想い、2つ
私の朝は、この一言をかけることで始まりを迎える。
「おはようございます、お嬢様」
✽
お嬢様はベッドの中で未だにゴロゴロしていて、中々起きる気配を見せない。
「お嬢様」
「うーん…あともうちょっと…」
「お嬢様!」
「んー…分かってるから…起きますよっ…と」
お嬢様はそう言うと、体をゆっくりと起こしひらりと地面に降りた。
「ねえ、今日の朝ご飯は?」
「フレンチトーストとハムエッグにいたしましたが…」
「本当!?嬉しいわ、あれとてもおいしいのよね!」
トタトタ、とお嬢様はリビングへ走っていく。
私は微笑み、その後を追った。
✽
お嬢様は上機嫌で編み物をしている。
それを見ながら、私は温かい気持ちになった。
(お嬢様は、とても優しくて、強い人だ)
まだ15歳だというのに、弱音もいっさい吐かない。
私も19歳だからそこまで差はないかもしれないが、そんな私から見てもお嬢様は大人びている。
彼女はきっと、どんなに辛い運命を背負わされていたとしても、前を向いて歩いていけるだろう。
でも。
(それでも、一人ぼっちは辛いだろう)
だから、私は消えられない。
もし身体は消えたとしても、魂はお嬢様の側にいなくてはならない。
(彼女を一人にして…逝けない)
私は透けそうになっている手を、そっと握りしめた。
「ルドルフ?」
すると、お嬢様が怪訝そうにこちらを見ていることに気付いた。
(――いけない)
私はお嬢様を不安にしてはいけない。
そのためにここにいるのだから。
「どうされましたか、お嬢様?」
私はにっこりと笑った。
✽
太陽の光を浴びてのびやかに育った植物たち。
によって作られた、どこまでも広がっている草原。
そこでお嬢様はひたすら走っている。
お嬢様は走ることが好きだ。
そして、走っているお嬢様はなおのこと美しい。
太陽の光を反射して光る金髪は、彼女自身の眩さを表しているようだ。
私はそう思っている。
(私の黒い髪とは大違いだ)
せめて銀髪だったらお嬢様と対にはなれたのに、そんなことすら叶わない。
なんて幼稚で馬鹿げた考えだろう。
私は苦笑した。
(私はもう、お嬢様と一緒に走ることはできないけれど)
私の体は弱くなってしまった。
今自分にできることは、木陰からお嬢様を見守ることぐらいだ。
(だって、自分はもう…)
「―――しまっているから」
自分の手をそっと太陽に照らしてみた。
半透明な手は、遠くのお嬢様の後ろ姿を私の目に映した。
✽
「おやすみなさい、お嬢様」
「うん…おやすみ、ルドルフ」
私はお嬢様に笑いかけて、その場を去ろうとした。
しかし、
「ルドルフ」
「…お嬢様?」
お嬢様に呼びかけられ、私は足を止めて振り返った。
「どうかなさいましたか?」
「ねぇ…今日は、ここにいて?お願いだから……」
「お嬢様…」
お嬢様の声は震えていて、私は酷く驚いた。
(こんな…弱々しいお嬢様は、見たことがない)
お嬢様はまるで太陽のように明るい人だ。
本当に辛いときはわずかに態度にでるが、それも微々たるものだ。
そんなお嬢様が…今、私を必要としている。
(お嬢様が…私を……)
その時私が感じた感情は、お嬢様を守らなければという責任感と──優越感だった。
(馬鹿、俺は何を考えているんだ。しっかりしろ)
「はい、お嬢様。私はずっと、お嬢様のお傍にいます」
そう、ずっと。
私の答えにお嬢様は満足したのか、ふわりとほほえんだ。
私はベッド近くのイスに座り、再びささやいた。
「おやすみなさい、お嬢様」
✽
次の日の朝、私はお嬢様よりも先に起き、朝食の準備をしていた。
(今日の朝ごはんは『和食』と呼ばれているものにでもしようかな…。確か、日本という国で作られているという)
お嬢様が気に入るかどうかは分からないけど、とにかく作ってみよう。
そう思い付いた私は、食材を取りに冷蔵庫に向かった。
無意識に伸ばした手が冷蔵庫の扉をすり抜けてしまう。
(また間違えた)
私はその手を引っ込め、そして手を一振りする。
すると、扉は開く。
(この能力は…あれだ、ポルターガイストに似た感じになるのだろうか)
そう、私はそれが使えるのだ。
なんと言ったって、私は…。
「…ルドルフ」
背後から聞こえてきた声。
私は体をこわばらせた。
いや、そんな、まさか…!
「お、じょう…さま…?」
そこにいたのは紛れもなくお嬢様だった。
(なぜこんな早くに起きてきたんだ!?いつもならまだ寝ている時間なのに…。いや、それより、今のあれ…。まさか、見られたか!?)
それだと非常にまずいことになる。
俺は急いで口を開いた。
「お嬢様、今―――」
「大丈夫、いいのよ、全部知ってたから」
『大丈夫』と言いながら歪んだ笑顔を向けてくるお嬢様。
しかし、俺はそれよりもお嬢様の言葉に背筋が凍った。
(ぜんぶ、しってた?)
お嬢様はうつむいたまま、言葉を続けた。
「私、あの日の夜、全部見てたの」
「あの日の夜って…なんのこと…ですか?」
俺の声が、みっともなく震えているのが分かった。
お嬢様はふわりとスカートを翻して、俺に背を向けた。
「3年前の夜…私、夜だけに咲く花が見たいって、だだこねちゃったことあったわよね。誕生日だからって、柄にもなくわがまま言っちゃって。
でも、ルドルフは夜は危ないから私は出ちゃいけない、だから自分が取ってくるから家で待ってろって言って、探しに行ってくれたのよね。
でも、ルドルフがなかなか帰ってこないから私心配になって…家を出たの。そしたら…」
「ダメですお嬢様、その先を言っては!!」
俺はもう分かっていた。
本当にお嬢様は…すべてを知っているのだと。
でも、お嬢様は話すのを止めなかった。
「ルドルフが崖から落ちるところを…見ちゃって…。私はすぐ崖に近づいたけど、ルドルフの姿は見えないし…凄く高くて、果てしなくて、底は見えない…。
だから…きっと、ルドルフはもうっ…死んじゃった…って思ってっ…!」
お嬢様は、泣いている。
顔が見えなくても、そんなことはすぐに分かった。
でも、お嬢様は話すことをやめなかった。
やめたら最後、もうこのことを話すことはできなくなると感じているようだった。
「私、凄く怖くなって、家に帰ってずっと泣いてたの。そしたら、ルドルフがただいま帰りました、なんて言って帰ってくるでしょう?私はじめは凄く嬉しくて…でもすぐ気付いてしまったの。ルドルフの体に、どこも傷が付いていないことに」
「お嬢、様…」
なんて聡いんだろう。
聡いからこそ、お嬢様は、その事実に目をつぶることはできなかった。
そして俺にも、真っ直ぐ事実を突きつける。
「ねぇ、だからルドルフ…あなたは……幽霊、なんでしょう?」
お嬢様はこちらを向き、じっと俺を見つめた。
綺麗な碧い瞳に見つめられて、嘘なんてつけるはずがなかった。
俺は頷く。
「そうです…俺はもう生きてはいません。死んでしまったんです。3年前の夜に」
「そう、なのね……。ごめんなさい、ルドルフ。私のせいであなたを縛りつけてしまって。でももういいの。私は…私は、一人でも生きていけるから」
お嬢様の言葉に俺は目を見開いた。
「そんな…本当にそうだと思っているのですか!?なんといっても…お嬢様は……!」
そう、お嬢様には重大な秘密がある。
辛く苦しい、業が。
「お嬢様は、死ぬことができない体なのに!!」
お嬢様の家系は先祖を辿ると魔女であった。
そのため爵位もない成り上がりであり、周りからはただでさえ白い目を向けられていた。
そこに生まれたのがお嬢様だ。
お嬢様は莫大な魔力を秘めており、成長もある程度で止まり、死ぬこともできない…。
そう占い師によって告げられた。
ただでさえ、魔力を持つものは珍しい。
そして自ら魔力を持っていることを皆隠すのだ。
そんな中に、こんな世界にお嬢様は産まれた。
旦那様と奥様はそんなお嬢様を忌み嫌った。
そしてお嬢様が10歳となると、森の中の小屋にお嬢様を押し込め、俺をつけた。
それから毎月のようにお金は届けられるが、お二方からの手紙は一通も来たことがない。
「お嬢様はきっと、この先も絶対に辛いことが数多くあります。ずっとここで暮らすわけにもいきませんし、新たな場所へ旅をしなければならないこともあるでしょう。そんな時に、本当に一人で、大丈夫なのですか…?」
「っ…」
お嬢様の顔が酷く歪んだ。
(そんなに辛いなら、こんなこと言わなければいいのに…!)
俺は思わず、感情的に叫んだ。
「幽霊となった俺なら、あなたの側にずっといられる!俺はあなたを一人にしない!ずっと一緒にいられたら、きっと幸せに」
「違う!!」
お嬢様は俺の声を上回る声量で叫んだ。
俺は驚いて口を閉じた。
お嬢様は震えながら、俺をにらんだ。
「人は…生きているから、幸せなの。生きているから、この世界にいられるの。生きていないあなたは、幸せでもないしこの世界にもいられないわ。きっといつか…いつか、バランスが崩れてしまう」
「そんなことは…!」
「ならルドルフ…あなた、私の名前、分かる?」
「え…?」
この言葉に俺は虚をつかれた。
お嬢様の、名前?
俺は確かにそれを知っていたはずだ。
なのに…はずなのに…名前が思い出せない……!!
(俺の記憶が…欠落しかけている…?)
お嬢様はそんな俺を見て、悲しげに目を伏せた。
「ねえ、ルドルフ…もういいの。ありがとう。私はあなたといられて、本当に幸せだったわ。お母様にもお父様にも愛されなかった私を、あなたは愛してくれた。それだけでもう、十分なのよ…」
確かに俺はお嬢様を愛している。
でもきっと、お嬢様は勘違いをしている。
俺は親愛の意味ではなく、別の意味でお嬢様を愛しているのだ。
「お嬢様、私はあなたのことを―――」
俺の言葉は、お嬢様の言葉によって止められた。
「ルドルフ。私、あなたのことが好きよ」
「…え?」
「好き。大好き。愛してる。できればあなたの…お嬢様じゃなくて、彼女になりたかった…なんて言ったら、おかしいかしら?ぜひ笑ってやって頂戴」
お嬢様の言葉に、俺は目を見開いた。
(まさか、そんな、お嬢様も俺のことを…?)
そこで、お嬢様は恥ずかしそうに笑った。
「ごめんなさい。こんなこと言われても、迷惑ですよね…本当にごめんなさ」
今度は俺がその言葉をさえぎった。
「お嬢様!俺も…俺も、お嬢様のことが好きです。執事としてではなく、あなた様のことが好きなのです」
こんな時、彼女に触れられたらいいのに、触れられない。
俺が彼女に伸ばした手は、彼女の体をすり抜けた。
(ああ、俺…本当に、死んでたんだな)
痛いくらいに実感する。
俺はそっと手を戻した。
すると。
「本当に?」
お嬢様は瞳を輝かせた。
「ええ、本当に」
「ふふっ、ふふふっ…嬉しいわ…。本当に…!!」
そう言うと、ぽろぽろとお嬢様は泣き出した。
それを小さい手で必死に拭う。
「ねえ、ルドルフ、私の名前は『フラン』って言うの。だから…呼んでくれないかしら?」
その願いを断る理由は持ち合わせていなかった。
「フラン、お嬢様」
「"お嬢様"は要らないわ」
「え、っと…フラン?」
「うん」
お嬢様は泣き笑いの表情のまま、力強く頷いた。
「ありがとう。でもルドルフ…もうお別れね」
「え?」
「あなたの体…透けてるわ」
「!!」
俺の体はほとんど消えていて、見えなくなっていった。
「お、お嬢様…」
「いいの。私のことは気にしないで。大丈夫…私の中に、あなたはずっと生き続けるから。だから…行ってらっしゃい、ルドルフ」
3年前のあの日のように、お嬢様は言った。
だから俺も、それに答えなければいけない。
「行ってきます、お嬢様。必ず帰ってきますから、いい子で待っててくださいね」
* * * *
「おっかしいなぁ…道間違えたかな」
俺は森の中を歩き続けていた。
「地図通りならそろそろ町についてもいい頃なのに…はぁ、しくった」
そろそろ日も落ちそうだし、もう最悪だ。
「だぁーもう!!今日は野宿か…夜は冷えるし危ないから嫌なんだよなぁ…」
ぶつくさ言いながら歩いていると、目の前に小さな小屋が見えた。
明かりがついているので、人もいるようだ。
「お、やった!今日はここに泊まらせてもらおう!」
俺はその小屋に近付き、ノックをした。
「すみませーん」
すると扉が開いた。
中から出てきたのは、とても美しい女性だった。
(うわぁ)
俺が感嘆していると、その女性は俺を見て、固まった。
「えっと…あの?」
「ルドルフ」
「え?いや、俺ルドルフなんて名前じゃ」
「ルドルフ…!!嘘でしょう!?まさか…まさか、あなたに会えるなんて…!」
「いや、だから俺は」
「例え生まれ変わりでも…会えて嬉しいわ、ルドルフ…」
女性は俺の話なんかまったく耳に入っちゃいなかった。
そしてその女性は俺に抱きついてきた!
「うわぁ!?あの、ちょっと…」
「ルドルフ…。今度こそずっと、私の側を離れないでくれる?」
しかし、震えながらそう言われれば、さすがにもう否定の言葉を言えなくなって。
俺はうーんと唸った。
(言葉遣いとか身なりから考えるに、なんだか貴族様っぽいし…。貴族様って変わってる人多いしなぁ。勘違いしてるにしても、誤解を解くことは難しそうだな…)
仕方なく、俺は了承することにした。
「分かりました、えっと……お嬢様?」
「…!!」
俺がそう答えると、さらにお嬢様は俺を強く抱きしめた。
俺もなぜかとても泣きたくなって、そっとお嬢様を抱きしめ返した。
想いが2つ、重なったような気がした。