第2話 状況把握
金田誠の五年前の記憶だ。
株式会社田辺製作所の本社にある会議室では、十人ほどの役員が今後の方針について話し合いをしていた。
『田辺社長、貴方のやり方では倒産するのは時間の問題です』
『で、でもね、金田君。それだと、あまりにも社員が可哀想じゃ……』
そう反論するのは、田辺製作所の社長である田辺弘人。
先代の急死によって突然の代替わりとなった弘人は、社長としての経験が浅い。そのため、年下であるものの、銀行から出向して経理を担当している誠には強く言えないのだ。
現実が見えていない経営者に、誠は冷たく現実を伝える。
『確かに、百人ほどの社員には辞めてもらいます。ですが、倒産すれば千名以上の社員が路頭に迷うことになるでしょう』
『それは……』
田辺製作所は、千人以上の従業員数を抱える中堅企業だ。
主に自動車部品を製造していたのだが、突然の契約の更新拒否。
原因は、現エネルギー事情の主流である石油から十年ほど前に発見された未知なるエネルギー魔素への代替だ。
最近の研究では、魔素は原子力発電よりも膨大な電力を生み出すことができ、もともと自然界に存在するものであるため環境汚染の心配がない夢のようなエネルギーだと分かった。
契約先の大手自動車メーカーは、今後魔素を使った車両を全面的に売り出すつもりだろう。未だ魔素に手を付けていない田辺製作所はお払い箱ということだ。
『社長、貴方は経営者として甘すぎる。そして、考えが古いのです』
誠はそう言うと、周囲を見渡す。
この場にいる役員は全員現状を憂いており、社長のやり方に反対しているものばかりだ。そのため、半数以上の人がコクリと首を縦に振る。
それを見た、誠は深呼吸すると社長に告げた。
『田辺社長、貴方の取締役解任を決議事項として株主総会の招集を請求します』
既に田辺製作所の三パーセントの株を入手した誠は、堂々と告げる。
経験の浅い田辺弘人は何を言われたのか分からず目を瞬かせるが、すぐにその意味を理解することになった。
そして、開かれた株主総会にて、弘人は取締役から解任されたのだった。
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目が覚めてから、一週間ほどが経った。
美琴は自分に起こった出来事について大凡把握した。その結果、やはり自分は『田辺美琴』ではなく『金田誠』である。
魂と言うものが存在するか分からないが、その魂のようなものが手術中の美琴に宿ったのだ。
どうして今の状態かは分からないが、『田辺美琴』の手術時間帯と『金田誠』の死亡した時間がほとんど同じだった。仮説ではあるが、もしかすると『田辺美琴』も死亡しており、何らかの要因で『金田誠』が宿ったのではないかと考えている。
だが、『田辺美琴』と言う存在は消えたわけではないように感じる。
「こ、心が痛い……」
美琴は、昔の記憶を思い出して、病室のベッドの中で身悶える。
今にでも首をつって自殺したい衝動に駆られる。だが、この体は『田辺美琴』のものだ。仮に自殺すれば、娘を大切に思っている弘人を更に苦しめる結果になるだろう。
それに、『田辺美琴』はまだ自分の中で生きているように感じるのだ。何らかのきっかけで目が覚めた場合、体を明け渡そうと思っているので傷をつけるわけにはいかない。
「あぁあああああ……」
枕に顔を押し付けながら、言葉にならない声を上げる。
美琴がしたことではないのだが、それでも自分の父親に何て酷いことをしたのだと後悔している。
あの時、別に解任する必要はなかった。
経営について右も左も分からない弘人の事だから、会議で決まった意見を尊重するに決まっているのだ。
だが、誠は今後の争いの火種を摘み取るという冷淡な考えから解任してしまった。
株の回収に手を貸した役員たちは、おそらく社長の椅子を狙っていたのかもしれない。
それを考えると、誠は野心からではなく会社のためを思っての決断であり、幾分か溜飲は下がる思いだ。
とは言え、毎日のようにお見舞いに来て笑顔を向ける父親に、美琴は罪悪感で一杯だった。
「それに、メロンって……」
今日は既に帰っている。
だが、机に置かれたメロン。値段としては三千円とそれなりに高価で、田辺家の家計を知っている美琴からすれば大きな出費だ。
というよりも、どこにそんなお金があったのかと尋ねたくなって来る。
一人悶々としていると、定期診察の時間が来たのか担当医の女性三沢千幸が訪れた。
「美琴ちゃん調子は……って、亀みたいになっているけど、どうしたの!?」
「……いえ、気にしないで下さい。発作のようなものですから」
「えっ、そんな後遺症が残ったの……」
突然、亀のように布団に閉じこもりたくなる発作。
何の発作だ、それは。どちらかと言えば、突然黒歴史を思い出した思春期の反応だろうと思ってしまう。
だが、「新種の発作なのかしら……」などと真剣な表情で呟き始める千幸を見て、布団から体を出す。
「冗談に決まっているじゃないですか、体調は問題ありません」
美琴の現状を話すことができるはずもない。
魔法のようなものが世間一般に広まりつつある現在においても、美琴に起きた出来事は異質である。
到底信じてもらえるようなものではなかった。
それに、父親である弘人に知られることが何よりも怖かった。
幸いなことに、美琴の異変を感じた人はいないようだ。
おそらく、『金田誠』と言う存在に変化が生じているからだ。流石に、以前のような冷酷無慈悲で人の皮を被った悪魔のような性格がそのままであれば異変に気づいただろう。
だが、転生あるいは憑依したことによって、美琴の性格と混ざったことによりかつての判断を非道な仕打ちと思うようになっていた。
『田辺美琴』の知識を受け継いでいるため、周囲は手術後大人びたかなという程度には感じていても、別人が宿っているなど荒唐無稽な発想には至らないのだ。
美琴の答えを聞いて安堵したのか、千幸はほっと胸を撫で下ろす。
「そう、良かったわ。まだ魔素医療には分からないことが多いから、体に異変があったらすぐに言ってちょうだいね」
「はい、そう言えば気になっていたんですけど、魔素治療だとどの程度で完治するのですか?」
魔素とは地球で新たに発見された、新エネルギーである。
自然界に存在しているだけでなく、人間も体内にそのエネルギーを保有している。そのエネルギーを特定の道具を使うことで科学では証明できない魔法のような現象を引き起こすことができるため、魔素と命名された。
魔素治療とはそれを応用した治療方法で、臨床実験の段階ではあるが、あらゆる病気に効果を示している。
「そうね。……個人差はあるけど、切り傷程度なら五分もあれば治るわよ」
人は多かれ少なかれ魔素を持つ。
魔道具と呼ばれる道具を介して、そのエネルギーを魔法と言う現象に変換することができる。また、魔道具がない場合でも、魔素を扱うことで身体能力を僅かに向上させたり、治癒力を高めたりすることができるのだ。
「それは、すごいですね」
「ええ、従来の医学では考えられない速度よね。それで、美琴ちゃんなんだけど、どういう訳か効き目が強いのよね。関係があるかは分からないけど、体内に保有している魔素も術前よりかなり増えているみたいだし」
千幸は続けて、「それがなければ手術が危なかった」と語る。
「それって、どう言うことなんですか?」
「まだ、魔素治療は分からないことが多いわ。けど、美琴ちゃんの場合、異常な速度で回復しているのよ。それが体質によるものなのか、別に原因があるのかは分からないけどね」
まだ、魔素を用いた医療には分からないことが多いのだろう。
「不思議ね」と首を傾げる千幸をよそに、美琴はふと今の自分の状態を思い返す。
だが、それも仮説でしかない。
本職である千幸にも分からないのだから、美琴が考えても仕方がないだろう。
「それはそうと、傷口についてだけど……そうねぇ、美琴ちゃんの回復速度からして最低でも一か月はかかるんじゃないかしら」
「ひと月ですか……」
意外と短いと思ってしまう。
誠は、中学生の時の虫垂炎の傷跡が大人になっていても残っていた。魔素を使う以前の技術でも内視鏡を使い、縫合糸も消えるものを使えばほとんど傷口は残らない。
だが、美琴の場合は違う。
胸に大きな傷跡が残っても、不思議ではなく、むしろ当然のように感じてしまう。だが、美琴の言葉の意味を別の意味にくみ取ったのか、千幸は美琴の手を握る。
「やっぱり女の子だから、傷口は気になるわよね。けど、大丈夫よ。私は、性格はずぼらでも腕は一流だから」
確かに年ごろの少女からすれば、異性の目が気になるはずだ。
傷口を残してしまえば、どう見られるのか分からないと恐怖してしまうことだろう。だが、残念なことに美琴にはその心配がなかった。
誠が混じった影響なのか、それとも誠の意思の方が強く出ているからなのかは分からないが、以前まで美琴が抱いていた異性への関心がほとんど消えてしまっていた。
男性と深い関係になるとは思えず、水着を着た場合も学校ではスクール水着であり、好んで海へ行く性格でもない。
ただ、『田辺美琴』の事を考えると、傷口が残らないようで胸を撫で下ろす。
「それについては安心しました。ですが、ずぼらってどう言うことですか? まさか、適当に縫合したりとかしていませんよね?」
「それは大丈夫よ! けど、私にも美琴ちゃんと同い年の娘が居るんだけど、これまた家事が万能な訳よ。お風呂上りに冷えたビールは完備、おつまみも作ってくれる。それに、ソファで寝ていてもそっと布団をかけてくれる自慢の娘よ」
千幸は親馬鹿だったようだ。
突然の娘自慢が始まり、美琴は口元を引きつらせる。
「きっと、あなたの性格がその娘さんを育てたんでしょうね」
美琴の小さな呟きは、自慢話に夢中な千幸には届かなかった。
千幸の様子をよそに、自分の手術が本当に成功しているのか不安になってくる。だが、千幸の為人からして、仕事に誇りを持っているはずだ。
診察も丁寧で、公私はしっかりと分けているのだろう。
そんなことを思っていると、娘自慢を終えた千幸が話題を変える。
「それにしても、今日もお父さんがお見舞いに来てくれたの? しかも、メロンまで持ってきてくれて」
ふとテーブルに乗ったメロンを見て、千幸はそんなことを言う。
だが、それは美琴にとって何よりもタブーだ。薄れていた罪悪感が再び湧きあがり、ベッドの片隅にもたれかかる。
「ちょっと、どうしたの?」
「い、いえ……もう、本当に心が痛いです」
父子家庭で、取締役を解任された後も笑顔で育ててくれた父。
邪魔だと考えて、相手の事を考えようともせず無感情に排斥した上司。
二つの記憶によって、罪悪感が二倍どころか累乗になっている。
「む、胸!? でも、ちゃんと丁寧に……あっ!」
自己嫌悪に陥っていると、何かを思い出したように声を上げる千幸。その一言が、美琴を現実に戻してしまう。
「あっ、って何ですか!? まさか……」
「い、いや、大丈夫。ノープロブレムよ。………………たぶん」
暗い表情で、最後に不安になる一言を付け加える。
「たぶんって……」
「うんうん、今日も美琴ちゃんは元気だ。よし、次の診察に行ってくるね。それと、この後リハビリがあるから頑張ってね」
先ほどまでの表情から一転、悪戯が成功したとすがすがしい笑顔を浮かべる千幸。
謀られたことに気づいた美琴は、小さくなっていく千幸の後ろ姿を見て、大きくため息を吐くのだった。