召喚術研究施設にて。
「ここが召喚術研究施設よ。以前話した発動条件とか効果範囲の測定とか……色々な研究をしているわ」
商業施設が建ち並ぶ東地区。その一画に、大袈裟な程頑丈な塀で囲われたその建物があった。建物全体は丸みを帯びたデザインとなっており、その周囲にはまるで地球儀の様な球体のモニュメントが不規則に並んでいる。その様相は、他の建物と比べて明らかに異彩を放っているのが見て取れた。
天候は雨。バスに揺られて辿り着いたのは、兼ねてから話に出ていた召喚術の研究施設だ。
「私が召喚術を学んだのも主にここね。ちなみに召喚師としての立場を退いてはいるけど、今も最高責任者としてお父様の名前が置かれているわ」
出入り口のセキュリティゲートをトアの顔パスで通る。トアが居なければ、カードキーや暗証番号など二つか三つは入館許可が必要な様子だ。やっぱり召喚術関連の施設ともなると警備も厳重らしい。悪意ある不審者に忍び込まれでもしたら、その危険性は甚大なのだろう。
「お父様の話に出てた紺碧の竜の古文書も、恐らくこの施設で保管されてるんじゃないかしら。だいぶ昔の話だから、私も詳しく知らないけど」
紺碧の竜か……。それがきっかけで起きたとされる、通称『緑青の惨劇』。緑青の竜の方は、城を襲撃した輩の中に召喚師が居たって話だけど……どうなったのだろう。今もまだ拘留されているのか、それとも釈放されたのだろうか。
奥の部屋では数人の職員が、モニターや資料を見ながら何やら難しそうな話をしている。どう考えても俺達みたいな高校生が割って入れる内容では無いと思うが……。
絵里の才能は、リッシュやザイン国王に匹敵するらしい。この異世界にとっては新鮮な、理数的観点からの召喚術の利用。「その新しい着眼点と発想で、是非研究進展の一助となって欲しい」なんてグラウンさんは言ってたけど……定例会議の時もそうだったし、ザイン国王もグラウンさんもちょっと俺達に期待をし過ぎだろう。
俺達はどこにでも居るごく普通の高校生なのに。
「あ! 図書・資料室だって! 私ちょっとそっち行ってきてもいいかな」
跳ねる様に千佳が声を上げた。目を輝かせてフロアマップの一つ上の階を指差している。
「いいけど……単独で行動するのは危険じゃないか?」
ロジーやリッシュに目を付けられているこの状況で、いつ何があるか分からないし……俺達特有の召喚術の制約もある。離れ離れになるのは極力避けた方がいい。
「心配性だなー柳は。大丈夫でしょ、同じ建物だし。ここには職員の人達も居るし。それに絵里はそっちの数字見てる方が楽しいみたいだよ」
ふと見ると、絵里は職員の人達に混じって数字と図形の羅列を眺めていた。俺にはさっぱり分からないが、絵里には何か興味深いものが見えているのかもしれない。
「そうねー。離れるって言ってもすぐ上の階だし、ここはセキュリティもしっかりしてるわ。大丈夫よ」
トアの言葉に背中を押されて、千佳は小走りで階段を上っていった。うーん、そんなに心踊るものなのか。確かに、異国の図書館という響きは魅力的だけど。
二人とも、学問に貪欲である。単純に好きなんだろうな、考える事や新しい知識を取り入れる事が。
さて、どうしよう。絵里が見てる方はさっぱり分からなそうだし、俺も図書館に行ってみようかな。分担召喚術についての資料があるかもしれない。使役の効力が第三者に移る前例は無いって話だけど、図形と詠唱が分担される事例は多少あったみたいだし。
「それじゃあ、ヤナギ。あそこのカフェラウンジでゆっくりコーヒーでも飲みましょうか。あの二人が来たいって言うから連れて来たけど、私はここに特に用事は無いし。……ここのコーヒーはすっごく美味しいわよ」
微かに灯った俺の中の貴重な探究心は、トアの言葉にあっさりと降伏する事になった。受験勉強を放り出して友人の遊びの誘いに乗ってしまう心境を味わいつつ、連れ立ってラウンジへと向かう。
「ダメだなー、俺は」
「何が?」
「いやいや、何でもない。……トアは研究内容とか見ないのか?」
フロアの端にあるカフェラウンジに入る。大きな窓からはこの施設の塀の内側にある庭が見渡せた。そこまで大きな敷地では無いものの、隅までしっかり管理が行き届いている様子だった。先程見た球体のモニュメントの他にも、綺麗なベンチなどが並んでいる。
「私はもう嫌という程見てるもの。それにここの常識や一般が定着した私なんかが見ても今更何も変わらないわ。エリやチカみたいに新しい見方をする人が見ないと」
成る程なぁ。俺達に期待する理由はそういった部分が大きい訳だ。
誘導されて席に座ると、トアはカウンターから二人分のアイスコーヒーを持ってきてくれた。
「はい、どうぞ。セルフサービスだからおかわり欲しかったら言ってね」
「ありがとう」
雨とは言え、外は蒸し暑い。朝食ではホットコーヒーだったけど、ここではアイスが丁度良かった。
防音がしっかりしているのか、外の音が届かないラウンジは静かだ。だけど窓の向こうでは雨足が強まっているのが見て取れる。
「雨、結構降ってきたな」
「そうね。……こうしてると、あの日の事を思い出すわねー」
あの日の事。それがいつの事か、すぐに分かった。俺が初めてトアに出会った、元の世界でのあの日の事だ。
あの日も、雨が降っていた。
「あの時知り合った女の子と、ここでこうしてまた喋っているなんて、本当に不思議な感覚だよ。まぁトアが俺の事を喚び出したんだから、偶然でも何でも無いんだけど」
コーヒーを一口飲む。味の違いなんて俺には全然分からないと思っていたけど、豆の香りや適度な苦味が丁度良く飲みやすく、確かに美味しいと感じた。
「あはは、そうね。でも私も不思議。まさかここまで仲良くなれるなんて思ってなかったから」
誰もが驚く様な強制的召喚術で強引に俺達を喚び出した挙句、周囲を気にせず堂々と結婚を宣言するお姫様。それなのにちょっとした事で照れたり、こんな風に弱気な発言をしたりする。普段の強気な態度とのギャップに、思わず可愛いなんて思ってしまう。
「私は蒼天の竜の古文書を適当にアレンジして、無理矢理ヤナギ達を喚び出す事に成功した。だけど半年前のあの日に私が召喚されたのがあの場所じゃ無かったら、きっとこんなに上手くは行かなかったでしょうね」
「……? どういう事だ?」
そういえば、どういう経緯でトアがこっちの世界に来たのか、詳しい話は聞いてなかったな。
「お母様が亡くなって、私はずーっと部屋に閉じ籠ってた。お父様とお母様、そしてロジーの三人が仲良く話している光景が私にとって凄く幸せだったから、それが無くなってしまった事を思い知らされるのが恐かったのよ。受け入れたつもりなのに、その度に突き付けられるみたいで」
トアがコーヒーを一口飲み、苦い顔をした後ミルクとガムシロップを入れる。どうやらブラックは苦手らしい。今まで特に気にしていなかったけど、この飲み方はザイン国王の話にあった、ナルミさんのそれと同じだ。
「だけどある日ふと思ったの。お母様は異世界出身の人間で、私はその頃の事をなんにも知らないんだって。こんなに寂しくて悲しいのに、お母様の事全然分かって無いのかもしれないって思ったら、段々自分にイライラしてきたわ」
窓の外を見つめ、言葉を続けるトア。この純粋さに俺は胸が痛むのを感じていた。俺は……居なくなってしまった母親の事を、こんな風に思ったりしていなかった。
「それで、お母様が居た世界を見てみたくなったのよ。どんな世界で、どんな風に過ごしていたんだろうって。それがどうしても知りたくなって、お父様に頼んだの。……私をお母様の居た世界に送還出来ないかって」
成る程。理屈は分かるが……なかなか無茶を言う。それが出来なくてザイン国王は苦しんでいたというのに。
「ところがよ! 流石はお父様、出来るっていうのよ。お母様が亡くなった後も自身への戒めの為に研究は続けていたらしくて、確実では無いけど理論上近しい成果を得られるに至ったって!」
キラキラと目を輝かせて話すトアは、まるで当時の嬉しさを再現しているかの様だった。
……って、あれ? ちょっと待てよ。
「ザイン国王は俺達の世界と召喚送還のやり取りが出来るのか? って事はザイン国王でも俺達を元の世界に還せるし、そもそもトアが強制召喚をする必要も無かったんじゃ」
「甘いわねーヤナギ。そんな簡単な仕組みじゃないのよ、召喚術って。召喚からの送還と、送還からの召喚じゃ全然順序が逆じゃない」
それは分かるけど。仕組みの複雑さについてなんて分かる筈も無い。
するとトアは、アイスコーヒーを指差して説明を始めた。
「要するに以前話した、竜とそれ以外の召喚方法と理屈は一緒よ。お父様は私という個体に対して送還を行なった。そして召喚の際には、改めて私自身に呼び掛けたってわけ」
自分のコップをスライドさせ、俺の前に持ってくる。そしてそのまま今度は自分の方に引き寄せた。
「でも召喚が先だと話は別なのよ。異世界に居る個体にいきなり直接呼び掛けるなんて不可能だから、どうしてもその場所の座標情報が必要になる。だから私は召喚術を作ったの」
トアは手を伸ばし、今度は俺のコップを上から掴み、持ち上げた。
ややこしい話だけど、何となく理解は出来た。そして俺達を召喚したのはトアだから、代わりにザイン国王が俺達を送還するのは不可能だという事も。
「結果的に、形は違えど……ザイン国王もロジーさんも、当時の念願だった送還術を習得してるんだな。なんか複雑だなぁ」
それが可能であったなら救えた……という保証は無い。だけどナルミさんが病魔に苦しんでいたその時、二人がどれだけその技術を欲していたか……想像に難くない。二人はナルミさんを亡くしたその後も、その技術を求めたのだ。贖罪と、弔いの意味を込めて。
「そうね。だけど二人には決定的な違いがあるわ」
声を低め、痛々しい目を向けて、トアが呟く様に言った。
「お父様はお母様を救う為だけに、送り出す世界を特定した限定送還術。対してロジーは、他者が召喚した対象であっても送り還せてしまう強制送還術。しかもその先は、異界溝。どちらの方が悪質で危険かは、明言するまでも無いわね」
「…………」
かつては同じ目的で、同じ技術を望んだ筈の二人。それがどうして、真逆の道を選ぶ事になってしまったんだろう。
「お父様の送還術は個体に対してのものだから、逆に言えば座標情報が無いの。だからもしも送還された先の世界から何かを召喚したいと考えたなら、その場所の座標情報を知る必要がある」
……そうか。だからあの教室で、俺達は召喚されてしまったんだ。
俺とトアが最初に出会った、あの教室で。
「まぁ勿論、最初はそんなつもり全然無かったけど……」
ぐいっと顔を近付けるトア。
「ヤナギに出会っちゃったからね」
満面の笑みで嬉しそうに囁いた。……素直に、可愛いと思った。
このラウンジには二人しか居ない。なのにまるで周りから隠れて二人だけの内緒話をするかの様に、近距離で小さな会話をする。
「そっちの世界で最初に出会ったのがヤナギで本当に良かった。その後色んな人に会ったけど、ヤナギか一番素敵だったわ」
「どうしてそんな過大評価なんだ。俺なんてむしろ全然ダメな人間だぞ」
大事な選択も出来ない。問題をいつも先延ばしにして、その責任から怯え逃げている。
「今までずっと……」
今までずっとそうだった。そうして気付けば、大切なものばかり失っていったんだ。
母親も。
小学生の時の、あの同級生の女の子も。
そしてきっと、絵里も千佳も。
……トアだって。
思い詰めればどんどん深みに落ちていく。これまで何度この苦悩を繰り返しただろう。
選べないという罪が、周りの人間をひたすら傷付けている。
「ヤナギ」
それまで甘えた声で小さく話していたトアが、不意にトーンを落とし、真剣な表情でこちらを見た。
「それはね……ヤナギが優しいからだよ」
深い夜空の様な瞳が、真っ直ぐに俺の目を見る。
何も言ってないのに、トアは俺の内側を見抜いていた。ただ情けなく不甲斐無いだけの俺の苦悩を、優しいからだと、言ってくれた。
「ヤナギ、思い出させてあげる。半年前のあの日、ヤナギがどれだけ素敵でカッコ良かったかを」