第29話 合同授業(上)
四月の最終金曜日。
美琴たち三人は憂鬱な面持ちで、アリーナへと歩を進める。
「はぁ……」
深いため息を吐いたのは、彩香だ。
自他ともに認める優等生であるはずの彼女が、次の授業だけは受けたくないのか重い足取りである。
ため息の後、一拍を置いてからこの世の不条理を呪うような声で呟いた。
「何で、魔法学が合同授業なんだろう……」
美琴も、穂香も、心の中で深く同意した。
「仕方がないこと。……二時間の連結授業だから、ウェルカム。けど、あれと一緒なのは嫌だ」
見渡すと、教室にはほとんど生徒がいない。
座学の嫌いな男子は真っ先に教室を出て行き、女子はと言うと西川勇気と同じ授業ということで一目散に更衣室へと向かった。
普段であれば、喜ばしい授業だが今回は別である。
「魔法学の実技は体育と同じで、私語が緩いからね。私も嬉しいんだけど……。ただ、勇気たち絶対に絡んで来るよ」
顔を見合わせて、ため息を吐く二人。
そんな二人を傍目に、美琴は尋ねてみた。
「確か、彼のクラスには秋宮が居るのでしたよね」
美琴の確認するような一言に、穂香が頷いた。
「うん。それと、他のハーレムメンバー。どういう訳か、この学校は大物が多い」
「あっ、だよね! 私もそう思った。特にあいつのクラスは、意図的に集めたんじゃないかって思うよね」
「そうなのですか?」
美琴は、やはり誠としての意識が強いからか、社交的ではない。
つまり、友達と呼べる存在が二人を除いていないのだ。そのことに、不満があるわけではないが、当然他者への関心が薄い。
美琴が初耳だと尋ねると、彩香は苦笑して言った。
「勇気は社長令息でしょう。麗子は秋宮だし、明美ちゃんは有名なアスリートの娘だし……」
指折り数える彩香。
ふと、何かに気づいた穂香が声を上げた。
「そう言えば、今年の新入生に天道の分家らしい子がいたみたい。四家、コンプリートした?」
「ああ、あの子か。うちの学年には天道以外の三家の関係者が揃っていたから、かなり噂になってたよね」
誰の事を言っているのか思い出したのだろう。
朗らかに同意する彩香。一方で、美琴はと言うと驚愕を隠せないでいた。
「分家とはいえ、四家の人間が揃っているのですか? どこの家もそうですが、本家よりも分家の方が誇り高いんですよ。大抵、由緒正しい学校に通うのですが……」
「うん、本当にね。学校の七不思議の一つなんだよ」
「けど、美琴の方がこの学校にいる事が可笑しいと思う」
そう言って、ジト目で見て来る穂香。
彩香もまた、「確かに」と言って同種の視線を向けて来る。
「何を言っているんですか、私はごく普通の家ですよ。父が自営業を営んでいますが、とくに珍しくもないでしょう」
と、呆れたように言う。
そんな美琴を見て、二人は顔を見合わせた。
「一番場違いなのは、やっぱり美琴だよね」
その言葉に深く頷く穂香であった。
「さてと、そろそろ着替えに行こうよ。って、美琴逃げない」
「お手洗いに行こうかと……」
「後で良いでしょう。行くよ」
魔法ではともかく、力は彩香の方が上。
美琴の些細な抵抗は虚しく、いつも通り二人に更衣室へと連行されるのであった。
「うわぁ、人だかりが出来てる」
アリーナに到着すると、最初に見えたのは人だかりだ。
あの中心には、男性アイドルでも居るのか。そう思うほど女子生徒が密集していた。中心に居るのが誰か分かっているため、彩香は嫌そうな表情を浮かべる。
「あっち見て、負の怨念がすごい」
一方で、穂香が指さす方向には男子生徒がいる。
周囲の魔素が無意識に反応しているのか、それとも本当に怨念なのか、どんよりとした空気が辺りに密集していた。
彼らは一様に血の涙を流し、今にも何かに変身しそうだ。
「私たちは、この辺りで待ってよう」
右にも左にも行きたくない。
彩香の提案に、美琴たち三人は扉付近で教師の到着を静かに待つことにした。
「うをっ! 何だよ、この空気! 右は黒で、左は黄色か!?」
開口一番、そう言ったのは美琴たちのクラス担任である山中信哉。
一歩下がって「部屋間違えたかな」などと言っているが、間違いなくこの部屋だ。美琴たちは、思わずジト目で見てしまう。
そんな三人の視線に気づいたのか、信哉はゴホンと咳払いして中へ入って来た。
嫌々ながらも、黒と黄色の境界線に立つと、パンパンと手を叩くことで注目を集めた。
「そろそろ授業を始めるぞ! こっちに集まれ!」
一際大きな声で号令をかけると、ゆっくりとであるが信哉を中心に集まり始める。女子生徒たちの人だかりが散り始めると、勇気の視線がこちらに向き、笑みを向けて来た。
「……向こうに行きましょう」
勇気の笑みに、鳥肌が立った美琴。
その提案に異議はないのか、二人もまた勇気から離れるように動いた。
生徒たちが集まると、信哉は授業を始める。
「さて、今日は二組合同授業だ。二コマになるから、魔素は残しておけよ」
信哉の視線の先には、美琴たちのクラスメイトである男子生徒たち。
よく見ると、その手には見慣れた魔道具が握られているではないか。魔素欠乏症で、壁際で寝ている光景が目に浮かぶ。
「さて、今日の授業だが、普段とやることは変わらない。ぶっちゃけた話、一度にまとめた方が楽だからという理由だ」
「先生、ぶっちゃけ過ぎです!」
身も蓋もない理由に、生徒たちから笑い声が上がる。
「きっと、魔道具だろうね」
隣に座る彩香が小さく美琴に言った。
「ええ、学校に用意してある魔道具は種類が少ないですから。彼らの魔道具を見せるという目的があるのでしょう」
「やっぱり。そうだよね、こういう機会じゃないと見る機会が少ないから」
「見たところ、最新の魔道具ですからね。……と言うより、以前の物と違いませんか?」
ふと、そんなことを思う美琴。
遠目であるため確信が持てないが、記憶にある魔道具と彼らが今持つ魔道具のデザインが違っていた。
デザインだけ変えるとは思えないので、きっと新型なのだろう。
「まぁ、長い前振りはここまでにしよう。早速、授業に入るが……そうだな、違うクラス同士でペアになってくれ」
その一言に、あちこちからブーイングが飛ぶ。
主に、勇気たちのクラスの女子だ。きっと、一緒になれないことに対して不満を持っているのだろう。
対して、信哉のクラスの女子たちは落ち着いたものだ。
ただ、男子生徒たちが不満の声を上げている。
「合同授業の醍醐味だ! 良いだろう、たまには!」
信哉がそう言うと、今回だけだと思って生徒たちの不満が小さくなる。
不承不承で、ペアを探し始める生徒たち。
一方で、美琴たちの行動は早かった。
「取りあえず、私の友達を紹介するから、美琴も付いて来て」
「よろしくお願いします」
彩香の提案に、すぐさま反応する美琴。
勇気、もしくはその取り巻きとペアになったら堪らないのだ。彩香に連れられて移動を開始すると……
「私は?」
不意に穂香が声を上げた。
「穂香にも、友達がいるでしょう?」
彩香が怪訝そうな表情で尋ねる。
「SNSが返って来ない人なら。もう、一年間返信がない」
「「……」」
穂香の返答に、返答に詰まった二人は無言になる。
だが、本人も気にした様子はなく、平然とした様子だ。彩香が静かに穂香に対して提案した。
「……一緒に行こう」
「うん」
彩香に連れられて美琴たち二人は、彩香の知り合いのもとへ向かった。
普段であれば、仲良し同士でペアになっているのだろう。突然別のクラスとペアになるように言われて困っている様子だ。
彩香が声を掛けようとすると……
「やぁ、彩香」
『西川勇気と愉快な仲間たち』が現れた。
「げっ」
思わず、心の声が漏れてしまった様子の彩香。
きっと、逃げるを選択しても回り込まれてしまうだろう。勇気の登場に、美琴も嫌そうな表情を浮かべていると、穂香に袖を引っ張られる。
「今のうちに、ペアを探そう」
「友達ではないのですか!?」
穂香の提案に、美琴は目を見開く。
穂香は、真剣か冗談か分かりにくい表情を浮かべて……
「大丈夫、ここは私に任せて先に行けという意味だから」
真剣な口調で言った。
「どう見ても、そう思えないのですが……」
ふと、彩香に視線を向ける。
「どうかな、もしよければ僕とペアにならないか?」
どこか芝居掛った動作で、提案する勇気。
際立った容姿から非常に絵になるため、女子生徒からは歓声の声が上がり、男子生徒からは盛大な舌打ちが聞こえて来る。
彩香は引きつった表情を浮かべながらも……
「別の人と、ペアになるので遠慮しておくわ。彼女たちにでも声を掛けたら? きっと、喜んで引き受けてくれると思うわよ」
彩香は、歓声を上げる生徒たちに視線を向ける。
「それも良いかもしれないけど、僕は彩香と組みたいんだ」
爽やかな笑顔で「駄目かな?」などと言ってくる勇気。
きっと、年上の女性であれば庇護欲からころりと落ちてしまいそうになるあどけない笑みだ。しかし、彩香には効果がなかった。
「ごめんなさいね。他の誰かを当たってちょうだい」
淡々とした口調で答える彩香。
「残念だ」と口にするものの、その表情は晴れやかである。彩香が駄目と見た、勇気は視線を美琴たちに移した。
「二人はどうかな? 穂香はうちのクラスに友人がいないだろう。美琴は転校して間もないから、僕で良ければペアになるよ」
「「遠慮します」」
突然の飛び火ではあるが、一字一句違わずすぐさま断る二人。
これには、流石の勇気も表情を引きつらせる。きっと、三人連続で断られたことがないのだろう。
無意識だろうが、顔に手を当てている。
早々にこの場から立ち去ろうと動き始める三人に、勇気が制止の声を掛けるよりも前に一人の女子生徒が声を上げた。
「貴方たち、さっきから聞いていれば! 可哀想な貴方たちを憐れんで勇気がわざわざ声を掛けてくれたのよ!」
まるで紅葉のような赤い髪が特徴的な少女。
顔立ちは整っている方だ。十人いれば八人か九人は美少女と答えるだろう。ただ、吊り目で泣きホクロがあることから、気が強そうに見える。
「何ですか、秋宮さん」
彩香の言葉に、美琴は気づく。
この少女こそが、秋宮夫妻の娘である秋宮麗子なのだと。
「何ですかじゃないわよ、貴方たちは本来なら月宮の血を引く私と会話することさえ許されないのよ。その私が認めた勇気の誘いを断るなんて、何を考えているの?」
そう言って、麗子は蔑むような……いや、蔑む目で美琴たち三人を冷たく見るのであった。




