第12話 琴恵との対談(下)
静寂が包み込む和室。
カコンと鹿威しの乾いた音だけが響き渡る。まるで時間がゆっくりと流れているような錯覚に陥りながら、美琴は乾いた唇を動かした。
「……どうして、そう思うのですか?」
緊張のためか、唇が震える。
それは恐怖かもしれない。自分と言う存在が異端であると分かっているが故のもの。琴恵から何と言われるか、そして弘人に知られることが何よりも怖かった。
しかし、予想に反して琴恵の表情は穏やかなままだった。
「月宮の女性の中には、極稀に特殊な異能を授かることがあるの。私はその中の一人で、万物を見通す目を持つのよ」
魔眼。
そんな言葉が、美琴の頭に浮かぶ。
それは、先天的な魔素異常によるものと考えられ、魔素を宿す生物の中には極稀に特殊な力を持つと聞く。
魔眼は、最も有名な異能の一つである。
「それで、どうなのかしら?」
「おっしゃる通りです、先生」
一呼吸をおいて、美琴は肯定した。
「あっさりと認めるのね。あのひねくれ者が、随分と素直になったことね」
手を口元に当てて琴恵は上品に笑う。
しかし、美琴は笑う気分にはなれない。緊張した面持ちで、琴恵に尋ねた。
「それで、私をどうするおつもりでしょうか?」
「どうもしないわ、美琴」
「え?」
「常識的に考えてみなさい。いくら特異体質だからと言って、死んだ人間が別の人間に宿るなんてありえない話よ」
確かにそんな与太話、誰が信じるのだろうか。
例え、権力や財産のある琴恵の発言だとしても、話半分にしか聞きはしないはずだ。美琴は肯定するが、逆に疑問を抱く。
「では、私に何の話をするつもりですか? 一応言っておきますが、現状について分かっていることなどほとんどありませんよ」
「ふふふ、それこそ理由が必要なのかしら。孫が初めて祖母の所へ訪ねて来たのだから、少しくらい話し合いたいと思っても不思議はないでしょう?」
「誤魔化さないで下さい」
美琴は、琴恵の意図が読めなかった。
誠と呼ぶ割には、孫と言う部分を強調しているようにも感じる。そのことに違和感を覚えるが、琴恵の性格からして用件はそれだけでないはずだ。
経験からか、嫌な予感がしてならない。
「せっかちなところは相変わらずね。まぁ、良いわ。取りあえず、そうねぇ……貴方の現状について確証を得たのはさっきだけど、それより以前からそうではないかと疑っていたの」
「……それはどう言う意味でしょうか?」
「一番怪しいと思ったのは、株に手を出したところね。初めは弘人さんが何も考えずに手を出し始めたかと思ったけど、素人のように思えなかったの。よくよく見ると、まるで内部情報を知っているかのような資金の動かしかたをしていれば怪しいと思うのも無理はないでしょう?」
「……」
もう驚きと言うより、呆れてしまう。
(魔眼がなかろうと、この人に隠し事はできそうにありませんね。まさに妖怪……)
内心だから言える悪口だ。
流石に、心の中までは読まれないだろうと思った美琴だが……
「人のことを妖怪だと思っているみたいだけど、残念ながら人間よ」
「……っ!?」
ポーカーフェイスには自信があるが、まるで心を読んだような一言に息が詰まった。
柔和な笑みに反して、一切笑っていない琴恵の瞳を見ると逃げたくなる衝動に駆られる。
今の心情はまるで、以前弘人が語ったライオンに睨まれたチワワのようだ。本物はまるで格が違うと痛感した。
「一言忠告しておくわ。貴方は表情が顔に出やすいみたいね」
今回は見逃すと言うことだろうか。
鎌をかけられたことに気づいた美琴は、内心汗をかきながらも肯定した。
「まぁ、美琴の体ですから。あの冷酷無慈悲、悪魔の皮を被ったような鉄仮面男のようには振舞えませんよ」
我ながら散々な評価だ。
客観的に自分を見ることができるようになったからか、日に日に誠に対する評価が低くなっていく。
そんな美琴の評価が面白かったのか、琴恵は口元を覆う。
「確かにね、あれほど感情を排他した人間いるはずがないものね。そうは思わない?」
美琴は、琴恵の言葉に頷いてしまう。
「では、そろそろ本題に入ろうかしら。美琴、月宮に来る気は無いかしら?」
「……唐突ですね」
琴恵の一言に美琴は驚く。
母である琴音は、弘人と結婚するため家を出たからだ。琴恵はともかく、他の親戚筋が認めるはずがない。
そんな内心を読んでか、琴恵は月宮の現状を話し始める。
「私も随分と歳を取りました。あと二十年は生きるつもりですが、そろそろ後継者を決めても良いころ合いです。しかし、いないのですよ」
「叔父や叔母が居たはずですが?」
「ええ。けど、育て方に失敗したのか放蕩息子や放蕩娘……とてもではないけど、当主が務まるとは思えないわ」
誠の記憶を探ると、以前一度だけあったことがあるのを思い出す。
しかし、ほとんどが私欲に塗れた俗物ばかりだった。ましな者もいたが、凡庸で月宮の当主は務まりそうにない。
ここまでくれば、何を言おうとしているのか分からないはずがない。嫌な予感を覚えた美琴は退出しようと腰を浮かす。
「ご愁傷さまです。私はこれで失礼しようかと……」
「そう、貴方の秘密をばらされても良いのね」
「……」
その一言に、美琴は無言で座り直す。
(ああ、借金よりも厄介なことになった気がします)
やはり頼るべきではなかった。だが、後悔してもすでに遅いのだ。
「それで、私の後継者になるつもりはない? 貴方なら、月宮の当主になっても十分にやって行けると思うのだけれど?」
「お断りします」
琴恵の提案に、間髪入れずに断った。
全く考えるそぶりのない美琴の態度に、琴恵の視線が厳しくなる。しかし、これだけは譲れないのだ。
「私は、父を……田辺弘人を支えようと心に決めています。もう二度と、裏切るような真似をしたくはありません」
実際問題、それだけではない。
今の美琴は、異性に興味が持てない。そうなれば、当主としての務めを果たすことはできないだろう。
それに……
(以前の美琴であれば、切り捨てられるかもしれませんし)
美琴の最大の懸念は、以前の美琴が目覚めること。
それによって、今の自分が消えてしまうことだ。そうなれば、月宮を継ぐことはまず不可能になる。
他にも色々と問題があり、琴恵に何を言われようとも意思を曲げるつもりはない。
「……」
しばらくの間、琴恵から鋭い視線が向けられる。
居心地の悪さを覚えながらも、それを表情に出さないように堂々とした態度で視線を交差させた。
しばらくすると、根負けしたのか琴恵はため息を吐く。
「そう言う所は、琴音にそっくりなのね。まぁ、そのつもりがないのであれば仕方がないわ。別の人を探すとしましょう。気が向いたら、いつでも声を掛けて」
この話はここで終わりと言うと、美琴は安堵の息を吐く。
美琴は立ち上がり部屋を出て行こうとすると……
「ああ、それと美琴」
帰り際、琴恵に声を掛けられる。
「はい、何でしょうか?」
「貴方は一つだけ勘違いしているわ。美琴は消えたわけでも、眠っているわけでもない。貴方は貴方よ、美琴」
「え?」
美琴は琴恵の言っている意味が理解できず、呆然とする。
振り返るが、琴恵は美琴とは違う明後日の方向を見ていた。夕焼けに照らされた琴恵の横顔に、きっと何も答えてはくれないだろうと確信する。
悶々とした気分で部屋を後にすると……
「いつでも顔を見せに来なさい」
その言葉を最後に、祖母と孫の対面は終わったのだった。




