第10話 資金調達の手段
それから数日が経った金曜日。
美琴はパソコンの前で頭を抱えていた。
「……やはり、足りませんね」
証券取引所は、土日祝日は休業日で株価は変動しない。そのため、利確を済ませたのだが、支払金額には僅かに届かなかった。
資金集めに頭を悩ませていると、弘人の呼び声が聞こえて来た。
「美琴、ご飯出来たよ!」
弘人の呼び声に、美琴はパソコンを閉じると一階のリビングへと向かう。そこには、ピンク色のエプロンをした父弘人の姿があった。
「今日の昼ごはんは、美琴の好きな五目チャーハンだよ。それと、ラーメンも作ったから二人で分けよう」
「ありがとうございます。……ところで、そちらは完成したのですか?」
「ああ、うん。美琴が色々と知恵を貸してくれたから、少しずつ物にはなって来たよ。僕でもフロートまでは扱えるようになったからね」
机の上に置かれた銀色のデバイス。
弘人の開発した並列魔法が刻まれた魔道具だ。美琴が弘人の設計図を見直して、弘人が修理の仕事の合間に作り上げていた。
「それはそうと、本当にこれを田辺製作所に持ち込むのかい?」
「はい、田辺製作所の経営方針からして、おそらく並列魔法の研究を進めているはずです。きっと、それを採用してくれると思いますよ」
弘人は、自分の作品が田辺製作所の技師が作り上げた物に劣っていると思っているのだろう。そのため、田辺製作所へ持ち込むことに消極的だ。
美琴としても内心複雑だが、田辺製作所の経営方針からして弘人の技術は是が非にも欲しいはず。
内部情報に詳しい美琴であれば、かなり好条件で契約を結べる自信があった。
「そう、かな……。けど、美琴はまだ無理をしないでね。勉強も忙しいだろうから、資料作成はゆっくりとやってくれていいから」
「大丈夫ですよ。すでに、六割ほどは完成しています。プレゼンを視野に入れているので、実用化に向けたコスパの計算、ポジショニングを決めどのような顧客をターゲットにするか、それと販売経路はどうするかについてまとめる必要がありますが、それほど大変なことではありません。それよりも、お父さんの設計図の解読の方が大変でしたね」
美琴が苦笑交じりに言うと、弘人は冗談だと思ったのだろう。エプロンを椅子に掛けると朗らかに笑った。
「そうなのか。美琴が見るとは思っていなかったから、もう少し丁寧に書けばよかったみたいだね」
「……ええ、それは切実に。」
美琴が一番苦労したのは、弘人の文字の解読だ。
読めないと言うレベルではない。どうしても読めない文字は弘人に尋ねるのだが、時折自分でも読めないと首を傾げていたくらいだ。
今後も資料としてまとめる必要が出て来るため、心の底から直してほしいと思う。
「取りあえず、ご飯を食べようか。放置しておくと、チャーハンも冷めるし、麺も伸びちゃうからね」
「それもそうですね、いただきます」
「いただきます」
仕事の話を置いて、二人は昼食を食べ始める。
チャーハンは、市販のチャーハンの素を混ぜただけ。ラーメンもインスタントで、キャベツやもやしをトッピングしただけである。
非常に質素な昼ご飯ではあるが、田辺家では見慣れた食卓だ。
レンゲを使いチャーハンを食べ始める。まだ、出来たばかりで舌がヒリヒリと痛むが、チャーハンの香りが口いっぱいに広がった。
「美琴は本当に美味しそうに食べるね」
「そう、でしょうか?」
「うん、とても幸せそうな表情をしていたよ」
弘人の言葉に、美琴はそうなのかと首を傾げる。
だが、鏡が置かれているわけではないため確かめようがない。そんな仕草が面白かったのか弘人は口元を緩ませる。
その生暖かい視線に居心地の悪さを覚え、美琴はラーメンに手を伸ばす。
「っ!?」
舌先が焼けるような痛みに、目を見開く。そんな姿を見て、弘人は笑いが堪えられなくなったのだろう。笑い声を上げて、水の入ったコップを美琴に渡した。
「美琴は猫舌なんだから、冷ましてから食べた方が良いよ」
「……はい、ありがとうございます」
美琴は誠と違って猫舌だ。
舌先に残る痛みに涙目になりながらも、弘人からコップを受け取る。そんな自分が情けなく感じるが、子供の様に癇癪を起すことはない。
気恥ずかしさを覚えた美琴は、黙々と昼食を食べ進める。
「美琴はあっさりよりもこってりの方が好きだったよね」
一足先に食事を終えた弘人が、尋ねて来た。
「ええ。ですが、たまにはあっさりとしたスープも良いですね。まぁ、麺がアルデンテと言うのは譲れませんが」
美琴は苦笑を浮かべてそう言うと、ラーメンのスープを飲み干した。
塩の優しい香りが口から鼻に抜け、ほっと一息ついてしまう。
「ごちそうさまです、美味しかったです」
「お粗末様。美琴は普通にスープを飲み干しているけど、その彩香ちゃんを見ていると……大丈夫かなって?」
最近、ここによく顔を出すようになった彩香を思い出して、弘人がふとそんなことを言う。
美琴は、何がとは言わない。
女性にとってはプライベートなことだからだろう。
ここ最近までは弘人も気にしていなかったようだが、彩香がスープを残している姿を見て心配になったようだ。
今さらな心配に美琴は、思わずクスリと笑ってしまう。
「私、太りにくい体質なので。それにお母さんもスープは残すなと言っていましたから」
「あははは、そう言えばそうだったね。残したら、職人に無礼だってよく怒られたんだよね……今思い出しても、胸やけが」
当時の事を思い出したのだろう、弘人は胃の当たりを抑える。
おそらく相当こってり系のスープを飲み干したのだろう。少しだけ可哀想に思えてしまう。
しばらく談笑していると、本題に入るため美琴は二階から自分のパソコンを持って来た。
「やっぱり厳しいのかい?」
「はい、残りはこれくらいなのですが……」
尋ねて来た弘人にパソコンの画面を見せる。
現在証券口座に入金されている金額だ。不足金額は大金ではあるものの、入金額からすれば微々たるものだ。
弘人も不安を覚えているのだろうが、ポンと美琴の頭に手を置いた。
「大丈夫、美琴は良くやってくれたよ。後は、僕が何とかするから心配しないで」
「ですが……」
「大丈夫だって、お父さんを信じて」
と、弘人は笑顔を見せる。
父親として良い姿を見せようとしたのだろうか、美琴は父の手を払い除けるとジト目で言った。
「いえ、全く信じられないのですが?」
「あ、あれ? ……そこは信じてくれるとこじゃないの?」
「不思議そうにされても、これまでの経験上信用できる要素が皆無です。私に心配させないように配慮してくれようとしているのは感謝しますが、これとそれは別です。何をしようと考えているのか白状してください」
美琴が理路整然と言うと、弘人は悲しそうに目を潤ませる。
仕草は可愛いのだが、相手は四十代のおじさんだ。美琴は見なかったことにして、パソコンに視線を戻した。
「支払日は来週の火曜日ですが、雲行きが怪しいので利確は済ませてしまいました。別の株を購入することも可能ですが……」
「流石にそれは拙いんじゃない?」
月曜日の株が上がっているか、下がっているかなど分かりはしない。
弘人の一言に美琴は首を縦に振った。
「はい、それではバイナリ―オプションと同じようなものです」
「バイナリ―オプション?」
聞きなれない単語に弘人は首を傾げる。
「為替金融商品の一種で、FXの仲間のようなものです。数時間後の為替レートが高いか低いかを予測するというものです」
「それって、ギャンブルじゃないの?」
弘人の鋭い一言に、美琴は首肯した。
「ええ、そうですね。ただ、FXに比べると支払った金額以上の損をしないのでリスクが低いと言えます」
「そんなものがあるんだ……」
「まぁ、日本ではマイナーですから知らないのも無理はありませんよ」
美琴としても、そんな博打を打つつもりはなかった。
しかし、他に予算を確保する手段がないのも確かである。美琴がパソコンを前に唸っていると、弘人が提案をした。
「僕もお金を用意する手段について考えたんだけど……」
美琴は顔を上げると、次の弘人の言葉を待つ。
「お金を借りようと思うんだ」
「却下です」
弘人の提案を美琴は一蹴した。
まさか考えもせず一蹴されるとは思っていなかったのだろう。弘人は慌てたような表情をして、美琴に言い募ろうとする。
だが……
「だいたい、どこに借りると言うのですか? 確かに、その技術を理解してもらえれば銀行も融資してくれるでしょうが、今の段階ではまず不可能です。それに、今から融資を受けたとしてもすぐにお金を貸してもらえるわけではないのですよ。まさか、あの男の提案を受けようとでも言うのではないですよね」
「い、いや、そうじゃなくて。銀行以外からお金を貸してもらおうかなって」
弘人の言葉に、美琴は顎に手を当てて考える。
確かに、お金を貸してくれる相手と考えれば、真っ先に浮かぶのは親戚である。弘人の両親は既に他界しているが、親戚がいない訳ではない。
だが、美琴の記憶を辿ってもお金を貸してくれるほど親交のある親戚が一人も思い浮かばなかった。
「……もしかして、田辺製作所の誰かですか?」
「それも違うんだけど……」
「では、誰にお金を借りようとしているんですか?」
明らかに弘人は美琴に何かを誤魔化そうとしている。敢えて尋ねないことが優しさのようにも思えるが、流石にこの状況では尋ねずにいられない。
美琴の視線に耐えかねたのか、弘人は大きなため息を吐いて白状した。
「お義母さんだよ、美琴のお婆ちゃんに当たる人物」
「……お婆ちゃん? え?」
弘人からの思わぬ一言に、美琴は困惑する。
なぜなら、美琴は祖母の葬式に参加した記憶があるからだ。故人にお金を借りられるはずがないと思ったが……
「もしかして、お母さんの? でも、お母さんは両親がいないって……」
「ううん、違うんだ。美琴のお母さん……琴音は、実家の反対を押し切って僕と結婚をしたんだけど、その時大喧嘩したみたいで離縁をしたんだよ。正直、どんな顔をして行けばいいか分からないけどね。ただ、美琴は小さい頃に何回かあっているはずだよ」
弘人はそう言って、儚げな表情で笑う。
その表情から、美琴は何故弘人が言いにくそうにしていたのか理解する。おそらくは……
(私だけでも引き取ってもらえないか交渉するつもりだったのでしょうね)
美琴はため息を吐きたくなる。
かつて誠がしたことだとは言え、今の美琴が父親を見捨てるはずがない。そこまで薄情な娘だと思われていたのなら、心外だった。
とは言え、それについては何も言わない。
(父が何と言おうとも、交渉次第で何とかなるはずです)
弘人の話し方からして、母の実家は資産家なのだろう。
であれば、自分が有利に交渉をまとめれば良い。弘人の価値を理解してもらえれば、余程愚鈍でなければ食いつくはずだ。
「私の祖母はどのような人物なのですか?」
「もしかしたら、美琴もニュースとかで見たことがあるかもしれないけど」
「ニュースで、ですか?」
思った以上に大物のようだ。
実際に聞かなければ分からないが、愚鈍な人物と言う訳ではなさそうで安堵する。だが、弘人の続く言葉に美琴は言葉を失った。
「月宮琴恵、月宮の当主だよ」
「……はい?」
美琴は、いや誠は知っている。
月宮琴恵、彼女は金田誠が唯一頭が上がらない人物であり、そして経営者として育ててくれた大恩ある人物だ。
氷の笑みを浮かべる恩師を思い出し、美琴は酷い立ちくらみを覚えるのであった。




