘を乗せる。
『つまり、賃上げの要求か? いくらだ、いくら欲しいんだ?』
社員一人の待遇を改善することでほかの社員から不満が出る。
だが、明久の技術はオータムにとって必要なものである。不承不承ながらも交渉に応じようとしたが……
『いいえ、賃上げは結構です。退職を申し出に来ただけですから』
『なに?』
今度こそ、秀人は耳を疑った。
オータムは、月宮の下で世界に名を轟かせる大企業だ。最近では、田辺製作所も力をつけているが、それでもブランド力はこちらが上。
それを棒に振ろうなど、正気とは思えなかった。
そんな秀人の内心を知ってか、知らずか、明久は口を開く。
『社長、去り行く身なので一つ忠告させていただきます。オータムは、今のやり方では遠くないうちに……』
明久は、あえて言葉を濁した。
だが、続く言葉が何かわからない秀人ではない。侮辱されたと顔を真っ赤にして、怒鳴り散らす。
『ふざけるな! 貴様は会社の経営が傾くとでも言いたいのか!?』
『ええ、それは間違いなく。今の秋宮があるのは、月宮の名があるからです。そこから手を引こうなど……』
『黙れ! 貴様、誰に向かって言っている!? 私は、秋宮だぞ! あの老いぼれ婆の名前など、もう不要だ!』
激高する秀人に対して、明久の態度は冷静だった。
まるで哀れな子供を見るような目を向けてくる。
『忠告はしました。あとは、社長次第でしょう……では、私はここで失礼させていただきます』
そう言って、明久は踵を返す。
息を荒げた秀人は、ドン!と手を机に叩きつける。そして、明久に制止の声をかけた。
『待て!』
『何でしょうか?』
『お前、秋宮を敵に回してどうなるかわかっているのか? 次の就職先はないと思え』
ここまで秋宮の名前を傷つけたのだ。
秀人は、たとえ優秀であろうとそう簡単に明久を許す気はない。泣いて土下座する光景を思い浮かべて、嗜虐的な笑みを浮かべる。
だが、明久はというと……
『はぁ……』
ため息をつくだけだった。
その態度に、秀人は怒髪天を衝く。しかし、秀人が何かを口にするよりも先に明久は口を開いた。
『あなたは、あなたの侮辱した名前の意味をもう一度よく考えることですね』
たった一言。
それだけを言い残して、明久は社長室を去って行ったのだった。
当然、秀人は明久の就職を妨害しようとした。
しかし、それはできなかった。秀人は、明久がどこへ就職したのかさえ調べられないのだ。だが、明久が働いていることだけは耳に入った。
どうなっているのか、それさえもわからない。
だが、明久の一件で……おそらくは本人が話を持ち掛けたのだろうが、次々と社員が辞めていくのだ。当然のことながら、彼らもまたどこへ就職したのか掴めていない。
「まったく、役立たずどもはこれだから……」
机の上に乗せられた辞表を見て、忌々し気に呟く。
「全くですな。まぁ、替えなどいくらでもいるのだから、気にする必要はないでしょう」
男と代わるようにして、入室して来た役員が苦笑して言った。
「その通りだ。たとえ、五十人辞めようとも、百人雇用すれば良いだけの話だ。なんら、支障はない」
そう、問題はないのだ。オータムのブランド力があれば、働きたいという技師はいくらでもいる。
そう言って、大きく息を吐いた。
すると……
「ですが、雇用には時間が掛ります。その間、仕事が滞りますので……」
この場にいた秘書の一人が進言する。
煩わしいと思いながら、秀人は答えた。
「空いた穴は、他の奴らにカバーさせれば良いだけだ。それに、雇用などすぐにできるだろう」
「いえ、それが……その」
秘書の男性は、言いにくそうに言葉を詰まらせる。
そんな煮え切らない態度に、役員の男性は言葉を荒げた。
「それが、何だ!? 我らの貴重な時間を奪うつもりか!? 早く言え!」
「はいっ!? ……技術者たちは、もともとオーバーワークでして、ただでさえ仕事量が多いなか、倍になるのは厳しいかと。それに、残った者たちのほとんどは縁故採用の者ばかりでして……」
言いにくそうに主張する男性。
それはそのはずだろう。オーバーワークなのも、縁故採用された技術者も元を正せば、秀人や役員たちが原因なのだから。
まるで、自分が過ちを犯したと指摘されたように錯覚した秀人は、低い声で言った。
「貴様、私の経営方針に異議があるのか?」
「い、いえ!? そうは申しておりませんが、その……納品について、今週末が期限のものがいまだ着手していない状況でして」
「何だと!?」
秘書の言葉に、秀人だけでなく役員の男性も驚愕する。
今日はすでに週の半ば。少なくとも二日か三日中には、魔道具の数を揃えなくてはならない。工場で大量生産を行っているオータムであるが、魔法式の刻印は手作業のものが多い。到底、間に合うとは思えないのだ。
仮に、納期に間に合わなければ。
そうなれば、オータムに対する信用が損なわれることになる。それだけは避けなければならない。だが、それよりも……
「いったい、技術者たちは何をやっているんだ!?」
怒鳴り散らす役員の男性。
秘書の男性は委縮したように……
「辞職して、人手が足りない状況です」
「まだ、技術者たちは多くいるだろう! そいつらは何をしている!?」
「彼らは、その……」
再び言葉を詰まらせる秘書の男性。
秀人が怒りを顕わにすると……
「……縁故採用の者のほとんどが出勤さえしておりません。それ故に、確認が遅れました」
「「……」」
秘書の男性の言葉に、怒りを通り越して二人は表情を失う。
縁故採用の者が働いていないのは、秀人も知っている。彼らは働かずとも雇っていることで意味がある存在だ。
だが、今はそんなことを言っている状態ではない。秀人が何か口にしようとするが、それよりも先に……
「それと、雇用の件ですが……この時期は、どこも人手不足でして。即戦力となる人材の引き抜きは難航しております。人事部も頑張っておりますが、十人集まるのがやっととのことです」
追い打ちをかけるような事実に、秀人の腕がプルプルと震える。
そして、火山の如く怒りを噴火させた。
「ふざけるなぁ!!!!!」
オータム本社に、秀人の怒号が響き渡るのであった。
*****
一方で、秋宮家では。
「何故、あんな薄汚い小娘一人潰せないのよ!?」
秋宮家の長女である麗子が、癇癪を起していた。
「落ち着いて下さい、お嬢様」
窘めるのは、長年秋宮家に仕える使用人である忍。
初老の男性特有の白髪交じりの髪をしているものの、執事服のような礼服を纏い、おしゃれな老人という雰囲気だ。
内心ではため息を吐くものの、麗子から投げられたクッションを手で止める。
「忍、どうしてあんな小娘を潰すのに、こんなに時間が掛っているの!? あんなちっぽけな……それこそ、犬小屋みたいな家、すぐにつぶせるでしょう!」
ヒステリックに叫ぶ麗子の姿を見て、忍は憐れに思う。
何不自由なく暮らして来た令嬢。しかも、本当の上流階層……四家を知らないが故に、自分こそが最も秀でていると勘違いしているのだ。
(これも、私たちの業ですね……)
甘やかして来たのは、秀人たちだけでない。
忍もまた、麗子を甘やかして育てて来てしまった。だからこそ、こんな風に育ってしまったのだと、今さらながら後悔する。
だが、もうそれも遅い。
「そのようなことをされれば、秋宮の名前に傷がつきます」
「あの女は、私を見下したのよ!? それで、黙っていられる訳がないでしょ! お父さまは、何をしているの!? 報復してくれるって、言ったのに!」
「それは……」
忍は、言葉に詰まる。
秀人は、方向転換をしようとしているオータムの経営で忙しいのだ。そんな中、連日社員が辞表届を出して行く実情。
麗子の願いを叶えるため動いたようだが、今はそれどころではない様子だ。それに、そもそも今の秋宮にその力はなかった。
「黒鉄は、どうしたのよ!? あいつらなら、あんな貧乏人を貶めるくらい簡単なことでしょ!」
「お嬢様、どうしてそれを……」
「お母さまが教えてくれたわ。それよりも、何でそいつらを動かさないの」
「然様ですか」
思わずため息を吐きそうになる。
まだ中学生の娘に何と言うことを教えているのか。そう言いたいところだが、それをぐっと堪える。
そして、麗子の問いかけに答えた。
「簡単なことです。既に黒鉄組は存在しないからです」
「存在しない?」
「ええ。長は警察に捕まり、組織は自然消滅しました」
これについてはおかしな話である。
そもそも組長が捕まることじたいが珍しい。そして、長を失くしたからといって、組織がなくなるわけでもないのだ。
だが、何があったのか調べる力は、残念ながら秋宮にはなかった。
「使えないわね。これだから、烏合の衆は……」
落胆によって、幾分か落ち着いた様子の麗子。
他者を見下す態度に苦言を申し出ようとするが、一つだけ気になったことを忍は尋ねた。
「お嬢様、一つ宜しいでしょうか?」
「なに?」
「その田辺美琴という少女のことです。その少女は、四家の関係者ではないのですか?」
当然だが、忍は美琴について可能な限り調べた。
結論から言うと、謎の存在……それが忍の見解だ。父親が、田辺製作所の元社長であること以外、普通の少女と変わらない。
だが、あの魔素保有量はなんだ。
血統が保有量に影響を与えるという常識で考えると、麗子を歯牙にかけないほど膨大な魔素……最新の数値化した物ではなく、大まかな測定ではあるがそれでも麗子の十倍以上という結果が出ている。
この結果は、四家の直系を上回るほどだ。下手をすれば当主にも迫るのではないか、そんな思いがある。
突然変異という考えもあるが、それよりも四家を疑った方が可能性は高いだろう。
だが……
「ばっかじゃないの? あんな貧乏くさい女が、四家な訳がないでしょ。冗談も休み休みにしてよ」
と、麗子には一蹴されてしまう。
尤も、可能性があるというだけで、本当に突然変異かもしれない。この話題は麗子の機嫌を損ねるため、追求はしなかった。
(ただ、気になるのは母親についてですね。こちらは、調査を続けた方が良さそうです)
万が一の可能性を心配して、忍は調査を続けると決意するのであった。




