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修羅場の続きは異世界で。  作者: ピコピコ
第1章
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図書館の誓い1。

 ーーよいか、トアよ。よく聞きなさい。

 はい、お父様。

 ーーお前はナルミに良く似ている。意志が強くワガママな所も、未知に対して明るく勇敢な所も、本当にそっくりだ。そしてそれは性格のみならず、外見に関しても同じ事が言える。日に日に成長していくお前の姿は、出会った頃のナルミにどんどん似ていく。……だがそれがどんな意味を持つか、分かるな?

 ……どんな意味?

 ーーあちらの世界からしてみれば、ナルミは神隠しにでも遭ったかの様に突然姿を消してしまったという事になっている。話によれば独り旅に出たいなどと周囲に漏らしていたそうだが、それでもある日を境に消息不明になっているという事実に変わりない。そこにナルミそっくりのお前が現れたらどうなる? ナルミを知る人が見れば驚愕するだろう。なにしろナルミはあちらの世界に居る時から、すでに病魔に侵されていた。他界どころか経た年月をまるで遡るかの様に若返った姿を見て、驚かない人間など居ない。可能性は非常に低いが、ナルミの家族や関係者と出くわす確率はゼロでは無いのだ。……本音を言えばな、無駄な軋轢や摩擦は極力避けたい所だよ。

 大丈夫よ、お父様! だからこうして眼鏡で変装して行くの。あっちで何か大袈裟な事をする訳でも無いし。ちょっとどんな世界か見てみたいだけ!

 ーーそうか。まぁ私がどれだけ心配しても無駄な事は分かっている。その程度で意志を変えるお前では有るまい。部屋から出る決意をしてくれただけでも、私としては嬉しい限りだよ。


 ーー最後に、二つ注意点だ。この送還術は従来のそれと異なり、お前個人に対して直接働きかける手法を取る。その為、到着点の座標が定まらない。大通りのど真ん中かもしれないし、下手をすれば水中かもしれない。それについてはお前の強運に頼るしかないのだ。到着した瞬間は特に周囲に気を付けろ。……もう一つ。タイムリミットは十二時間だ。これが経過したら私はお前を召喚する。あちらの世界の通貨も夜を過ごす宿も無いお前には、半日が限界だろう。それまでにやりたい事を終わらせて来い。これは送還者の責任である前に、親である私の義務なのだ。


 そう言ってお父様は私を送還した。

 お母様が、生まれ育った異世界に。



 急流の中を猛スピードで移動する様な、不思議な浮遊感だった。固く閉じた瞼の裏では、光が絶え間無く明滅する。

 遥か遠くに飛ばされる感覚は、心地良さと同時に不安と恐怖を植え付けた。

 私は、ちゃんとミノンアーチに帰れるのだろうか。

 当然だけど、召喚術の対象として異世界に飛ばされるなんて経験は初めてだった。普段お父様や警備団体の人が一瞬で対象を呼んでいる様子を見ていたけど、実際召喚獣はこんな風に道程を体感していたのか。……いや、お母様の居た世界が特別遠いのかもしれない。召喚術とは無縁の世界だったって話だし。

 まぁ、異世界同士の位置関係や距離の概念について機関でさえ詳しく分かってはいないらしいけど。そんな実態が不確かで曖昧なものが文化として根付いているなんて、出身地でありながら何とも異質な世界だ。ミノンアーチのある世界は。

 そんな取り留めのない事を考える内に、どうやら目的地に到着した。眩い光に包まれながらも、座り込んだ姿勢の足元に確かな地面を感じる。

 水中という不運は免れたらしい。

 徐々に光が収束し、辺りの様子を確認する事が出来た。

 ……ここは……何かしら。

 室内だった。同じ種類の机や椅子が規則的に幾つも並び、全て同一方向を向いている。左側の壁には一面に窓が設けられているが、空は暗く、重たそうな雲からは雨が降り注いでいる。

 会議室……? いや、これは教室だ。以前お父様の付き添いで視察に行った召喚術学校のそれに似ている。同年代の人達が楽しそうに過ごしているのを見て、とても羨ましく感じたのを覚えている。

 人の気配は無い。吐いた白い息が、冷えた室内に音も無く溶けていく。どうやら季節の食い違いは無いようだけど、時刻はどうだろう。

 ふと正面の壁に時計が掛かっているのが目に付いた。針は三時を指し示している。送還の儀式はお昼くらいに行ったはずだから、約三時間の時差がある事になる。……いや、もしかしたら十五時間という事も有り得るか。だけど薄暗い空から微かに滲む明かりが、恐らく深夜では無いという印象を与える。

 ……とりあえず、この場所の座標を調べておこう。

 お父様の送還術は個人に対してのもの。それはこっち側の座標軸を知らないからだ。つまりこの世界の位置情報を正確に把握しておけば、従来通りの召喚術に適用出来るかもしれない。今後の為にも、異世界間の連絡を確立しておくのは重要である。……ちなみにこれは、特別お父様の指示という訳では無い。完全に私の独断だ。お母様の居た世界を身近な物にしたいという、虚しい自己満足なのかもしれない。

「……!」

 その時、足音が聞こえた。部屋の右側に設けられたドアの外から聞こえるその音は、徐々にこの教室に近付いて来ている。

 反射的に机の陰に身を隠す。屋外や公共施設ならまだしも、利用者が限定されているであろう空間で他人に接触するのは危険だ。ここがもし学校なら、相手にとって見知らぬ人物なんて居るはずが無い。とすれば言い訳のしようが無い程、私は不審者である。

 ……まずは、怪しまれずにこの施設を出ないと。

 そんな思惑を無情に阻む様に、足音はドアの前で止まる。そして。

「…………」

 男が部屋に入って来た。一人だ。歳は私と同じくらいだろうか。無言で、真っ直ぐ私が隠れている方に向かってくる。

 もしかして、バレてる?

 室内はひんやりとしているが、手に汗を握った。窓の外から届く静かな雨音が、その人物の足音を一層強調する様で、心臓が高鳴る。

 すぐ近くの机で立ち止まったその男は、何やらゴソゴソと机の中の荷物を漁り、またドアの方に向かって歩き出した。どうやら自分の荷物に用があっただけみたいだ。私に気付く事も無く、部屋を後にしようとしていた。

 ドキドキする胸を落ち着かせながら、無事にやり過ごせそうな様子に安堵したその時、ふと思った。

 ……私はこの世界について何も知らないんだ。

 お父様に与えられた猶予は半日。時間は余りにも短い。出来れば、安全でかつ都合の良い案内人が欲しい。今あの男以外に周囲に人は居ない。

 取り込むには絶好のチャンスだ。

 圧倒的不利である不審者な私でも、あの男一人なら最悪何か起きても力で捩じ伏せられそうだし。……ロジーおじさんに戦闘の仕方を教わっていて良かった。

 そうして私は立ち上がり、姿を見せた。

「あ……あの、すみません」

 油断させる為に下手に出る。引き篭もってたとは言え、ミノンアーチでの王女としての態度との違いに、自分でもむず痒い感覚だった。

 男は反射的に振り返り、驚いた表情を見せた。それはそうだ。誰も居ないと思っていた部屋から女の声が聞こえれば、誰だって驚く。

 一応この世界に馴染むように地味な服と眼鏡で変装して来たつもりだけど、大丈夫だろうか。不自然じゃないかな。

「あ、えっと……誰?」

 男は声を絞り出した。何者かを答える事に若干抵抗を感じた私は、その質問には答えない事にする。

「私、道に迷っちゃって……。案内してくれないかしら」

 男は眉根を寄せ怪訝な表情をする。こんな所に迷い込む人なんて通常居ないのだろう。

「どこかのクラスの転入生……かな。いいけど、何処に行きたいの?」

「あ。えーと、そうね……」

 何らかの理由で納得をしたみたいで、案内を承諾してくれた。言ってみたものの具体的な目的地など無かったので、今度は私が眉根を寄せる。何処がいいだろう。この世界の一般的な生活の一部始終を見てみたいし、歴史や文化についても興味がある。

 そんな風に言うときっと不審がられるだろうな。別に素直に異世界から来ましたと説明してもいいのだけど、召喚術という文化に理解の無い世界からしたら、そんな話をされてもますます複雑になるだけだろう。

 怪しまれず、短時間でこの世界の文化を知れる場所がいい。

「この国に関する資料なんかが収蔵されている施設がいいわね。資料館とか図書館みたいな」

「施設……か。ここの図書室じゃ不十分だった?」

「図書室? いえ、まだ行ってないわね」

 そうか。ここが学校なら図書室があるのね。

 それじゃあとりあえず、と、その男は図書室まで案内してくれる事になった。わざわざ連れて行ってくれるなんて、なかなかに好印象である。

 教室を後にして、廊下を歩く。窓の外は今も曇天が広がるが、どうやら雨脚は弱まったみたいだ。

「何かの課題?」

 不意に男が尋ねた。最初何の事か分からなかったが、どうやら私が図書室を目指している理由についてだと気付く。

「えぇまぁ、そんな所。……それにしても静かね。いつもこんなに人が居ないのかしら」

 適当に流して、ずっと気になっていた事を尋ねる。私の知る学校という施設は、もっと大勢の人で賑わっている場所だったからだ。

「冬休みだからね。今日登校してるのは、選択補修のある特進クラスの連中くらいじゃないかな」

 まぁあの二人には必要無いみたいだけど、とボソッと付け足した。あの二人?

 ……ふむ。どうやら通常の環境では無いみたいだ。いつもより人が少ないというのは好都合の様な残念な様な、複雑である。普段の日常を見てみたかったのだけど。

 話す内に図書室に辿り着いた。受付が設けられているが誰も居ない。部屋としては解放しているけど、今日は貸出業務は行なっていない様子だ。

 狭いスペースに整然と本棚と長テーブルが配置されている。まばらに利用者が居るみたいだが、誰もが机上の資料に目を落とし、黙々と作業をしていた。ページを捲る、紙の擦れる音が妙に心地良い。

 私は早速、目を惹かれる資料を片っ端から選び出し、長テーブルにドサドサと載せていく。歴史や地理にも興味があるが今回は諦めよう。今現在の文化や政治経済に関する資料を集めていく。この世界を実際に見て回りたいし、貴重な半日を図書室で過ごす訳にはいかないのだ。

 ふと、とある本が目に留まった。出来るだけ考えたくないと思っていたから、見て見ぬ振りをする。……だけどやっぱりどうしても気になって、また同じ棚に戻って来てしまった。

 医療関係の本だ。

「…………」

 棚から抜き出そうとして、指が微かに震えている事に気付いた。今更何も変わらないのに、涙が滲むのを目を見開いてグッと堪える。

 お父様は、どうしようも無い事だったと言っていた。でも私は知っている。お父様がどれだけ辛い思いをしていたかを。どれだけ自分を責めていたかを。

 あの日の悲願を叶えて、私は今この世界に居る。

 この世界の医療に計り知れない希望を抱いていた。いや、希望というよりは最後の望みだったのだ。そして間に合わなかった自身の成果を呪い、お母様の死後もお父様はずっと研究していた。

 私を送り出したお父様の気持ちは、どんなものだったのだろう。この世界の、この本こそが、あの日の両親に必要だった物なのだ。

 …………と、大袈裟に表現してみたが、実際にはそう簡単には行かない。

 私は本を抜き取り、パラパラとページを眺める。そこにあるのは、怪我の応急処置や風邪の諸症状など、ミノンアーチでも馴染みのある症例の簡単な説明だけだった。

 それもそうか、と、抑え込んでいた感情を吐き出す様に溜め息をつく。学校という場所は医療関係の施設では無い。我が国の医療チームが対応出来なかったお母様の病について、こんな簡単に調べられる訳無い。

 可能性があるとすれば、この世界の病院。若しくは……。

「あのさ」

 不意に話しかけられ横を見ると、私をここまで案内した男が立っていた。……すっかり忘れていた。

「今日は図書室十七時までだし、本も借りられないから気を付けてな。それじゃあ俺はこれで」

 しばらく様子を見た後、お役御免と判断したのか。男はそう言うと、部屋を立ち去ろうと出口の方へ歩き出した。

「待ちなさい!」

 静かな室内に声が響く。男は跳ねる様に振り返り、驚いた顔をした。それは単に私の声量が大きかったからだけでは無く、そこまでの態度と明らかに異なっていたからだろう。

 私は猫を被っていた事などすっかり忘れ、まるで使用人に要求するかの様な強い口調で……男に命令した。

「ここじゃ物足りないわ。もっと大きな施設に案内しなさい。付き合って貰うわよ」


 これが私とヤナギの始まりだったのだ。

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