朝食会議。
「…………なんだか、色々と複雑よね」
サンドイッチを頬張るトアは、なんだか疲れ切った顔をしている。目の下にクマが出来ている所を見ると、恐らく大して眠れなかったのだろう。かくいう俺もきっと同じ顔をしているはずである。結局寝たのは随分遅い時間だった。
昨日と同じホールにて、四人並んで朝食を摂る。サンドイッチやサラダがテーブルを飾り、これまた昨日と似た構成になっている。トア曰く「これが私の朝食スタイル」なのだそうだ。
窓の外はどんよりと薄暗い雲が広がっている。室内はクーラーが効いて快適な温度が保たれているが、恐らく外は湿気で蒸し暑いだろう。
「ロジーさんが強制送還術を習得するきっかけになったのは、ナルミさんを救う為だったんだね」
「トアちゃんは昔の事、どこまで知ってたの?」
サンドイッチを頬張る絵里と千佳。こちらは俺やトア程は疲れていない様子だ。すんなり眠れたのだろうか。テスト前になるとついつい深夜まで勉強に打ち込んでしまうという二人だし、多少の夜更かしなんて余裕なのかもしれない。
「正直言って、いざ聞いてみるとほとんど知らなかったわね。結婚以前のお父様の話とか、緑青の竜の話とか。私が知ってたのはお母様が異世界人だって事と、ロジー含めて三人が仲良かったって事くらいよ」
もぐもぐと咀嚼し、淡い緑色のジュースを飲む。このジュースはルペンという実を使ったものらしく、ほとんど無味でごく普通の水に近いが、ほんのりとハーブの香りが漂う。絵里が好みだと言っていた。
「……まぁ、結局の所」
口に含んだ物を飲み込んだ後、更にサンドイッチに手を伸ばすトア。お腹が減っているのだろうか、すでに四つ目である。
「まわりで色々ばたばたしてはいるけど、私の目的は何も変わらないわ。もしかしたら最初に思ってた以上に迷惑をかけちゃうかもしれない。だけど、かと言って気持ちが変わる事なんて無いのよ。……もう一度正式に言うわヤナギ」
俺の目を見据え、僅かに紅潮させた頬を不敵に釣り上げた。
「私と結婚しましょう」
ぎょっとする絵里と千佳。曖昧なまま保留にしていたが、これはこれで非常に厄介な問題である。
「いや……それをリッシュが許さなくて、挙句ロジーさんにまで狙われてるわけで、」
「私のお父様とお母様もそうだったんだもの。こんなに素敵な事は無いわ。やっぱり私達は結ばれる運命なのよ!」
まるで聞いていない。自分の欲求を最優先にするこの強い意志。ザイン国王にもナルミさんにもあった様に思えるその気質は、しっかりトアに受け継がれているみたいだ。
ロジーさんの本意についてはまだ分からない事が多い。だけど……仮説通りあの襲撃が俺達の排除目的で指示されたものだったなら、この国に居座ろうとする選択は危険かもしれない。それは結果的に、トアをも危険に晒す事になる。
「そんなのダメに決まってるでしょ! 柳は私達と一緒に元の世界に帰るのー!」
「うん、トアちゃん。やっぱり私達は元の世界に帰りたいな。勿論、柳君も一緒に。宿題とか気になるし」
異世界に来て気になる項目が夏休みの宿題とは。俺なんて可能ならば逃げてしまいたいくらいなのに。
「でもお祭りの時にも言ったけど、リッシュ氏の事をほっとくつもりは無いよ。リッシュ氏とロジーさんの件、無事円満に解決させてからでいい」
絵里の言葉に、千佳も頷く。俺もそのつもりだ。このまま色々放り投げて元の生活に戻るのは、気掛かりを残す様で気持ちが悪い。
「成る程。つまりこういう事ね」
豪快にサンドイッチに噛み付いたトアは、指を四本、顔の前に突き出した。
「私はヤナギと結婚したい。だけどそれを許さないって人が少なくとも四人居る」
俺の意志が置き去りにされたまま話が進み始めたが、とりあえず黙って聞く事にする。絵里と千佳も息を呑んだ。
「まずはストーカーのリッシュ。そもそもこいつは何で私に付き纏うのかほんと謎」
小指を折り畳む。こんな風に言われてしまうリッシュがなんだか気の毒になってきたな。トアの方は全くと言っていい程リッシュに興味が無いのか。
「私の見解では、トアの召喚術の才能が欲しいだけなんじゃないかって感じだけどね」
ルペンのジュースを飲みながら、千佳が分析する。あまり好みでは無いのか、ジュースの量が減っていない。
確かに……。赤銅の竜継承者であるケミーを、両親が亡くなった直後に勧誘するくらいだからな。戦力的期待が無い訳では無いって、本人も言っていたし。
「電波塔で言ってたよね。トアちゃんの、欲望に真っ直ぐな所とか、それを貫ける実力を持ってる所とかに惹かれたって」
トアに負けず劣らず、絵里も四つ目のサンドイッチに手を伸ばす。そうか……昨日の夕飯は、話に夢中であまり食べていなかったのか。
「それも怪しい理由よね。そんなの誰にだって言えるじゃない」
辛辣な言葉を吐き捨てるトア。うーん……人を好きになる理由っていうのは、俺にとっても実に興味深いし、リッシュのそれは充分立派なものだと思うんだけどなぁ。
リッシュがそう思ったのは、トアが何故か俺を気に入って、強引にこの異世界に呼び出してしまった行動力を見ての事だ。そしてそのきっかけになったのは、トアが異世界から召喚された現場を目撃したからだと言っていた。
そういえば、その話の直前に言ってたな。トアに興味を持ったのは、二ヶ月くらい前の収穫祭の日だって。
……その日は、一体何があったんだろう。
「まぁいいわ。そして二人目、異界溝介入者のロジー。召喚難民の廃絶を目論んでて、ヤナギも狙われた。思想が歪みまくってて、これはもう国として対処しなきゃならないくらいの危険人物」
薬指を折り畳む。かつての親しい存在をそんな風に表現せざるを得ない……トアの心中を思うと心が痛むが、険しい顔で掲げる右手がピースサインとなり、何処か滑稽に映る。
「召喚難民って、還れなくなった被召喚対象の事でしょ」
「それを救いたいって気持ちは大いに理解出来るんだけど、廃絶って言い方がなんか引っかかるね」
同じ表情で「うーん」と唸る絵里と千佳。
使用人が食器を片付けるのと同時にコーヒーを出してくれた。豆の良い香りが漂い、ナルミさんが淹れてくれたというコーヒーを何故か思い描く。真夏にホットだけど、クーラーの効いたこの部屋には丁度良かった。
「これは私の見解だけど、ロジーがケミーを使ってヤナギを狙ったのも、それが理由じゃないかって思うわ」
「どういう事?」
首を傾げる絵里に、ピースサインを向けながらトアが続けた。
「私の目的はヤナギだけって事よ。もしヤナギが死んじゃったら、あなた達二人はすぐに元の世界に送還される……ロジーはそう思ったはずだわ。二人がここに留まる理由は何も無いし、きっと私も、二人の身を案じてそうすると思う……」
「…………」
どうやらトアも俺と同じ推理をしていたみたいだ。言葉尻に若干の躊躇があったのは、そこもまた、俺と同じ疑問を含んでいるからだろう。
何故、ケミーを使ったのか。
何故、あのタイミングだったのか。
何故、自身の強制送還術を使わなかったのか。
その答えは今は分からない。何かまだ、情報が足りない気がする。
「強引なんだなぁ、ロジーさん」
「この世界で生活してる召喚獣なんてたくさん居るわ。お祭りの時に見たでしょう。獣だけじゃなく亜人とか鬼とか、色んな種族とのハーフやクォーターだって居る。そりゃあ中には帰りたくても還れなくなった召喚獣だって居るだろうけど、絶望してる人ばっかりじゃないわ。ちゃんと受け入れて、有意義に過ごしてる人達だって居るの」
ミルクを流し込み、コーヒーを口にする。
「お母様だって……そうだったはずなのに」
寂しげに呟くトア。親しく思っていた人に裏切られただけじゃなく、ナルミさんの人生自体を否定された様に感じているのだろう。ロジーさんの行動は、トアにとってそれだけ信じられないものだったんだ。
「それをあんな独善的かつ一方的に廃絶するなんて言い出して……意味が分かんないわ。強制送還術も、未完成というかむしろ失敗作みたいな代物だし」
「…………」
誰も言葉が継げずに、四人同時にコーヒーを啜る。ザイン国王から昔の話を聞いて、ロジーさんの思想の動機は何となく理解出来たけど、それでもロジーさんについては謎だらけだ。
そもそも、俺達は召喚難民じゃない。自らの意思でこの世界に残っているし、トアによって送還が可能なの事は間違いないはずだ。難民を排除しようというロジーさんの、標的になる理由は何処にも無い。
状況的にナルミさんの事例と酷似していたから、難民になってしまったと勘違いしたのだろうか。でもそれだと、俺を始末すれば絵里と千佳は速やかに送還されるだろうという思惑の仮説が成立しなくなってしまう。
そしてもう一つ分からないのは、昨日……北スラムでの事。何故あの時、赤銅の龍を送還して俺達を助けてくれたのだろう。排除したいのであれば、あのまま傍観していても良かったはずなのに。
「うーん……」
窓の外側に水滴が落ちた。皆が黙ると室内は酷く静かで、微かな雨音がかろうじて届く。
「ロジーさんと、ちゃんと話してみないと分からないね」
「ちゃんと話してくれるかなぁロジーさん。リッシュ氏よりは落ち着いて話せそうだけど」
ギアッドの時みたいに争いで解決する様な流れは、出来る事なら避けたい。だけどほとんど無関係な俺達なんかの言葉で、ロジーさんの信念を変える事が出来るだろうか。
「……っていうかさ!」
何かを思い付いたのか、跳ねる様に千佳が声を上げる。
「私と柳と絵里は結果的に元の世界に還るわけじゃん。その事をちゃんと話せば、少なくとも私達が狙われる事は無くなるんじゃないかな。難民でも無いし、この世界に残る気もありませんって」
「そうだね、私達については理解してくれるかも。ロジーさんの危険思想はさておき、まずは順番に問題解決を図っていかないとね」
続けた絵里に、トアが険しい顔を向ける。
「残る課題がそれよね」
維持していたピースサインの両指が、器用に絵里と千佳を指した。
「私とヤナギの結婚を阻止する残りの二人が……あなた達よ! エリもチカも、私とヤナギが結婚しない方向で話を進めようとしてるわね!」
ギクッ! という表現を見事に体現するかの様に、肩を上げ目を見開く絵里と千佳。そんな二人にトアは更に続けた。
「極論、リッシュもロジーも私からすれば大した問題じゃないのよ。最終的に力で捩じ伏せればいいだけだもの。だけどあなた達二人はそうは行かないみたいだし、むしろこっちの方が厄介」
絵里と千佳を交互に睨み、二人を怯えさせるトア。うーむ、ここの状況は初日から全く変わっていないな。
言わずもがな、その原因は完全に俺にあるのだが。
「いやいやトア! 何っ回も言ってるけど、柳は結婚しないから!」
「そうだよ。一通り騒動が落ち着いたら、私達は元の世界に還るよ、トアちゃん」
同じ様なやり取りが改めて始まった。と言うか、色々問題が起きている気がするのだが、結局トアの焦点はそこに当たるわけか。
「柳が最後に選ぶのは私なの! なにせ私はキスも済ませてるんだからねー!」
ノーカウントという約束は何処へやら。まるで切り札の様に千佳が声を上げる。
「あら。私なんて誰にも侵せない『図書館の誓い』を交わしているわ。あんなにもロマンティックな時間、あなた達は過ごしていないでしょう」
初めて聞いたぞ、なんだ図書館の誓いって。あの出来事にそんな名称が付いていたのか。
「わ、私だって。幼い日の秘密の共有が……」
それらしい事を突然カミングアウトする絵里だが、それに関しては皆目見当が付かない。そもそも絵里に出会ったのは中学生になった時だし、幼い日も何も無いのだ。
騒がしい食卓から目を背ける様に、コーヒーを啜る。身の危険や謎が渦巻いて、不安要素が募るばかりだ。
だけどこの三人のお決まりのやり取りが、いつの間にか俺にはどうにも心地の良いものになっているみたいだった。