第13話 支払日
豊田→冨田で統一しました。
待ちに待った、支払日。
丸々と太った豚のような男が、黒服の男性を数人引き連れてやって来た。美琴は不愉快オーラを出しながら、二人にお茶を出す。
美琴は弘人の隣に腰かけると、率直に尋ねる。
「それで、そちらの方はどなたでしょうか?」
弘人ではなく、美琴が尋ねたことが意外なのだろう。黒服の男たちが侮るような視線を向けて来る。しかし、男の隣に座るまとめ役と思しき黒服の男は、落ち着いた声色で自己紹介を始めた。
「私は、黒鉄秀之と申します。此度は、冨田に見届け人を頼まれ、同行させて頂きました」
秀之は礼儀正しく振舞っているものの、弘人たちに向ける視線は冷ややかなものだ。美琴はその視線を受けて、内心ため息を吐く。
(すでに金づるとしか見ていないのでしょうね。……そう言えば、その男は冨田と言うのですか。まぁ、覚えておくつもりはありませんが)
美琴がそんなことを考えていると、隣に座る弘人が自己紹介を始める。
「え、えっと……。ぼ、私は、田辺弘人と言い、ます。こっちは、娘の美琴、です……」
明らかに緊張した面持ちでの返答だ。
黒服の男性たちが、弘人の姿に侮るような視線を向けて来る。秀之は表情に出さないものの、似たようなことを考えているのかもしれない。
しかし、美琴は知っている。
(流石は、お父さん。見事な演技です。情けない父親を演じることで、相手を油断させようとしているのですね)
美琴だけは騙されない。
自分がやりやすいように気弱な経営者を演じているのだと信じ込み、尊敬の視線を向ける。
「さて。それでは、早速本題に入りましょうか?」
弘人の紹介を受けて、秀之が切り出した。
主導権は、秀之が握っているつもりだろうが、美琴はそうはさせないと声を上げた。
「その前に確認ですが、あなた方は黒鉄商会の者ですよね? 冨田殿といったいどのような関係があるのでしょうか?」
美琴の一言に、秀之はピクリと眉を動かす。
しかし、それも一瞬の事ですぐに美琴に気持ちの悪い作り笑顔を向けて来た。
「良くご存知ですね、黒鉄商会など一般的な中小企業だというのに」
「先日、冨田さんがお持ちになられた借用書に記名された企業を少しだけ調べさせていただきましたので」
「……」
美琴の何でもないことのような一言に、秀之は僅かに表情を変える。
だが、後ろに立つ男たちはポーカーフェイスが苦手のようで、驚きを顕わにしていた。
そんな彼らの反応を視界に収めながら、美琴は優雅にお茶を啜る。
(……まぁ、先生が調べたんですけどね)
琴恵とは、あれ以来も関係を持っている。
何でも「別の人を探すとは言ったけど、諦めたわけではないのよ」と、今でも美琴に後を継がせようとしているようだ。
どうやって調べたのかは聞かないが、突然メールで黒鉄商会の資料が送られて来たことで、彼らのことを知っていた。
「さて、それで先ほどの返答は?」
ティーカップから口を離すと、美琴は余裕のある笑みを浮かべる。
この瞬間、秀之は美琴に主導権を奪われたことを悟ったようだ。しばらくして、一際大きなため息を吐く。
「大した、お嬢さんだ。適当にはぐらかせば、この場から追い出されそうだ」
こちらが、秀之の素なのだろう。
ワックスで固めた髪型を乱雑に崩し、ソファにどっかりと座る。弘人や冨田は何も言わないが、美琴は秀之の不作法に視線を鋭くするが、それを無視して秀之は先ほどの質問に返答した。
「まぁ、あれだ。お嬢さんの考えている通りの関係だと思うぞ」
「黒鉄殿!?」
冨田にとって、借金があることは弱みだ。
先日の会話でボロを出していたため、今さら別に慌てるようなことではないはずだがおそらくは……
(ばれていないと思っていたのでしょうね、この男)
呆れを通り越して、憐れに思えて来る。
隣で「そうだったのか……」と呟く弘人がいるが、説明をしたはずなので演技なのだろう。本当に驚いているように見えるのが、弘人の演技力の高さだ。
冨田が騒ぎ始める前に、美琴はコホンと可愛らしく咳払いをすると、早速本題に戻る。
「それで、あなた方は私たちに借用書を書かせたいのですか?」
「最初はそのつもりだったが、無理だろう?」
その視線は、既に手を打ってあるのだろうと物語っていた。
美琴は、悠然とした態度で笑みを浮かべる。
「ええ、もちろんです。流石にヤクザからお金を借りたくありませんので」
この一言に、背後に立つ男たちが騒めき立つ。
冨田も顔色が悪い。しかし、秀之はこれも予想していたのか、大仰にため息を吐いて呆れたような視線を向けて来る。
(……思った以上に頭の回転が速いみたいですね。先生に報告しておいた方が良さそうですね。まったく、早速人を扱き使って、相変わらず過ぎて呆れます)
美琴は、ここにはいない琴恵を思ってため息を吐く。
今回の一件、琴恵から情報と共に頼まれごとをされていた。それは、目の前に座る男性黒鉄秀之の為人を探ることだ。
与えられた仕事以上の事をしなければ、何をされるか分からないため冷静に探りを入れ始める。
「どうやら、当たりのようですね。彼らに表情を取り繕わせた方が良いですよ」
「無茶いうな。自分の容姿を見てみろ、どこからどう見ても世間知らずの箱入り娘にしか見えないぞ」
「褒め言葉として受け取らせてもらいますね。それで、支払いについてですが、お父さん」
「え、ああ……うん」
何故か一緒に驚いている弘人。
美琴に言われて何をするべきか思い出したのか、立ち上がると金庫に入れてあるアタッシュケースを持って来た。
「これで良いんだよね」
「はい、お渡しください」
美琴が頷くと、弘人がアタッシュケースを冨田の前に置く。
そんな一連のやり取りを見て、傍観していた秀之が額に手を当てた。
「つまり、最初から騙されていた訳か。最初から、お嬢さんが俺らの交渉相手だったと」
今さら気づいても遅い。
美琴は可憐な笑みを浮かべ、肯定する。
「ええ、その通りです。父には、一芝居打ってもらいましたので」
「え?」
突然白羽の矢が立った弘人は、まるでハトが豆鉄砲を食らったような表情をする。
「……とても芝居には見えねぇな」
そんな弘人を見て、秀之は怪訝そうな視線を向ける。
だが、美琴は誇るように胸を張って否定した。
「それは、父の凄さが分かっていないからでしょうね」
「……そうか」
納得できていないのだろう。
秀之から向けられる視線には「どこがだ?」と尋ねられているようにも感じられるが、美琴は呆れたような表情をする。
(……どうやら人を見る目はなさそうですね)
残念だとばかりに、美琴は秀之の評価を下げる。
美琴の表情から何かを感じたのか、秀之は唸るように言った。
「納得できないぞ」
「それが貴方の限界なのでしょう」
勝ち誇るような笑みを浮かべる美琴に、何を言っても無駄だと悟ったのか、秀之は大きくため息を吐いた。
すると、隣でアタッシュケースを開けた冨田が声を上げる。
「何故だ!?」
「何がです? 支払金額に過不足はありませんよ」
「っ!? だが、先週は今日までに用意できないと言っていただろう!?」
「用意できたから、そこにあるんです」
男の態度に、美琴はやれやれと大仰な仕草をする。
明らかな挑発行為であるにも関わらず、男は怒髪天を衝く勢いで立ち上がると、怒鳴り声を上げる。
「先ほどから聞いていれば、大人を舐めた態度ばかり取りおって!」
怒り心頭の冨田を視界に収めつつも、美琴の視線は秀之に向いている。
まるで眼中にないという美琴の態度に、顔を真っ赤にした冨田が腕を振り上げた。剣呑な雰囲気に弘人が割って入ろうとするが……
「やめろ、見苦しい。大人なら、大人らしい態度を心がけろ。お前の行動は、どう見ても子供の癇癪だ」
「っ!?」
(……なかなかの威圧感ですね。魔素を操って威圧しているのですか)
想定よりも上に立つ資質のある秀之の姿に、内心舌を巻く。それと同時に、わざわざ裏で手を回して琴恵が自分に為人を調べるように言った理由が分かった。
冨田は秀之に逆らうことが出来ないのか、先ほどまで真っ赤になった顔色は一転して真っ青に染まる。顔色の変化が激しい人物だ。
「んで、冨田じゃないが、どうやってその金を集めた。こいつの話からして、そんな金を用意する余裕がないはずだが?」
「父の稼ぎです……と言っても信じられませんか?」
「ああ。それだけの稼ぎがあれば、もう少しましな所に住んでいるだろうよ」
自宅の侮辱ともとれる発言に「住めば都です」と反論したくなった美琴だが、それをぐっと堪える。
そして、アタッシュケースに視線を向けて言った。
「もしかすれば、そのアタッシュケースを見れば分かるかもしれませんよ」
「何?」
美琴の言葉に怪訝そうな視線を向けるが、しばらくして冨田からアタッシュケースを奪い、確認する。
「っ!?」
秀之は、息をのむ。
やはり知識は豊富なようで、冨田が気づかなかったアタッシュケースの意味に気づいたのだろう。
しばらく固まっていると、途端に愉快だと笑い声を上げた。
「く、くくく……なるほどなぁ、あの妖怪婆に先手を打たれたってことか。んで、まんまと俺は釣られたわけだ」
そうだろうと言う確かめの視線に、美琴は何も答えずにっこりと笑う。
「それで、この家から手を引いてくれますよね。放火でもされたら堪りませんので」
本来ならば、月宮の力を借りたくはない。
しかし、後ろ盾のない零細企業であれば、今後も秀之が関わって来る可能性が高かった。琴恵はそれを見越して、アタッシュケースに月宮の印をつけたのだ。
「流石にそこまでしねぇよ。……それよりも解せないのが、お前とあの妖怪との関係だ。どういう関係なんだ?」
「さて、どんな関係なのでしょうか?」
美琴が適当にはぐらかすと、秀之は顎に手を当てて考え始める。
琴恵との関係を考えているのだろう。しかし、確信のもてる答えが出て来るはずもなく、舌打ちをした後立ち上がる。
「帰るぞ。俺らが出る幕はなくなった」
「なっ、それだと私の借金が……」
「ああ? 借りたら、借金してでも返すんだろう? なら、ある所から金を調達すれば良い。割のいい仕事を探してやるよ」
「それは、その……」
明らかに裏社会の話だ。
中学生の前でするなと思うが、冨田に拒否権はないのだろう。秀之の部下に連行されるように外へ連れ出される。
「邪魔したな。……それと、お嬢ちゃん。その気があるなら、うちに来る気は無いか? この仕事の方が、やりがいがあると思うぞ」
「そう言うのは間にあっていますので、結構です」
美琴の返答に、「気が変わったら電話してくれ」と秀之は名刺を置き去って行く。
弘人の視線が痛いので、美琴はその名刺を破り捨ててごみ箱に捨てる。それに安堵したのか、弘人は窓から去って行く秀之たちの姿を覗いた。
「……なんか、可哀想だね」
恐怖で引きつった表情をする冨田を見て、ポツリと弘人は言う。
だが、美琴は首を横に振った。
「一歩間違えば、私たちがあの男の立場になっていたかもしれませんよ。あの男は前科があるそうですし、被害者が減ると思った方が良いでしょう」
冨田という男は、弘人のような人物に粗悪品を売りつけ返済できなければ、こうして借用書にサインをさせていた。
「自業自得です」と美琴が言うと、弘人も渋々だが納得した様子だ。
こうして、慌ただしい一日は過ぎて行ったのであった。
先週の暖かさが嘘のようです。
気候の変化が激しく、昨日は体調を崩してしまいました。
皆様も、お体にはお気をつけて下さい。




