夕食会議。
「……まことに遺憾ね」
重苦しい沈黙を最初に破ったのは、トアだった。
「こっち側のいざこざにここまで巻き込んでしまうなんて、本当に申し訳ない気持ちだわ。そもそもからして、エリとチカは想定外の招待だったのに」
言いながら、ミニトマトの様な赤く丸い実をフォークで突き刺す。これはアーチェの実を乾燥させたものらしく、非常に甘くて美味しいのだそうだ。
テーブルの上には他にも料理が並んでいるが、どうにも俺は口に運ぶ気にならない。絵里も同じ様子で、コップの水をちびちび飲むばかりだ。
ここは夕食会場。テーブルには俺達三人の他に、グラウンさんが同席している。
「応援に行けずすまなかった。今回の事態を招いたのは、全て私の責任だ。サモニカのメンバーほとんどが出払っていて、発覚が遅れてしまったのだ。それにしても、まさか研究所施設内部で事を起こすなんて……」
そう言って頭を下げた。
……グラウンさんが詫びる必要なんて無い。全ては、危機感の足りなかった俺のせいだ。
箸の進まない俺や絵里を尻目に、トアはパクパクと夕飯を食べていく。
「強制送還術……なかなかに厄介ね。あれさえ無ければあいつら逃がしたりしなかったのに」
トアの召喚術による攻撃を、あっさりと無効化してしまったロジーさん。あれじゃ追跡もきっと不可能だった。
俺達は……千佳が連れ去られるのを黙って見てるしかなかったのだ。
「状況を整理しましょう。あのフォトとかいう職員は偽物で、ヤナギを利用して管理室に入り、古文書二冊を強奪しようとしたのね」
「あぁ……」
堂々と俺とトアの前に姿を現し、管理センターを介して、古文書を奪っていったフォトさん。管理室の場所やセキュリティシステムの把握、それに場の馴染み方からして、入念な下準備をしていたに違いない。
「調べた結果、彼女は三日程前から度々施設に潜入していたらしい。いかにも真っ当な職員を装って堂々と行動していたので、誰も疑問に思わなかったのだそうだ」
「え、でもセキュリティは? 入り口からして結構厳重な感じだったけど……」
絵里がコップを置いて尋ねる。確かに。俺達はトアの顔パスで通ったけど、そうでなければとても容易には忍べ込めそうになかった。
「そんなの簡単よ。一度だけでもどうにか潜入しちゃって、管理システムに自分のデータを上書きしちゃえばいいわ。継続的に潜入するつもりだったら、多少危険を冒してでもそっちの方が効率いいもの」
その一度だけ、が非常に困難だと思うんだが……あの人ならやってのけるだろう。それに思うに、召喚術を利用されたら大抵の事は可能になってしまうんじゃないだろうか。
「私は私で、あの女に促されてエリの所に行って、まんまとリアリスの結界に閉じ込められたわ。エリと一緒にね」
フォークを立て、モグモグと口を動かすトア。……やっぱり、そうなっていたか。
「閉じ込められてからようやく緊急事態だって気付いたわ。エリはそんな事言ってないって言うし。だとすると、ヤナギが危ないって」
トアを遠ざけたという事は、最初から狙いは俺一人だったんだ。そしてまんまと利用された俺は、フォトさんを古文書の場所まで導いてしまったわけか。
「結界が解けてヤナギを探してる内に、今度は庭園に不審者が侵入したって警報が入ってね。あの女だと思って行ってみたらまさかのギアッドで、そのまま戦闘が始まっちゃったのよ」
フォトさんは、予定外に時間を取られたので援軍が来ちゃった……と言っていた。ギアッドが現れたタイミングからして、本当はもっと早く研究施設を脱出しているはずだったのだろう。
「それにしても……まさかチカちゃんが誘拐されてしまうとは」
コップのルペン水を一口飲み、グラウンさんが口を開いた。
「これまで、ラシックスが関与したと見られる事件に関わる事はあった。だけど直接的な揉め事なんてほとんど無かったんだ。それが先日の定例会議時の一件といい……あまりに行動が過激になっている」
「そうね。どちらかと言えば裏でこそこそ動いてるイメージだったわね。リッシュだけはやたらと私にアプローチかけて来てたけど」
トアは小籠包の様な物をナイフで丁寧に切り分け、口へ運ぶ。……凄いな。全然食事の手が止まらないぞ。
「原因はやはり……裏で暗躍している、ロジーさんなのだろうか」
眉間に皺を寄せ、納得出来ないといった表情を見せるグラウンさん。信じたくないのだろう。病院の食堂でロジーさんと会った時の、グラウンさんの様子を見れば分かる。きっとサモニカの大先輩として相当に慕っていたんだ。
だけど……違う。
以前にも感じた、言い様のない罪悪感。
均衡を崩してしまったのは、ロジーさんじゃない。……俺達だ。
俺達がこの異世界に来てから、色々と状況を変えてしまっているんだ。
「ロジーさんの言い方からして、千佳ちゃんはきっと古文書が読めちゃったから誘拐されちゃったんだよね?」
両眉を下げ、弱々しく呟く絵里。
「そういう事になるわね」
それに対してトアは実に力強く、まるで一切の不安など必要無いかの様に答える。
「古文書の強奪はリッシュの指示だったかもしれないけど、チカの誘拐に関してはロジーの独断な気がするわ。あくまで私の勘だけど。……でも悪い様にはしないはずよ」
カラフルな実が散りばめられたサラダを取り分けながら、トアは続けた。
「古文書が読めるっていうのは、あいつらにとって貴重なスキル。その為の誘拐。むしろ最高のおもてなしで助力を懇願してるかもね」
私だって古文書読めるのに、と、まるで拗ねる様に口を尖らせてトアが呟く。なぜ拗ねる。
……あ、そうだ。
「トア、二ヶ月前って何かあったのか?」
「二ヶ月前? 何よ急に」
頬張った顔できょとんとするトア。学校での給食の時間を思い出す光景だ。殺伐とした状況なのに、酷く懐かしい感情が湧き上がる。
「何かって言われてもなぁ。漠然としてるわね。その頃はひたすら召喚術の勉強してたと思うけど」
「もしかしてさ、蒼天の竜の古文書を見付けたのって……その辺の時期なんじゃないか?」
「んんー? そうだったかしら」
こめかみに指を当てて唸る。どうやら本当に忘れているらしいトアの代わりに、グラウンさんが返答してくれた。
「確かに、古文書を発見したのはその頃だ。収穫祭の準備で倉庫に入った際、トア様が奥の方から引っ張り出してきたんだ」
やっぱりそうか。……なんとなく分かってきたぞ。
「そういえばそうだったわね。それでヒストに手伝って貰って、古代文字解読の勉強を始めたのよね。今日ロジーも言ってたけど、古文書ってそれぞれ文法の法則がまるで違うから、ヒストも一緒になって苦労してたわ」
けらけら笑いながらコーヒーを啜るトア。どうやら食事を終えたらしい。俺と絵里は……いまだほとんど手付かずだ。
「……凄いな、君は。確か僕は三日前、赤銅の竜迎撃の為に古文書を見付けた、と説明したはずだ。あれはトア様の計画に基づいての発言だったが……そんな嘘、君には通用しないんだな」
感嘆とした様子でグラウンさんが溜息を吐いた。
そういえばそんな事言ってたっけ。あの頃は突然の異世界に頭が混乱していて、説明をちゃんと受け止められていなかった気がする。
でも。
違和感を覚える様な事柄は、どんなに些細でもちゃんと頭の隅に残っているんだ。
「トア、前に言ってたよな。リッシュがトアに好意を持って絡んで来たのは、二ヶ月くらい前からだって」
「ええ、そうね」
「電波塔で絵里がリッシュに、どうしてトアの事好きになったのか聞いた時、あいつはこう答えてた」
『二ヶ月くらい前、収穫祭の日だ。俺がお前に興味を持ったのは』
「うん、そう言ってたね」
絵里も頷く。
でもあの時は、本当のきっかけは半年前……って話になった。トアが俺達の世界に送還されていて、そこから還ってきた瞬間を目撃したリッシュは、その時からトアを気に掛けていたと。
「こうも言ってた。最初は、不審者の監視という意味合いでトアに関心を向けていたって」
「えぇ。つまりどういう………………あ、まさか」
何かに気付いたように目を丸くするトア。
「もしかして、古文書の発見を知られた?」
ハッとするグラウンさんの向かいで、俺は硬い表情のまま頷いた。
詳しくは知らないけど、そういうスパイ的な事が出来る召喚術なんて幾らでもあるだろう。ホバットがいい例だ。
「今日ギアッドが言ってただろ? リッシュは古代文字が読めないって。それってつまりさ」
「そうか! だからその頃から私にちょっかい出してきてたのね。ラシックスに引き入れて、古文書を解読させる為に!」
まぁ好意もあるかもしれないけど、と付け足そうとしたが、もはやトアは聞いてなさそうだった。眉間に皺を寄せ、あいつ〜、と唸っている。
そして結果的に、驚異的な言語理解能力で古代文字を解読してしまった千佳が……連れ去られてしまったのだ。
トアの代わりに。
「……でも何故、そこまでして古文書に固執するのだろうか。それがラシックスの活動目的に関わっているのか?」
もっともな疑問をグラウンさんが口にする。
「えっと……、それなんですけど」
俺はフォトさんから聞いた話をそっくりそのまま伝える事にした。そうしたのは、俺自身どう解釈したらいいか分からない部分があったからだ。
ラシックスの目的。
竜の国。
そして、異界溝……。
「………………」
説明を終え、沈黙が落ちた。それぞれ難しい顔をして考えている。
あの人の言う事を鵜呑みにしていいものか怪しいが、嬉々として夢を語る様子は、どうしても嘘を付いている風には見えなかった。
すると意外にも、最初に沈黙を破ったのは……絵里だった。
「っていう事は千佳ちゃん……異界溝に連れて行かれちゃうのかな」